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映画「さよなら渓谷」で描かれた集団レイプ事件の被害女性は、今どうしているのか (月刊『創』2011年12月号と12年1月号の手記を再録)1/2

 以下に掲載するのは、1998年に大きく報道された集団レイプ事件被害女性がその後どうしているのか示した記事だ。2013年公開の映画「さよなら渓谷」がレイプ事件の被害者と加害者の問題を提示していることにかんがみ、そのモデルとなったと思われる現実の事件の当事者がどうなったかを報じた「月刊『創』2011年12月号」と「12年1月号」に掲載された記事を公開することにした。映画については、大森立嗣監督インタビューと、現実の事件との関わりを記した解説とを月刊『創』2013年7月号に掲載している。〔月刊「創」編集部〕

 あの大騒動となった事件から12年...
 帝京大ラグビー部集団レイプ事件被害女性の告白
 
 1998年1月、帝京大ラグビー部の学生ら計8人が逮捕され、連日大きく報道された。集団レイプ事件として耳目を集めたこの事件の被害女性が突然、編集部を訪ねてきた。
  
はじめに(本誌・篠田博之)
 A子さんが編集部を訪ねてきたのは2011年9月初めのことだった。本人から電話があり、会いたいということだった。12年ぶりの再会だった。
 編集部を訪れた彼女は、声もか細く、今にも倒れそうな弱々しい印象だった。手首に包帯を巻いているのは、明らかにリストカットの跡であった。
 彼女は98年に大々的に報道された帝京大ラグビー部集団レイプ事件の被害女性である。当時はまだ19歳。この秋に33歳になった。当時、この被害女性に直接会って話を聞いたのは本誌だけだった。
 事件は97年11月13日未明に起きた。彼女が警察に被害届を出して捜査が動き出し、学生らが次々と逮捕されたのは98年1月20日だった。計8人の学生はいずれも実名・顔写真入りで、「レイプ犯」「鬼畜」などとセンセーショナルに報じられた。20日に逮捕されたのは帝京大ラグビー部の5人、その後24日に同大ラグビー部員のほかに独協大、上智大の学生も含め3人が逮捕された。
 当時本誌がこの事件に取り組んだのは、逮捕された学生のうち2年生だった2人の親たちが、あまりにセンセーショナルな報道に反発し、BPO(放送倫理・番組向上機構)に申し立てたり、週刊誌を提訴したのがきっかけだった。2人は先輩に命じられて暴行現場に立ち会ったもので、レイプなど行っていないというのだった。

 本誌は報道内容を検証するために、事件に関わった学生たちに個別にあたり、逮捕された学生のうち4人に話を聞けた。そして被害女性にも接触した。それらの証言は本誌98年7月号に掲載されている。1カ月近く続いた騒動だったが、当事者に直接取材した週刊誌やワイドショーはほとんどなかった。もちろん当事者たちが快く取材に応じたわけでなく、本誌も再三依頼してようやく会えたという状況だった。

 某女性週刊誌は逮捕学生の「独占告白」と大々的にうたって記事を掲載したが、当人に聞いてみるといっさい取材も受けていないとのこと。後に、この週刊誌は提訴され、裁判の過程で、同じ留置所にいた人物からの聞き書きを記事にしたものであるらしいことが判明する。

 そもそも被害女性の母親も取材は受けたことがないと言うのだが、幾つかの週刊誌には堂々とコメントが掲載されていた。伝聞情報をそんなふうに告白と銘打って載せるのは週刊誌の手法かもしれないが、当事者に直接取材していないために細かい事実関係は間違いだらけだった。

 まだ騒動の渦中だったため、本誌の取材に応じてくれた人たちも冷静というわけにはいかなかった。特に被害女性のA子さんには母親と一緒に話を聞いたのだが、事件について話しながら涙を流し、取材の途中で呼吸困難に陥った。

 その彼女が事件から12年を経て、編集部を訪ねてきたのだった。
 
 PTSD克服のために敢えて事件と向き合う
 
 実は彼女は、いまだに事件によるPTSDから抜け出せず、心に深い傷を負ったままなのだった。この間も、リストカットや自傷行為を繰り返し、突発性難聴や原因不明の高熱も続いているという。そして彼女は、何とかそこから抜け出すために、敢えて事件と向き合うことを決め、本誌編集部を訪ねてきたという。両親は、彼女がこれ以上傷つかないようにと事件についての報道は極力見せないようにしていたため、彼女は自分の証言の載った本誌もまだ読んでいなかったのだという。まず本誌のバックナンバーを入手したいというのが最初の用件だった。

