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篠田博之の「週刊誌を読む」

「中止」の連鎖徹底研究を                                                     「靖国」上映続々名乗り

 本欄で三回も触れた 映画「靖国」上映中止事件だが、大きく報道されたことで劇的な展開を遂げている。新たに上映に名乗りを上げる映画館が次々と出てきたらしい。

 上映を中止する映画館が相次いだ時には、この国の「言論表現の自由」はここまで危機的になっているのかと暗い気持ちになった。しかし一方で、配給会社などには連日多くの激励の電話がかかってきたというし、現状を憂えた多くの人が声を上げたようだ。

 言論表現に関わる多くの団体も上映中止反対の声明を出した。私が言論表現委員会副委員長を務める日本ペンクラブも急遽声明を発表した。日本新聞協会を始めメディア界がここまで一致して声を上げたのは久しぶりだ。 

 この事件は、一部に街宣攻撃や嫌がらせがあったとはいえ、上映中止の連鎖は、見えない影におびえた映画館の過剰な自主規制というべきものだ。その意味で今の日本社会の「空気」をよく映し出した事件だった。もともと週刊誌記事から発した騒動だったが、いまや本欄で扱う域を超えた大きな社会問題になった。悪しき前例を残さぬためにも徹底検証すべきだと思う。

 さて、本欄本来の話題に移ろう。『AERA』4月7日号が「『無差別殺人』2人の共通点」という見出しで茨城県土浦市の無差別殺人と兵庫県姫路市の突き落とし殺人を取り上げている。二人の容疑者とも殺す相手は「誰でもよかった」と供述しており、高校時代に進学をあきらめるという挫折を体験したなど、共通点が多い。同じく両事件を取り上げた『週刊朝日』4月11日号は「『殺すのは誰でもよかった』症候群」と呼んでいる。

 一週前の『週刊現代』4月5日号は「『死刑』被告人 松村泰造『獄中からの手紙』」と題して、昨年二人を殺害し、この三月に死刑判決が出た男性の手紙を紹介している。「事件の数年前から『これはもう本当に人の一人や二人殺さねば収まりがつかない』と思う程の憎しみを『世間』に対して抱いていました」。そう述懐する彼は二十六歳の若者だ。 

 若者が「誰でもよいから殺したい」などと殺人に走ってしまうこの現実をどう考えたらよいのか。深刻だ。