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篠田博之の「週刊誌を読む」

「ウラ取り」甘さ許されず 朝日襲撃、八百長報道で露呈

 週刊誌のあり方を問い直すような事態が相次いでいる。
 ひとつは『週刊新潮』が掲載した朝日新聞阪神支局襲撃事件の自称実行犯の手記をめぐる波紋だ。連載は二月十九日に終わっているのだが、議論は続いている。特に事件の被害者である朝日新聞はこの手記を激しく非難し、四月一日付紙面でも大きな検証記事を掲載。「放置できぬ虚報 訂正・謝罪を」と『週刊新潮』を指弾した。読売新聞も2日付、産経新聞も4日付で、新潮社に説明責任を果たすよう求める記事や社説を掲載した。
 週刊誌でも『週刊文春』『週刊朝日』『サンデー毎日』などが、これまで『週刊新潮』を批判。手記で右翼の大物である故・野村秋介氏が事件に関与したと書かれたため、野村さんと関わりのあった右翼団体も反発。三月に二度にわたって新潮社へ抗議に訪れた。
 『週刊新潮』はこの春の異動で編集長交替が決まっており、近々誌面で何らかの説明を行うのかどうか注目される。三月三十日、雑誌ジャーナリズムについてのシンポジウムでノンフィクション作家の佐野眞一さんは『週刊新潮』を厳しく批判。同誌がとるべき道は、なぜ虚報を掲載したのか検証記事を載せることだ、と語った。

 もうひとつ週刊誌をめぐる事件といえば、『週刊現代』の大相撲八百長報道に対して三月二十六日、東京地裁が四千二百九十万円もの高額賠償を求める判決をくだしたことだ。
 以前も本欄で書いたが、八百長疑惑追及という公益性の高い報道と、個人のプライバシー暴きとを同列に断罪してしまう最近の裁判所の姿勢に、私は大きな疑問を抱いている。
 ただそれとは別に、週刊誌をめぐるこの二つの事態が示す深刻な意味については考えなければならないと思う。
 昔は週刊誌といえば事実確認が多少甘くとも許される風潮があった。確実なウラが取れなくとも疑惑の段階で記事を書くのが週刊誌だとされた。だが最近はどうもそれではすまなくなりつつあるようなのだ。 
 週刊誌ジャーナリズムは今、大きな岐路に立たされているように思う。近年の部数低下ともあわせ、根本から問い直すべき時期に至ったのかもしれない。

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