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「無断引用」問題をめぐる最初で最後の私の「見解」(『創』2013年4月号より)佐野眞一

〔編集部より〕『創』4月号に掲載された佐野眞一さんの手記を、ご本人の希望によりネット上に公開します。もともとこの原稿自体、掲載について佐野さん本人から持ち込まれたもので、いわゆる盗用問題について佐野さん自身が初めてまとまった見解を表明したものです。『創』編集部は、もちろん佐野さんと同じ立場ではありませんが、この問題について議論するためにこれを掲載しました。この問題については既に ガジェット通信 が詳細な告発を行っており、佐野さんの見解は、それを踏まえて書かれたものです。

2月1日のシンポの最後に佐野さんが「近々見解を明らかにする」と語っていたその内容が、ここに掲載する原稿だ。「無断引用」問題について佐野さんが詳細に見解を表明するのはこれが初めてだ。

『週刊朝日』の「ハシシタ 奴の本性」の連載打ち切り問題を奇貨として始まった「ガジェット通信」(http://getnews.jp)の私への批判の狙いがどこにあるかはわからない。

 ただ、いまから四半世紀以上も前に雑誌に書いたルポまで探し出してきて、片言隻句まで問題とされるのは、あまり気持ちのいいものではない。

 正直、重箱の隅をつつくような書き方や、鬼の首でも取ったようにはしゃぎまくる物言いに幼稚な悪意を感じた。と同時に、執拗で粘着質な記述に陰湿さと独善性を感じた。

 そこから類推して、私の物書きとしての信用失墜を狙った批判らしいことは推察できた。

 私が悪意を持たれるのは、私自身の不徳の致すせいだろう。

 今回の問題に対して私のお詫びと見解を書いた「ノンフィクション再論」(『週刊ポスト』2013年1月1・11日合併号)でも述べたが、私は忙しさにかまけて、知らず知らずのうちに傲慢になっていたのかもしれない。

 それが私の身体にいつしかこびりついて、私の知らないところで反発を買う原因を作ってきたような気がする。

 私が白眼視されるのは、いわば身から出た錆というやつである。

 水に落ちた犬は打ての譬え通り、『週刊朝日』の「ハシシタ」連載打ち切り問題で世間の指弾を浴びていた私は、ネット上の格好のターゲットにされた。

 その点についてはまた稿をあらためて、深々と考えてみたい。この騒動の背景には、景気回復とはマスコミの掛け声ばかりで、実際には、閉塞感ばかりが漂う現在の時代状況が陰に陽に働いているような気がする。それが誰かを晒し者にしたいという隠微な情動に火をつけた。

「ガジェット通信」の指摘のなかには、深刻に受け止めなければいけない批判もある。

 だが、とても真面目に受け止められない、いわば 〝ためにする〟 批判も多かった。最初は揚げ足を取られるだけだと思って、一切相手にしないことも考えた。

 しかし、やはり批判は批判として虚心坦懐に受け止めなければならないと思い直して筆をとることにした。

 以下は「ガジェット通信」に連載された「佐野眞一氏のパクリ疑惑に迫る」に対する私なりの回答である。

 本来なら彼らの疑問一つ一つに誠実に答えなければないところだが、今後のノンフィクション文学の問題を考える上で、真摯に検証しなければならないと思った点だけをまとめてお答えしたい。

 私はこの検証作業を自分の感情にとらわれることなく、「ウソをつかない」「ごまかさない」「逃げない」という冷静な気持ちで臨んだつもりである。

◆「ノンフィクション再論」の見解◆

 最初に創価学会問題を論じた「化城の人」第一部(『週刊ポスト』2012年1月6日号から全21回連載)の参考文献問題に対する私の見解を述べたい。

 前掲の「ノンフィクション再論」に書いた通り、単行本化した際にそれを掲載するか、もしくは連載最終号の末尾に主要な参考文献の出典を掲示すればよいと考えていた。

 私の単行本の読者なら、単行本の巻末に膨大な参考図書文献が掲載されているのをご存知だと思う。

 これは、週刊誌などの連載で出典をその都度明記すると、読者に煩く感じられるのではないかと恐れたからである。

「化城の人」第一部で使用した参考資料は、新聞、雑誌を含めると段ボール箱にして約十個分、点数にすると百数十点にも達する。それを雑誌発表の段階で一々列挙するのは、読者にとってあまりにも煩わしいだろうと考えた。

 だが、それは浅慮だったと、いまは反省している。少なくとも個人の著作になる参考文献名と著者名だけでも、週刊誌連載時に表記すべきだった。何の断りもなく著書から引用された著述家各氏には不愉快な思いをさせてしまった。

