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篠田博之の「週刊誌を読む」

作り手と読者 感覚にずれ

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今年も残すところあとわずか。週刊誌界のこの一年を振り返っておこう。  何といっても深刻な話題になったのは、『週刊現代』が大きく部数を落とし、『週刊ポスト』に抜かれたことだった。なぜこれが深刻かというと、昨年、テコ入れ人事で投入された加藤晴之編集長のもと、同誌は次々とタブーに切り込むキャンペーンを展開。細木数子、JR東労組、大相撲八百長疑惑など、高額訴訟の反撃を受けながらも臆することなく闘う誌面を作り上げてきた。請求された損害賠償総額は二十四億円といわれる。  かつてであればこうやって話題になれば週刊誌は確実に売れたものだが、大方の予想に反して、部数は逆に急落したのだった。これは、従来からの週刊誌の方法論が、いまや読者拡大につながらなくなったという現実を示したといえる。別な言い方をすれば、作り手と読者の、何を面白いと思うかという感覚にずれが生じ始めた可能性があるということだ。 ただ、そのへんは複雑で、加藤編集長は、誌面でスクープを放っても売れ行きにつながらない理由は、発売前に見本を入手したテレビや新聞が発売当日にその話題を一斉に取り上げるため雑誌のスクープがかすんでしまうという現実を指摘した。新聞・テレビが「~であることがわかった」という表現で報じるため、スクープした媒体の労力が報われない構造になっているというのだ。 それも一理あるとは思う。ただ、スクープが部数増につながらないというこの現実は、メディアを取り巻く環境の変化、読者がメディアに求めるものが変わりつつあるというもっと大きな問題を提起している可能性もある。実際、現在総合週刊誌のトップを走る『週刊文春』の鈴木洋嗣編集長などに聞いても、今の読者の志向をつかむのは本当に難しいと言う。  かつて男性週刊誌と分類された同誌の読者の半数をいまや女性が占めるという現実もそうした変化の現れだろう。女性週刊誌トップの『女性セブン』では、最近はライバルは『女性自身』でなく 『週刊文春』だと言われているという。かつては女性読者をほとんど無視してきた『週刊現代』 がいまや「働く女性を応援します」などというコピーを掲げるようになったことも週刊誌を取り巻く環境変化を示すものだ。  いったい週刊誌は今後どういう方向をめざすべきなのか。苦悩と暗中模索は、まだ続きそうだ。 (月刊『創』編集長・篠田博之)

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