毎日新聞記者と語る会2011 レポート

 1125日、毎日新聞社・創出版共催の「毎日新聞記者と語る会」が開かれました。会場となったホールは記者になりたいと強い思いを抱いた学生たち約100人でほぼ満席でした。

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 毎日新聞側も社会部の大平祥也デスク、経済部の藤好陽太郎デスク、政治部の平田崇浩デスク、科学環境部の足立旬子デスクと外信部前田英司記者、写真部の手塚耕一郎記者という幅広い布陣で対応。記者たちの短い自己紹介を経て、会のほとんどの時間は学生との質疑応答に費やされました。

 TPPや社会保障についての真正面からの質問で幕を開けた会。記者たちの真摯な回答に火をつけられたように、手を挙げる学生の数も最後まで増え続けていました。パーソナリティによるところが大きかったのでしょうが、質問も回答もかなりまじめな内容で、毎日新聞の進行担当の方が終了後、「欲を言えば、もう少し笑いを取りたかった」とこぼすほどでした(笑)。

 本来であれば2時間半に及んだ全内容を詳しくお伝えしたいところですが、かなりの分量となってしまうため、今回は独断で印象に残ったやりとりを抜粋し、一部を紹介したいと思います。

質問:ソーシャルネットワークの活用について。ジャーナリストとして、ツイッターやフェースブックをどう活用されていますか。

藤好デスク:海外の要人にアクセスをした時にフェースブックを使ったことがあります。うまく連絡が取れて取材ができました。ただ、ネットが繁栄すればするほど、フェイストゥーフェイスが逆に大事になってきています。話を聞いた全部の内容を表に書ける、公にできるかどうかは別として、対面取材を通じて情報を集めていくという古典的な作業が大事になってくると改めて感じています。

 一方で、英国BBCなどは読者の意見をネットで受け入れ、そこからヒントを得ていくということもやっています。そういう取り組みを進めれば、新聞ももっと立体的な報道ができるのではないかと考えています。

 

大平デスク:ネットの活用は徐々に増えてはいます。例えば事件事故の場合、電話取材ではわからないような現場周辺の状況がツイッターで分かることもあります。ただし、それをそのまま記事にするわけではありません。記事にするのは警察なり現場周辺の住民なりに確認を取り、チェックが出来てからです。社として完全に有効活用ができているかというと、そうとは言い切れませんが、活用の機会がかなり増えていることは間違いありません。

 

前田記者:自分の取材先を広げる目的で、人脈作りのためにアカウントは一通り持っています。ですが、実際に自分がそこに質問を投げて、答えをもらって記事にしたことはありません。

 

質問:新聞協会賞を受賞した写真を撮影した経緯などを教えてください。

手塚記者:地震が起きた時は、ヘリで日本三景の1つ松島の沖合あたりを飛んでいる時でした。航空無線で、大地震が起きたことを知りました。数分後、携帯電話で「宮城県沖で震度6強」という災害情報メールを受け取り、ワンセグでテレビを見て「宮城県沖地震が起こったのだ」と知りました。とりあえず仙台市内へ向かいましたが、上空からでは被害の大きさがわかりませんでした。

 その後ヘリの燃料が切れそうだったので、閉鎖中だった仙台空港へ向かいました。沿岸部にあるので、津波の危険があることは認識していましたが、当初は防波堤もあるし大丈夫だろうと考えていました。空港では、すでに多くの人が屋上に避難していたので、まずはそれを撮影しました。

 いったん着陸し、給油をしようとしている間に、航空無線の管制官と防災ヘリコプターとのやりとりから、津波が来ているという話を知りました。それで急いで離陸し、上空から撮ったのが協会賞受賞の写真です。

 まず、沿岸に黄土色の土埃がバッと立ち上がり、その直後にどんどんと波が入ってきました。その写真を撮った瞬間に、「これは大災害になる」と直感しました。死者が数百の単位ではすまない、少なくとも数千の単位になるだろうと考えたのです。

 03年に入社し、04年の中越地震、08年の岩手宮城内陸地震の取材経験があったのですが、明らかにそれらとは規模が違いました。これは、「スマトラ沖地震などと比較しなければいけなくなるような大災害が日本で起きてしまった」と思ったのです。平野を遡上する津波というのは、映像でも写真でも見たことがありませんでした。

 とにかく15分は撮影を続け、600800枚撮ることができました。仙台空港にはもう戻れなくなったのですが熟練パイロットのおかげで無事着陸でき、次の課題は「どうやって朝刊に間に合わせるか」でした。当日の取材が急ぎでなかったため、通常積んである衛星電話を置いてきてしまっていて、信頼できる通信手段がない、いわば「丸腰」の状態でした。たまたま近くの公衆電話が奇跡的に使え、それでタクシーを呼び、携帯がつながる場所まで移動できたので、夕方から夜にかけて画像を送信しました。

 

質問:毎日新聞の社風はどんなものですか

手塚記者:記事への署名に象徴されていますが、個人の技量、持っているものを生かしてくれる会社だと思います。例えば私は登山が好きで、大学では雪氷学を専攻していたのですが、雪山にテントを張って卒業研究を行いました。そういうことが背景にあり、入社3年目にアルピニスト野口健さんらが行ったマナスルの清掃登山に同行取材する機会をいただけました。入社3年目でそんなチャンスが回ってくるとは、思ってもみませんでした。

 

足立デスク:自由に記事が書けるところですね。他社の記者から聞いた話なので本当かどうかは知りませんが、原発関連の記事について、デスクの後ろで局長が赤ペンを持ってチェックしている社もあるという話を聞きました。毎日新聞ではそういうことはありません。

 

