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創出版: 2015年8月アーカイブ

8月26日、午後1時からの「安保法案に反対する学者の会」の会見に足を運んだ。上野千鶴子さんが発言の中で言っていたが、この運動には100以上の大学の教員や学生が関わっており、もはや学者の会というより、大学人の運動と言ってよい。大学がこんなふうに社会的運動の前面に登場したのは、70年安保前後の大学闘争以来ではないだろうか。国旗国歌の掲楊が国から要請されるなど、大学の自治や自立を脅かす動きが強まっていることへの危機感もあいまってそうなっているのだろう。

この日、全国から集まった200人を超える「学者の会」のメンバーは、夕方、日弁連との合同会見を行ったのだが、この会見をめぐって幾つかの波紋が広がっている。私はそちらの会見には行けなかったのだが、後で参加者から話を聞いて、あー行けば良かったと後悔した。でもその会見の模様は全編動画公開されており、「学者の会」のホームページからアクセスできる。

http://anti-security-related-bill.jp/

 会見の発言はそれぞれ考えさせる内容だが、特に拍手が大きかったのが上智大学・中野晃一教授の発言だ。私も日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長を務めていることもあってこの1年ほど院内集会などで発言する機会が何度かあったが、中野教授は学者の立場から、そういう集会ではいつも発言して来た人物だ。

その中野教授が今回の会見で強調したのは、こうして全法曹界が声をあげ、全学会も集まった、では全報道はどこにいるのか、報道の自由が危機に瀕しているこの時に「報道はどこにいるのか」という内容だった。発言が終わった後、会見に臨んだ人たちの間でしばし拍手が鳴りやまなかった。

 今、安保法案をめぐって多くの国民が反対の声を挙げているなかで、改めて問われているのがジャーナリズムのあり方だ。この会見もそうだが、メディアがそれを伝えなければ、そこでの発言は多くの人に伝わらない。実際、新聞・テレビでこの会見内容を全く報道しなかったメディアもある。そもそも私が足を運んだ昼の会見も、取材に訪れていたのは特定のメディアだけだ。

 

戦前戦中と日本のマスメディアは戦争に協力し、戦意高揚の報道を続けた。それに対する痛烈な反省から出発したのが戦後のジャーナリズムのはずだったのだが、いまやメディア界は様変わりしてしまった。市民の知る権利を代行し権力を監視するのがジャーナリズムの役割という認識さえ、稀薄になりつつある。

その意味では、中野教授の発言は、ジャーナリズム界への大きな問題提起なのだが、この会見で波紋を投げたのはそれだけではなかった。質疑応答に移って、3つのメディアが質問に立ったのだが、その最後が産経新聞だった。そしてその記者が、安保法案のような賛否が分かれる問題について日弁連が反対という特定の立場をとるのはどうなのか、という質問をしたのである。会場に失笑と、ヤジが飛んだ。

それまでの発言で、日弁連としては安保法案が立憲主義そのものを否定するものであり、廃案を求めざるをえないと説明してきたのに、「今までの話を聞いてたのか?」と突っ込みが入るような質問だった。学者の会として檀上でそれを聞いていた知人は、そこまで空気の読めない質問を敢えて行う勇気に感心した、と皮肉まじりに語っていた。

産経記者が先の中野教授の発言を聞いたうえで確信犯的に最後にその質問をしたのかどうか定かではないのだが、メディア界の現状をあまりにも象徴的に示した光景だったと言える。その最後の質問に至るまでネットに動画が公開されているから、ジャーナリズム関係者はぜひそれを見て、考えてほしい。

 

ちょうど発売中の月刊『創』9・10月合併号で「安倍政権のメディア支配」について特集を組んでいるが、安倍政権がこの間、批判勢力としてのメディアを抑えこもうとしてきたのは確かだ。NHKの会長に政権寄りの人物を送りこんだり、朝日新聞やテレビ朝日に揺さぶりをかけるなど、戦略的にそれを行っている。先頃「マスコミを懲らしめる」という自民党の一部議員の発言が非難されたが、あれはあまりに下品で露骨だったから退けられたが、政権の意向とそう大きく違っているわけではない。

『創』の特集で金平茂紀さんが、メディアが政権から介入を受けているという言い方は間違いではないけれど、実はメディアの側に政権にすり寄っている人たちがいるのではないかと述べ、それを「自発的隷従」と言っている。言う間でもなく金平さんのような、組織に身を置くジャーナリストが、こういう発言をするのはある種の覚悟なしにはできないのだが、今のメディア界はある種の覚悟なしには発言もできないような状況になりつつある。

その意味でもジャーナリズム界は今、戦後最大の岐路に立たされていると言える。中野教授の「報道はどこにいる」という指摘は、言論・報道に携わる者が深刻に受け止めなければならないのではないだろうか。

http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/index.html

 

8月26日、午後1時からの「安保法案に反対する学者の会」の会見に足を運んだ。上野千鶴子さんが発言の中で言っていたが、この運動には100以上の大学の教員や学生が関わっており、もはや学者の会というより、大学人の運動と言ってよい。大学がこんなふうに社会的運動の前面に登場したのは、70年安保前後の大学闘争以来ではないだろうか。国旗国歌の掲楊が国から要請されるなど、大学の自治や自立を脅かす動きが強まっていることへの危機感もあいまってそうなっているのだろう。

