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篠田博之の「週刊誌を読む」

「利用者不在」が露呈/ポータビリティー騒動

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『サンデー毎日』11月12日号のコラムで中野翠さんが怒りをぶちまけている。ある会社にカタログを郵送してほしいと頼むために電話をかけたら「日本語をご希望の方は1を、英語をご希望の方は9を押して下さい」と音声テープが流れ、1を押すと次に「○○の方は2を…」と延々とテープとの対話をさせられた。しかも途中でうまくいかずに二度も最初からやり直し。「早く人を出せ、人を!」とついに逆上した、という話である。  これ、たいていの人なら経験したことがあるだろう。どう考えても「利用者不在」で、機械化によって便利になるというのが、企業にとって便利なだけで、市民の都合はないがしろにされていくという実例だ。
 それと同じなのが最近の携帯電話「ポータビリティ騒動」のような気がする。事前にメディアで大々的に取り上げられたのだが、ふたをあけてみれば何ともお粗末な混乱ぶり。『週刊文春』11月9日号「ポータビリティ大混線!孫正義『ケータイ¥0』はいつものペテン」を読むと、さらに腹のたつことが書いてある。
 例えば家電量販店携帯電話担当者のこんな証言だ。「CMを見てソフトバンクに契約したいという人が増えたのですが、『予想外割』は例外条件が多すぎて、普通に使っている人は、安くならないケースが多いんですよ。タダだタダだと言いますが、夜九時から深夜一時までの間は、一定時間を超えるとむしろ割高な料金がかかる」。え、そうなのか。
 この記事はソフトバンクを批判したものだが、でも私には特定の会社というより今回の騒動全体が、企業の都合だけで利用者を振り回していたとしか思えない。しかも、それにマスメディアが一役買っていたのも明らかだ。先に引用したような利用者にとって本当に必要な情報がほとんど伝えられていないのである。

 さて話題は変わるが、同じ『週刊文春』のいじめ自殺問題を扱った日垣隆さんの論考「子供をいじめで死なせない方法」が興味深かった。連日のいじめ自殺報道について「このような報道が続けば、いじめ自殺は続発する」と書いているのだ。 いじめに耐えかねている子どもからすれば、今自殺すればテレビで遺書を読み上げてもらえる、一発逆転の復讐ができるという思いにかられるというのである。私もこの間の情緒的で一方的ないじめ自殺報道には、疑問を感じている一人だ。
(月刊『創』編集長・篠田博之)

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