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月刊「創」ブログ

映画「さよなら渓谷」で描かれた集団レイプ事件の被害女性は、今どうしているのか (月刊『創』2011年12月号と12年1月号の手記を再録)2/2完

当時逮捕された男性に接触
集団レイプ事件被害女性の告白(続)

98年に大騒動になった帝京大学ラグビー部集団レイプ事件。被害女性の告白を今回も続けよう。前号発売後、当時逮捕されたKに接触。PTSDは今なお続き、彼女の精神的苦闘は続く。(月刊『創』2012年1月号より)

はじめに(本誌・篠田博之)

 前号に続いて帝京大学ラグビー部集団レイプ事件の被害女性の日記を掲載しよう。事件自体は12年前だが、集団レイプという女性にとっては耐えられない体験が、どんなふうに当人に被害を及ぼすか考えるために意味があると思うからだ。

 前号を読んでいない人のために少しだけ説明しておくと、このA子さんは当時19歳。好意を寄せていた大学生Kに誘われて97年11月13日午前零時過ぎに待ち合わせ、カラオケボックスに行った。そこには同じラグビー部の部員が10人以上おり、既に飲み会が始まっていた。
 そのうち彼女は皆が飲んでいたのと同じフロアの別室でKとSEXを行うのだが、途中で気分が悪くなったと言ってKが去った後、別の男が入ってくる。そして複数の男たちに脅され、レイプされたというのだ。
 翌朝解放されたA子さんは、その後警察に被害届を出し、98年1月になってラグビー部員と同じカラオケボックスでバイトをしていた独協大生らを含めて計8人が逮捕された。彼らは実名・顔写真入りで連日大々的に報道され、大きな社会問題になったのだった。
 最初に逮捕された5人が勾留満期になる直前に示談が成立し、学生たちは不起訴処分となった。事件の詳細は解明されず、A子さんとすれば、その夜いったい何があったのか、Kが事前にそういう事態になることを認識していたのかわからないままだった。彼女はその後、その体験がトラウマとなって精神科医の治療を受けることになるのだが、今回、12年ぶりに事件の真相を解明し、それに立ち向かおうと決意したのだった。
 そしてここからが今回の記事内容になるのだが、Kに12年ぶりに接触を試みたのだった。以前交際していたから、彼女はKの自宅を覚えており、まず手紙を書いてみようと考えた。しかし、彼女からその相談を受けていた私としては、相手が「何をいまさら」と反発するのが予想できた。問題がこじれると、A子さんをさらに精神的に追い詰めることになるのでは、と心配した。
 だから、まず編集部からKに接触してみることにした。というのも、事件当時、本誌の取材で私はA子さんにもKにも会って話を聞いており、面識があったからだ。しかもKの印象は悪くない、まさに好青年というものだった。そこでまず、Kに会いたいという手紙を書いたのだった。
 通常ならレイプ事件の被害者と加害者が再会するなどありえないことだが、前号のA子さんの日記を読めばわかるように、彼女のKへの思いはなかなか複雑だ。Kへの不信の念と、それでも信じたいという思いとが、交錯しているのだ。
 集団レイプの現場にいなかったにもかかわらず逮捕されたことでわかるように、この事件へのKの関わりはなかなか微妙だ。本人は、酔いつぶれて寝入ってしまい、集団レイプがあったことは全く知らなかった、後で友人から聞いてびっくりしたと供述した。つまり逮捕自体が誤認だったという主張だ。それが本当ならKは冤罪の被害者ということになる。 
 しかし、なぜ彼が逮捕されたかというと、A子さんが、実はKもグルだったのではないかと疑ったからだ。警察も当初、事前共謀という線で捜査を進めていたという。ただ結局、立件は難しいということになった。恐らくA子さんの内面にそのことはひっかかっていて、真相を直接Kに質したいと考えたのだろう。
 K宛てに書いた手紙を出して数日後、彼の父親から私に電話があった。予想通り、今さら事件を蒸し返して何になるのかという反発の返事だった。印象に残ったのは「息子も大学を退学となり、十字架を背負って生きているのだ」という言葉だった。あれだけの事件になったのだから、加害者とされた側も十字架を背負わされたのは確かだろう。事件は不起訴となったが、実名・顔写真入りの大報道は、裁判所がくだすべき以上の大きな処罰を当事者たちに与えたに違いない。
 それから何日かして、Kと父親からの手紙が届いた。内容は厳しいものだが、そんなふうに返事を送ってきたこと自体、Kのせいいっぱいの誠意のあらわれであるように思えた。
《この度、お手紙を頂きまして、大変迷惑をしているのが本心です。あれから13年経過して、自分も、事件の事を背負って、苦しみ、悩み、又、忘れようとして頑張ってやってきましたが、ここに来て、なんで今更というのが本心です。事件の首謀者にまつりあげられ、まったく身に覚えがない事まで言われ苦悩したが、彼女を呼んだ事の事実は消しようもない、その責任は充分感じていますし、自分は男だからどんな事でも耐えて生きて行くつもりです。》
 手紙はこの後、示談が成立したのにどうして、という疑問が表明され、次のように書かれていた。示談は成立したものの、彼女に直接詫びるという行為がなされていないではないか、と私が書いたことへの反論だった。
《私が釈放された際、私と両親ですぐその足で、ご自宅に赴き謝罪するつもりでお電話をさしあげたところ、お母さんから、もう一切関わりたくないので来ないよう強く言われましたので、謝罪にお伺いできませんでした。だから、一切謝罪がないという彼女の見解は間違っております。》
 恐らくA子さんとしては、自分のPTSD状態から脱却するために、Kに再び会って事件と向き合いたいと考えたのだろうが、この手紙でそれは一頓挫を余儀なくされた。Kと会って何か活路が開けるという保証はないのだが、今回掲載する日記を読めばわかるように、彼女としては置かれた状況を何とかしたいという思いなのだろう。
 彼女は12月にはまた入院をする予定だという。医者が入院を勧めたのは、恐らく彼女がこのままでは自ら死を選ぶ危険があると思ったからだろう。いったい彼女はどうやってこの状況から抜け出ることができるのか。前号に続いて、その日記を掲載する。

