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篠田博之の「週刊誌を読む」

光市母子裁判多くの課題                                                     憂慮する法相の「軽さ」

 光市母子殺害事件の差戻し審判決のあった二十二日、見知らぬ人からメールが届いた。ジャーナリスト綿井健陽さんを『創』編集長から説得してほしい、というのだ。綿井さんが、もし納得のいかない判決が出たら責任をとってジャーナリスト活動から身を引くといったことをブログに書いていたという。

 私は、彼がそんなことを書いていたのも知らなかったのだが、どうやら判決が出た後、彼のブログが炎上するなど騒動になったらしい。もし本当に彼がそんなことで仕事をやめると言い出したら私は必死になって止めたに違いない。

 でも心配は無用で、その後綿井さんは、ジャーナリスト活動を今後も続けると言明し、長々と説明をブログに書いていた。判決前日にそんな思いつめたことを書いてしまうのがいかにも綿井さんらしい。でも全てのジャーナリストが、常にそのくらいの覚悟をもって仕事をしていれば、メディアに対する市民の批判は今よりずっと少ないだろうと思う。

 綿井さんはこの一年間、つかれたようにこの取材にのめり込み、被告人に会うためにしばしば広島に通っていた。一週間前の『AERA』4月28日号に彼は、安田好弘弁護士についての一文を寄稿していた。安田弁護士も信念を持ってこの事件に取り組んだ人だ。

 判決後に発売された『AERA』5月5日号は、被害者遺族の本村洋さんに判決翌日インタビューしたものを掲載していた。被告人の極刑を望むと言い続けている彼だが、死刑という罰の重さに悩んだことも率直に語っている。本村さんの重たい言葉も胸を打つ。  

 光市母子裁判については本欄で何度も取り上げてきた。報道のあり方をも含めて、多くの課題をつきつけた裁判だった。それに比べて、軽さばかりが目について憂欝になるのが鳩山邦夫法相だ。『週刊朝日』5月2日号にも登場し「死刑は粛々と執行するのが大切」と持論を述べている。 

 この人が死刑執行命令書に次々とサインしているせいで執行が急増しているのだが、その行為の重さと、この人の軽さとのギャップが激しく、まるでブラックユーモアのようだ。こんな人が法相なのは国民の不幸だ。