この日、全国から集まった200人を超える「学者の会」のメンバーは、夕方、日弁連との合同会見を行ったのだが、この会見をめぐって幾つかの波紋が広がっている。私はそちらの会見には行けなかったのだが、後で参加者から話を聞いて、あー行けば良かったと後悔した。でもその会見の模様は全編動画公開されており、「学者の会」のホームページからアクセスできる。

http://anti-security-related-bill.jp/

 

会見の発言はそれぞれ考えさせる内容だが、特に拍手が大きかったのが上智大学・中野晃一教授の発言だ。私も日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長を務めていることもあってこの1年ほど院内集会などで発言する機会が何度かあったが、中野教授は学者の立場から、そういう集会ではいつも発言して来た人物だ。

その中野教授が今回の会見で強調したのは、こうして全法曹界が声をあげ、全学会も集まった、では全報道はどこにいるのか、報道の自由が危機に瀕しているこの時に「報道はどこにいるのか」という内容だった。発言が終わった後、会見に臨んだ人たちの間でしばし拍手が鳴りやまなかった。

 今、安保法案をめぐって多くの国民が反対の声を挙げているなかで、改めて問われているのがジャーナリズムのあり方だ。この会見もそうだが、メディアがそれを伝えなければ、そこでの発言は多くの人に伝わらない。実際、新聞・テレビでこの会見内容を全く報道しなかったメディアもある。そもそも私が足を運んだ昼の会見も、取材に訪れていたのは特定のメディアだけだ。

 戦前戦中と日本のマスメディアは戦争に協力し、戦意高揚の報道を続けた。それに対する痛烈な反省から出発したのが戦後のジャーナリズムのはずだったのだが、いまやメディア界は様変わりしてしまった。市民の知る権利を代行し権力を監視するのがジャーナリズムの役割という認識さえ、稀薄になりつつある。

その意味では、中野教授の発言は、ジャーナリズム界への大きな問題提起なのだが、この会見で波紋を投げたのはそれだけではなかった。質疑応答に移って、3つのメディアが質問に立ったのだが、その最後が産経新聞だった。そしてその記者が、安保法案のような賛否が分かれる問題について日弁連が反対という特定の立場をとるのはどうなのか、という質問をしたのである。会場に失笑と、ヤジが飛んだ。

それまでの発言で、日弁連としては安保法案が立憲主義そのものを否定するものであり、廃案を求めざるをえないと説明してきたのに、「今までの話を聞いてたのか?」と突っ込みが入るような質問だった。学者の会として檀上でそれを聞いていた知人は、そこまで空気の読めない質問を敢えて行う勇気に感心した、と皮肉まじりに語っていた。

産経記者が先の中野教授の発言を聞いたうえで確信犯的に最後にその質問をしたのかどうか定かではないのだが、メディア界の現状をあまりにも象徴的に示した光景だったと言える。その最後の質問に至るまでネットに動画が公開されているから、ジャーナリズム関係者はぜひそれを見て、考えてほしい。

 ちょうど発売中の月刊『創』9・10月合併号で「安倍政権のメディア支配」について特集を組んでいるが、安倍政権がこの間、批判勢力としてのメディアを抑えこもうとしてきたのは確かだ。NHKの会長に政権寄りの人物を送りこんだり、朝日新聞やテレビ朝日に揺さぶりをかけるなど、戦略的にそれを行っている。先頃「マスコミを懲らしめる」という自民党の一部議員の発言が非難されたが、あれはあまりに下品で露骨だったから退けられたが、政権の意向とそう大きく違っているわけではない。

『創』の特集で金平茂紀さんが、メディアが政権から介入を受けているという言い方は間違いではないけれど、実はメディアの側に政権にすり寄っている人たちがいるのではないかと述べ、それを「自発的隷従」と言っている。言う間でもなく金平さんのような、組織に身を置くジャーナリストが、こういう発言をするのはある種の覚悟なしにはできないのだが、今のメディア界はある種の覚悟なしには発言もできないような状況になりつつある。

その意味でもジャーナリズム界は今、戦後最大の岐路に立たされていると言える。中野教授の「報道はどこにいる」という指摘は、言論・報道に携わる者が深刻に受け止めなければならないのではないだろうか。

http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/index.html

田代まさしさんの「盗撮」騒動に関して書いた私のブログ記事が7月のヤフーニュース個人ブログの月間MVAを受賞した。読んで下さった皆さんに感謝したい。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yahooroupeiroedit/20150826-00048846/

  で、それに関してあの騒動がどうなったのか、少し報告しておこう。というのも、前の記事を書いた時点ではもう少し事態が早いペースで進展すると思って、続報の予告もしておいたのだが、その後7月28日に書類送検が行われたものの、いまだに決着がつかないままになっているからだ。

続報予告を行いながら書き込みをしなかったのは申し訳ないと思うが、これには事情があって、実はあの後、田代さん本人とは何度かやりとりを行った。前回、7月15日に書き込みを行ってすぐに田代さんから「またまた心配とご迷惑おかけしています。 申し訳ございません」で始まるメールが届き、あの騒動について説明を受けた。