 事件と向き合うことで、自分のトラウマを克服しようというのは、投薬治療では限界があると判断した精神科医の勧めでもあり、母親もそう思ったのだという。同時にA子さんは、この3月の大震災で辛い体験をし、PTSDになっている人もいるに違いないと考え、自分の経験を通してPTSDについて多くの人に知ってほしいと考えたという。

 その後、本誌は本人から何度か話を聞き、12年ぶりに彼女の実家も訪ねて母親にも話を聞いた。A子さんは、治療のために専門医にも足を運んでいた。そして、そうしたプロセスを日記に記し、自分自身を見つめようとし始めたのだった。

 今回、本誌はその貴重な記録の一部を本人了解のうえで、掲載させていただくことにした。彼女にとって12年前の事件の真相をたどる旅であり、事件のディティールに踏み込むプロセスでもあった。彼女がどんなふうに自分の置かれた状況と関わっていくのか、本誌もその過程を誌面で追うことにした。
 
 集団レイプ事件を再度振り返る
 
 恐らく本誌読者も12年前の事件については記憶が薄れていることだろう。ここで改めて事件の経緯と背景について整理しておきたい。

 事件が発生したのは97年11月13日未明のことだった。前夜の午後11時頃、帝京大ラグビー部のメンバー約10人が、八丁堀のカラオケボックスに集合した。そこはメンバーの一人であるOS君(当時4年生)がアルバイトをしており、12時を過ぎると社員は帰宅してバイトだけになるので、ほぼ貸し切りで飲み会ができると判断したのだった。バイトに来ていた独協大と上智大の学生もこうして事件に関わることになる。

 ラグビー部員たちは1階で待ち合わせた後、3階のパーティールームに移動し、飲み会を始めた。当時、練習の後に赤坂の居酒屋でバイトをしていたKH(当時3年生)は12時過ぎに東京駅で、事前に連絡していた女性2人と落ち合い、カラオケボックスに合流する。実は被害女性A子さんは彼の元交際相手で、友人の女性を連れて飲み会に来てくれないかと誘っていたのだった。A子さんはそれに応じたものだが、ただラグビー部員らが10人もそこに待っていることは現場に行くまで知らなかったという。

 KHと付き合うようになったのは、A子さんが高校生の時、友人を介して知り合ったのがきっかけだった。何度かデートを重ねたのだが、そのうちに「お気に入りの子が他にできたらしい」と友人に聞かされ、彼女は自分から電話で別れを告げた。しかし、KHに好意を抱いていたようで、後に社会人になってから再び連絡を受けて再会し、交際が復活した。深い関係になったのはその時だった。そしてその再会から何カ月か後に事件にあったのだった。果たしてKHが了解のうえでその事件が起きたのか、あるいは偶発的にそうなったのか。A子さん自身、いまだに真相はわからない。

 カラオケボックスに合流した後、アルコールが飲めないA子さんは、彼女に目をつけた他の部員に半ば強引に酒を飲まされ、酔ってしまう。KHも遅れて参加したため、ハイペースで飲まされ、かなり酔ってしまったという。

 他の連中がパーティールーム16号室で騒いでいる間に、同じフロアにある小さな別室13号室に誘われたA子さんは、そこでKHと合意のうえ性行為を行った。ところが彼は気分が悪くなって、トイレへ行くと言って出て行ったまま帰ってこない。彼女が衣服を着たところへ、その前から彼女にちょっかいを出していたSが入ってきた。そして彼が性行為を強要したという。他の男たちもやってきたので、彼女は、「KHはどこ? KHを呼んで」と助けを求めるが、応答はなかった。KHはその部屋の前の女子トイレで酔いつぶれて寝込んでしまったのだという。

 A子さんは男たちに囲まれ、威嚇された。「騒いだら下の毛に火をつけるぞ」とライターの火を目の前にかざして脅す男もいたという。A子さんは殺されるのではないかという恐怖に襲われ、抵抗するすべもなかった。彼女の話によると、陰部にカラオケマイクを入れようとした男もいたし、濡れないからと水もかけられたという。

 ただ、このあたりについては、当事者たちの話も食い違いを見せる。そもそもその部屋はうす暗かったし、途中から呼ばれてやってきた者のなかには状況を理解できない者もいたらしい。後に本誌の取材に対して「嫌がる女性を無理やり強姦するほど俺達だってバカじゃないですよ」と容疑を否定する者もいた

