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月刊「創」ブログ

40年以上にわたった布川事件冤罪を晴らす闘い(『創』2011年4月号より)

杉山卓男
桜井昌司
井手洋子(監督)

1967年に起きた強盗殺人事件で無期懲役が確定しながら、一貫して冤罪を訴え、再審請求を行ってきた杉山さんと桜井さん。その40年以上にも及ぶ長い闘いを、当事者と一緒に振り返る。


◆5月24日、布川事件の再審公判の判決が、水戸地裁で言い渡される。茨城県利根町布川で、1967年夏に起きた強盗殺人事件の容疑者として逮捕された杉山卓男さん(64/当時20)と桜井昌司さん(同)は、取り調べでは自白してしまい、裁判では一貫して無実を訴えたものの、無期懲役判決を受け、29年もの間、拘置所と刑務所に囚われていた。二人は1996年に仮釈放されてからも、裁判のやり直しを求めて再審請求を続け、第二次再審請求で再審が決定した。来る5月24日の再審公判では、二人に無罪が言い渡される見通しだ。
 そして現在、仮釈放後の桜井昌司さんと杉山卓男さんを14年にわたって追い続けたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」が全国公開されている。冤罪被害者の二人と、「ショージとタカオ」の監督・井手洋子さんに話を聞いた。          (編集部)

◆冤罪の温床といえる警察・検察の取り調べ◆


【杉山】『創』は、刑務所にいたときに読んでいましたよ。支援の方が入れてくれたんです。懐かしいなあ。
篠田(本誌) ありがとうございます。80年代前半に免田事件、財田川事件、松山事件と、死刑囚が再審で次々と無罪となった時期、『創』も冤罪事件に毎号のように誌面をさき、布川事件についても取り上げたことがありました。その後は気にはしつつもフォローできず申し訳なかったと思っています。

【井手】その再審の扉が次々と開いた時期、桜井さんと杉山さんも刑務所から再審を申し立てていたわけですね。どんな気持ちでしたか?

【桜井】そりゃ勇気づけられましたよ。でも、我々の再審請求はその後棄却されたし、期待したようには変わらなかったという印象でしたね。むしろ冤罪については、足利事件をきっかけに大きく変わったような気がします。今は全国どこに行ってもみんな冤罪について知っている。菅家さんの人柄の良さかもしれないですね。誰が見ても善良なおじさんですから。我々は、昔はまるで善良じゃなかったですから(苦笑)。

【篠田】でも、3月の再審公判で無罪となれば、布川事件も大きく報道されるでしょう。

【桜井】冤罪の歴史としては、足利事件とはまた違った意味で話題になるかもしれないですね。

【井手】足利事件は警察が謝罪したことの印象が強烈でしたね。

【桜井】無実が晴れた松山事件や免田事件の頃は、警察も検察も、誰も謝ってないですよね。

【篠田】布川事件の取り調べが巧妙だと思うのは、お二人をそれぞれ別件で逮捕して、桜井さんの自白を取ってから、杉山さんの取り調べに入るというところです。お互いが「あいつがやったんだろう」と思いながら、自供してしまったということでしょうか。

【桜井】そうですねぇ......。杉山も私も不良ではあったのですが、当時の杉山は別格なほど乱暴でしたから「やっぱり杉山か」という気持ちがありました。また、「現場でお前と杉山の顔を見た人がいる」と言われて、まさか警察が嘘をつくとは思っていなかったので、杉山と誰か別の人とでやったんじゃないか、と思ってしまったのです。

【杉山】裁判になればわかってくれるはずだという思いがあったので、それがやはり自白につながっていきました。

【篠田】桜井さんは何度も否認したのに、全て却下されてしまう。ひどいですね。

【桜井】いや、それが常套手段なんですよ。どんなアリバイを言っても否定する。そのアリバイが本当かどうか、調べもしない。私も、そもそも(事件当日は)40日以上前のことなのでほとんど覚えていなかったのですが、その日、私も杉山も、中野区にある私の兄貴のアパートに泊まったんですよ。杉山は、私とはあまり仲は良くなかったけれど、兄貴とは付き合いがあったんです。たまたまその日東京に来ていて、夜になって兄貴のアパートに行ったら、杉山と会った。それを取り調べを受ける中でだんだん思い出してきて言ったのですが、全て否定されましたね。私を取り調べた刑事は、「日本の名刑事100人」として、『週刊朝日』に出てましたよ。