当初、私はそれを公開しようと考えた。周辺の関係者が本人の意向を間接的に伝えてもそれがどの程度正確かわからない。微妙なニュアンスも含めて、本人の言葉をそのまま示すのが一番正確だと考えたからだ。

ところが、本人にそう言ったところ、弁護士さんにも発言は止められているし、まだ公開はやめてほしいと言われた。確かにネットで公開すると、それがそのままコピーされ拡散するから影響は甚大だ。そう思って公開をやめた。

  前回書いた内容を補足するために、概略の説明だけ行っておくと、盗撮騒動のもととなった事件が起きたのは7月6日、二子玉川駅のホームでのことだった。田代さんが盗撮を行っているという通報を行った人がいて、警察官が駆け付け、田代さんが事情を聞かれた。盗撮した相手とされた女性は気づかないまま現場を離れているし、警察は田代さんの携帯電話を押収して画像を調べたが、盗撮画像は発見されなかった。

だからこの事件は盗撮があったかどうか事実関係を争うことになるとなかなか微妙なのだ。ただマスコミが一斉に田代さんが容疑を認めたと報道したのは、警察が田代さんの事情説明からそう判断したためのようだ。本人は、盗撮はしていないがそう思われてもしかたない行動をとったことは認めた、という。

具体的に田代さんがホームでどんな行動をとったかなど、詳細が明らかになるのは少なくとも一件落着してからだ。いずれ検察の判断で、不起訴や起訴猶予、あるいは略式起訴など、何らかの処分が決まるのだが、その前にあれこれ主張して「反省していない」と思われ検察の態度が硬化するのを弁護士は警戒しているのだろう。事件自体は単純だし、本人への事情聴取以外、特別な捜査が行われるわけでもないから、そう時間がかかるわけはないのだが、あれだけ大きな騒動になってしまったために、当局も落としどころをどうするか考えているのではないだろうか。

 今回の騒動は、田代さんのめんどうを見ている日本ダルクにとっても悩ましい問題だったろうし、サポートを続けて来たふたりの妹さんにとっても辛いことだったろうと思う。田代さんは以前の薬物事件で服役中に奥さんに離婚を求められて応じ、その後は妹さんたちがサポートを続けてきた。田代さんは複雑な家庭環境に育っており、妹さんたちとは年齢も離れている。芸能界で順風満帆だった時代には、田代さんが父親代わりとなって妹たちのめんどうを見てきた。そういう経緯があったから、この何年か何度か事件が起こったが妹さんたちの兄に対する気持ちは変わっていない。

今回の騒動で、私も幾つかのメディアから取材を受けて、これまでの田代さんとの10年以上にわたるつきあいや前の事件の経過を話したりしたが、何しろ薬物事件だけでも何回か繰り返されているだけに話がややこしい。

そこで今回、これまで『創』や、田代さんが弊社から出版した著書『審判』に書かれてきた内容をわかりやすく整理して、ホームページに上げることにした。コンテンツそのものは販売中の本と重なる詳しい部分は有料にしたが、全体の流れの部分は無料公開だ。

http://tsukuru-tashiro.tumblr.com/

 今回の「盗撮」騒動については、一件落着した時点で田代さんがもう少し詳しい説明をオープンにしてくれるはずだから、もう少しお待ちいただきたい。またこれを機に薬物依存や、田代さんのめんどうを見ている日本ダルクについても多くの人に関心を持ってほしい。私は田代さん以外にも、三田佳子さんの次男とも長いつきあいを保っているし、現在も服役中の元オリンピック体操選手・岡崎聡子さんとも日本ダルクは今年30周年を迎え、1016日には日比谷公会堂で大きな集会を予定している。日本における薬物依存への取り組みは、この日本ダルクの活動を抜きには語れない。

http://www.darc-dmc.info/30th%20event.htm

 日本ダルクの活動や、今回の「盗撮」騒動については、近々改めて報告を行うことにしよう。

 

1998年に夏祭り会場のカレーに毒物のヒ素が盛られて多くの死者を出した和歌山カレー事件で死刑判決を受け、再審請求中の林眞須美さんから手紙と電報が届いた。電報といっても正確には電子郵便(レタックス)だ。私から送った郵便物が届いたというお礼状なのだが、それをわざわざ電子郵便で送って来たのは、彼女が郵便物を受け取ったという喜びを示すものかもしれない。私から送った郵便物というのも、彼女から依頼された書類のコピーと時候の挨拶だけなのだが、この手紙のやりとり自体が、実は意味を持っている。

それは彼女が確定死刑囚だからだ。通常、確定死刑囚は、家族と弁護士以外、面会も手紙のやりとりも制限されており、彼女の場合は、知人とのやりとりは不許可にされている。それを不服として彼女は何度も法務省を相手に裁判を起こしているのだが、今回、彼女は自分なりに考えて外部との手紙のやりとりが可能かどうか確かめたように思える。今回、同様の手紙は何人もの人に送られているが、中に彼女が関わっている裁判の資料が同封されており、それをコピーして返送してもらえないか、というメッセージが書かれている。私はその通りに返送したところ、無事それが届いたというお礼が電子郵便で来た、というわけだ。