 A子さんは翌朝解放されるのだが、彼女は、KHもグルだったのではないかと疑った。警察もそう考えたようで、レイプ現場にいなかったにもかかわらずKHも逮捕された。ただ、警察が疑った事前共謀はどうやら立証は難しいと判断されたようだ。KHは、本誌の取材にも応じて、寝入っていた間、何が起きていたのか知らないと答えた。よくわからないのは、事件のあった13日の午後に、KHが何も知らない様子でA子さんに電話をかけてきたことだ。KHは、呼びだしたのに酔いつぶれてしまったことを謝ろうと電話したのだという。ただ、事件で憔悴していたA子さんからすれば、その電話で彼が笑っていたのが信じられなかった、という。

 彼女はその後、警察に届けた方がよいとアドバイスされ、悩んだ末に母親に事情を打ち明け、警察に被害届を出した(正式に受理されたのは11月20日付)。警察で何度か事情を聞かれ、告訴したのは12月24日だった。

 年明けの1月19日、帝京大学生5人が警察に呼ばれ、20日未明に逮捕状が執行された。前夜からマスコミの取材報道が始まり、逮捕後の朝のワイドショーはこの事件の報道一色になった。
 
 事件は当事者たちに何を残したのか 
 
 こう書いてくると、事件の経過は明白に見えるが、実はそう簡単ではない。逮捕された学生たちは警察の取り調べに対して外形的事実は認めたが、レイプと呼ぶようなことはしていないという主張だった。密室での行為だっただけに、裁判での立証は簡単ではないと思われた。

 最初に逮捕された5人が勾留満期になる2月9日、帝京大生7人と被害者との間で示談が成立した。その間、逮捕された学生の親のなかには、いきなりA子さんの自宅を訪れて土下座した人もいたという。示談成立にあたっては、逮捕学生の親たちや弁護士の強い働きかけがあったようだ。裁判になったら被害者側も再び辛い目にあう。そういう説得を受けて、A子さん側も折れることになったらしい。

 結局、逮捕された学生8人が処分保留のまま釈放、後に不起訴となった。学生たちが釈放された夜、帝京大は記者会見を行い、14日に学生たちの処分を発表。事実認定は難しいとして、迷惑をかけたことが処分の理由だった。

 今回、A子さんは、当時お世話になった刑事にも連絡をとった。彼女としては、女性警察官が精神的ケアも含めて事件後毎日のようにめんどうを見てくれたりしたのに、示談をしてしまったことについて、今でもあれでよかったのかと思うことがあるという。

 集団レイプ事件の真相はどうだったのか、不起訴となったことで、細かい事実の確定は結局行われないままとなった。
ただ、被害者であるA子さんが、深い心の傷を負ったのは確かだった。特に信頼していた交際相手の男性に騙されたのではないかという疑念は、彼女を苦しめたようで、今でもA子さんはKHに本心を聞きたいというのだった。

 前述したように本誌はA子さんにこの間、何度か話を聞いた。事件について語るたびに彼女はボロボロと涙を流した。トラウマを乗り越えようとする彼女を応援したいという思いから、本誌は今回、以下の彼女の記録を公開することにした。この記事掲載自体が、PTSDと闘う彼女の同時進行ドキュメントだ。予定調和の原稿ではないから、次号でこの続きを掲載できるのかどうかもわからない。ただ、こういう問題を社会的に提示することが編集者としての仕事だと考えた。事態がよい方向に向かうことを期待したい。