【篠田】強引に落とす刑事が、昔は名刑事と言われたんですよね。


◆「認めなければ死刑になる」と取調官が脅した◆


【井手】もともと桜井さんは友達のズボンを盗んだということで、杉山さんは暴力行為で別件逮捕されたのですが、当初から強盗殺人事件が狙いだったんですよね。

【桜井】「こいつが強盗殺人の犯人だから、別件逮捕して吐かせよう」というのが明白ですよね。

【杉山】当時茨城県警は、一課が強盗殺人などの担当で、二課が知能犯とマル暴。私のことは、最初二課が追ってたんです。途中で一課に横取りされたと、一度面会に来た二課の刑事が怒っていましたよ。

【篠田】杉山さんは、逮捕の翌日に自白してしまうわけですが、何が大きかったのでしょうか。

【杉山】19歳の頃に傷害事件で捕まったことがありました。その時、飲み屋のおかみさんが目撃証言で、違う人間を刑事に言ってしまったんです、「あの人がいた」と。それで、やってない人間が犯人にされてしまったんです。私も一緒に捕まっていたから、「あいつは関係ないんだ」と言っても警察は取り合ってくれなくて、鑑別所まで入れられて保護観察処分になった。その時に、警察には何を言ってもダメなんだということがインプットされてしまったんですね。桜井が嘘を言っているなら、俺がいくら「やってない」と言ってもダメだろう。じゃあいいや、ここは何とか切り抜けて裁判で桜井と対決するしかないと思ったんです。

【篠田】取り調べ段階では決定的な証拠は何もなかったわけですか。

【杉山】二人の指紋も現場から出ていないし、目撃証人が出てきたのは、裁判で自分たちが否認してからですよ。

【桜井】杉山が突き付けられたのは俺の調書だよな。俺の署名が入った自白調書を目の前で見せられて、それでもうダメだと思ったって。

【杉山】そう。それに刑事から「やったと認めれば4~5年で出てこられるが、認めなければ死刑になる」と言われました。「認めなければいつまでも調べる」というのも、非常に堪えましたね。このままずーっと取り調べが続くのか、と。

 

◆やってない自白調書がどうやって作られるのか◆


【篠田】よく冤罪事件が明らかになると、なぜ嘘の自白をしてしまうのかと言われますよね。「やってないことを、どうしてこんなに詳しく言えるんだろう」と。

【桜井】「やってないなら言えない」という認識が、そもそも間違ってるんですよ。いったん「やった」と言わされてしまえば、その後は誰でも言えてしまうものなんです。事実は捜査官が知っているわけですから。捜査官の納得する答えが出るまで、何度でも質問が繰り返される。イエス・ノーで答えさせられ、答えが合えばそれをノートに書いていく。そして最後に、捜査官がスラスラとまとめるのが自白調書です。誰でも言えるものなんだということが、なかなかわかってもらえないんですよね。
 逮捕されて留置場に入れられて、外の世界と断絶されたところで取り調べを受けるというのは、やはり異質というか、想像を超えたものがあるんですよ。

【杉山】私は「現場の図面を書け」と言われたんです。やってないから書けるわけがない。そうしたら「まずは鉛筆で書け」という。ボールペンで書くと間違えたら消せないから、と。それでも書けないでボーっとしてたら、「普通の家はどういう形をしている?」と訊くんです。丸や三角の家は田舎にはないなと思って「四角だ」と答えたら、「じゃあ四角を書け」と。四角を書いたら「家の中には何がある?」と訊かれる。たいてい箪笥はあるだろうと思って「箪笥」と答えると、「そうだ、箪笥だ」「で、箪笥はどこにある?」と。家の真ん中に箪笥があるわけないと思って端のほうを指差したら「そうだ、そこに箪笥を書け」と言われ、「もうこれ以上は書けません」と言ったら、刑事が引き出しから現場の図面を出して、自分が見るふりをしながら、私にも見えるようにしてくる。そうすると私はそれを見て死体があった場所などを書くことができた。それが取り調べなんですよ。

【篠田】足利事件のときも冤罪だとわかってから改めて聞くと、取り調べの杜撰さに驚きますよね。実況見分、いわゆる引き当たりに連れて行かれた菅家さんは、やってないから実際の死体遺棄現場と違ったところを指差したりするんですよね。

