月刊「創」ブログ
月刊「創」のブログです
性表現規制をめぐる東京都条例改定の攻防戦が最終局面を迎えているのでお知らせしたい。このままだと19日の東京都議会の総務委員会で条例改定の採決が行われる可能性が高く、15日の月曜日からいろいろな動きが一気に噴出しそうだ。
私(篠田)は1990年代の「有害」コミック規制騒動の時に、故・石ノ森章太郎さんや里中満智子さんらと「コミック表現の自由を守る会」を立ち上げ、その事務局長を務めた関係で、このテーマには関わりが深い。ということで、今回も新聞のコメント取材が入ったりしている。
とりあえず15日(月)の動きをお伝えすると、午前中に都議会民主党が雑協(日本雑誌協会)などにヒアリング、正午から都庁記者クラブで漫画家らが会見(竹宮恵子、里中満智子、ささやななえ、呉智英、藤本由香里、他)。午後2時から会見に出席した人たちを中心に都議会議事堂2階第二会議室で集会も予定されている(4時まで)。またマンガを発行している大手出版社なども声明を出すらしいし、雑協も何らかの見解を発表するようだ。会見等についての詳細はhttp://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/を参照。会見開催を申し入れた山口貴士弁護士は、なるべく多くのメディアに訴えたいという意向だ。
今回の条例改定のポイントは、ネットのフィルタリング規制と、児童ポルノ法改定を先取りする形での性表現規制強化で、後者は今後、国会レベルで法改正論議につながっていきそうだ。昨年来、児ポ法改定論議と東京都の条例改定の動きはセットになって進んできたのだが、問題はこんなふうに現実に条例改定がなされるという段階に至っても社会的議論がほとんど尽くされていないことだ。都議会をめぐる攻防はもう1カ月以上続いているのだが、そんな問題が起きていることすら知らない人がほとんどだろう。
私の基本的立場は90年代のコミック騒動の時から変わっていないのだが、表現しかも性に関する表現というデリケートで、人によって受け止め方の分かれる問題を、法的規制で権力によって取り締まるというのは弊害が大きい、というものだ。社会的議論を経たうえで、ある種のルールを作っていく必要はあると思うが、例えば90年代の論議を経て出版流通でのゾーニング(すみ分け)はかなり進んだ。当時は「書店ではドラえもんの隣にポルノが置かれている」と非難されたものだが、いまやさすがに「ドラえもん」と大人向け性表現マンガは別の棚に分けられている。差別表現や性表現については、法的規制でなく、「思想の自由」市場における市民的ルールによって解決がはかられるべきものだ。
ま、この議論も細かくやっていくと簡単ではないし、「児童ポルノ」の問題というのはまた別の側面もあるので、本当はかなりきちんと議論しないといけないのだが、今はそういう議論の場そのものがないのが現実だ。今回の条例改定の動きについても、新聞・テレビはほとんど報道していないため、議論の前提になる事実そのものが知られていない。こういう中で次々と表現規制がなされていくのは怖いことだ。
ということで、来週、都議会の動きに要注目!だ。なお90年代の「有害」コミック騒動については創出版から『「有害」コミック問題を考える』『誌外戦』という2つの本が出版されており、まだ在庫もある。今日にまで至る問題の基本は既にこの90年代の議論にほとんど集約されている。参考文献としてご覧いただきたい。(『創』編集部、篠田博之)
3月9日付朝日新聞がインターネット新聞JANJAN休刊について大きく報道していました。既成の大手メディアに対抗して登場した媒体がこんなふうに潰れていくのは残念です。新聞・テレビの大手資本がメディアを独占していた時代が、インターネットの普及によって崩れつつあるなかで、現状では「情報は無料」というネット社会特有の壁もあり、独立系の小資本の媒体も
生き残っていくのは簡単ではないようです。
紙媒体の世界ではそれはさらに顕著で、今や一定の影響力を確保している独立系雑誌は数えるほどになってしまいました。広河隆一さんの『DAYS JAPAN』も先頃、休刊の危機に瀕しながら読者拡大運動を展開、昨日、定期購読者が9000人に達したとして存続が発表されました。
70~80年代には『話の特集』『噂の真相』を始め、独立系雑誌が群雄割拠し、言論の多様性が確保されていたのですが、昨今の出版不況で、大手資本に属さない雑誌の存続は大変厳しくなってしまいました。もちろん大手出版社の雑誌だって次々と休刊しているわけですが。