<被害女性A子さんの闘病日記>1/2

●9月×日
 今日、篠田さんに会いに行った。
 あの時以来、私の中で止まったままの思いが逆転。篠田さんからKの話が出たときは少し混乱した。
 彼等のことを聞くつもりは一切なかったので、ずっと震えが止まらず、何をどう話したかさえ忘れかけているけれど、今まで私が、この先~したかった、~したいという想いは伝えられたのかと......。
 当時の雑誌はもうないらしく、私と母へとコピーをくれた。その時はまだ見られなく目を背けるので一杯だった......。
 そして今、初めて開いた。
誰かの拘留中日記なんか関係ない。読む気にもならない。
 そして最初は(もうK以外の名前を覚えていない)その中の誰かの証言。頭の中の崩れたパズルが蘇ってくる。嘘!嘘!嘘!!!
「真実」と言いながら何故嘘をつく!?
勿論、合っている部分もあるが、私をそんな風にとらえていたの? それとも自分を守るため?? 物凄く情けなくなった......。
 次々に色んな事が書かれてあり、蘇った記憶との相違点が次々と浮上。
 私、大勢だなんて一言も聞かされてなかった。KとのSEXの後、すぐ服を着て、Kが戻ってくるの待ってた。でも笑いながら嫌だった人が入ってきた。抵抗して泣き叫んだ。Kの名前を大声で何度も叫んだ。大声で叫べば誰かが気付いてくれると思った。「Kは来ねーよ」その言葉......聞こえてきた。そこからは思い出せない......。
 気づいた時には大きくて怖い人がいた。泣いたのか抵抗したのか、私が声を上げると「うるせー女だ」「なぐるぞ」「下の毛燃やすぞ」とライターの火を目の前に......そこはハッキリ覚えてる。毎日見る悪夢。
 マイクも挿れられた。すごく痛かった。
誰が誰かわからない。沢山された。抵抗したって無駄だとあきらめた。こんな身体の人たちに抵抗したって無駄。殺されると。
 水が欲しい、と言ったら水を顔にかけられた。......もう覚えていない......。
 それから気が付いたら、さっきまで怖かった人が別人のように優しくなってた。

服を着て?エレベーターに乗ってYちゃんと、もう一人の男の人と駅で少し話して帰った。
 バイバイした後、電車に飛びこもうとした。何故生きて家に戻ったんだろう?
思い返す度、記事を見る度に「違う!」「違う!」と心が叫ぶ。
 当時の私、きっと混乱でいっぱいだったのだろう。なぜあんな目にあってもKの事を気にしていたのか......。確かにKの事、本当に好きだった。

「真実」を知って欲しい。
 今更だけど、訂正したい。
 そして記憶から消えて欲しい。
 それは無理だけど......せめて「真実」をどうか......。

●9月×日
 昨日は一睡もできず。何度も眠剤、安定剤を追加したが全く効かず......。まあ慣れているけど......。
 昨夜、母と少し話をした。今後の事、病院の事等......その中でずーっと精神科やカウンセラーを拒否(拒絶)している理由もわかった気がする。
 確かに沢山学んで、臨床を重ねられている方もおり、全員を否定という訳ではないが、皆実際に同じ事を体験してきたのだろうか?たとえ体験したり沢山の患者さんを診てきたとしても、表面でしかくくれないのではないか?と。実際自分自身も色んな病院、カウンセリング等で治療を試みたが、いつも引っ掛かっていた。要は「不信」なのであろう。
 同じ病名でも指紋のように一人一人違う。そこまで見るのは限界があるから? 心から信頼できる医師、カウンセラーに会ってみたい。

●9月×日
 一昨日も昨日も、ただただ寝込むだけ。
薬とリスカで現実逃避。入院中から始めようと購入した写経セットを始めてみたが、手が震え、集中力ももたず、結局3分の1がやっと。でも気持ちは込めた。
 昨日はKの事が頭にずっと浮かんだ。色んな事を思い出した。高校の時の付き合っていた時、練習後に急いで近所まで来てくれ、公園で誕生日プレゼントにもらった香水。Xmasには3組でPArtyをし、コンビニに行った時恥ずかしそうに差し出した小箱、指輪だった。涙が出まくるほど嬉しかったのを想い出す。こんな思い出あったんだね。
 あの頃の彼が、私が止まったままなのかも。彼がずっとつけてた香水、今でも持ってる。
 嗅ぐと眠くなる......。
 別れた日もハッキリ記憶している。
 彼に他に好きな人が出来、一緒にボーリングに行ったと彼の友人から聞き、その晩、親友の家に泊まって、そこから電話をし、別れを告げた。数秒の沈黙があったが、「いいよ......わかった......」と。
 そして翌朝阪神大震災があった。

 事件の時の事もどんどん思い出していく。部屋に初めて入った時、おどろいた。何らかの怖さもあった。だって、「先輩と飲むから女の子1~2人連れてきて」って言われたから、コンパみたく、男の人も2~3人だと思ってた。けど、Kがいるし、周りも彼女みたく思ってくれているんだろうなと思って......。ばかだ。すぐにでも帰れば良かった。電車なくても歩いてでも。
 そういえば、何でKは離れた席にいたの? 私が一番嫌だった人に口移しで梅酒を飲まされた時も、すみれSeptemberが流れてた。あの曲きくたび今でも気が狂う。
 皆、若気の至りで済ませてるの? あの時の気持ち教えてよ......。巡る記憶が破壊していく......。こわれてく。