【杉山】俺たちは引き当たりはやらされなかった。

【桜井】現場を見られると思って楽しみにしてたんだけど(笑)。たぶん、引き当たりをやったら自白が成立しないから怖くてできなかったんだと思いますよ。私の供述調書では「(被害者宅の=編集部注)勝手口左側ガラス戸を右に3分の1程開けて声を掛けた。被害者が奥から出て来て板の間に座り、自分も入口の柱にもたれて腰をおろして話した」「ガラス戸を右に開けると、奥の8畳間から顔を出した被害者の顔が見えた」となっていますが、実際は勝手口には食器棚があって、ガラス戸を全開しても奥の8畳間などは見えないんです。そういう矛盾点はいっぱいありますから。めちゃくちゃな自白ですよ。

◆裁判所も最初から予断を持って犯人扱い◆


【井手】裁判官は、そんな自白を疑ったりしなかったの?

【桜井】「やってないのに『自分がやった』と言うはずがない」と思ってるから、疑わないんです。足利事件を裁いた元最高裁裁判長の亀山継夫だって、弁護側からDNA鑑定書が提出されたことすら認識していなかった。それで有罪にしてしまうのだから、彼らは感覚が違うんですよ。

【杉山】布川事件も一審では事実認定もいい加減だったし、判決文だって短いもので、ペラペラの薄さでした。

【桜井】争点なんか何もない。杉山は私選だったけど、私は国選で、今とは弁護人も違う人でしたから、事実関係でほとんど争いもしなかったですからね。

【杉山】一審でちゃんとした弁護人がついていたら、無罪になっていたかもしれないね。我々もその頃は、まさか裁判があんなにでたらめだとは思っていなかったから、無罪判決が出るものと信じ切っていた。でも法廷で驚いたのは、取り調べの録音テープを聞いて「犯人でなければこんなにスラスラ言えるわけがない」と言われました。捜査官に言わされてるからスラスラ言えるのは当たり前なんですよ。しかも、そのテープも都合よく編集され、つなぎあわされていたことが後に明らかになるんですがね。

【桜井】裁判官は自白の信用性を疑うどころか、「このあいだ言ってた話と違う」とか、細かいことをいろいろ責められた(笑)。

【杉山】リンゴとバナナの話とかね(笑)。

【桜井】事件のあった日の夜に、バーに寄って兄貴のアパートに行ったら、杉山が出てきた。二人とも空腹で、隣接するアパートの顔見知りの女性が何か買って持っているというので、「よし、俺が行ってくる」と言って、盗みに入ったんですよ。それがリンゴだったのかバナナだったのか食い違ってると言われた。我々が犯人で嘘をついているものと、最初から思い込んでいるんです。

【篠田】そういう裁判の進行について弁護人は異議申し立てをしなかった? どの段階で弁護人がついたのですか?

【杉山】私の場合は別件の暴行傷害が起訴になった時点で、捕まってから約1カ月後の、11月に弁護人がつきました。その時にはもう本件の強盗殺人については取り調べも全部終わって、録音テープまで録られてましたから。

【桜井】自分は金がないので国選でしたが、弁護人が最初に接見にきたのは、公判が始まる1週間前でした。

【杉山】私も桜井も、弁護士に助けを求めるなんて考えは、当時はなかったんです。


◆新聞が嘘を書くのかと初めて知った◆


【篠田】ご家族は? 冤罪だと信じた人はいなかった?

【杉山】私はみんな亡くなっていて一人身でした。

【桜井】12月1日に警察の留置場に逆送される前に、一度だけ親父が面会に来ました。「やってないんだ」と言ったけど、「そんなこと言ったって、新聞にも出てるぞ」と言われて、新聞に大々的に載ったら誰もそれが冤罪だとは思わない。新聞がこんなに嘘を書くのかと初めて知りました(笑)。