<被害女性A子さんの闘病日記>2/2
Kに手紙を書こうかと悩む

●10月×日 夜
 見つけた。まだあった......Kの実家。
 やっと手掛かりが!と思うと同時に震えが止まらない。わかんないけど涙が止まらない。
 手紙を出すのは簡単だ。でも、多分私はKを恨む気持ちまでまだ到達していない。あの日から時が止まってしまったから。そして何よりKのご両親が心配。ご両親は何も悪くない。忘れたい事だろう......そんな時に私から連絡が来たら......。
 本当は本人と直接連絡をとりたい。彼から繋がるフラッシュバックはきっとある。けど、彼自身、彼だけは合意の上。その点について直接的な怖さはない。それに何より自分のこの目で、耳で、口で確認したい。でも、それはまた遠回りになってしまうので、ご両親には申し訳ないが手紙を送ろう。書けるかな......何て書いたらいいんだろう。
●10月×日
 昨夜の不安定な状態から、そのまま夫とメールでゴタゴタ。私がイライラをぶつけてしまったようなもの......薬で強制睡眠しようとしたが眠れない。でもEMDRの効果OR外出での疲れからか朦朧状態。イライラしている自分が嫌で気が付いたらリスカ。血を眺めてると少し落ち着くところが怖い。
 起床後、夫が休日という事で更に気力低下...。けれど今日は子供の大事な検査の日。頑張る!! しかし、出掛ける前に夫と口論になり荒れ狂う。台所で鍋や何かを投げたり......。自分を止めたく側にあったジャムか何かの瓶で足に思いっきり何度も打つ。包丁が目の前だったら足にぶっ刺していただろう。悲鳴を上げてしまう程痛い。少し動かすだけでも痛い。
 元は私の過去が原因なのに、全てを夫のせいにしてしまうかのように、
「普通に歩ける身体を返して!」
「まともに歩けないなら、こんな足いらない」等を両親のいる前でも叫ぶ。他にも色々言ったらしいが覚えていない。
●10月×日
 まだ足が痛い。でも自業自得だ。自分でもイカれてるのはわかる。
 今日、篠田さんから原稿が届く。まさかこんなに早く動いてもらえると思ってなかったので驚き。何よりもPTSDを一早く世に伝えたかった私の希望が叶った。どれだけの人の目に触れるのだろう? 原稿と共に私が書いていたものを初めて読み返す。同じことを書いている日もあるし、メモ書きのようなものだからバラバラ。自傷行為・弱音・こうして改めて見ると恥ずかしい。情けない。でも、こうやって改めて客観的に見る事は治療に繋がるかもと感じた。文章にする事は良いんだな。Kとの事も時が止まったままだけど、改めて気付く。そこから進まねば。但し、ゆっくりと。
 原稿を開いた時「誰かの目に触れる」という事で一瞬書き続ける自信をなくした。「同情をもらうために過剰に書いてしまうのではないか? その場合、あるがままの現状、過去の真実を書けるのか?」と悩んだ。でも、このノートを開くと自然と言葉が走る。真実でなければ意味がない。良かった。
●10月×日
 昨夜書いた事について考えてみた。
この機会を通じ、一度だけ読んでくださる皆様にメッセージを。
 事件の事、今はもう恨みなどありません。(勝手に偽りの記事を書いた出版社・明らかに視聴率アップ目的で尾ひれを付けまくって報道したメディアには怒りの気持ちはあります)。恨んだところで心も身体も戻ってきませんから。ただ悲しさと恐怖心・塊(傷)が残っているだけです。PTSDという事実を受け入れ、立ち上がれるまでこれだけの年数がかかりました。自分でも認めたくなかったんです。出来る限り表面では隠し通してきましたが、それも限界を迎え、見た目でも殆どの方が「おかしい」と感じるでしょう。
 今まで少しずつPTSDというものを知ってもらうために信頼している人から伝え、今ではSNSを通したり何かのご縁で知り合った方にも大まかな内容ではありますが、PTSDの恐ろしさを知っていただくようにしました。今も、今までの私の様に表に出せず、もがき苦しんでる方が沢山いらっしゃると思います。
そして震災をはじめ様々な形で沢山の傷を抱えた、これからなってしまう可能性のある方々も......。一歩を踏み出すまで、受け入れるまで、闘う間、とてもとても辛いと思います。周囲の方々も理解がとても難しいかと。この記事をご覧になって「こんな人もいたんだ」と心の隅にでも留めて頂けたらと思います。