一般の人には、それがどの程度の意味を持つのかわかりにくいかもしれないが、彼女を始め多くの確定死刑囚にとって大きな問題は、未決の間はやりとりできた外部との手紙や面会が、刑の確定後、事実上禁止されてしまうことだ。つまり、死刑が確定した人は、外界との接触を断たれてしまう。眞須美さんにとって、それはかなりの精神的苦痛と言える状況だ。ちなみに私が12年間も接触していた連続幼女殺害事件の宮﨑勤死刑囚(既に執行)の場合も、接見禁止の措置は大きな問題で、私との接見交通権を確保するためにいろいろな努力を重ねたものだ。

法的には死刑が確定した日から半年以内に刑が執行されることになっており、確定死刑囚は執行を待つ立場だから、確定した時点で外部との接触を断ってしまう、というのが日本の法務当局の考えらしい。だから、その死刑囚たちがどういう日々を送っているかは、以前はほとんどタブーとして外部に知られることがなかった。

確定死刑囚の場合、刑の執行は当日まで本人には知らされず、その朝、刑務官が迎えに来た時に初めて本人が自分の死期を認識する。このやり方については賛否の議論が以前からなされている。目がさめた瞬間に、今朝はもしかしたら執行ではないかと毎日怯えながら朝を迎えるという生活が、精神的に耐えられないという人もいる。 

眞須美さんは2009年4月21日に最高裁で上告が棄却され、死刑が確定するのだが、私が最後に接見したのは5月1日だった。最高裁判決が出ても手続き上、一定期間は接見が可能なのだ。面会室で彼女は何度も「篠田さん、助けて下さい」と訴え、こう述懐した。「朝、連れ出されることがわかって、えっこんなに早いの?と口にしたところでうなされて目をさます。そんな夢をしょっちゅう見るんです」

私はこれまで何人もの死刑囚とつきあってきたが、死刑判決をどう受け止めるかは人それぞれだ。今も無実を訴えている眞須美さんは死刑への恐怖を口にすることが多かった。同じ大阪拘置所で死刑が執行される時は、朝からいつもと様子が違うので、あっ、きょうは死刑が執行されるのではないかと思っていると、ヘリコプターが上空を旋回している音が聞こえて、それが確信に変わる。そういう話を第2審の頃から手紙に書いて来ていた。

 

彼女は逮捕後、事件については黙秘を貫いたためか7年間も接見禁止という異常な処遇を受け、それが解除されたのは2審の判決が出される2005年のことだった。私は事件のあった1998年から、林夫妻の自宅をマスコミが24時間包囲して張り込むという集団的過熱取材を『創』で批判していった関係で、何度も自宅を訪れるなどしてきたが、逮捕前日に電話で話したのを最後に、7年間、接触ができなかった。その後、再会を果たしてからは頻繁に手紙や接見を繰り返し、『創』に彼女の手記を頻繁に掲載。それらの手紙は昨年、『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』という書籍にして創出版から刊行している。

死刑が確定してからは前述したような事情で接見は一度もできていないのだが、彼女の家族を介するなどして手紙は何度かもらい、それも『創』に掲載して来た。

接見禁止に対する彼女の当局への異議申し立ては何度もなされており、私も今年になって、拘置所長に彼女の著書出版に関して必要だからという理由で特別接見許可願を出したりした。実は、宮崎死刑囚の時は、ちょうど彼の2番目の著書『夢のなか、いまも』を死刑確定直後に出版したため、その業務上打ち合わせが必要だからと東京拘置所長に認められ、私は死刑が確定した後も何度か接見ができていた。しかし、大阪拘置所は眞須美さんとの接見については、頑なに家族・弁護士以外の接見を認めようとしていない。

今回、彼女から届いた、裁判資料をコピーするためにという依頼の手紙は、そういうケースなら手紙のやりとりが許可されるのでは、という彼女の思いからなされたものだろう。結果的に手紙のやりとりは成立した。ただその手紙にはもちろん、許可された用件以外のことを書き記した場合は、不許可になるか墨塗りされる。自由な手紙のやりとりとは異なるのだが、でも手紙のやりとりができたことだけでも眞須美さんにとっては大きな出来事だったのかもしれない。

権利が制限されることに対して、それを受け入れるのでなく、異議申し立てしようという眞須美さんの姿勢は、彼女の気の強い性格に負うところはもちろんあるが、慕っていた三浦和義さんの影響も大きいように思う。いわゆる「ロス疑惑」事件で無罪を勝ち得た三浦さんは、2005年から眞須美さんを支援し、2008年に不慮の死を遂げるまで彼女に大きな影響を与えた。

三浦さんといえば、拘置所や刑務所で、多くのメディア訴訟を提起し、獄中の処遇改善のために闘ったことで知られている。特に宮城刑務所に収監されていた時には、何度も刑務所側に訴えて、それまで冬に置かれていなかった暖房を入れさせたり、読みたい本を一度に3冊までしか所持できなかった規則を変えさせて6冊まで許可されるようにしたりと、様々な要求を勝ち取った。本の所持冊数が変更された時など、それがアナウンスされた瞬間には三浦さんの周囲の舎房から「わあっ」という歓声が沸き起こったという。