【篠田】弁護人もそんなに熱心には聞いてくれなかったんですね。

【桜井】一切事件の真相なんて訊かれない。どうしようもないですよね。

【杉山】桜井の弁護人と俺の弁護人とで、コミュニケーションもないしね。

【桜井】二審も検察出身の弁護士で、今の柴田五郎先生たちとは違いました。最高裁になって、柴田先生たちがやってくれることになったんです。

【杉山】私は二審のときに親戚と相談して「こんな弁護じゃだめだ、東京の弁護士を探そう」ということになったんです。そこで柴田先生と出会いました。

【篠田】お二人とも一審の有罪判決は衝撃だったわけですね。

【杉山】そうですね。裁判というのは神聖なもので、真実をわかってくれると信じていたので、公判で自分たちを責めるような質問をされても、無罪になると思っていました。判決の日、裁判官は「主文は後回しにします」と、理由のところを読みあげ始めました。第一と第二は、桜井の窃盗と私の傷害の話だったので「これは事実だから仕方ないな」と思っていたんです。でも第三で「被告人両名は......共謀をとげ」という言葉を聞いた瞬間に「これは有罪だ!」と頭が真っ白になりました。その後は何を言っていたのか、何にも覚えていません。

【井手】その時だけ泣いたと聞きましたが。

【杉山】いや、それは自白した時。「桜井がそう言ってるなら、好きに調書を書いてくれ」と言った日に、悔しくて。もう一回、最高裁でどこの刑務所に送るかという話になった時に、「やってないのになんで刑務所に入れられなきゃならないんだ!」と泣きながら怒鳴った。

【篠田】桜井さんも、一審で無罪になると思っていた?

【桜井】何の物証もないし、証言だってすぐに嘘だとわかるようなものでしたからね。だって目撃証言だっていい加減なもので、50㏄のバイクで道を走っていて、100メートル以上も離れたところから二人の顔が見えたなんて言っているけど、見えっこない。このあやふやな証言以外、何の証拠もないわけですから、有罪になるわけがないと思っていました。判決を法廷で聞いているときは 然として、心臓がまるで耳元についているかのように「ドックン、ドックン」と脈打つのが聞こえました。


◆再審請求後、無罪を示す新証拠が次々と◆


【篠田】再審請求が始まり、二人の無実を明らかにするための証拠が、いろいろ出てきますね。

【杉山】それまでは勝てると思って甘く見ていたのですが、最高裁まで有罪で無期懲役が確定してしまった。刑務所に入れられてから、さすがに真剣に勉強しましたよ。例えば『死体は語る』という上野正彦先生の本を読んだら、紐や布などで首を絞める「絞殺」の場合には、線が残ると書いてありました。調書や判決では、桜井が両手で首を絞めた、つまり「扼殺」ということになっていましたから、おかしいんじゃないかと思って、弁護団に遺体の死体検案書を送ってもらいました。そしたら、そこには3本の線状痕があると書いてある。これは絞殺じゃないかと、弁護団に手紙を書いたら、「よく見つけた、大手柄だ」と言われましたよ。これが自分の中で無実を証明する新証拠として一番大きかったですね。 
 それから証拠開示というのは、項目ごとに分かれているらしいのですが、たとえば1と2は開示されていても、3と4が出ていない、この3と4は何なんだ、開示しろ、というやり方を、弁護団としていきました。

【篠田】扼殺か絞殺かというのは、大事な点だと思いますが、裁判で争点にはならなかったのですか?

【桜井】全く問題になっていませんでした。

【篠田】取り調べの録音テープも、編集されていたことが後になって判明したわけですが、そもそも最初から警察が指示した通りにしゃべらせたわけですよね。

【杉山】そうそう。桜井ともよく言ってるんだけど、役者が台本を読んでせりふを覚えるのと同じ(笑)。
 私の場合は録音テープが2本あるのですが、そのうち1本は、開示請求しても「不見当」とされて出てきません。これも改ざんされている可能性が大きいということですよね。

【篠田】自分は無実だからと思っていても、最高裁まで行って確定してしまうと、精神的には大変だったでしょうね。

【桜井】大変なんてもんじゃないですよ。

【杉山】「31歳で俺の人生は終わった」と思いましたよ。もう再審しかないけれど、再審開始がなかなか難しいことも知っていましたから。
 刑務所へ行ってからも、自分は強盗殺人なんてやってないのにどうしてこんな目にあうのかといつも思っていました。刑務所では行進させられたり、「腕は肩より上に上げろ」などと言われて、カーッときたことも何度もありました。「俺はやってないのに、なんでお前らの言うことを聞かなきゃいけないんだ!」と反抗して、懲罰房に7回も入りました。


◆獄中から支援要請の手紙を毎日出した◆


【篠田】支援運動が広がったのは二審の途中くらいからでしょうか?

