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月刊「創」ブログ

オウム麻原元教祖の三女から届いたメール

前回アップした記事「オウム麻原元教祖の子どもたちが語る『普通に生きたい』という希望とは」には120万というアクセスがあった。だからどうなんだと言われればそれまでだが、紙の媒体に長年関わってきた者にとっては120万というのは巨大な数字だ。故・筑紫哲也さんが昔、「テレビは作り手も把握できないくらい影響力を肥大化させつつある」という趣旨のことをよく語っていたが、いまやスマホの爆発的普及によって、ネットがそういう存在になりつつあるといえる。

 いろいろな反響もあったなかで、オウム麻原元教祖の三女からもメールが届いたので触れておこう。私信だからそのまま公開はできないのだが、前回の記事についての意見を書いたうえで、2点について訂正ないし注意を依頼するという内容だった。

 ひとつは、「松本家の子どもたち」という見出しで四女の話を紹介することへの異論だった。四女は松本家に反発して家出した存在で、その意見を松本家の子どもたちを代表するかのように紹介するのは納得できない、というわけだ。

 もうひとつは、新聞・テレビなどのマスコミが公安情報をタレ流してしまうことを批判した文脈で私が「アレフや松本家関係者が取材拒否しており、結果的に公安情報だけが一方的に流されることになる」と書いたことへの批判だ。これでは取材拒否しているから公安情報が一方的に流されるのだと読めてしまうという指摘だ。これは彼女の言う通りなので、前回の記事を修正する。

 来年3月はオウム事件20周年ということでマスコミ各社が取材に動いているうえに、公安も活発に教団や松本家についての情報を流している。幸い、前回の記事はマスコミ関係者もよく見てくれているので、ここで改めて、公安情報を批判的視点抜きに垂れ流してしまうことへの注意を喚起しておきたい。四女と松本家の関係についても前の記事で説明はしたつもりだったが、松本家の子どもたち各人の立場は異なることも改めて指摘しておきたい。

 対立している四女の意見を紹介した記事だったため、批判的意見ではあったが、三女がメールをくれたこと自体、うれしく思った。彼女はマスコミへの強い不信から、外へ向けて意思表示することさえしなくなっている様子だからだ。オウム報道については問題も多いし、彼女が取材拒否するのはよくわかる。ただ、当事者と社会との回路が全く断絶してしまうことはよいことではないというのが私の考えだ。

 

 前回も書いたように、松本家の子どもたちのなかで私は三女とのつきあいが一番多い。最初に会った彼女が13歳の時の印象が強く残っているのだが、その後、後述する和光大学入学拒否裁判の時に数年ぶりに会った時など、すっかり大人の女性になっていたので驚いた。三女と四女は現在、対立しているのだが、松本家の子どもという意味では、同じ問題に直面しているような気がする。前回書いた記事はそれをテーマにしたものだが、三女についても同じような事例はたくさん見聞きしてきた。

 松本家の子供たちは、上九一色村が解体されて以降、学校に通おうとしても就学拒否にあうなどしてきたし、成人して社会に出てからも、出自を理由に仕事を辞めさせられることなどしょっちゅうだった。

 改めて言うまでもないが、彼らは決して自分で選択して松本家に生まれてきたわけではない。四女などはオウム事件の時はまだ幼くて、何が起きているかさえわからなかったに違いない。それが元教祖の娘であることを理由にいまだに仕事をクビになるというのはどう考えても理不尽だ。でも、それが現実なのだ。

 三女は幼稚園を出てすぐに教団本部で生活するようになり、小学校にも行っていなかった。同じ年頃の友達がほしいと学校へ行くことを望んだ彼女だったが、結局、それがかなわないまま通信制の高校などを経て、2003年から翌年にかけて、独学で幾つかの大学に合格したのだった。目的意識もなく大学進学する者が多い昨今、そこまでして大学に合格したこと自体、大変なことだと思うのだが、その三女に対して、大学側がとった措置は入学拒否だった。彼女が合格した複数の大学は、全て次々と入学拒否を通告したのだった。

 三女はその中で和光大学を許せないと提訴した。なぜ許せなかったかというと、受験にあたって大学の建学の理念などを調べたところ、差別をなくすことなどを理念として掲げていたから、この大学ならカミングアウトできるのではないかと彼女が期待していたからだ。その思いで書類を提出したのに入学拒否されたことは、彼女を絶望的な気持ちにさせたに違いない。それが三女には許せなかった。