 事件についてネットで確かめる

●10月×日
 昨夜、日記を読み返すと共にネットで事件の事が何かないかと調べた。不起訴になった今、もう殆ど情報はなかった。中には「不起訴になったのは女にも非があるからだ......(以下言葉がひどすぎて書けない)」という言葉も。最初に帰らなかった私がバカだったのか......?
 そんな中でも思いやりの言葉を書いてくれている人が沢山いた。苦しかったが周囲の反応、特にネット上という顔の見えないところでの様々な受け方を見たという事は更に今後の認識度を高めたいという気持ちに繋がった。書いて思い出す今も震えは止まらない。なんだか涙が溢れてきた。何に対する涙かは不明。ペンを握る力もなくなってきた......
 事件後やけくそになっていた時期もあった。男を手玉に取ってやる!となったり、無理にSEXもした。プライドが......克服しなきゃって気持ちもあった。これも一種の自傷行為だったのだろうと今思う。
 その時気になる人ができた。と言うかアプローチがあり、その人の親友達と会った時に一人の人に思い切って相談。事件の事を少し打ち明ける。それまで勧めてきたのが急に「付き合わないで欲しい」と。ショックだった。それ以来また隠していく。
●11月×日
 朝一度起きたのにー! 目が覚めたらカウンセリング時間過ぎてた...急いで先生に電話。嘘はつきたくないから正直に寝過してしまいました......と。それでも「眠れたって事は良い事ですよ」と先生のあの優しい表情が現われた。ごめんなさい。
 次回こそは必ず行きます。それにしても起きがけから酷い耳鳴り。頭の中、セミと鈴虫でいっぱいになっている感じ。
●11月×日
 先日篠田さんがKに手紙を書いてくださると言った。どうなったのかな......届いたのだろうか。届いたとしても返事なんてないんだろうな。でも私もきちんと文が書ける時に早急に書きたい。
 苦しい。呼吸が止まりそう......。
●11月×日(夜中)
 頭の中の事件当時のパズルのピースがドーンときた。あの日、酔った私をKが「大丈夫?」と。「大丈夫だよ」と言っても「吐いた方がいい」と女子トイレの個室に。個室に入ったら介抱でなく「好きだよ」とか、いつの間にかキスしたり抱き合ったり。そこでKが「他のあいている部屋に行こう」と女子トイレの目の前の部屋へ。部屋のドアの真横に誰かKが目か手で何か伝えてる。なんだったんだろう?
 その時はその先に待っている事など知らず。二人っきりになれる嬉しさで疑う余地もなかった。部屋に入り右の角隅、ソファーとソファーの間に二人で抱き合う。......あれ? SEXまでしていなかった!? 私が服を脱がされた直後くらいに「ちょっと待ってて、すぐ戻る」って。
 でも、その間もし誰か入ってきたら恥ずかしいから急いで服を着て......着終わったと同時くらいに、あの黒い人影......また記憶が少し繋がった。やばい......また吐き気が......耳も塞がってきた。
 もうじきあの時と同じ日がくる。毎年必ず荒れ狂う。生涯忘れられないあの日。

ついに雑誌の発売日読んだ方の感想は?