【杉山】いや、まだまだだね。

【桜井】刑務所に入ってからだよね。

【杉山】拘置所時代からも、いろんな人に手紙を出して支援要請はしていました。当時は一日20通くらい手紙を出せたので、切手代が大変でした。

【桜井】途中から一日10通に変わったんだよな。

【杉山】お金のある限り書いてました。カーボン紙を買って、事件のあらましとかや、なぜ自白をしてしまったのかということを書いて、あちこちに出しました。資料を入れると大きくなるのですが、包装紙を折って、自分で封筒を作っていました。そういう大きさの封筒があるっていうのを知らなくて(笑)。

【井手】桜井さんのペンだこは、今もありますか?

【桜井】治らないですね。骨筆って本当に力を使うんですね。松川事件は何万通と手紙を出したと聞きますが、俺たちも相当ですよ。

【篠田】井手さんは、支援者が毎年やっている「壁の歌コンサート」をきっかけに布川事件を知ったわけですね。

【井手】仮釈放の2年前の94年でした。すでにコンサートは10年ほど続けられていました。現地調査というのも、事件が起きた夏に、毎年開かれていました。そのコンサートと現地調査で、いろいろな方々に支援の輪が広がっていたんですね。それを撮ってくれと言われてボランティアで参加しました。お二人とは、出てこられたときに初めてお会いしました。
 最初は何カ月か撮って、テレビの企画でもできるかなという程度でした。でもお付き合いを続けていくと、仕事はどうなるんだとか、いろんな問題が出てくる。再審に関しても、ある程度結果が出るまでカメラを回さないといけないなと思うようになりました。本当に暗中模索で、どうなるかわからない状況でしたから、挫折したこともありました。

【篠田】桜井さんと杉山さんは、カメラがプライベートな生活領域に入ってくることには抵抗なかった?

【桜井】昔ドロボーやってたとか、裁判でとっくに明らかにされてましたから、何も隠すことはないし、気にもしなかった。むしろありがたかったですよ。仮釈放後、ボロボロになっていた布川の家を、自分で改修して住めるようにしたのですが、井手さんは旦那さんと一緒に手伝いに来てくれたんです。

【井手】杉山さんの引越しの時も手伝いに行きました。カメラ回して、ちょっと置いて物を運んだり(笑)。
 お二人は、出てきてからも結構悩んでいましたね。刑務所にいる時は壁を隔てているから、支援者の側にも理想の像ができてしまっている。出てきてからは生身の人間だから、お互いに、ものすごくギャップを感じていました。

【杉山】自分たちの言う通りに俺たちが動かないとダメだと言われる......。

【井手】部屋に帰ると、そうした悩みもポツリ、ポツリとこぼすんですよね。こういう映像は10年くらい経たないと公開できないなと思いました。

【杉山】最初は仕事がなかなか決まらず、悔しい思いもしましたね。

【篠田】井手さんが、二人の無実を確信したのはいつですか?

【井手】二人から、取り調べの話などを聞いてからでしょうか。事件当日のアリバイを一緒に辿ったことも大きいですね。出てきた翌年の夏に、事件当日桜井さんが来ていた高田馬場や、お兄さんのアパートがあった野方に、お二人と一緒に行きました。私は緊張して、事前にいろいろ資料を読んで頭に入れてから行ったんです。そうしたら、二人は意外にいろんなことを忘れているんですよ。

【篠田】映画を見ると、「よく当時のことをこんなに覚えてるな」と思いましたよ。

【井手】いや、結構大事なことを忘れているんですよ。もし二人が真犯人で、嘘のアリバイなんだとしたら、自分が不利にならないよう、きっちり覚えているはずですよね。

【桜井】俺はちゃんと覚えているつもりだったんだけどな。

【井手】いやいや(笑)。それで私は、こんなのほほんとしている人たちなら、彼らの言うことの方が本当だと思うようになったんです。資料や、弁護団の調べていることは「なるほどな」と理性でわかるけれど、日常的に接していると、そういう感覚的なところが大きいですね。