 実は、和光大学の入学拒否決定には、教授の中にも反対意見が多く、当時、学生らが何度も学内集会を開いて激しい議論が行われた。自由な気風で知られた同大学には、森達也さんや大塚英志さんらが非常勤講師を務めていたし、彼らにまじって私も学内集会に参加して発言した。三女が苦労して大学合格を勝ち取った経緯を知っていた私にとっても入学拒否という決定はあまりに残酷で許せないと思ったから、朝日新聞のオピニオン欄に投稿したり、『創』でも連続してこの問題を誌面化した。

 ただ、この問題が単純でないのは、和光大学とて決してオウムの子供たちへの差別的意図から入学拒否したのではないことだ。元学長自身が法廷で「苦渋の選択」と何度も述べていた。法廷では三女が泣きながら大学の非情な措置に家族がどんなに辛い思いをしたか訴え、傍聴席の人たちも涙ぐまずにいられなかった。

 この法廷には新聞・テレビの大手マスコミの記者はほとんど取材にも来ておらず、裁判の中身もほとんど報道されなかったが、『創』では法廷メモをもとにやりとりを詳細に報じた。そのやりとり自体が現代社会の一側面を映し出しており、我々にとって考えなければならない問題を提起しているからだ。

 

 2005年6月13日の法廷に和光大学の三橋修元学長が出廷した時には、出自ゆえに入学を拒否したのでなく、大学として警備態勢の問題などに対応できると思えず、学生たちも三女本人も守りきることは難しいと判断した、と証言した。実際、オウム教団に対しては本部に右翼が押しかけたり、といったことも起きていた。元学長は「苦渋の選択」だったことを強調し、三女あての大学の文書に「ご寛恕ください」という一文を、自分で付け加えたことを明らかにした。

 三橋元学長は『差別論ノート』の著作もあるなど、差別問題には造詣が深い人だから、その言葉に嘘はないのかもしれない。しかし、かといって差別された側が納得できるはずはなく、三女は法廷で涙ながらに学長に詰め寄ったのだった。

「入学取り消しは間違いだったとどうして言ってくださらないのですか。私が大学に入るためにどんな大変な思いをしたかご存じないでしょう。高校受験の時は、掛算の九九から始めたんですよ」

「あなたの陳述書も心にしみましたし、本当に残酷なことをしたと思います。残念だと思っています」

「あなたの子供がもし同じ目にあったらどう思いますか。私だけでなく母も周りの人も皆悲しむんですよ。私だけじゃないんです。苦渋の選択とか言ってますが、母や姉、弟がどんな思いをしたかまで考えてくれましたか」

「個人としては考えましたが、組織としてはそこまで考えませんでした」

「母は自分の名前を書いたために取り消しになったと自分を責めて、もう二度と名前を出さないでほしいと言って泣いたんですよ。和光大学なら(差別に反対している大学だから)大丈夫だからというので親の名前を書いたのに、どうして考えてくださらなかったのですか」

「そこまでは考えませんでした」

「いくらお金を出せばいいのかと書いていましたが、私たちの苦しみはその程度のことと思ったのですか」

 三女の泣きながらの訴えに、傍聴席でも多くの人がもらい泣きしていた。彼女が小さい頃からどんなに努力して大学に合格したか知っていた私も傍聴席の最前列で、涙を拭いながらメモをとった。三女が明らかにした母親の言葉、もう親の名前を絶対に出してはいけないという話は、島崎藤村の『破戒』が描いた差別の現実とそっくりだ。

 

 確かにオウム事件は決して許してはいけないものだし、三女の教団への影響力についてもいろいろな意見はあるだろう。親が犯罪者であるという出自によって、その子供たちを就学拒否や就労拒否することが理不尽な仕打ちであることも、理屈では誰でもわかる。しかし、本人たちが語っているように、松本智津夫の子供だとわかったとたんに理不尽な仕打ちは現実に行われているのだ。

 三女はその後、和光大学とは別の入学拒否した大学に対して裁判所に仮処分申請を行い、無事に入学ができたのだが、実際には当時の大学側が心配したような混乱は起きなかった。その学生生活についても、後日、私は三女から直接聞いたのだが、どうも事件当時小さくてあまりリアルな記憶がない世代にとっては、松本家の家族に対する偏見も少なかったらしい。それは三女にとってはよいことだったのだが、逆に私はその話を聞いて、オウム事件の風化についても思い知らされ、別の意味で深刻な気持ちになった。

 確かに今の学生の中には、オウム事件と聞いても知らない人もいる。あの事件から、まもなく20年がたとうとしているのだ。

 

 なお前述した和光大学裁判についての記録など、以前『創』に掲載した関連記事を、下記からアクセスできるようにした。関心ある方は是非ご覧いただきたい。 (文責・篠田博之)

https://viewer.yondemill.jp/?cid=4374

 

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