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NHK受信料督促裁判を考える

受信料裁判弁護側の主張

〈7月10日の口頭弁論で弁護団が主張した内容を以下、紹介します。内容を要約してと当初思いましたが、格調高い文章なので、主な部分を原文のまま引用することにしました。弁護団としては、この裁判を契機に、これまできちんと議論されてこなかった「受信料制度」や「公共放送」のあり方を問いなおそうという意図があり、主張内容も放送法の歴史や憲法との関わりなど格調高い言及が目立ちます。
 まず冒頭部分は、弁護団の反論を総括したような内容で、テーマ全体をコンパクトに紹 介したものといえます。以下、抜粋し引用します。
 以下、引用者のコメントは〈〉で示しますが、コメントが不正確だとか誤解を招くという点があれば今後、このサイトで訂正していくことにします〉

はじめに
 本件訴訟は、原告が、被告らに対して、それぞれ、数万円の支払を請求する訴訟である。
 原告の請求する金額だけを見ると、わずか数万円の少額訴訟である。
 しかし、本件訴訟には極めて重要な意義がある。
 なぜなら、本件訴訟は、日本国憲法にもとづく戦後改革の一環としてなされた放送法の制定趣旨をただし、臣民から主権者となった視聴者の放送法体制における地位を確定し、その権利と義務の真の意義をあきらかにする裁判だからである。
 この訴訟は、日本国憲法のもとで、市民に情報をあまねく提供し、民主主義に貢献するべき公共放送の責任を明らかにする役割を持つ。
 その上で、表現の自由(憲法21条、国際人権規約自由権規約19条)の享有主体である市民、視聴者とNHKが締結する受信契約における視聴者の権利をあきらかにしなければならない。
 戦前、NHKの前身たる日本放送協会を含むすべてのメディアがその役割を果たしえなかったばかりか戦争を賛美し国民を惨劇にむけて駆り立てた恥辱の歴史を顧みるとき、受信契約における視聴者の権利とはなにか、あるべきジャーナリズムと放送にむけていかに市民(視聴者)の声を反映させてゆくか、そのために受信料徴収のありかたがいかにあるべきかが真剣に誠実に追及されなければならないのである。
 訴訟にたずさわる当事者、放送関係者のいずれもが厳粛にその出発点を確認すべきであると考えるものである。

〈次の序章ではNHK受信料制度の根拠である「放送法」とは何かを論及しています。戦前の言論報道暗黒の時代への反省から生まれたのがこの放送法で、それは憲法の申し子とも言える精神に支えられていることを明らかにし、今回の法的督促という強制徴収がその精神に違反していることを明らかにしています〉

序章 日本放送協会、放送法の歴史及び放送法の準憲法的性格
 現在のNHK受信料徴収制度は放送法で定められている。放送法は日本国憲法施行に伴う放送民主化の一環として成立した。
 この章では大日本帝国憲法(明治憲法)下の放送の制度が、戦前のメディアへの反省を基礎として大改革されたこと、放送法と現在の受信契約義務制度も日本国憲法の施行を背景として登場したこと、従ってまた、受信料契約の法的解釈、運用にあたっても、憲法の基本原理、表現の自由の保障の趣旨が重視されるべきことを主張する。

第1 明治憲法下の放送制度
 3 政府の厳しい管理下にあった日本放送協会は、対外膨張、侵略をとげる日本の軍国  主義、帝国主義の政策と戦争の拡大には、みじんの批判も、事実の暴露も行うことが  できなかったばかりか、軍国主義を鼓吹し、国民を戦争に動員するメディアとなり、  ジャーナリズムの視点からみると恥辱の歴史の道を歩んだ。

第2 戦後改革と放送法
 1 戦後メディアの民主化
 敗戦は日本放送協会を含むメディアをして戦争責任の問題に直面させた。
 戦争を聖戦として美化し、国民をあおり、国内外で、2500万人の生命を奪い、国土を焦土化した15年戦争にメディアもまた加担していたのではなかったか、という深刻な問いがすべてのメディア関係者の前に呈示された。