◆再審を闘いながら、結婚して家庭をもった◆


【篠田】お二人とも、仮釈放後に奥さんを見つけ、家族を持っている。映画を見ていても、やっぱりとてもいいですよね。

【井手】二人とも「伴侶がほしい」と言っていましたが、奥さんの気持ちも強かった。たまたまイベントに参加して知り合って、結構積極的だったと聞いています。

【桜井】たまたまですよ。

【井手】(冤罪で闘っている人の中では)結婚して、杉山さんみたいに子どももつくるという人は珍しいらしいですね。長年刑務所に入れられ外に出てきて、再審を闘って、伴侶を得て生活を維持するというのは、大変なことだと思います。

【篠田】杉山さんの奥さんは、「守る会」の人ではないの?

【杉山】そうですね。ぶらっと現地調査に来て、それで知り合った。

【篠田】桜井さんの奥さんも映画を見るとすごくしっかりした人ですよね。

【桜井】彼女はそれまで人生に悩みを抱えていて、私を見て「29年も刑務所に入れられていた人が、なんでこんなにさっぱりしているんだろう」と思ったらしいです。「守る会」の会員ではあったけれど、当時は女手一つで子ども二人を育てるのに必死で、活動とは疎遠になっていた。これからどうしようかという時に、「守る会の新年会に顔を出しませんか?」と支援者に誘われて出てきて、そこで出会ったんです。

【井手】彼女のご両親は、結婚には大反対だったんですよね。

【桜井】最高裁で有罪になった男を、信用なんてできないでしょう。田舎の人間ですからね。

【井手】そのときは再審請求もまだまだどうなるかわからない頃でしたしね。杉山さんはそのちょっと前に結婚されたんですね。

【桜井】杉山の結婚は早いんだよ。「いやぁ、いいものだぞ。人生バラ色だ」なんて言ってた(笑)。


◆2人を支え続けた息長い支援活動◆


【篠田】「守る会」というのは全国にあるんですか?

【桜井】東京と茨城の会が中心ですね。三多摩、名古屋、飯能にもあります。

【井手】弁護士さんたちに聞くと、毎月機関紙を出しているというのは、ほとんど例がないそうです。不定期で出しているところはたくさんあるそうですが、80年代からかな? 毎月出しているのはすごいって。地道にやってきた方がいたからこそ、支援者も増えていったのだと思います。

【桜井】370号だ! ということは、12で割ると......。

【杉山】30年だね。

【井手】でも、茨城も水戸には「守る会」がありますが、布川となると厳しいですよね。やっぱり田舎だし......。

【桜井】関係者もいるからね。

【井手】お祭りがあった日に取材して、チラッと「この間布川事件の再審が決まりましたがどう思いますか?」と訊いてみたのですが、微妙な応えが返ってくるんですよね。そんな布川で、桜井さんはよく生活してきたなと思います。

【篠田】桜井さんは地元の人たちに働きかけたりしているの?

【桜井】しないですね。もともと住んでた家に戻って生活していますが、積極的に働きかけたりはしません。自分の生き方を見てもらえばいいだろう、と。お祭りやカラオケなんかには、積極的に出てますよ。でも地元の人間も、事件のことには一切触れないし、こっちからも言わない。今でもアンタッチャブルなんですよ。

【篠田】無罪判決が出れば状況は変わる?

【桜井】見知ってる人は「よかったね」とは言うけど、まあ、微妙は微妙でしょう。
「なんであんな奴が無罪になるんだ」って。

【杉山】おもしろいことに、自分の生まれた故郷ではみんな信じてくれているんです。声掛けるとすぐ集まって、「杉山、なんで『やった』って言っちゃったの?」なんて、飲みながら話してる。ところが、山を越えて布川に来ると、もう全然だめ。「あいつは悪い」って。

【篠田】映画「ショージとタカオ」も公開されていますね。

【井手】一般の人は、冤罪や裁判の仕組みについて、よくわからない。そもそも裁判のやり直しができるということも、まして弁護士が実験して調書の矛盾点を明らかにするなんて、まったく知らないんですよ。足利事件のことも、ニュースでちょっと知っている程度。だから、この映画を見てくれた人の多くが興味を持ってくれるようです。冤罪で長期間刑務所にいた人が出所後どんな生活を送っているかなど、これまで知る機会はなかったでしょうから、新しい体験なんだと思います。

<了>

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