●11月×日
 ついに発売日。昨日までは緊張等でいっぱいだったが、いざとなると人って凄いもんなんだな。深呼吸してからページをめくる。内容は事前に把握していたからなのか、客観的視線になったのか......。
 この記事を読んでくれた方々はどんな感情を抱いたのだろう? 多くの方が興味・そして同情なのかもしれない。あるいは「今更」と非難される方もいらっしゃると思う。もし同情の気持ちが他の病を持つ方への関心・認識・支えと繋がりますように。私はネタでもいい。ただ、誰かが動き立ち上がらなくては何も進まない。
 この記事は、あの時の人達の目に入っただろうか? そしてどう思ったか? 「今更!」との文句でも構わない。私はココにいる。意見をください。そして貴方達の一時の「欲」で今でも情けない姿の私を見て下さい。目をそらさずに......。
●11月×日
 2週間ぶりのEMDR治療へ。外に出るという恐怖感でパニック症状は出ているが、先生に会える。また何か糸口が!という安心感が出ている。
 先ず先生に記事を渡す。「今、目を通してしまうと治療の時間がなくなってしまう」との事で後で読んで頂く事に。今日も心の安定化から。些細な事でも嬉しさ・喜びを感じた事を思い出しながらトントントンと。その都度胸の辺りが膨らんだ感じがしたり、熱くなったり、塊の部分が痛くなったり。ただ、痛くなったのは一瞬。不思議と自然に消えていった。
 膝に手をつき話をしていて、先生が「背もたれに寄り掛かってみて」と。寄り掛かった方が胸や背中は楽。だが頭がグラングランする。でもこのまま続ける事に。初めは幼少期からの出来ごとでの喜怒哀楽を表で表わす。生まれた時は100点!みたいな感じで。
 その後追っていく毎に小~中の波はあったが、あの日の所で戸惑ってしまう。
「当時は混乱状態だったので感情の度合いがわからない」そう答えると「それは皆さん一緒だから大丈夫ですよ」と。今の感覚ではドン底だったと思う。その後「今の状態は?」と。これもまたわからない。何故なら心身はドン底。でも、これで多くの方の何か役に立つかもしれない。そして私の仮面も剥き出せ前向きに進むという感情もあり、それは大きなプラス。編集長さんへの感謝の気持ち。私にしか出来ない事に自ら踏み出せた事。大きな喜びだ。先生も「素晴らしい事ですよ。そう、貴女にしか出来ない事、誰にでも出来る事ではないんです。そして、こうやって大きく記事にしてくれる事も簡単な事ではありませんでしょう」と。
 そこでまた、その喜び・感謝を感じながらトントントンと。徐々に身体に異変が起こる。

 やはり先生は素晴らしい。私が最初から心をこんなにも開ける人なんていなかったのが、先生はこじ開けもせず、私自ら開いていった。そして、きちんと適度な距離もあり先生への依存にもならない感覚。あくまでも私の本来のものを自然と引き出してくれる。
 そして今まで死んだ心は蘇らないと思っていた。が、生きている。再び蘇る事が出来るのだと。諦めたら勿体無い。私がずっと聴いていたSEAMOの「continue」の歌詞「負けたら終わりじゃなくてやめたら終わりなんだよ」って益々心に響く。こんな気持ちになれたのは久しぶり。ただ、回復にはまだ遠い。今は晴れ間が見えても明朝にはまた暗はくるだろう。時間は相当かかる。けれでも確実にまた一歩前に進んだ。この気持ちを持てただけでも凄い。

 Kからのレスポンス少し嫌な予感が...