●9月×日
 今日も朝から頭痛、吐き気、胃の痛み、耳鳴り......諸々と体調が×。でも動かなければ体力も脳も低下する。少し頑張って銀行へ。たった300メートルくらいなのにまたダウン。情けない。横になっている間に篠田さんへ記事を読んだ感想等をメールしてみた。
 もう思い出すのは無理だろうと思っていた事、どんどん蘇ってくる。また黒い影が追ってくる。突然あらわれる黒い影。やっとわかった。あの日Kが出ていってから入ってきたあの一番嫌な人だ。もう名前も顔もわからない。でも、Kの同級生で、私に口移しでお酒を飲ませた人。近付いてくる......逃げなきゃ......来ないで......。たすけて......。

●9月×日
 今日は家族の誕生日。頑張って起きて最高の誕生日に!!と思っていたもののダメ......。イライラ、フラフラ、暴言、自傷(トイレにこもって壁(石)に左肘を何十回以上も打ちつける)。おもいっきり打っても痛くない。痛くないと意味がない。ヒビが入るんじゃないかって位、強打した時、痛いハズなのに何故か嬉しかった。皆に当たったバチだ。罰だ。そうしなきゃ気が済まない。人の心を傷付けたんだから当たり前。
 最近、元々突発性難聴になった右耳が全く聞こえなくなる時がある。耳が目をつむるように突然塞がっていく。そして、その時間も間隔も日々長くなっていく。聞こえなくなっていくのかな......。きっとストレス性だろうし、今もう検査、検査は気力もお金もないから無理。左肘も動かないが、放っておいてもいつか良くなるんじゃないかなと。ともかく無駄なお金は使えない。甘えてる身で......。

●9月×日
 母がまた具合悪くなる。
 ごめんなさい......ごめんなさい......。
なにもできなくて、心配かけて、わがまま言って。悩ませて、仕事、家事、育児、私の面倒まで......。全部ずっとやってくれてる。役立たず+困らせてるから......。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 やっぱ私だけでも負担減れば少しは楽になるのかな。消えた方がいいのかな。
母にこれ以上負担かけたくないよ......。

●9月×日
 強い抗精神薬・睡眠薬、今まで残ってた薬箱から取り出した、処方されてる薬じゃ全く眠れない。苦しい。起きているのが苦痛で情けなくてたまらない。
 今日も夫を責めてしまった。今日夫は休日。あの出来事を思い出し、過去と重なり怖くて側に寄る事も、同じ空間、同じ家の中に居る事すら拒絶反応がでてしまう......ごめんね......先日の友人達からの言葉、皆、私のことを考え、2人の事を考え言ってくれた事。でも、まだ私にはそれを受け止められる勇気がない。
 トイレに行っただけで怖くなって動けなくなった。その度、気付くとトイレの床でふさぎ込んでたり隣の浴室の脱衣場で倒れている。なんていう迷惑......。
 今日、気になっていた事を元夫に聞いてみた。「結婚してた時、私いつも塞ぎこんでSEXレスだったでしょ? どう思ってた? しょうがないと思ってた? それとも怒ったり悲しかった?」と。そしたらすぐ返事が。「単純にしょうがないと思ってた。プライオリティを重視してたから」と。涙があふれた......ありがとう......。
 私、どうしたらいいんだろう......。
毎日が情けない。早く良くなりたい。子供達とお出掛けしたい。何より子供達に母親らしい事をして安心させてあげたい。
大好き、愛してる子供......ママまだママになれてなくてごめんね。
 ずっと敷きっぱなしの布団。血だらけのカバー......汚い......。今の私にはピッタリなのかな......汚い身体。心も汚い。

●9月×日
・酔ってトイレに向かう時、右の階段の所に顔立ちの良い人が一人「少しここで休んでいったら」と優しい声。
・あの部屋で一番怖い人に水を下半身にかけられた。ぬれてないからと......。下っぱらしき人に怖い人が「お前もくわえてもらえ」って。私が嫌がって声を出すと怒る......演技しなきゃ殺される......。

●9月×日
 最近、自分が何なんだかわからない。
何もやる気がおきないのは変わらず......一歩でも前進したいが頭も身体も後退していくのみ。
 外にも怖くて出られない。メニエールも発作再発し病院に行きたいが出られない。人のいっぱいいる所へ行くのも怖いし、病院代もかかる......。
 働けない自分が悔しい、情けない。子育ても任せっきり。ダメな母親。一体どうしたら良いのだろう......。何かやらなきゃ。少しでも皆への負担を軽くしたい。