平田デスク:他社はだいたい社の論というのがあって、それに沿った記事が出てきます。現場記者は組織のコマで、組織一体となって記事を書くというのが、私が現場から見て感じる他紙の姿です。ところが、毎日新聞の場合は、一人ひとりの記者が自分で悩みながら答えを探し、そうしながら自分なりの記事を書く。そういうことができる会社です。私はそうして、記者としての技量を磨きながら育ててもらいました。感謝しています。

 

質問:(原発事故を取材してきた)足立さんにお伺いしたいのですが、3・11の事故後の報道は"安全側"の意見が多く、悪い言い方をすれば"御用新聞"に成り下がったという感想を抱いています。福島にいる友人からも「新聞を信じたけれどもダメだった」と良く言われました。震災後の記事は本当に意義あるものだったのでしょうか。

足立デスク:毎日新聞は、震災後の記事を振り返って後から読み返しても、安全側の意見ばかり書いているとは言えないと思います。炉心溶融を報道していなかったと十把一絡げに言われますが、そのことを書いた記事も沢山あります。具体的にどういう記事が問題だったと言われればコメントができるのですが。

 

質問:3号機が爆発した時に、広範囲に放射性物質が拡散されてはいないと毎日新聞が政府発表をそのまま書いていたと思います。特に3月15日までは、政府発表の引用記事が多かったと思います。

足立デスク:取材を良く受けるので新聞を読み返す機会があるのですが、当初から「5重の壁が崩れて安全神話が崩壊した」という内容の紙面を展開しています。もちろん政府の発表、例えば枝野官房長官が「○○」と言った、という発言については書きます。だけどその内容が正確か、妥当かどうかという話は別で、例えば一面に枝野さんの発言があったら、中面でその解説をするなど、総合的に書いていると思います。

 もちろん報道が十分だったというつもりはありませんが、事実を意図的に隠しているとか、書いていないとか、政府発表を垂れ流しているということはないと思います。

 政府や東電のデータ発表は、「とりあえず、こんなん出ました」といった感じで、ぽんと大量の資料の紙を何の説明もされないまま渡されることが多かったのです。そこに何が書かれているかを判断するだけでも時間が必要でした。「このデータにはこういう意味があります」というような、政府や東電による解説は今でこそある程度あるのですが、発生当時はほとんどないに等しかった。どのデータが住民にとって一番大切な情報なのか、それを見つけ出し、解説をして記事にするためにはそれなりの時間がかかりました。しかも政府・東電・保安院の説明をそのまま書いて良いのかというのは、その瞬間、瞬間で吟味してデスクや上司と報告し、必要ならば専門家への問い合わせもするというプロセスを経て判断しています。聞いたままを書いているわけではありません。

 

大平デスク:我々の報道が100点だったというつもりはないし、反省すべき点は多々あります。例えば、原発の事故現場に行こうと思っても、現実問題としてほとんど行けていません。入れる機会があるなら入りたいと皆考えてはいますが、制約があり、単独取材ではほとんど近づけないという状況がいまだに続いています。その中で一つの情報として政府がこういう発表をしている。それをストレートに書くことが「垂れ流し」という見方をネット上でもされていますが、それは反論すべき点だと考えています。

 正確な報道をするためには、正確な裏付けを取る必要があります。他に情報がない中で、「政府発表は嘘だ」と書けるのか。「そう書く根拠は何だ?」と言われた時に、根拠を示せないことを記事にはできません。

 

質問:政府が流した情報が翻った事も多々あったと思うのですが、その時にどう感じたのか、「ああまずいことを書いてしまった」と思っているのかという点について聞きたかったのですが。

平田デスク:新聞を朝夕1日2回発行し、その時の状況に従って出来る限りの情報を出しています。あのような大災害では、政府の発表も出来る限り情報として載せる、それに対する評価やコメントも合わせて、社会部や科学環境部みんなで手分けして、出来る限り掲載していこうとしています。

 事後講釈は簡単です。僕たちも後になって「ああすれば良かった」ということは沢山あるので、それを紙面で検証もしています。3月15日までの新聞だけではなくて、この8カ月間僕たちがつくってきた新聞の中で、最初に書けなかったことでも一生懸命調べて「実はこうだったのだ」ということを書いています。デイリーの仕事をしながら精一杯のことをやっているつもりです。批判はわかりますが、一部の記事だけを取り上げるのではなく、毎日、連綿とつくっている新聞を見て欲しいと思います。

 

質問:手塚さんへ質問。11日の写真を撮った時のカメラの設定はどうだったのでしょうか。

手塚記者:ヘリから撮影する時は、シャッター速度優先で撮影しています。ヘリは振動が大きく、シャッター速度が速くないとぶれてしまうからです。実は一番始めに取った津波の写真は、ISO3200の高感度にセットして無駄に絞っているという、まるで初心者写真の設定でした(笑)。なぜそんなことになったかというと、その直前に望遠レンズを使って屋上に避難した人をアップで撮っていて、雪が降っていて薄暗い感じだったので感度を上げていたのです。着陸後、その写真を本社に送ろうとしている間に再離陸となり、息つく間もなく目の前に津波が押し寄せていたので、慌ててカメラを手にとって撮影したというのが経緯です。途中、画像確認のためにチェックをした時、気付いて変更しました。

 

以上です。

他にも、3・11発生時に各記者たちがどう動いたか、女性記者の待遇、放送・ネットニュースと新聞との違い、記者になった動機など、多岐にわたる話で盛り上がりましたが、長くなりすぎてしまうので割愛します。

 

参加者のアンケートでは「記者を目指す気持ちが強くなった」「生の声を聞けてよかった」などの声が多数寄せられました。

 

出席された毎日新聞の皆様、学生の皆様、本当にお疲れ様でした。