 このような清新な動きは、放送内容の変革にも結びついた。
 放送法は、電波三法のひとつとして現れたが、同三法は、このような新聞、放送労働者の運動の昂揚、GHQのメディア民主化という戦略の時代背景の中で誕生したのである 。

 2 電波三法とりわけ放送法の成立事情
 電波管理委員会設置法は、独立行政委員会により、政府の放送への干渉への防壁をつくる組織法であり、放送法はこれと対をなして、放送分野において、政治の干渉を許さず、民主主義に貢献させようとする実体規範をもりこんだ立法であった。
 かくして放送法は日本国憲法の放送分野への具象化というべき立法であった。

  3 受信料の戦前、戦後の違い  
 公共放送は、市民に対して、放送法の理念にもとづく放送を実現することにより、 民主主義社会に必要な最低限の情報の伝播の任務を負い、同時に政治的公平と多角的視点の確保により民主主義への貢献、公共圏の確保の役割を果たす。
  市民は戦前の臣民ではなく、国民主権の主体であり、かつまた表現の自由の主体として、自己の思想の発信と受信につきその自由を人権として享有する。
 公共放送はその自由に仕え、貢献するものとして措定され、市民は人権の主体として受信料契約を結び、NHKがその任務を果たしているか否かを判断し、それを肯定できるときに限り契約上の義務を履行するのである。
 放送がその役割にそむいているのにあえて、市民にたいして強権を発動して受信料を徴求することは放送法の根本精神に矛盾するといわざるを得ないのである。
 放送法制定の経緯と時代背景、法思想をみるとき、受信料制度の理解にあたっても、国民主権と、表現の自由という憲法の大原則を前提としていることに適合する解釈と運用が求められると考える。

〈今回の弁護団の主張は、つきつめるとNHKの受信料の強制徴収、さらには今後問題になると言われる受信料義務化が放送法の趣旨に反し、憲法違反でもあるというものですが、その骨子を主張したのが次の部分です〉

第1章 憲法上の論点
 1 本件は、優れて憲法訴訟である。
 放送あるいは電波メディアのあり方は、一国の民主主義にも、個人の思想・良心や知る権利にも、文化的なライフスタイルにも深く関わる。当然に憲法問題とならざるを得ない。
 本件請求認容可否を判断する前提として、他に類例のない「受信契約締結強制」制度の法的意味を確定しなければならず、そのためには「受信契約」の根拠である放送法の憲法適合性を吟味しなければならない。
 具体的には、「公共放送」という特殊な電波メディアは、日本国憲法のもといかなる存在であるのか、公共放送機関に対する「受信料」の支払い強制は憲法上許されるのか、との検討が不可欠である。
 その結論を簡潔に示せば、国民に対する受信料の強制徴収は違憲なのである。
 2 古来、いかなる政権も権力的な情報操作を行うべき内的衝動を有してきた。しばしば、その衝動は顕在化して時の政権に不都合な情報は抹殺され、政権に好都合な情報のみが選択的に被統治者に伝達された。場合によっては、権力による情報の捏造や誇張も行われた。しかし、民衆が統治の客体に過ぎなかった時代には、権力による情報操作は法的正義と衝突することはなかった。序章で述べたとおり、第2次世界大戦前の日本における放送行政はその典型例であった。
 しかし、統治権の正当性の根拠を民衆の意思に求める思想が普遍性を獲得し、国民主権の時代となると、権力の情報操作は法的正義と真っ向から衝突することになる。一方、政治権力は民衆の多数意見によって支えられているという形式を整える必要に迫られる。また、マスメディアの発達は、民衆の意識に働きかけ巨大な影響を持つに至る。そのために、政権はメディアを統制し情報を操作することによって、民衆の支持を獲得しようとの強い誘惑に駆られる。そして、しばしば政権がその誘惑に打ち勝ちがたい事態が現実化する。
 ここに、擬似的な民主主義を拝して、真に民衆の意思による政治を実現するための不可欠な手段として、権力のメディア統制による情報操作を禁止する憲法上の要請が生じる。教育内容への国家支配の禁止、あるいは宗教と権力との関わりの禁止とならんで、国家がメディアに対する干渉をしてはならないとすることは、民主主義を標榜する国家における公理の一つである。放送法3条の放送番組に対する不干渉は、その公理の現れである。本件は、その揺るがすことのできない公理を問う訴訟である。

