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篠田博之の「週刊誌を読む」

追悼番組が語れない梨元勝さんのテレビ「自主規制批判」

 芸能レポーター梨元勝さんの死は衝撃だった。七月下旬に入院先の病院でお会いして一カ月もたっておらず、まさかこんなに早く亡くなるとは思いもよらなかったからだ。
 芸能絡みの事件の取材現場ではいつも梨元さんと顔を合わせたから、おつきあいは結構長い。ワイドショーは追悼特集を流したが、そこで決して触れられなかった話を書こう。
 梨元さんは何度もレギュラー番組を変わったのだが、そのかなりの部分はテレビ局の自主規制に抗議しての降板だった。特にジャニーズ事務所のテレビ界支配については一貫して批判を続けてきた。
 がんとの闘病が始まってから続けていた『週刊文春』の連載の9月2日号ではこう語っている。「芸能ニュースを取材してきた私ですが、ここ数年、ワイドショーに出演する回数がめっきり減りました。なぜならば、テレビ局側の自主規制で、私の発言を制限することが増えているからです」「有名タレントを大勢抱えているプロダクションの機嫌を損ねると、自分のところのテレビ局の番組に人気タレントを出してもらえなくなるかもしれない。もしくは人気タレントが出演しているCMのクライアントから圧力がかかるかもしれない。そういう"自主規制"です」
 梨元さんのすごいのは、そんなふうにテレビ局に抗議して降板した裏事情を、活字媒体でその都度明らかにしたことだ。普通はそんなことをすればテレビ界から永久追放されてしまうのだが、それでも最後までテレビの仕事を続けられたのは、梨元さんの力と認知度によるものだろう。
 しかし、そうはいっても一時に比べてテレビの仕事はなくなり、自分で立ち上げた携帯サイトがメインの媒体になっていた。そこでの芸能ニュースの発信は、闘病中の病室からも欠かさず行っていた。まさに最期まで芸能レポーターに徹して亡くなったのだ。
 「たかが芸能、されど芸能」が梨元さんの口癖だった。政治などより芸能を一段低く見る偏見には常に反論してきた。マスメディアを覆う「強いものには従う」自主規制に一貫して抗してきた梨元さんのジャーナリスト魂に、私はいつも敬意の念を表してきた。
(月刊『創』編集長・篠田博之)

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