 

死刑確定から年月も経ており、世間的には、和歌山カレー事件は眞須美さんの犯行ということで決着したと思っている人も多いだろう。しかし実際には、眞須美さんは一貫して無実を訴えて再審請求を続けている。弁護団も安田好弘弁護士を中心とする強力な顔ぶれだし、毎年、事件のあった7月には大きな集会が大阪で開催されるというように、この種のケースとしては強固な支援グループも存在している(それを立ち上げたのは三浦和義さんで、彼の死後は鈴木邦男さんが代表を受け継いでいる)。

何よりも眞須美さんを力づけたのは、1審死刑判決に大きな影響を与えたヒ素鑑定、当時は最新鋭とされたスプリング8という装置を使って出された鑑定結果が、今になって揺らいでいることだ。足利事件のDNA鑑定もそうだったが、裁判当時は最新の科学的データとされ、判決にも影響を与えたものが、その後のさらなる科学の進歩によって、意外とずさんだったことが判明していくという流れだ。それら再審をめぐる論点については、前述した『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』をご覧いただきたい。

最近は、夫の健治さんも体調がすぐれず面会にも行けていないから、眞須美さんは家族と弁護士以外接見禁止という状況の中で、死刑の恐怖と闘いながら、必死に外部への発信方法を考え、支援を呼びかけているわけだ。

近年は死刑判決も死刑執行も増え、再審請求をしているからといって執行回避にはならないとも言われている。そんなかで続けられている眞須美さんの孤独な闘いの経過については、可能な限り、今後も伝えていきたいと思う。

 毎年8月15日は学生たちと靖国神社に足を運ぶ。今年も炎天下の靖国神社を訪れた。

参拝に行くのでなく、参拝客及びそれを報じるマスコミの取材について見るためだ。

8月15日に靖国神社には全国から参拝客が訪れ、世界中からメディアが取材に訪れる。何年か前には韓国の放送局の取材クルーが日本人の参拝客に取り囲まれるといった事件も起きた。

もう10年くらい定点観測的にウォッチングしているが、今年はやはり参拝客が多かった。以前は軍服を着たり右翼団体が旭日旗を林立させて行進するといった光景ばかりが目立ったが、今年は一般の人が多い。増えている一般の人たちがどういう思いで参拝しているかは気になるところだが、今年の夏は多くの人が戦争あるいは日本の戦後について関心を高めているという、その現われなのだろう。

 

 毎年一緒に行っているのはマスコミ志望の学生たちだが、こんなふうに敗戦の日に大勢の人が靖国神社を訪れている光景が珍しく見えたようだ。学生たちには、現場で戦争の経験者や遺族らしい人を見つけて話を聞くように指示している。戦争体験者の話を直接聞く経験など今の20代にはほとんどないと思う。彼らの両親の世代までは、肉親に戦争体験者がいるのは当たり前だった。今年は「戦後70年」ということでテレビや新聞も大きな特集を組んだが、安保法案をめぐる今の日本の動きは、70年という歳月のもたらした戦争体験の風化を抜きには語れないだろう。

 日本の戦後は、戦争に対する反省から出発しているのだが、戦後70年を経て、いつまでも反省や謝罪ばかり続けていてはだめだという人たちが大きな声をあげるようになった。

 審議中の安保法案が成立すると自衛隊の海外派兵が可能になるわけだが、こういう戦後日本の基本的枠組みの変更は、戦争体験者がもっとたくさん生存していた時代には上程すらできなかっただろう。安倍政権による安保法案推進という動きが現実化している今年の8月15日は、だから昨年までとは違う意味を持っている。「戦争」について語るにも、単なる回顧ではありえなくなった。

 

『サンデー毎日』8月23日号の「一億人の戦後70年」という特集のなかでノンフィクション作家の保坂正康さんがこう語っている。

 「僕は75歳になり、がんを二つも患ったし、一期(いちご)とはこんなものだろうと達観しかけていた。でも安倍政権が本性を現すにつれ、何としてでも生き延びて、この政権を倒さなければいけないと思い始めました。そうでなければ、昭和史を検証してきた意味がない」

 多くの日本人にとって、日本が再び「戦争のできる国」をめざすのかどうかという選択を迫られる時期がこんなに早く訪れるとは思わなかったのではないだろうか。それは与党が3分の2以上の議席を確保してしまうという状況が生まれたことによって現実化してしまったのだが、法案にどういう態度をとるにせよある種の覚悟を求められる事態となった。前述した保坂さんの言葉は、作家の半藤一利さんとジャーナリストの青木理さんとの鼎談で発せられたものだが、その鼎談での半藤さんの発言にもある種の覚悟がにじみでている。特に戦争を実際に体験した言論人にとっては、いま日本で進行している現実は、単なる議論や論評の対象としてではすまない重たいものだろう。

 安保法案の問題は、憲法の問題とつながっている。今の流れがさらに進んでいけば、言論表現や報道規制が強まるのは明らかで、今はまだ安保法案に対してたくさんの反対の声が表明されているが、へたをすると次はそういう声をあげる自由もなくなっていくかもしれない。そういう戦後初めての大きな岐路に、いま私たちは立たされているわけだ。

