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篠田博之の「週刊誌を読む」

亀田判定 度を越す商業主義/批判集中 メディアの誤算

 靖国問題と並ぶこの間の国民的話題といえば「浪速の闘拳」こと亀田興毅の「疑惑の判定」問題だろう。8月2日の試合中継は平均42.4%、瞬間最高で52.9%という驚異的な視聴率。TBSに届いた抗議の電話やメールも5万件以上という驚くべき数だった。

  これまで親子愛をたたえ亀田ブームをつくってきたのがテレビだとすると、週刊誌はどちらかといえば水をさしてきた立場だった。だから当然、今回も週刊誌はほぼ全誌が批判的な誌面になった。特に『週刊文春』8月17・24日号は「総力特集 亀田興毅『汚れた闘拳』」と銘打った7ページもの大特集だった。

 批判の骨子は、亀田の勝利はあらかじめ仕組まれていたのではないか、亀田をどうしても勝たせねばならない力が働いていたのではないか、ということだ。『アサヒ芸能』8月17・24日号に、TBS関係者のこんな匿名コメントが載っている。「亀田が王者になる前から、TBSは戴冠記念DVDの発売を決定。初防衛戦も大みそかを予定していた。すべてが王者になる前提で進められていた。KOでもされない限り、亀田を勝利させる流れがあったも同然と言えるでしょう」

 亀田兄弟が逸材であることは疑いないが、それ以上に彼らは“金のなる木”として期待されているというわけだ。『FLASH』8月22・29日号はこう書いている。「いまや興毅は全身に広告をまとっている。実際世界タイトルマッチのリングに上がった興毅のパンツには大手パチンコメーカー、コンビニ、大手飲料メーカーの広告が、さらにグローブには9月公開の映画タイトルの刺繍(ししゅう)まで施してあった。まさに『戦う広告塔』の様相である」
 
 亀田にどうしても勝ってもらわねばならなかったのは世界ボクシング協会(WBA)も同じだ、と書いたのは『アエラ』8月14・21日号「亀田を勝たせたかった『本家』WBAの懐事情」。WBAが亀田勝利を想定して、彼の父親に渡すベルトまで事前に用意していたのは周知の事実だ。

 スポーツと商業主義の問題は古くから議論されてきた事柄だ。今回TBSは試合開始の1時間半も前から放送を始めるといったあざとさが目についた。そのことへの抗議電話も多かったという。商業主義はある程度は許容されるが度を越すと反発を招く。今回の騒動の背景には、その辺を読み違えたメディアの問題があるように思う。

東京新聞 2006.08.16掲載/メディア批評誌「創」編集長・篠田博之

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