●9月×日
 私は最悪。最低。苦しいからと......。「自分が苦しいから」と皆に負担を掛けている。少しでも光を見つけると、そこを頼りに図々しく甘えまくってしまう。この依存治さなきゃな。自制がきくようになりたい。今日も篠田さんが忙しいのわかってた上で自分の事ばかりでメールしてしまった......。焦らず......と思っていても止められない。頭の中に「生か死か」の2択ばかりになってしまう......。
 薬、飲んでも飲んでも眠れない。暗闇が怖い。人の気配が怖い。薬ほんのり効いてる、けど眠れない。

●9月×日
 母親らしい事、何も出来ておらず......。
下の子が金魚を見て、すっごく喜んだ時、「いつか早く水族館に」って母に介助してもらいながら水族館へ。子供は大喜び。良かった。水族館自体、私とーっても大好きだったはずなのに、何の気持ち、嬉しさ、楽しさが......何の感覚もない。
ただどこかの空間、人の中にポツンと......。大好きな場所さえ興味なくなっちゃったの......? 魚達を見てるの好きなのに。何で? 何の感覚も出ないって......。でも、そんな自分にはこうやって書いてみて、はじめて気付く。これは心の整理ノートになるのかな? なるといいな。このノートがいっぱいになった時、初めて最初から見てみよう。今は怖くて開けないから。どんな事書いてあるのだろう......。
 朝から食後の胃痛が激痛になった。
ぶどう一粒でも痛い。食べてない間でも痛い、また胃カメラかな......。
 そろそろ杖も用意しないと。お天気の日に傘持ってたら変だもんね。いつまでも傘を杖代わりはムリかな。
 携帯や知人伝いに「EMDR」という治療法を見た。85%の治癒率......やってみたい。

●9月×日
 今日も体調不良。心→身体が動こうとしない。怠けぐせがついてしまったのかな......情けない。
 でも、午後からA先生の所へ行く、いつも混乱してしまうから予め相談内容とかをメモしていく。いつもハッキリ、時には前向きにと厳しく言ってくる事もある先生。さすがに今日は今までで最も悪い状態だと思ったらしく、先生の個人クリニックでは治療に限度があるとB病院に紹介状を急ぎで書いてくれた。眠れない事、発作の事で薬の追加もお願いしたが、「あなたの身体、今もうボロボロだから、これ以上増やしたくない。」と。そして心因性からくる諸症状の事でも、すっごく心配をしてくれ沢山時間をさいて、ゆっくり聞いてくれた。PTSDを根本から治療......向き合って解決したいと、篠田さんの事や、EMDRを受けたい事も話した。先生もEMDRについては割と好反応であった。しかし、「その前に、先ずは身体を少しでも回復しようね。あなたは大きな事件に巻き込まれたのだから、ともかく焦らずに。B病院ならケースワーカーさんもいるし、様々な検査や治療ができる。だから安心して」って。
本当はずっと私を診てきてくれた先生から離れるのが辛かった。こんなに良い精神科医はめったにいないと思う。でも、今までこんな私をしっかりと診てきてくれた先生のためにも、新たに頑張れれば......。

●9月×日
 B病院へ。着いたら「1~1時間半待ち」と言われ、人気のない所で待機。その後指定の時間に行き、座って待っていられなかったので個部屋で横になり、薬を飲んで待つ。多分1時間以上は裕に経っていたのかな......。
 Drは男性だった......。でも、優しくしっかり話を聞いてくれる。PTSDについては、A先生が大まかに書いていてくれたので、細かく聞かれなく少し安心。ただ、驚いたのが「別の人格が表れる事は?」と聞かれた事。ここは、A先生書いてなかったと思うのに......。でも正直に答えた。今まで閉じ込められ出られなかった事も。そして「最後に自傷したのは?」とも。それも「昨日......」と素直に答えた。でも傷は浅い事、そして自殺目的でない事も話した。自分がみじめで情けなく、そのやり場がない事も。Drの判断では、やはり早急に再入院をした方が良いとの見解。でも、「閉鎖病棟は嫌だ。前回入院したC病院でなきゃ無理」との意見もすぐに出た。とりあえず脳の病気の事や入院等の費用の不安も話し、10月×日にMRI、その翌日に「母と一緒に受診を。入院の事も話をしなければならない」と。C病院に差額ベッド代の関係で入院できるまで、あと約2ヶ月。1ヶ月すごく苦しかったけど、3分の1を乗り超えてきた。あと2ヶ月......心身がもって欲しい。そしてその間に頑張って良い策を見つけられれば......。