 

 こういう状況を見るにつけ思い出すのは2010年6月9日の光景だ。当時、日本のイルカ漁を非難したアカデミー賞受賞映画「ザ・コーヴ」が右翼団体の妨害で次々と上映中止になっていた。日本や日本人が欧米の映画で偏見を持って表現されることは以前からあったのだが、近年、そういう映画は日本では上映自体ができないことが多い。ただ、日本を批判しているから上映するのは「反日的」だなどと映画館に街宣攻撃をかけて中止させてしまうというやり方はおかしいだろうと、『創』では映画「靖国」についても「ザ・コーヴ」についても、上映中止反対のキャンペーンを張り、その年6月9日に中野で自主上映と討論のシンポジウムを開催した。

 企画した時点では、その時までに幾つかの映画館で上映が始まっているはずだったのだが、右派グループなどの激しい街宣抗議を受けて次々と映画館が上映中止に至り、その『創』主催の自主上映が初めての大きな規模での公開上映となってしまった。不測の事態もあり得ると、当日は、警察も大挙して会場前に警備につめかけ、会場周辺にパトカーが何台も見られるという緊迫した状況下で上映を行ったのだった。

 その上映会のサプライズは、ドキュメント映画の主役であるイルカ保護の運動家・リチャード・オバリーさんが、上映後のシンポジウムの冒頭、突然登壇するというものだった。事前に告知すると混乱は必至なので、文字通りサプライズで、映画が終わった直後に映画に出ていた人物が舞台に現れるという演出だったのだが、そのオバリーさんは登壇するや、観客席に向かってパネルを掲げたのだった。私は当日の司会進行だったので、彼が何かパネルと手に持っているのは知っていたのだが、説明を聞いて驚いた。

 そこには日本国憲法21条、つまり「表現の自由」条項が書かれていたのだった。日本にはこういう憲法条項があるはずじゃないか、というのが彼の主張だったが、私は隣でそれを聞いていていたたまれない気持ちになった。外国人にそんなふうに憲法の教えを説かれるというのは、日本人としてものすごく恥ずかしいことだと思えたからだ。

 

 その時、思い出したのは、憲法にある別の文言、それらの自由と権利を我々は「不断の努力によって保持しなければならない」という表現だった。全世界で公開されている映画を日本だけが公開できないという事態は、まさに「表現の自由」が不断の努力によって保持されてこなかったから起こったことだった。そういう日本人として大事なことを、今まであなたたちはやってこなかったじゃないか、外国人にそう言われた気がした。

 ちなみに付記しておけば、その集会には一般客として映画を非難していた右翼の人たちも会場に入っていた。なかにはロビーで上映中止を訴えるビラをまく人もいたが、上映会の主催者として我々は、暴力に訴えない限り、開催趣旨と反対の言論も表明する自由は認めようという告知を行った。その右翼のビラは予想以上にさばけたといって、その人は途中の休憩の時に近くのコンビニに増し刷りに行くなど、主催者側からすれば「おいおい」と言いたくなる状況で、しかも終了後の打ち上げにも右翼が参加し、シンポジウムのパネラーだった鈴木邦男さんを含め、飲み屋で議論が交わされたのだった。

 

 最近の安保法案をめぐる状況を見るにつけ、またこの何年か、安倍政権を批判したり、憲法を守ろうという趣旨の集会が会場使用中止などの事態に至ったりする動きを見るにつけ、その集会で感じたこと、つまり私たちは憲法で保障された権利を不断の努力によって守ろうとしてきたのか、ということに忸怩たる思いを禁じ得ない。表現の自由も、基本的人権も、その努力なしにはいつか危うくされてしまいかねないという畏れがあったからこそ、憲法作成者は「不断の努力」を条文に書き込んだのだろうが、私たちはその起草者の思いに応えてきたのだろうか。そんなことを改めて思わざるをえない。

 そんなことを、8月15日をめぐる動きを見ながら考えた。TBSなど幾つかの戦争に関する番組には、力のこもった良い作品があったし、籾井会長経由で安倍政権の侵食を受けているNHKでもNHKスペシャルなどこの何か月か放送された番組には、戦争について問い直す良い番組も少なくなかった。たぶん報道や表現の現場にいる人たちも、今、ある種の覚悟を迫られる状況に至りつつあることを感じているのだろう。

 このままでは議席数に物を言わせて安保法案が成立してしまう怖れがある。ただ、あきらめるにはまだ早い。これまで『創』でコミック表現をめぐる規制の動きなどを度々取り上げてきて実感しているのだが、都議会での最終局面で都庁にたくさんの人が集まり反対の声をあげたり、共謀罪新設法案の審議の時も国会にたくさんの市民が集まって声をあげたのだが、そういう現場にいると、議席数がどうのという理屈を超えた熱気を感じざるをえないし、それは必ず事態の進展に何らかの影響を及ぼす。議席数からいくと通ってしまうと最初から言われながら実際には継続審議や廃案になったケースもこれまでにはある。その意味では、日本の民主主義はまだ死滅してはいない。