そんななかで『創』も今後どうするか改めて考えねばならない時期に直面し、とりあえず一度立ち止まって考えようということで今月号は4・5月合併号としました。そして困難な状況に直面していることを率直に読者に知らせるための説明を掲載したのですが、これが思わぬ反響を呼び、読者や執筆者から激励の声が毎日たくさん寄せられています。ジャーナリズム系の雑誌がこの1~2年次々と休刊に至っていることへの危機感も背景にあるのだと思います。
『創』今月号に掲載した説明も、内情を率直に書いた異例なもので、従来は恐らくこんなことを明らかにする例はなかったと思います。今回敢えてそうしたのは、『現代』の休刊に際して、「執筆者に何の相談もなくいきなり休刊というのはどうなのか」「もう少し広い議論に供したら何か別の道がありえたのではないか」という声があがったからです。考えてみればメディアというのは作り手だけで成り立っているものではなく、読者や書き手があってこその存在だから、そういう声があがるのは当然でもあるのです。
ということで、ここに『創』に掲載した「読者の皆さまへ」と、読者から届いた声を2~3紹介したいと思います。執筆者や同業者からの激励のメールもいろいろあるのですが、これは私信なので公開は控えておきます。「読者の皆さまへ」は公の文書というより個人的心情を書いたものなのですが、ちょうどこれを書いて『創』を校了した直後に2月26日の「小沢VS検察」シンポジウムがあったわけです。
大手メディアが取り上げないような少数意見や異論を世に問うという役割を果たしてきた独立系媒体が存続しがたくなっている今の状況は、本当に残念に思います。
『創』は5月6日発売(通常は7日発売ですが休日なので繰り上げ)の6月号は予定通り出すことにしていますが、刊行形態その他についてはいろいろなケースを検討しています。『週刊金曜日』や『DAYS JAPAN』のように直販を中心とした雑誌ではなかったのですが、事前予約の直販の比率をあげるというのも安定させるためのひとつの方策です。
よしそれならひとつ応援してやろうか、という方がいましたら、こちらをクリックして創出版のホームページから申込んでいただけないでしょうか。年間定期購読は12冊分ですが、もし合併号などが出た場合は、繰り越していきますし、もちろん万が一休刊となれば残金は返却します。どうぞよろしくお願いします。
【読者から寄せられた声の一部】
●篠田編集長の巻末のメッセージを拝読いたしました。
私はまだここ1・2年ばかりの間に愛読をしている年数の浅い読者ではありますが、貴誌のスタンス、示されている問題やテーマに非常に刺激を受け、勉強になっています。
次々と雑誌が休刊、廃刊になる中、『創』も厳しい経営状況ということはうすうす感じてはいましたが、編集長個人が私財を投げ打っていたことを知り、ますます『創』への愛着が増してきました。季刊にして、価格を上げても送料を読者負担にしても構いません。どうか続けていく道を探って頂けるようお願いします。 (埼玉県 41歳)
●北海道新聞の「週刊誌を読む」(平成22年、2月3日夕刊)で知りました。ついでに、週刊朝日も買い、検察のやり方に怒りを感じました。 どの大手新聞社も、検察の味方しかしないのでしょうか。今後、新聞に書いてある、裏のこと、本当のことを書くべきだと思います。歴史的にみて、今の、大手新聞には期待できません。 本当の民意は選挙です。それを踏みにじる検察。大手新聞の書けないこと。正義を貫いてください。(『創』を知ったことで、少し救われました。) (北海道 60歳)
●定価が1200円になっても読みつづけたい雑誌です。
宜しくお願い致します。 (東京都 58歳)
東京都議会で性表現規制を狙った条例改定の動きが山場を迎えようとしている。
『創』でこの問題を追ってきた長岡義幸さんに最新情報をレポートしてもらうことにした。
全体の動きや問題点については、『創』2010年1月号でレポートしているが、このバックナンバーがアマゾンで定価600円のところ1800円でオークション売買されていたため、弊社ではアマゾンに在庫を入れて正規料金で購入できるようにした。
弊社のホームページからももちろん購入可能だ。
都議会をめぐる攻防については、15日の週が山場のようで、集会なども予定されており、今後もこの『創』ブログでレポートする予定だ。
以下は長岡さんのレポートだが、東京都が提出した条例改定案もクリックすれば読めるようにした。(『創』編集部・篠田)
東京都青少年問題協議会(都青少協)が法律の改定に先行して児童ポルノの単純所持規制をはじめるべきだとする議論を行い、青少年条例を強化する準備が進められていると『創』1月号「児童ポルノ法、青少年条例など性表現規制強化の動き」の記事で報告した。