●11月×日
 僅かな眠りの中、いつもの悪夢と少し違う夢を見た。交際当時のKと私。以前書いた公園にいる。その後、突然暗闇・崖の上。恐怖心と共に取り残された自分だけのまま目が覚める。夢の中の彼は無表情。いや表情すらわからなかったかも。
 夕方篠田さんから連絡があり、Kからレスポンスがあったと。内容はまだわからない。少し嫌な予感。
 今日も些細な事で激しく落ち込む事があった。何も出来ない私が悪い。トイレに閉じこもり、うずくまり頭を抱えながら泣き唸り、自傷行為に走り......そうになったが、また今日も何度かの葛藤の末防げた。
 正直消えたい。何の役にも立たない。
 母も精神的・体力的に相当キツいだろう。
 還暦をとうに過ぎてる身体で働き、家事育児、そして理解し難い私の事。何千回も何万回も心の中で「ごめんなさい」とつぶやく事しか出来ない。
●11月×日
 何も出来なかった。ひたすら落ち込んでしまった。色々と考えメモを残そうとしてもペンすら握れず。
 正直、遺書は用意し始めている。そう、生きる気力がなくなり、私が前を向こうとすればする程、周囲を巻き込み、相当な迷惑をかけているんだな......と。
 線路の上を歩いている時にカンカンと警報音が鳴り始め、急げない私はそのまま立ち止まる事を考え止まった。このまま死んじゃえばいいのに。でも周囲が気付き、それこそ更にまた迷惑な話。どうしたら良いのだろう? 存在している意味がわからない。
 悲しい。悲しいよ。沢山泣いた。一日中泣いていた。今も止まらない。涙は悲しみを流し、気持ちを切り替えてくれると言うけれど、一向に流れていかない。
胸が痛い。
 しかし、もうわかった。もういい。そんな自分の事で悲観的になっている余裕はない。本来の目的に向かわなければ
当面あれを受け止めるまで時間はかかると思うが......。これも治療だ。って殆ど受け売りの言葉。でも、それで自分を納得させていくしか今は出来ない
●11月×日
 EMDR3回目。不思議と朝から少し力を感じる。効果を心が感じている証だと思う。動くのは苦痛だが今日は少し違う。「助かっていく」という気持ち。先生に依存?という思いも過ったが、先生の「一緒に頑張りましょう」という言葉で「あぁ私も自分で闘ってるんだ」という気持ちに。
 最初は事件の事(先日の手紙の事)で数日間全く......暗闇に落ちてしまった事、線路での事、でも我に返れた事を話す。
 手紙の大まかな内容も言い訳のようだったが、私が求めているのはそこではない......等、悔しかった事、悲しかった事も思い出す。
 先生は先週渡した記事を読んでくださり、「こういう風に公にすると様々なバッシングも受けたりするでしょう。でも覚悟の上だったんだね」と。との言葉を聞いた時漲るものがあった。私が伝えたい事の本質を、立ち向かう覚悟を...と語った気がする。
 次に事件後の私生活の事を。その時PTSDの症状は?と。PTSDの症状は事件後、一度も消えた事がない。でもそこからくる様々な症状でメチャクチャだった。そこからまた過去に戻り、留学した時の楽しかった思い出を元に治療を開始。一番楽しかった、友人と大笑いしている写真が脳裏に浮かんだ。そこでの変化を聞かれたが頭の左半分にしか出てこない。右半分は空っぽというか停止状態。最初は静止画だった。だが、安定化を繰り返していく度に動いてくる。目をつむっていたが、自然と口元が上がった感覚。笑った!!!私、自然に笑った!
 その後、そのイメージで他の事を試みたが、楽しい思い出が消え、落ちて行ってしまった。とても残念だったが、一度でもあの状態で自然に笑えた事は、またまた大きな一歩
●11月×日
 ふと......真っ暗闇の深い地底にハシゴが降りた。登れる力がない。しかし力をつければ登れる。

(了)

電子書籍

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◆フジテレビ、テレビ東京のアニメ戦略とは...
 アニメ市場拡大とテレビ局アニメ戦略

◆『「なろう系」と呼ばれるweb上の小説のコミカライズ
 コミカライズとKADOKAWAの戦略

◆「海賊版」をめぐる迷走の内幕
 「暴走」の末に頓挫した海賊版対策......川本裕司


◇寝屋川中学生殺害事件被告手記(続)
 死刑を宣告された私の近況と逮捕をめぐる経緯......山田浩二

◇『DAYS』性暴力事件をめぐる経過報告
 『DAYS JAPAN』広河隆一さんの性暴力問題を考える......篠田博之

◇被害から25年目の今、性犯罪受刑者との対話を望む
 性暴力被害者の私が、なぜ加害者との対話を求めるのか......にのみやさをり

◇同性愛差別が続く社会で起きた事件と波紋
 一橋大学アウティング裁判が社会に投げかけた問題......奥野斐




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コメント(1)

匿名 :

あなたは悪くない、ときっとたくさんの人が伝えているだろうけど、それでも伝えたい。あなたは悪くない。あなたは絶対悪くない。あなたの行動に、間違ったことなんて何もない。後悔するように思わせようとしている人がいる。でも、あなたがした行動の何一つも、あなたを傷つけた理由にはならない。あなたは絶対悪くない。

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