月刊「創」ブログ
宮崎死刑囚に関する反響・問い合わせについて
昨日来、新聞・テレビで宮崎勤死刑囚処刑のニュースが大量に流れ、弊社にも問い合わせがたくさん入っています。例えばあのパリ人肉事件の佐川一政さんからも、編集長の憔悴した表情をテレビで見て心配になったとのファックスをいただきまして、すみません、それは宮崎勤の処刑に憔悴したのでなく、取材殺到でたんに疲れていただけです(笑)。特に最後に取材を受けた「朝ズバッ!」など画面で見ても我ながら疲れた表情でした。ご心配いただいて恐縮です。確かに仕事が過重で疲れているのも事実ですが。
でも昨日はほぼ全社全局の取材を受けましたが、テレビのコメント取材は本当に徒労感が残ります。1時間近く話したものから1分くらいだけ抽出して使われるので、私の真意は全く伝わりません。しかも、昨日来、一般の人から届く問い合わせが大半、「お前のところはなぜ犯罪人の手記など出版してるのか」とか「結局、宮崎勤という人間についてはわからない」という断片的なコメントに「ではなぜ300通も手紙をやりとりしてたのか」といった内容。それらについてはこれまで何度も雑誌や本の中で説明しているし、たぶん「創」という雑誌のことをある程度知っている人ならわかるはずなのですが、テレビというのは大量の面識のない人たちに情報が伝えられ、しかもほとんど断片的にしか伝えられないので、いつもこんなふうになってしまうのです。テレビのコメント取材はいっさい受けないという人もいるのはそういう事情ですが、まあ今回のような場合は仕方ないかなと。
宮崎勤の本についても反響や問い合わせが来ているので、ここで紹介しておきます。別に処刑をきっかけに商売しようという意図はありませんが、昨日来断片的にしか報道されていないあの事件について多少なりとも関心を抱いた人がいるのであれば、まず創出版刊の宮崎勤著「夢のなか」「夢のなか、いまも」を読んでください。彼の著書を世に出すことについて編集者としてどう考えたかもそこに書いてあります。宮崎勤自身の言葉は一般の人には理解しにくいので解説も長めに書いてあります。一言で言うならば、宮崎事件というこの平成元年の衝撃的事件をきちんと解明しなかったことが、その後、先日の秋葉原事件を含む、平成時代に目につく無差別殺人事件や動機不明の事件に社会の側が対処できない状況を象徴していると思うのです。犯罪者を処刑するだけで動機の解明がなされない現状は、いわば単なる対症療法に過ぎず、そういうやり方をしている限りは同種の犯罪の防止はできないでしょう。極端に言えば、今の司法システムが本当にこの種の事件を裁くためにきちんと機能しているのかおおいに疑問だし、宮崎事件も酒鬼薔薇事件も、結局どうしてあの事件が起きたのかよくわからないまま法廷決着のみがつけられていったのが現実です。動機不明の事件の頻発はどう考えても、今の社会システムが崩壊しかけていることの警告で、それらを裁くとはどういうことかまで立ち入って考えねば本当の解決にはなりません。たぶん元々は裁判員制度というのもそういう司法改革のひとつとして登場したのでしょうが、今のまま導入されても却って事態を悪化させるように思えます。
次号の「創」に載せる宮崎死刑囚の手記は、今回の執行がなくても載せるつもりだったし、この5月にも本人からぜひ載せてほしいと催促を受けていたものです。これがまさか遺稿になるとは思ってもみませんでした。事件の解明のために役立てばという思いからこの12年間、宮崎死刑囚と関わってきましたが、十分なことができないままこんなことになってしまって本当に残念です。 (月刊「創」編集長・篠田博之)
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