その後、都青少協は1月14日、青少年条例の全面強化を求める答申を都知事に手渡し、これを受けて、青少年条例を所管する東京都青少年・治安対策本部は、3月24日開会の都議会に条例改定案を提出した(改定案の全文は、PDFでアップした東京都青少年条例改定案.pdf)。
条例改定案を読んでの感想は、予想にたがわず、現行の流通規制を大きく踏み出し、徹底した表現規制の意志を露わにしたものだった。
18歳未満の「非実在青少年」の性描写が描かれていれば「不健全」図書に指定し、言うことを聞かない出版社には「勧告」「公表」をすると脅しをかけ、国会でも議論のある児童ポルノの単純所持禁止にかかわる条項を設けて法規制の後押しをし、青少年の描かれている「青少年性的視覚描写物」の「まん延」防止を目的に、青少年を性的対象として扱う「風潮」を助長させないための「気運の醸成」を官民で行う責務(義務)を課す、などというものだ。
青少年条例による図書規制は、「性的」「残虐性」「自殺・犯罪誘発」という3類型のもと、青少年の目に触れさせないために「不健全」図書を指定し、18歳未満への販売を禁止する(流通規制)というのが建前だった。
大人が購入して読むことは何ら問題ない。ところが、改定案では、「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から18歳未満として表現されていると認識される」創作物で、「強姦等著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写」したものを「不健全」図書に指定するとした。
指定には至らない「みだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」は、18禁マーク付の「表示図書」にするよう出版社や自主規制団体に勧告できるようにする条文もある。マンガ・アニメなどの創作活動で描いてはならない表現をあらかじめ条例で決め、結果的に、大人向けの創作物であっても、このような描写は禁ずるということだ。販売規制・流通規制どころか、内容規制(出版規制)そのものだ。
条文が拡大解釈されれば、以前から冗談交じりに言われつつ、そんなことはあり得ないとされていた「ドラえもん」のしずかちゃんの入浴シーンのあるコミックスは、区分陳列の対象になる「表示図書」にして子どもには売るな、と勧告されるかもしれない。永井豪の「ハレンチ学園」などはもってのほかだろう。
1999年の児童ポルノ法施行時に、18歳未満の性交場面が描かれていた「バガボンド」や「ベルセルク」「あずみ」などのコミックスを一部の書店が販売自粛するという出来事があったが、これらの表現はほんとうに禁止対象になるおそれがある。
いや、高校生のけだるい日常を描いた山本直樹の名作「Blue」(光文社版)は、1991年、すでに学校内のセックス描写があったという理由で東京都が「不健全」図書に指定している。
当時、「有害」コミック問題を考える会のメンバーが山本直樹さんを誘って指定理由を東京都に聞きに行き、私も同行取材した際、都の職員が説明したことだ。その後、版元は「Blue」を回収し、掲載誌のひとつであった「Comic Be!」(光文社)は休刊(事実上の廃刊)になった。
条例改定案が成立すれば、このようなことは頻発するに違いない。過去の名作も読めなくなってしまうだろう。
もちろん、問題のある表現は存在する。だが、実在の青少年が表現されたわけではなく、あくまでも頭のなかの妄想を表現した創作物だ。こういうことは考えてはならないと公権力がたがをはめることが許されるわけがない。
そもそも、法と道徳を分離するのが近代法制の根本原則のはずだ。「まん延」防止や「気運の醸成」などという気分で、行為を伴わないにもかかわらず、性道徳まで条例で規制するのは倒錯も甚だしいのではないか。
こういう言い方は最近流行らないようだが、公権力が表現の自由に干渉するのは、いうまでもなく憲法違反だ。内容に問題があれば、私人間の問題として、書き手や発行者に要請したり、市民的議論を尽くせばいい。
児童ポルノの単純所持禁止の責務(義務)を定めた条項も非常に危険だ。とりわけ児童ポルノ法第二条第三項の3で定義されている、いわゆる3号ポルノ「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」とのかかわりだ。
昨年6月26日の衆議院法務委員会での審議では、過去のミリオンセラーである宮沢りえ写真集「Santa Fe」が児童ポルノにあたる可能性が取りざたされている。
条例改定案では、「児童ポルノの根絶及び青少年性的視覚描写物のまん延抑止に向けた都民等の責務」を定めた第18条の六の四で「何人も、児童ポルノをみだりに所持しない責務を有する」と書かれていた。
