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映画『主戦場』上映中止求める訴訟で争点となるドキュメンタリーをめぐる様々な問題

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 全国各地で話題になって上映が拡大するなど、大きな反響を呼んでいる慰安婦論争を扱ったドキュメンタリー映画『主戦場』だが、2019年6月19日、上映中止を求める提訴がなされる事態となった。出演者のうち藤岡信勝、ケント・ギルバート、トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子の5氏が上映中止を求めてデザキ監督と配給会社の東風を提訴。提訴当日、藤岡信勝、藤木俊一、山本優美子の3氏が司法クラブで会見した。

提訴会見.JPG 論争は法廷に持ち込まれたわけだが、この訴訟は、ドキュメンタリー映画をめぐるいろいろな問題を提起することになりそうだ。出演契約をめぐる訴訟は、アメリカでは珍しくないらしいが、日本ではこれまでそう多くはない。しかも、原告らは、映画の中で「歴史修正主義者と言われる人たち」などと名指しされたことにも反発しており、慰安婦論争をめぐる対立が裁判に持ち越される可能性もある。

 7月8日発売の月刊『創』(つくる)8月号では、かなりのページをさいてこの問題を特集している。ドキュメンタリー映画をめぐる制作者と被写体の関係、契約のあり方、制作者のスタンスの取り方など、これが本質的な問題を争うことになりかねないからだ。

 アメリカではドキュメンタリーをめぐるこういう問題は以前から指摘されてきたと言われるので、スカイプを使ってニューヨーク在住の想田和弘監督にインタビューしたほか、森達也さんと綿井健陽さんの対談で日本におけるドキュメンタリーのあり方を論じるなどした。この裁判の結果は、今後、ドキュメンタリー映像のあり方に大きな影響を及ぼす可能性もある。

主戦場会見.JPGのサムネイル画像

まず提訴の中身だが、例えば訴状の「第4」項には「本件映画の偏向した内容」として、原告らのこの映画に対する見方が書かれている。3つの小見出しと主な内容を紹介しよう。

 1.ディベートを僭称するプロパガンダ映画

 2.登場人物の人数比

 3.インタビューの順序

 1が原告らの『主戦場』に対する見方だ。また2は、自分らと同じ右派グループは8名なのに、それに異を唱える側は18人とバランスを欠いているという主張だ。さらに3は、彼ら側のインタビューを紹介した後、反対側のインタビューを載せるという順序で、しかも相手が主張したことに再度反論の機会を与えることをしていない。これは「一方の側にのみ反論の機会をふんだんに与え、他方の側には反論の機会を全く与えない悪質な手口」だというのだ。

 また監督と藤岡・藤木両出演者が交わしていた「合意書」についても「撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用」しないという合意が守られていないとする。

 双方が交わした文書は、「承諾書」「合意書」の2つがある。最初に出演者に提示されたのは承諾書だったが、藤岡信勝さんと藤木俊一さんとは、もう少し文面を変えた「合意書」にサインしている。

 制作者の編集権についても大きな争点のひとつに

 ちなみに合意書の第1項目にはこうも書かれている。「(略)映像、写真、音声および、その際に乙が提供した情報や素材の全部、または一部を本映画にて自由に編集して利用することに合意する」。

 承諾書も1項目は同じ趣旨だ。合意書の第8項で「撮影時の文脈から離れて不当に」使用することを禁じているのは、まず「自由に編集して利用することに合意」したうえでのことだ。この第1項と第8項の関係については裁判でも争点になると思われる。

SYUSENNJOU _Main.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像映画『主戦場』より C:NO MAN PRODUTIONS LLC]]

  裁判では合意書の解釈や公開をめぐる監督と出演者のやりとりなど、ドキュメンタリー映画をめぐる制作者と被写体との関係をめぐる問題が大きなテーマになるが、それが今後、ドキュメンタリー制作の足かせにならないかという危惧も、森達也監督などから表明されている。『創』8月号に登場するそれぞれの監督の発言から一部を紹介しよう。まずは想田監督だ。 

 

想田和弘監督が語る「被写体と撮る側との関係」

 ――『主戦場』は、上映中止を求める側が提訴して裁判になったのですが、想田さんはこれについてはどう思いますか?

想田 一般的に、被写体と撮る側の関係というのは、一番デリケートな問題なんです。だから、これはどういうドキュメンタリーなのか、撮る側と撮られる側はどんな関係なのかなど、いろんなことを総合してケースバイケースで論じなければいけない。

 ドキュメンタリーの撮影では、基本的には、撮る側と撮られる側が、信頼関係を築くことが重要です。僕らも撮る時に被写体の方とどうやって信頼関係を築くのかにものすごく気を使うし、常に彼らに撮らせてもらっているのだという気持ちを忘れないようにしています。彼らの大切なイメージを預かるのだということですね。下手すると彼らを傷つけてしまうし、加害者になってしまうかもしれないという、謙虚な気持ちは絶対失ってはいけないと思います。

 ただ難しいのは、被写体が嫌だということを絶対にやってはいけないのか、被写体の要求や希望に全部従うべきなのかというと、またそこには別の問題があるわけです。作り手の独立性はどうなるのかとか、表現の自由はどうなるのかとか、そういう問題ですね。映画やシーンの性質によっては、時にはそういう判断をしなければならない時がある。だからここはものすごく難しいバランスなんです。