 実際、この間の安保法案をめぐる様々な動き、大学で次々と反対の声があがったり、高校生まで街頭に立つというのは、この何年かの日本の政治状況では考えられないことだった。創価学会会員が安保法案に公然と反対の声をあげはじめたことだって、想定外の大きな動きだろう。今の安倍政権を見ていると、格差はものすごい勢いで拡大しているし、原発再稼働やら武器輸出やらと、本当に日本人の誇りはどこへ行ってしまったのかと、暗澹たる気持ちにならざるをえないのだが(しかもそれを日本人の誇りを取り戻すといったロジックで推進しているから安倍政権は度し難いのだが)、状況はかなり深刻でもあきらめるのは早いと思う。

 今年は8月15日の靖国神社に足を運んでいろいろな思いが胸を去来した。9月へ向けてこれからが正念場だ。

 

 最後に、前述した、学生たちと現場を見に行くというのは、毎年8月に『創』で開催している夏季実践講座というもので、この後、20日にイスラム寺院を訪れてイスラム教の人たちと議論をするし、25日には新大久保のコリアンタウンを訪れ在日コリアンと話をする。いま日本社会の問題を象徴する現場を訪ねて議論し、それを記事に書くという試みだ。学生はもちろん社会人も今からでも参加可能なので、関心ある人はぜひ一緒に考え議論してほしい。詳細は下記をご覧いただきたい。(篠田博之)

http://www.tsukuru.co.jp/masudoku/kouza/kakijissen.html]

 又吉直樹さんの『火花』の発行部数が209万部に達したという。電車の広告ではいまだに「120万部突破」と書かれている。広告を差し替えるのが追いつかないほどの勢いで増刷がかかっているのだ。7月半ばの芥川賞受賞発表までは60万部強だったから、半月で100万部以上の増刷がかかったわけだ。

 いま出版界は深刻な不況で、特に文学とノンフィクションのジャンルは本が売れないから、業界がこぞって『火花』ヒットさせようとしたのはよくわかる。特に芥川賞はこのところ、受賞が話題になることが多いから、今回も関係者はいろいろ考えたのだろう。その結果、予想をはるかに上回るベストセラーが誕生したわけだ。業界の多くの人がほっとしたし、これが起爆剤になって少しでも出版界が活性化すれば、と思ったことだろう。

 

 でも、どうなんだろう。そのブームはいまや独り歩きしてしまっているし、こういう現象って本当に出版界にとって良いことなのだろうか。出版界ではこの10年程、「メガヒット現象」と言って、特定の本に売れ行きが集中し、それ以外は本や雑誌がさっぱり売れないという状況が加速している。今回の現象はそれを象徴する事柄だ。

 お笑いの世界でもブームが訪れては翌年にはそれが消えていくという現象が続いているが、『火花』のブームも「お笑い芸人が初めて芥川賞受賞」という話題性が、普段本を読まない人にも関心を抱かせる要因になっているのは明らかだ。購買動機が「話題を消費する」ことだから、『火花』の売れ行きが爆発的であっても、それが他の文芸書に波及していくとは思えない。

 

SPA!81118日号の「文壇アウトローズの世相放談『これでいいのだ!』」で文芸評論家の坪内祐三さんがこう語っている。

「今回の芥川賞に関しては、周りのはしゃぎっぷりは見苦しいね。『週刊文春』のグラビアでさ、選考委員の島田雅彦や山田詠美たちが又吉さんを囲んで嬉しそうに写ってたでしょ。あれはサイアク。芸能と文学は五分と五分のはずなのに、あれを見ると文学が芸能に負けちゃってるんだよ」

「芸人が獲ったってだけで、こんなにみんなはしゃぐなんて、今回の芥川賞で、いよいよ文学が滅びたなって感じがするんだよ。少なくともオレの考えてる文学は滅びた感じがする。又吉さんの作品が文学なだけに、それが際立つよね。文学的な作品が芥川賞を獲って、それで文学が滅びたってところがいいよね」

 断っておくが、又吉さんの『火花』が作品としてだめだと言っているのではない。それを文学として評価したうえで、今回の騒動については「文学が滅びた」と言っているのだ。

 

 この何年か、出版界では「良い本が良い本だという理由だけで売れる時代は終わった」と言われている。映像化によってブームを作り出すとか、何かの賞を受賞して話題になるとか、そういうプロモーションを行っていかないと、良い本でもヒットは望めないという状況なのだ。

文藝春秋にプロモーション局が設置されたのは2012年だ。そのプロモーション主導で作り上げたミリオンセラーが阿川佐和子さんの『聞く力』だった。いや別に阿川さんの本が、中身がないのにプロモーションで売ったと言っているのではない。でもあの本がミリオンセラーになっていったのを見ると、マーケティングとプロモーションの勝利だという印象は否めない。

 最近は、本は「一部の売れる本とそれ以外の本」に大別されると言われる。文藝春秋も新潮社も、ごく一部のメガヒットとなった本の売り上げで書籍部門全体を引っ張るという構造が定着しつつある。特定のメガヒットとなった本を除くと、書籍部門が対前年比マイナスだったりするのも珍しくない。