他の条文では「都民」としているにもかかわらず、この条文だけはなぜか「何人」とされた。東京都以外にも効力を拡大させたいという意志の現れだろうか。
現在も「Santa Fe」を手もとに置いている100万人以上の人々はいずれ廃棄を義務づけられ、保存していれば犯罪者扱いされかねない。写真家が保存するネガや紙焼き、出版社の在庫、図書館の蔵書にも累が及ぶかもしれない。
1999年の児童ポルノ法の施行時に一部の書店が販売自粛したタイトルには「本上まなみ写真集」もあった。このような写真集も、都条例では、現実に児童ポルノと見なされることになるかもしれない。
ネット関連では、青少年向けの携帯フィルタリングの強化を事業者に課し、親が同意してフィルタリングを申し込まなかった場合は、そのときの書面の保存を義務づけたり、事業者に対する立ち入り調査権を認めたり、青少年のネット利用によって「自己若しくは他人の尊厳を傷つけ、違法若しくは有害な行為をし、又は犯罪若しくは被害を誘発したと認めるとき」は、保護者に対して知事が直接、指導・調査なども行えるとしたりと、まさに何でもござれ状態だ。
もう少し詳しく見ると、携帯関連の事業者に対する調査などは「知事が指定した知事部局の職員」と限定する一方、青少年のネット利用にかかわって「違法」「有害」な行為などをした場合は「知事は、前項の指導又は助言を行うため必要と認めるときは、保護者に対し説明若しくは資料の提出を求め、又は必要な調査をすることができる」と書き、指導などを行うのは誰なのか明記せず、何らの縛りもない。言われるままフィルタリングを外し、子どもを厳しくしつけなかった親は、警察が懲らしめるという意図でもあるのではないかと疑わざるを得ない。
実は、改定案の条文をよくよく読めば、ほかにもこういった細かいところで、妙な条項がある。
条例改定案は、3月30日の本会議で最終的に決まるものの、3月18日の総務委員会で審議され、19日に委員会採決が行われ、この時点でほぼ決着がつくことになる。その前哨戦として、3月12日の予算特別委員会では民主党の松下玲子都議が改定案を質す予定という。
また、民主党の西沢けいた都議、浅野克彦都議などの若手議員は、はやくから条例改定反対を鮮明にし、行動しているところだ。共産党も反対方向という。
石原都政の野党会派である民主党、共産党、生活者ネット、自治市民'93が一致して反対すれば条例改定をとめることができる。
業界団体や表現の自由の侵害に危機感を持つ市民の動きも加速している。東京都の暴走によって、全国に表現規制を波及させないためにも都条例改定を何とか食い止めたい。(フリーランス記者:長岡義幸)
青少年条例の動向についてはポット出版の「出版時評 ながおかの意見 1994-2002」(http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-939015-39-7.html)の第二章・図書規制の実情/青少年条例強化をめぐって、第七章・出版物を取り巻く規制/青少年条例と法的規制の動向、出版メディアパルの「出版と自由」(http://www.murapal.com/books09/ps012.html)などで詳しくフォローしています。ぜひ参考にしてください。私も一部を(ペンネームで)執筆した創出版の「『有害』コミック問題を考える」(http://www.tsukuru.co.jp/books/2007/11/post-2.html)、さらに「誌外戦」(http://www.tsukuru.co.jp/books/2007/11/post-3.html)は、20年前に青少年条例の強化によって起きた図書規制の実態を知るための基本図書といってもいい内容です。
『創』4・5月合併号は6日に発売されるが、その中に三田佳子さんの息子・高橋祐也君の手記が掲載されている。前回の逮捕以降の獄中生活や薬物依存脱却のプログラムに参加した話、それに2月に結婚し、年内に子どもも生まれることなどを書いている。で、この手記について報知新聞から問い合わせがあり、4日に「報道目的に限り」という条件を付けて記事を渡したのだが、翌5日の同紙紙面を見て驚いた。
「三田佳子今秋おばあちゃん」と題して5段組の記事が載っているのだが、三田佳子さんに初孫が生まれることが「4日、分かった」という内容だ。「4日、分かった」って、これ『創』の記事で知ったということじゃないか。『創』記事を使う場合は出典を明記して下さいと言ったのに、全く言及もせず別の記事に仕立てて、「4日、分かった」っていうのはちょっとひどすぎない?