〈以上は、弁護団の反論の根拠をなす憲法や放送法との関わりを論じた部分ですが、次にもう少し受信料制度に踏み込んで、今回の半ば強制的な徴収が法的根拠を欠いていることを様々な論点から説明していきます。総論から各論へ踏み込んでいくわけです〉

第2章 具体的主張の概要
第1 原告の訴権の不存在(受信料支払い債務の「自然債務」性)
 第1章で述べたとおり、受信者に受信料を強制する態様の受信契約は違憲であり、無効である。したがって、次に述べるとおり、受信契約は視聴者(受信設備を設置した者)に強制的な受信料の支払義務を負わせるものではなく、支払を強制することはできない。

 1 放送法第32条1項等についての行政解釈
 放送法第32条1項は、「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」と受信者に受信契約締結の義務付けを規定する。この受信契約のような約款の締結義務を義務付ける例は公益事業においては通例であるが、それは役務提供の義務付けとあいまって事業者側に課せられるものであり、利用者に約款締結を義務付けることは異例である。
 
 2 放送法第32条1項と受信者(視聴者)
 思うに、受信設備を設置しさえすればNHKの番組を視聴するか否かにかかわらず 、また 視聴した番組が上記目的に適うか否かにかかわらず「契約締結を義務付けられ、結果として受信料の支払い義務が課せられる」という上記行政解釈は、視聴者の知る権利、とりわけ情報選択の自由を一切無視するものであって、日本国憲法下で取り得る解釈ではない。
 受信設備を設置した受信者といえども、NHK番組を信頼できないので一切視聴しない、あるいは視聴してもNHKが放送法9条の目的に適った番組を制作・放送していると理解・信頼できないという場合にまで受信料を支払うように強制すること は出来ないと解すべきである。
 その意味で、受信契約締結を義務付ける放送法第32条1項は権利義務規定でなく、訓示規定と解すべきである。

 3 日本放送協会受信規約5条
 次に受信契約の内容であるが、放送法はこれに一切触れておらず、NHKが総務大 臣の認可を受けた日本放送協会受信規約(以下「本件規約」という)において「法送受信契約者は、受信機の設置の月からその廃止の届け出のあった月の前月(受信機を 設置した月にその廃止を届け出た放送受信契約者については、当該月とする。)まで 、1の放送受信契約につき、その種別および支払区分に従い、次の表に掲げる額の放送受信料(消費税および地方消費税を含む。)を支払わなければならない。」(5条)と規定されているだけである。
 このように本件規約において「支払わなければならない。」と規定されているとはいえ、法ではなく単なる総務大臣の認可を受けるだけの本件規約によっては受信契約締結の義務付けが訓示規定であるのと同様の理由で、否、一層強い意味で訓示規定と解すべきであり、受信料を支払うように強制することは出来ないと解すべきである。

 4 まとめ
 以上のことからすると、受信料とは、視聴者がNHK番組を信頼して任意に支払えば有効な債務(受信料)の弁済となるが、そうでない場合は支払強制ができない性質を有する「自然債務」と解するのが相当である。

