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篠田博之の「週刊誌を読む」

取材対象と不倫問題                                                     無防備な女子アナ標的に

 芸能マスコミをこの間、不倫騒動がにぎわせたことは前回も書いた。週刊誌やワイドショーが道徳をふりかざして不倫を断罪するのにどうも違和感を感じるとも書いた。そんな違和感に対する弁明か、「不倫はなぜ悪いのか?」(週刊朝日)「不倫女子アナの全歴史」(週刊現代)などと、週刊誌が不倫についての特集を組んでいる。

『週刊朝日』8月22日号は、初めに不倫騒動の歴史をひもとくのだが、不倫が芸能マスコミで話題になったのは八〇年代から。当時標的になったのは芸能人だった。それが最近は企業経営者や報道関係者が多くなった。

『週刊現代』8月23・30日号によれば、人気女子アナの大半が過去、不倫騒動を起こしているという。

 しかし、これは特に女子アナが不道徳だというわけではなく、彼女たちがタレントと同じ有名人になったのに、当人にはあまりその自覚がなく、芸能事務所がプライバシーを管理しているわけでもないため、週刊誌の標的になりやすいということだろう。芸能人の場合は、事務所がメディア対策を行い、プライバシーが漏れないようにするが、アナウンサーは無防備で、週刊誌が狙いやすい。

 ただ、ひとつ問題かなと思われるのは、アナウンサーや報道記者が取材対象と不倫に陥るというケースだ。

『週刊朝日』で芸能レポーターの梨元勝さんがこうコメントしている。「報道に携わる人は時に政治家をも批判しなければならない。そんな人間が、取材対象者と路上でキスしたらどうにもなりません」

 前出『週刊現代』は不倫騒動の女子アナたちのその後を追っているのだが、感心したのは二〇〇三年にタレント内村光良との不倫騒動で夫と泥沼裁判に至った元テレビ朝日の徳永有美アナだ。その後二〇〇六年、内村と晴れて結婚。司会を務めていたワイドショーで涙の謝罪を行い降板したのを今も覚えているが、騒動にめげず初志を貫いたのはむしろ美談というべきだろう。

 だから道徳をかざして一律に不倫を断罪する論法には違和感を感じざるをえないのだが、でも週刊誌も実は、有名人の不倫騒動は話題になって売れるから載せるというのが、本音ではないのだろうか。