これ、雑誌記事を新聞がパクる時によく使う表現で、こちらも目くじら立てるつもりはないが、仁義もなにもない。報知新聞、「なんだかな~」という感じだ。
話は変わるが、『創』1月号がネットオークションで1800円で売られているという。中にある長岡義幸さんの性表現規制に関する記事が、ちょうど東京都の条例改定問題がヒートアップしているため話題になったらしいのだが、まだ在庫があって定価600円の雑誌を1800円で競売しているというのもひどい状況だ。アマゾンなどネット書店ではバックナンバー購入ができないし、ほとんど出版社がバックナンバー販売をしていないということでこんな事態になるらしいのだが、これもなんだかな~。そもそもオークションで3倍で売買されても創出版には全くお金は入ってこないわけで、これ、何とかならないものか。
明日文京区民センターで開催されるシンポジウムですが、大きな反響を呼び、既に事前予約が400人を超えています。会場がぎりぎりで480席なので、満席の可能性が高いようです。
開場は5時45分で、まず予約の方に入場いただき、その後で予約なしの方を入れます。予約していても欠席する人はいますから、予約していてもあまり遅く来ると座れない可能性があります。なるべくお早目に会場においで下さい。
明日ネットによる生中継を行うところが大変いろいろやってくれており、出演者に事前インタビューを行ってネットにアップしています。これを見ると事前知識を得られるので時間があったら見ることをお勧めしますが、逆に言うと、出演者が何を話すか開催前からわかってしまうというのもやりにくいかも(笑)。
http://www.the-journal.jp/
出演者の元木さんがインタビューで『創』の篠田と以前から警察・検察批判の集会をやってきたと語っていますが、これは「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」という弊社刊の単行本にまとめられています。三井環さんももちろん出ているし、魚住昭さんの検察論などもある、今読んでも役に立つ本です。ぜひご覧になってください。
明日の生中継を行うサイトはこちらです。
http://opinion.infoseek.co.jp/article/769
ここも大々的に告知をしてくれています。
取材依頼も幾つか入っていますが、基本的に取材はフリーです。ただ報道の方も一般客と同じように入っていただきます。報道席は特別に設けませんが、テレビカメラなど機材を持ち込む場合は事前に連絡をいただきたいと思います。
出演者:
三井環(元大阪高検公安部長)
鈴木宗男(国会議員)
安田好弘(弁護士)
青木理(ジャーナリスト)
上杉隆(ジャーナリスト)
元木昌彦(元『週刊現代』編集長)
大きな山場を迎えた「小沢VS検察」問題ですが、この戦いはいったい何だったのか、そして報道のあり方をめぐって何が問われたのか。徹底討論を行う緊急シンポジウムを開催します。ふるってご参加下さい。
出演者:三井環(元大阪高検公安部長)、鈴木宗男(国会議員)、上杉隆(ジャーナリスト)、青木理(ジャーナリスト)、元木昌彦(元『週刊現代』編集長)、他
会場:文京区民センター3階A(文京シビックセンターとは別ですのでご注意下さい)
http://www.cadu-jp.org/notice/bunkyo_city-hall.htm
入場料:500円
会場定員は約250人ですが、もし座席を確実に確保したい方は、「創」のホームページhttp://www.tsukuru.co.jp/kensatsu.htmlにアクセスして予約をして下さい。
検察が政局を左右するという異常な状況をどう考えるのか、そしてそのなかでマスコミ報道が危うさを露呈したことをどう考えるのか。その2つの大きなテーマを議論します。