〈さらに弁護団の反論は、今回原告となった3人の「契約」について論じていきます。NHKの受信料契約とは、実は契約書にサインした時点で契約が成立したことになり、しかもそれは脱退不可能な契約になってしまうのですが、問題は新聞販売の勧誘の契約書に似た書式の受信料契約書について、視聴者がきちんとした説明を受けず、契約内容を理解しないまま契約したとされてしまう例が多いことです。今回の3人のうちにも、名前は本人のものですが実際には本人の留守中に奥さんがサインしていたケースや、一部をNHK側のスタッフが書き込んだのではと思われる例もあり、弁護団は契約の有効性に疑問を呈しています。また、そもそもNHK番組を全く見ていない人に受信料を請求する権利がNHKにあるのかという問題も提起しています〉

第2 原告の請求権の不存在(契約の不存在、被告らの不視聴)
 1 はじめに
 被告らは、既に、「第1 原告の訴権の不存在」において、そもそも、原告の本件請求権が、いわゆる「自然債務」であって、原告の訴権そのものが存在しないことを論じた。 次に、被告らは、仮に、原告の本件訴権が存在した場合であっても、本件被告らに関する限り、原告の本件請求権は、発生していないことを論じる。
 すなわち、被告らと原告との間では受信契約が有効に成立していないうえ、被告らは、原告の本件請求に関する限り、原告の放送する番組を視聴していないのであるから、原告の本件請求権は、発生していないのである。

 6 受信契約の双務契約性
 放送法第32条第1項は、受信設備の設置者に対して、日本放送協会との受信契約締結義務を定めている。
 しかしながら、原告が、被告らに対して、いわゆる「受信料」を請求するためには、被告らによる「視聴」が、必要不可欠である。すなわち、受信契約は、双務契約性を有し、受信料が対価性を有するのである。
 なぜなら、第1に、憲法29条に基づき財産権を保障された国民に対し、仮に受信料の支払義務を課すことができるというのであれば、受信料に相応するだけの役務の提供を受けることができるということによってのみ、同義務の存在を合理的に説明し得るものといえるからである。 
 第2に、「第1章 憲法上の論点」において詳論したように、そもそも、本件受信料の支払請求は、憲法第21条第1項をはじめ、憲法に違反するものである。そこで、合憲的に限定解釈して、原告が被告らに対して受信料を請求するとしても、「放送の視聴」という具体的利益の享受に対する対価として、受信料を構成すべきだからである。
 第3に、実質的に考えても、新聞、雑誌などの他の媒体(知る権利の対象となるメディア)とのバランス上からも、「視聴」という具体的利益の享受に対する対価として、受信料を構成すべきだからである。
 第4に、仮に、放送法第32条第1項が、特殊の債務を定めたものであったとしても、「双務契約」の県連性の観点から、被告らに対する原告の受信料請求権は、被告らの「視聴」という具体的な行為との対価関係により、発生すると考えるべきだからである。
 受信契約が双務契約性を有し、受信料が対価性を有するということは以下の点からも窺うことができる。
① 放送法上、NHK放送を受信しうる設備を設置した者に対してのみ受信契約の締結、ひいては受信料の支払いを  義務付けており、あまねく全国民に受信契約を義務づけているわけではないこと
② 視聴する放送サービスがカラーであるか否かにより、すなわちサービスの質により支払うべき受信料に差異を設けていること
③ 視聴する放送サービスが地上波だけかBS放送も含むかにより、すなわちサービスの量により支払うべき受信料に差異を設けていること

 8 本件においては、冒頭で述べたとおり、被告らはNHKの番組を視聴していないのであるから、原告の本件請求権は発生していない。  

〈以下、反論は3人の契約の個々のケースにも言及していくのですが、このあたりは原告のプライバシーとの関わりもあり、割愛します。おおまかな経緯は月刊『創』の記事で報告している通りで、このサイトにも関連記事を全て公開していますので、そちらをご覧下さい。『創』がどうして原告の個々の事情に踏み込めているかといえば、実は3人のうち2人は『創』経由で弁護団を紹介したものだからです。
その後もこのサイトを通じて法的督促を受けている人や、あるいは法的督促を行う側の 仕事に携わったNHK側の元スタッフからの声なども届いており、今後、裁判の進行にあわせてこのサイトや『創』で紹介していきます〉

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