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編集長の目

悲しい出来事   篠田博之

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『マス読』を30年近くも続けてきて、様々な学生との出会いがあった。そん
ななかで今回紹介するのは悲しい思い出だ。

 2004年12月に『週刊新潮』の記者が西新宿のホテルで、ドアノブにひもを
かけ首つり自殺した。その年の4月に早大を卒業して入社した男性だった。
学生時代から真面目な男性で、仕事上のことで思い悩んだ末の自殺だとされ
た。
 葬儀に当初、遺族は新潮社関係者の参加を拒否したという情報も伝わって
きた。当然ながら、自殺に至った事情を取材した。その結果、いろいろなこ
とがわかった。実の兄弟が関西のテレビ局に在籍していることもわかった。
1月に何度か接触を試みた。しかし、遺族の返事はこうだった。「今はそっ
としておいてほしい」
 新潮社内部の人にもオフレコで話を聞いて、記事にできるくらいの材料は
あったのだが、遺族のその言葉を聞いて、記事にするのをやめた。人の生死
にかかわることを外部からあれこれ詮索するのが僭越だと思えたからだ。も
し遺族がこの自殺に納得できないからと話を聞かせてくれるなら記事にしよ
うと思っていたのだが。

 もうひとつ、こちらはもっと悲しい話だ。93年5月号の『創』で記事にし
ているので、それをご覧いただくことにしよう。小学館に入社して3カ月後
に自殺した男性の母親から手紙をもらったのがきっかけだった。一人息子が
ようやく憧れの出版社に入社して喜んだのもつかの間、わずか3カ月後に自
殺し、母親ははかりしれない衝撃を受けた。遺品の中に『マス読』があった。
自殺した男性はその年、『マス読』に合格体験記を執筆し、その現物を大事
にとっておいたのだ。
 当時はネットのなかった時代で、『マス読』はマスコミ志望者のほとんど
が情報源にしていたまさにバイブル的な本だった。そこに合格体験記を執筆
するのがマスコミ志望者の夢だった。自殺した息子の机を整理していて、母
親はその本に気付き、息子が合格体験記を執筆していたのを知って手紙をく
れたのだった。

 この件については、私も小学館関係者も含め、相当の取材を行った。その
一端を記事にしたのが『創』93年5月号だ。今読み返しても、当時のことが
思い出されて胸がつまる。プライバシーに関わることなので、この記事もだ
いぶ抑えて書いている。小学館に入社して希望通りの配属がかなわなかった
ことが最初のつまづきで、自身を喪失し、辞表を提出と、不幸な経過だった。

 次回、今度は朝日新聞社に入社後、半年で退社して『創』に手記を書いた
女性のケースを紹介しよう。この手記は大きな反響を呼び、朝日新聞社はそ
の後、新人研修システムを変えることになった。  (以下次号)

『創』93年5月号の記事は以下のURLを参照(PDFファイル)
http://www.tsukuru.co.jp/11_17.pdf

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