特にマスコミ報道をめぐっては、検察リークについてこれまでなされた議論を超える形で批判が相次いだのが今回の特徴です。これは恐らく新聞・テレビの世論への支配力が相対的に落ちたためで、ネットを含む多様な言論がひとつの状況を作りだした結果といえます。
こうした議論については新聞なども無視するわけにはいかず、例えば東京新聞では特報面で何度か特集を組んだり(1月23日他)、1月31日には佐藤敦社会部長による〈「リーク批判」に答えて〉という異例の見解が掲載されました。その中で佐藤部長はこう書いています。〈「検察リーク」の批判は、自民党政権時代の疑獄事件の際にも、同党側から上がっていました。今回の特徴は、かつて「政治とカネ」について厳しい論陣を張ってきた識者、ジャーナリストたちからも同様の批判が聞かれることです〉
この「検察リーク」批判は『週刊朝日』など幾つかの週刊誌やネットで大きな声になっており、それに新聞が紙面を使って反論するという形で論争になりつつあります。新聞・テレビの報道をめぐってこんなふうに批判を含めた議論ができるというのは、市民のメディアリテラシーを鍛えるという点では非常によい機会で、これを機にもっと大きな議論がなされる必要があります。
2月26日のシンポジウムには新聞労連や日本ジャーナリスト会議などにも呼び掛けて、ジャーナリズムに関わってきた人たちも巻き込んで議論を行いたいと思っています。ぜひ参加してください。
刑務所から実家の神戸に戻った三井さんは、意気軒昂で、最近の検察の姿勢も含めて、検察批判は積極的に行っていきたいと言っている(写真は出所後、自宅に戻るまでの三井さん)。
三井さんは、2002年4月、検察の裏金問題を現役の検察幹部として内部告発しようとして、テレビ収録予定のその朝に、口封じのために逮捕された。いわば別件逮捕だが、起訴され、最高裁まで争った末に敗訴。2008年に1年8カ月の実刑が確定し、服役した。検察側にとっては三井さんを社会的に葬りたかったのだろうが、三井さんは収監時にも、これからも検察批判の闘いを続けることを宣言し、月刊『創』に「闘いはこれからだ」という獄中連載を続けてきた。
当初は大阪拘置所に収監されたのだが、持病である糖尿病の治療が十分に受けられず、一時は体調が悪化。「生命の危険すら予感した」局面もあった。『創』の手記で三井さんは「万が一のことがあっても、閉ざされた塀の中で何が起こったかは外部にはわからない」と書き、「恐怖にさいなまれた」と述懐していた。
その後、静岡刑務所に移り、2009年には仮釈放の動きもあったのだが、結局だめになった。三井さんはこれを検察サイドの横やりが入ったためだとして、獄中から裁判に訴える動きをするなど、検察との闘いを続けてきた。そうして結局、18日に満期出所したものだ。
体重も減り、アルコールも飲まず健康な生活をしていたため、出所時にも健康状態には全く問題はないとかで、検察との闘いは今後も続くことになる。
12月28日朝一番に水戸拘置支所にて土浦無差別殺傷事件の金川被告と面会した。18日に死刑判決が出て弁護人が即日控訴したが、金川被告はその28日に取り下げた。私との面会の後、取り下げると言っていたが、もう私も止める気になれなかった。
死刑判決への感想を聞いた。「間違っていると思えた個所はあったか」と訊くと、「全部です」との答え。「じゃあ、どこがどう違うのか指摘してはどうか。君が死んでも記録は残るのだから、異議申し立てはしておいた方がいい」と言ったら、そんなことをする気はないとの返事だった。
不思議なのは、「自殺したいと思ったが死にきれないので殺人を犯して死刑になろうと考えた」という彼の思い込みについてだが、普通に考えれば無差別殺人を犯す方が自殺よりずっとエネルギーがいるはずだ。何せ昨年3月に荒川沖駅で無差別殺傷を行った時は、ほとんど周囲も本人もパニック状況で、7人めに刺して殺害した被害者のことを金川被告は覚えていないというほどだ。自分で睡眠薬を飲んだ方がずっと楽に死ねるのに、どうして大量殺人による死刑などというとんでもないことを考えたのか。そこがよくわからない。自殺は個人的死だが、死刑は制度による死だから、後者の方がずっとめんどうなのに決まっている。