●10月×日
 何かしようとしても......力もでない。気力も湧かない。この日記すら書けなく、悔しく情けなく薬を飲んで横になるだけ。
薬が増えたから? 禁断症状みたくなってる。それともまた頭がおかしく(更に)なり始めたのか。
 負けない! 一度決めた事、パンドラの箱を開け立ち向かうと決めた事。とことんボロボロにもなってやる。そして脱皮するんだ。そして私の役目を果たす。
 この気持ちが日々続けばいいのに......。
 片手は包帯グルグル、フラフラで転倒し脚もびっこ......。真っすぐ歩けず、いつ倒れるかもわからないから、病院のために外出した時も、晴れなのにカサをつえ代わりに歩く。院内で見られる......いやだ......みんな見ないで......。
相変わらず熱は続く。もう何年になるのだろうか......。波が激しい時はいつも37℃後半~38℃ちょい、前の平熱は35℃台だったのにね。不思議。
 私は今、何のために存在しているのだろう。この怠け心がなくなれば普通の生活を送れるようになるのか......。PTSDで怖い怖いと逃げてるだけではないのか?

●10月×日
 高熱が続く。少し動いただけで上がる。
手や足(特に手)の震えが止まらない。
ダルい......疲れる......何もしていないのに......。
 ニュースで福島の方々のことが耳に入った。あれからもうじき7ヶ月。PTSDになってる方、沢山いるだろう......。
みんなどうしてるのかな?大丈夫なのかな? 早期治療が良いと言われているが、きちんと治療を受けられているのかな......。
一人でも増えませんように......。私の経験と、これからの行動が一人でも多くの方のお役に立てられますように......。PTSDは本当に恐ろしい病気だ。

●10月×日
 久々に一人で電車に乗る。ふるえがずっと止まらない。まともに歩く事すら出来ないから、お天気なのにカサをつえ代わりに......変な人と見られてるんだろうな。
 先日、また暴れてしまったらしい。子供が一生懸命ひっついて泣き叫んでいたそう......。ごめんね、ほんとごめんね......母親らしい事、一つも出来ず、傷を付けてるだけ。布団に血の海の跡があった。リスカしたら入院させられちゃう。
 ダルい。ダルい......。起き上がるのも何をするのも怠い......。私は治るのか......。自分自身が辛いのはもういい......家族、周囲の方達の負担になっている事が一番辛い。
 今日も子供を怒鳴って追い込んでしまった。
 大丈夫かな......メンタルが心配、不安......。母も声をかけてくれたが言葉がでない、会話ができない。そのクセ、イライラして当たる。
「存在」とは何だろう。笑いたい。楽しみたい。今はまた壊れたロボットだ。
役に立たず、無駄な消費だけ。いつも「死」は考える。でも、こんな私でも大事にしてくれてる人達がいる。死ぬのなんて簡単。自分は楽だろうが悲しむ人もいる。いてくれる。恩をあだで返すような事は嫌だ。生きて、這ってでも立ち向かって治りたい。治ったら今までの分、全部を返したい。時を、取り戻したい。

●10月×日
 熱まだまだ続く。あの事件以来、調子悪くなるとすぐ高熱に。今日は37・5~37・9℃。だからフラフラになっているのかな? 色んな病院、色んな科で調べても結局は特定出来ず......何なんだろう? 免疫系も更に悪くなってきた。時々......いや......ほとんど毎日Mちゃんの闘病~死までを思い出す。私も同じ運命をたどるのかな? もしそれでもMちゃんの様に命を削ってでも誰かのために残せる事を、その遺志をついでいく。身体でも心でも病を持つ人はとても孤独......。全員かはわからないし、自ら一人を望む人もいるけど、結局は孤独というか......一人何かに取り残される。私も正直......ポツーンと......。でも結局は余程の理解がある人でないと一人の方がいい。理解あって支えてくれても依存してしまうから......やっぱ一人なのかな。
 明日は初のEMDR治療開始。少し緊張。でも前に進めると信じてる。そして誕生日。正直嬉しくも、祝われたい気持ちもない。でも、33年前の日、私を産んでくれた事に感謝。様々な困難があったけど、その分学んだ。沢山学んだ。
 恨むパワーがあるくらいなら、そのパワーを良い事に生かしたい。この気持ちは、Mちゃんから教えてもらった。ありがとう。あぁ......早く動けるようになりたい・......。
 MY birthday......何も感じない。Happyになんかなれない。ただ時間が過ぎていくだけ。
でも0時過ぎてから仲良い友人からのお祝いメールが何通か届く。先日もわざわざ家までプレゼントを届けてくれた!社交辞令じゃない心遣いに、ありがとう。
友達、家族に恵まれてる私は幸せなんだろうな。沢山の人に幸せを......皆が幸せになって欲しい。
事件の少し前に姉と2人でイギリス一周バックパッカーをした。今でもCanadaに続く大切な楽しかった思い出。帰国の時、ヒースロー空港でロンドンバージョンのマイルドセブンを買った。Kへのプレゼントだった。事件の日、渡そうと鞄に入れていった。......渡せなかった。