 文藝春秋がプロモーション局を作ったり、新潮社が「映像化推進プロデューサー」という妙な肩書のスタッフを置いて、文芸作品の映像化を意識的に働きかけたりしているのはそのためだ。何らかの仕掛けによってベストセラーを作り出すというのを、意識的にやっていく、それが当たり前の時代になった。同じ作家の作品でも、映像化などで話題になったものとそうでないものとでは部数に極端な違いが出たりする。

 今回の『火花』の芥川賞受賞や、それを機に一気に何十万部も増刷をかけ、「100万部突破」というニュースによって話題を加速していくという手法は、『聞く力』で成功したやり方だ。文藝春秋も幾つかの経験を経て、プロモーションがうまくなっているといえる。

 その手の手法としては、ドラマ化・映画化はもちろんだが、何かの賞をとらせて話題を作る、あるいは年末のいろいろなランキングに作品をすべりこませ、それを宣伝に使っていくなど、大手出版社ではそれが当たり前になりつつある。

 

 戦後、日本の出版界は一貫して右肩上がりの成長を続け、経済的な不況に陥っても本だけは読むというのが日本人の特性と言われてきた。出版界にとっては、牧歌的で幸せな時代だった。しかし、その出版界は1990年代半ばをピークにいまや落ち込む一方だ。本が売れないと言われるなかで、ヒットを出すには何らかの「仕掛け」が必要になった。

 その意味では『火花』は幾つかの仕掛けが完璧に功を奏した事例だろう。でも、それが100万部を超え、200万部を超え、という異常なブームになってしまうと、喜んでばかりはいられない気もする。作品の消費のされ方が、お笑い界のブームや、健康本が一過性でブームになってしまう経過とよく似ているのだ。これって出版界にとって健全なことなのか。

 救いなのは、こういうブームのなかで、当事者の又吉さんが決して浮かれていないように見えること、あるいはこの現象を冷静に受け止める空気もまだ残っていることだ。

 

 最近読んでおかしかったのは、『火花』の特集を組んだ『ダ・ヴィンチ』7月号での、又吉さんと樹木希林さんの対談だ。例えばこういうやりとりだ。

「樹木 それで今日はこうして又吉さんのすべてを取材するという企画に呼ばれたわけですけれど、私、又吉さんについて何も知らないんですよ。『火花』も読んでないし。読んでないのに訊くのもどうかと思いますけど、どうなんですか、『火花』は」

 『火花』特集で作者と対談するのに、その本を読んでないというのは、ほかの人だったら「バカヤロー」と言われるところだが、このへんは希林さんならでは、だ。で、それに対して又吉さんがどう答えているかというと、

「又吉 そうですね。自分の中では面白いのが書けたって思ったんですけど、どうなんですかね」

 それに対する希林さんの答えがこうだ。

「樹木 私に聞かれても。読んだ人に聞いてみたら、その人は『ああいう系統のものは、私はあんまり好きじゃないです』って。そういう人もいますよね」

 希林さんのこういう反応それ自体が、ある種の「批評性」のなせる技だ。それを感じたのは、例えば先頃、大ヒットした映画『駆け込み女と駆け出し男』のヒット記念の舞台トークで原田眞人監督との掛け合いをした時、普通はご祝儀も兼ねて作品や監督をほめて終わるのだが、希林さんはキャストやストーリーについてのやや辛口のコメントをした。それが、作品へのリスペクトを保ちつつ、的確な批評だったので、聞いていて本当に感心した。

 もちろん、この『駆け込み女~』は素晴らしい映画だし、原田監督は上映中の『日本のいちばん長い日』も含めて、最近本当に力を感じさせる。でも、その監督を目の前にしてきちんと「批評」を語る希林さんには敬服した。近年、映画や本に対して、きちんとした「批評」にお目にかかる機会が少ないのだが、希林さんのコメントはすごい。『ダ・ヴィンチ』の対談でも、希林さんは『火花』ブームに全く迎合していない。

 映画や本について最近気になるのは、プロモーションあるいは宣伝と、「批評」の区別がなくなってきていることだ。出版界が苦境に立たされているので、何とか1冊でも売れてほしいという善意の気持ちが前面に立って、ただ誉めるだけのコメントが目につく。

 『ダ・ヴィンチ』での対談について言えば、希林さんが又吉さんに日本ペンクラブへの入会を盛んに勧めていて、このやりとりも面白い。私も言論表現員会副委員長として関わっている日本ペンクラブでは、井上ひさし会長の時代をピークに会員数減少に見舞われ、今年は文学賞受賞の作家に声をかけているのだが、希林さんはペンクラブの関係者でもなく、前日にたまたま吉岡忍さんに話を聞いて、説得役を買って出たらしい。そういう事情を知って読むと、この対談でのペンクラブ入会をめぐるやりとりもサイコーに面白い。

 

 話を戻す。『火花』の売れ行きは、当事者たちの思惑をはるかに超えているのだが、この現象については、もう少しきちんと議論したほうがよいと思う。前述した『SPA!』での坪内さんと福田和也さんの対談以外は、あまりそこに踏み込んだ論評が見られないのが残念だ。だって、どう考えても、この売れ方って異常でしょう。出版界にとっても素直に喜んでいられる現象ではないと思うのだ。(篠田博之)