金川被告はまだ26歳で短慮というべき点も目立つ。死刑についても逮捕されて簡単に処刑されると思っていたようで、「こんなに大変なものとは思っていなかった」と言う。「死刑になりたいので殺人を犯す」という不条理な動機は、この場合、死刑は本当に極刑といえるのかという奇妙な疑問を提起してしまったのだが、裁判所はただ前例にならって死刑判決をくだしただけ。疑問には何も応えてはいないのだ。
この事件には、金川被告の家庭的社会的環境、コミュニケーション不全ともいうべき環境が彼の人格形成にどんなふうに影響したかなど、考えるべき課題はたくさんあるのだが、本人も、もう死んでしまうのだからどうでもいいと言っている。このままだと1月5日に死刑確定。恐らく執行は早いだろう。こういう決着でいいのかという思いは尽きない。
なお、金川被告とこの間、やりとりした手紙は、1月7日発売の『創』2月号で公開する。(篠田)
判決公判を傍聴した後、被害者遺族の話を聞いた。家族を理不尽に殺害され、しかも金川真大被告からは一言の謝罪の言葉もない。遺族にとってはやりきれない思いだろう。
一週間前、金川被告に面会した。私は宮崎勤死刑囚とは十年以上もつきあったし、凶悪事件で犯人とされた人たちと多数接触してきた。流布されたイメージと彼らの素顔にずれを感じることは多いのだが、金川被告の場合はそのギャップの大きさに驚いた。話してみると、ごく普通の青年。事件のことを知らなければ「好青年」との印象さえ持っただろう。
自我が目覚める高校生の時に、生きることの意味を考え、生きていても無駄だと思うようになった。その年代には珍しいことではない。しかし彼の場合は、無差別殺人で死刑になって死のうと考えた。一般の人間には到底理解できない飛躍した論理だ。
早く死刑にしてほしい。法廷で被告がそう主張する光景を、私は以前、奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚の裁判で目にした。彼とは約一年にわたって接したが、殺意の認定を含め、裁判で語られている事件経過は事実とかなり異なるのだが、自分はもう死にたいと思っているから、争うことはいっさいしないと言っていた。そし望み通り死刑判決が出ると自ら控訴を取り下げ、刑を確定させた。裁判は茶番だ、とも言っていた。
その彼の話を聞きながら、私は、自ら死ぬことを望んでいる人間に死刑判決をくだすことが本当に彼を処罰することになるのかという疑問に終始とらわれた。今回も、死刑判決がくだされる法廷でほとんど表情を変えない金川被告の横顔を見ながら、これで彼を裁いたことになるのか、と強い疑問を感じた。
死を覚悟して小学校で無差別殺傷を行った宅間守死刑囚の場合も、早く死刑を執行せよと、確定後も訴え続けた。宅間・小林両死刑囚の場合は、社会から疎外され追いこまれていく何十年かの人生の中で、生きていても仕方ないという絶望に捉われた。しかし、金川被告の場合は、追いつめられるだけの人生も経験しないまま、死にたいという妄想に捉われて凄惨な凶行に走った。
家族とも社会ともコミュニケーションの回路を絶たれていたことが、彼を妄想から現実に帰らせる契機を奪っていたような気がする。何か少しだけきっかけがあれば、金川被告はごく普通の人生を送っていたのではないか。本人と話してみてそんな印象を抱いた。
到底理解できない動機で、自らが死ぬつもりで無差別殺傷を行う。そんな事件がこのところ目につく。死にたいと思って殺人を行う人間に死刑判決をくだすことが処罰になるのか。そもそも、人を裁くとはどういうことなのか。今回の金川被告の事件は、まさにそういう問題をつきつけたような気がする。


