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コラム「編集長の目」第42回・ジャーナリズムと暴力

 友人のビデオジャーナリスト綿井健陽からメールが届いた。レバノンに潜入したらしい。周知のように中近東はいまや戦争状態だが、日本のフリージャーナリストが続々現地入りし、負傷者も出ているらしい。平和ボケした日本にいると、戦場から友人が送ってくるメールに気が引き締まる思いがする。いや、本当は日本だって危険や暴力と隣り合わせなのだ。

 先週、ノンフィクション作家の溝口敦さんの事件に対する抗議声明を、私が属する日本ペンクラブで発表した。溝口さんの事件については発売中の『創』8月号を読んでほしいのだが、月刊『現代』に書いた記事に怒ったヤクザが、本人でなく離れて住む息子を襲撃したという事件だ。溝口さん自身既に過去2回にわたってヤクザの襲撃を受けている。

 ペンクラブで声明を出すことにしたのは、フリーランスの場合、大新聞社のように組織が守ってくれるわけでなく個人の闘いになってしまうため、せめて言論団体がその闘いを言論表現に携わる者全体の問題として考えようと問題提起をすることが必要だと考えたためだ。

 しかし、最近非常に感じるのだが、こんなふうに言論人が暴力にさらされた時に、昔なら皆が自分の問題としてそれについて受けとめ議論したものだが、その風潮がいまやほとんどなくなってしまった。マスメディアはますます巨大化しつつあるのに、ジャーナリズムの機能はますます衰退している。

 先日、芸能レポーターの梨元勝さんに会った(『創』次号のインタビューのため)。ジャンルは芸能だが、この人のジャーナリストの感性には教えられることが多い。私が上述したジャーナリズム的機能とは、別に報道というジャンルのことを言っているわけでない。芸能にだってスポーツにだってジャーナリズムは存在する。そのジャーナリズム的機能の衰退が一番ひどいのがテレビである。梨元さんは、あるテレビ局が「ジャニーズ事務所の話を
扱うな」と言ってきたのに抗議して自ら番組を降りたのだが、こんなふうに気骨ある人がマスコミ界で本当に少なくなった。

 昨日は俳優の佐野史郎さんに、『創』でおなじみの森達也、鈴木邦男の両人と、皇室タブーについて議論した。佐野史郎さんはなかなか魅力的な人で、スクリーンやテレビ画面で見るのとは違った印象を持った。なかなか面白い座談会で、これも『創』次号に掲載する。そういえば『創』について問い合せてくる学生諸君が時々いるが、主な大学だと生協にたぶん置いてあると思うので、ぜひご覧いただきたいと思う。メディアやジャーナリズムの問題を扱った専門誌に近い雑誌である。                   (篠田博之)

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