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篠田博之の「週刊誌を読む」

マスメディアの権力の本質示した「清武の乱」

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 読売巨人軍をめぐる「清武の乱」は、双方の激しい応酬がまだ続いている。端緒は球団の人事問題だったが、本質は読売グループを支配する渡邉恒雄氏への造反劇。『週刊ポスト』や『週刊現代』は、読売王国そのものを俎上に載せた大特集を掲載している。

 新聞とテレビが系列化され、メディアを支配することが大きな権力を持つことになるのが日本の特徴だが、この騒動を複雑にしているのもその点だ。

例えば、週刊誌は今回の「清武の乱」の前哨戦として、六月の読売新聞グループ本社・内山斉社長らの退任劇を取り上げている。表向きは「一身上の都合」だったが、裏には渡邉氏の方針をめぐる確執があったとする見方だ。この報道に対して、読売側は即座に『週刊現代』『週刊ポスト』『週刊朝日』に「重大な事実誤認」だとして謝罪訂正を求める抗議を行った。

その抗議をなぜ知ったかといえば、それが二十三日付の読売新聞で報道されているからだ。また、清武英利氏の単独インタビューを朝日新聞は二十六日付紙面でオピニオン欄の一面全部を使って大々的に報じている。今回の騒動は、まさにメディア戦の様相を呈しているのである。

メディア自身がニュースの当事者になる事例はいまや珍しくないが、今回の騒動はその典型といえる。前述した内山前社長自身が、『週刊ポスト』12月2日号の渡邉批判大特集に登場しているのもその一例だろう。見出しは「"ナベツネに切られた男"が洗いざらい1時間20分『渡辺さんに苦言をいえる人がいなくなった』」だ。

おかしいのは『週刊現代』12月3日号「読売王国クーデター全内幕」という大特集の中で、「読売新聞記者たちに聞いてみたら」と題し、読売新聞記者やOBに直撃取材を試みていることだ。「本誌が接触した読売新聞の現役記者で、真正面から渡邉会長を批判した者は皆無だった」ってそりゃそうでしょう。

メディア自身が企業体で、しかも大きな権力を持つことになっている現実を、この騒動は改めて浮き彫りにした。騒動が今後どうなるか先はまだ見えないが、造反した清武氏が、その後も全くぶれていないのがいい。

(月刊『創』編集長・篠田博之)

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