  では『主戦場』の場合はどうか。僕は本作はドキュメンタリーというよりも、ジャーナリズム・報道の領域に属する映画だと思っているんです。というのも、僕が考える「ドキュメンタリー」は、真実なんてわからないものだというところから出発する。極論すれば、被写体が嘘を言ってても全然構わないし、面白い嘘や誇張がまじれば作品がそれだけ艶を増すっていうスタンスです。でも『主戦場』は、真実とは何かということを可能な限り追求していくタイプのドキュメンタリーで、ジャーナリズムないし報道のスタンスに近いんですね。

 ジャーナリズムで、しかもこういう社会的で政治的な問題を扱っている場合には、被写体とは融和すればいいというものではありません。緊張関係がある程度必要でしょう。

 例えば出演した人が公開前に見せろと言ってきたら、「はい、どうぞ」と見せるのか。自分の発言の後に、その主張を否定するインタビューを挿入するなんてけしからん、カットしろと言われた時にカットしてしまったら、ジャーナリズムとしては独立性に問題が出てきます。

 こういう作品で、発言の順番を変えてよとか、この発言を止めてくださいというふうにそれぞれの出演者が言い始めたら、これはもう作品としては成立しない。それこそ誰に編集権があるのかという問題になるんですね。発言順にしても、その並びによって監督の世界が作られていくわけだから。

 だから特に『主戦場』のような作品では、撮影時に同意書にサインしてもらって、あとは作り手に任せてもらうしかないと思います。

 

戦場撮影で被写体の肖像権の了解がとれるのか!?

     次に森達也さんと綿井健陽さんの対談から。綿井さんはイラク戦争を撮ったドキュメンタリー映画で知られるが、アメリカでの上映に際してこういうやりとりがあったという。

綿井 僕がイラク戦争を撮った『リトルバーズ』(2005年公開)の時、米国ロサンゼルスの映画館で上映されることになりました。ところが、最後に契約書を交わす段階になって、「映画本編に映っているアメリカ軍兵士の肖像権は書面でクリアされているか?」という条件項目が出されました。

 あのイラク戦争の現場で兵士の肖像権の了解を書面で取るなんて無理ですし、「米軍兵士は私人ではないし、プライベートな場所での隠し撮りでも無い」と説明したんですが、「もし映画に映っている兵士が、肖像権の侵害、削除しろと言ってきたらどう対応するのか」と、その映画館から言われたんです。アメリカの弁護士にも相談しましたが、「その兵士本人が訴えを起こしたら、恐らく負ける」と言われました。

 最後の手段として、もし訴えられて負けた時の損害賠償支払いのための保険に入ろうとしたら、アメリカの保険会社は、「本人から訴えられたら、確実に負けるだろうから、これは受け付けることはできない」と言われました。結局、その映画館での上映はできなかったんですよ。

 米国に限らず、最近は登場人物の肖像権を確認することが多くなってますね。今年3月に中東の「アルジャジーラ・ドキュメンタリーチャンネル」で、映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』(2014年公開)を放送した時も、映っている人物の肖像権は細かく聞いてきました。「監督が本人の了解を確認済み」というような簡単な説明で進みましたが、アメリカでは本人のサイン入り書面がないと効力が無いと言われます。

 

報道やドキュメンタリーをめぐる深刻な問題 

 それを受けて森監督との間でこんなやりとりが交わされた。

森 今後、日本もそうなる恐れがあるので心配です。

 

綿井 たとえば自分の『リトルバーズ』の場合、主人公のイラク人家族は映画や番組放送される了解を取っていますが、それは口頭での説明であって、書面ではありません。他の様々な登場人物については、その場での撮影行為に対する了解はあっても、その後の放送や映画化など、発表方法について全ての了解を取っているわけではない。他に映画に映っているイラク市民は、そもそも何の了解も取ってない人もたくさんいる。場合によっては、番組や映画はOKだけれども、ネット配信はNGになるかもしれないなど、現在は映画もいろんな公開方法が考えられますからね。視聴範囲も、国や地域を簡単に越えてしまう。

 『主戦場』の提訴問題が起きてから、CS放送で森さんの『A』が放送されていて改めて見たんですけど、その中に当時はオウム真理教信者だったけど、今は脱会した人もいるんじゃないですか。麻原の子どもたちの写真も映っている。もしいま本人たちが見たら、「この部分は削除してください」と言われる可能性はありますよね。

 

森 そんなことを言い出したらきりがないですよ。例えばNHKの『映像の世紀』は、僕は大好きなシリーズなのだけど、肖像権など権利関係の問題を言い出したら成立しなくなります。

 ドキュメンタリーはそもそもが野蛮なジャンルなんです。肖像権やプライバシー保護とは相性が悪い。だってスタジオで役者だけを撮るドラマとは違って、フレームの中には、現実に生きている多くの人が映り込んでしまう。被写体の後ろにたまたま映り込んでしまった人が、もしも肖像権の侵害だからカットしろと言ってきたら、どう弁明できるのか。そもそもが非常に悪辣なジャンルなんだという認識を持たないと成立しないんです。

 だからこそテレビがビジネスとしてソフィストケートされる過程において、ドキュメンタリーは居場所を少しずつ失ってきた。田原総一朗さんや大島渚さんが発表してきたような過激なテレビドキュメンタリーはもう現れない。そしてこれはドキュメンタリーだけに限定された問題ではない。報道も同様です。

 

 今後、裁判をめぐってどんなやりとりが展開されるのか、ドキュメンタリー映画に限らず、報道のあり方を含めて、その結果は様々な影響を及ぼす可能性がある。

 

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パンドラの箱は閉じられたのか 相模原障害者殺傷事件は終わっていない

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月刊『創』編集部編
四六判 272ページ  本体1500円+税ISBN 9784904795620

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