●10月25日
 これからいよいよEMDR。久々にバスに一人で乗る。気持ち悪い。フラフラ。お腹も痛く、PDも出るので多めにとん服薬を飲む。座っているのが精一杯。イスに完全にもたれる。
 昔は外の景色を見るのが好きだったのにな。
 カウンセリング終了。
 やはりとても良い先生。気持ちが先走らず、ゆっくりと心の内を出していける。
先ずは家族構成~育った環境等。そして事件前までの辛かった事の問答。小~中の差別の件を話し、その中でも一番嬉しく思った記憶を思い出しながら胸をトントンと。リラックス法。これもEMDRの一種らしい。その時は高校時代の恩師の言葉と顔を思い出す。名前を忘れてしまった......。
 あと、母方の祖母の言葉も思い出した。
それを何度か行ううち、胃腸の辺りが軽くなった。胃が空っぽになる感。良い意味で。ここ十数年そんな空腹感(自然な)は無かったから不思議。先ず一つのトラウマが薄れる......抜けていったと思う。先生曰く、まだ事件については触れないで、小さなことの心の安定化からと。そしてそれを10回くらいは必要だろうとの見解。一本ずつ紐解いていってくれる。私には最適な治療法だと感じた。その後、篠田さんとのやり取りの事も伝え、「話の後でフラッシュバックが酷くなったりしたら時間を短くしたり、間を空けるのがいいでしょう」と。
 私のこの意志を前向きに「OK」と言ってくれて良かった。次回、事件のコピーを先生にもお渡しする。
 そして今日の最後にリラックス法を教えてもらった。毎日の日課に出来ればな。
 この先生は本当に素晴らしい。やっと信頼・安心できる先生に出会えたのかもしれない。私の治療が上手くいけば、今後他の方々への光にも繋がるかもしれない。相性・適合はあるが、少なくとも0ではない。


(続く)>>

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日野不倫殺人事件の24年目の現実

1993年12月、日野市のアパートが放火され、子ども2人が焼死した。逮捕された北村有紀恵さんは無期懲役の判決を受け、服役中だ。その彼女の置かれた現実を通して贖罪について考える。
200円(税込)

2018年7月号 映画界の徹底研究


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◆アニメと洋画大作の攻勢に実写映画は苦戦
 アニメ隆盛続く日本映画界の現状

◆劇場アニメ『GODZILLA』公開中!
 東宝「ゴジラ戦略会議」のマルチ展開

◆テレビ、映画、配信など総合コンテンツ戦略推進 
 最大の映画製作会社テレビ局の映画事業

◆ドキュメンタリー映画の現実と可能性
 『獄友』冤罪被害者5人の奇妙な友情

◆東海テレビのドキュメンタリー映画
 『人生フルーツ』記録的ヒットの背景

◆「観察映画」と「ドキュメンタリー映画」の関係は
 『港町』『ザ・ビッグハウス』観察映画とは


◇なぜ問題になるまでに20年もかかったのか
 生かせなかった敗戦――強制不妊と「翼賛体制」の再来......渡辺 周

◇「津久井やまゆり園」事件被告との対話 第11弾!
 相模原障害者殺傷事件 植松聖被告と強制不妊問題......篠田博之

◇〈手記〉松本智津夫の娘として
 オウム死刑確定者移送の日――父のこと、わたしのこと......松本麗華

◇「黒服の男」「白い不審な車」はどこに消えた?
 偏見報道止める公約無視の新潟女児死亡事件報道......浅野健一




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