 前掲の「ノンフィクション再論」では触れられなかった牧口常三郎の故郷の記述に関して竹中労氏の著作(『聞書き庶民列伝牧口常三郎とその時代 冬の巻』)を参照にしたのではないかという指摘については、前記と同じ理由で、単行本化した際、その出典を巻末に明記すればよいと考えていた。

 これも、『週刊ポスト』掲載時に、参考文献名と著者名だけは明らかにすべきだった。

「化城の人」で使用した参考文献は、単なる引用と言うより、私の地の文と混然一体になっている箇所が多い。その意味から考えても、やはり初出時に典拠は書いておくべきだった。

 創価学会問題に長年取り組んできた先輩諸氏に対する私のリスペクトの念が足りず、配慮に欠けていたことを、あらためて深く陳謝したい。

 なお、創価学会問題に関連して「池田大作『野望の軌跡』」(『現代』1985年11月号)を執筆した際、溝口敦氏の『池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神』(三一書房・1981年6月刊)を参考文献として明示せず引用したことについては、著者の溝口氏にすでに謝罪の文書を提出しており、解決済みの問題だと理解している。

◆石牟礼道子氏へのお詫び◆

 次に、参考文献問題に関する私の基本的見解を述べたい。

 最初に述べたいのは、盗作(「ガジェット通信」のいうパクリ)と、参考文献の一部を参照しての記述とはまったく違うという点である。

 先行文献の一部に影響されるのは、多様な著作から刺激を受ける執筆者としては、いわばごく自然なことである。

 特に関係者がほとんど物故している歴史上の人物を書く場合、先行した文献からの影響なしにノンフィクションを書くことは事実上不可能である。

 さて、私の作品にかけられた疑問のほとんどは、参考文献引用の当否問題である。その参考文献の表記問題についてだが、石牟礼道子氏の見解については、『旅する巨人』の巻末に『ちくま日本文学全集・宮本常一』解説・石牟礼道子として表記してある。

 その引用箇所を具体的に示す。

『旅する巨人』(1996年刊行)の該当箇所は、まず宮本の処女作の『周防大島を中心としたる海の生活誌』の冒頭部分の引用から始まる。

〈(前略)私の家は石垣一つで海と隣していた。海が満ちると、ドタリくと石垣の根を打った。風のある日は沫が石垣を打ち越して屋根の上へザザと降った。北風の強い日などは、更に屋根を越えて、家の前の道に降った〉

 石牟礼道子氏の名前が出てくるのは、その先である。

「この文章を読みながら、『ふいに胸えぐられるような感じになるのは』、宮本の著作を解説した石牟礼道子も述べているように、『いま日本列島の海岸線のすべてから、宮本が書き残したような渚が消え去ったことに思い至るからであろう』」という文章が続く。 

 宮本の著作を解説した石牟礼道子も述べているように、という説明があるから、正確には無断引用とは言えない。しかし、石牟礼氏の解説の引用部分(二重括弧の部分。実際の記述には二重括弧はない)と、私の地の文をカギ括弧ではっきりと区切って分かち書きしなかった。このため、石牟礼氏の解説からの引用部分と、私の感想部分を読者に混同させてしまう結果になってしまった。

「石牟礼道子も述べているように」とは断ってはいるが、その説明だけでは誤解を招く。また宮本の文章に続く、「故郷の島の潮の満ち引きと風の音が、おどろくほど緻密な観察力と、目のあたりにみているような平明な描写力で描かれている」(実際の石牟礼の文章は、「故郷の潮の満ち干きする渚の、おどろくほど緻密な観察と鮮明な記憶、まのあたりに見ているような平明な描写力」)という文章も、石牟礼氏の解説を私なりに解釈した引用だが、これはこの直後にある「石牟礼道子も述べているように」という文脈の流れの中で、理解してもらえると思っていた。だが、誤解を未然に防ぐ意味でも、ここはカギ括弧でくくり、「石牟礼道子の解説より」と表記すべきだった。

 また『旅する巨人』を参照して書いた類書(『宮本常一が見た日本』〈2001年刊〉、『宮本常一のまなざし』〈2003年刊〉、『宮本常一の写真に読む失われた昭和』〈2004年刊〉)で、私が観察の対象にしたのは、石牟礼氏が対象とした宮本の文章ではなく、宮本が撮影した渚の写真である。

 私自身が宮本の撮影した写真を見て感想を書いているのだから、厳密に言えば、無断引用にはあたらない。だが、石牟礼氏の解説に依拠した面はあり、出典を明記すべきだった。

 いまから約10年前、早稲田大学の大隈講堂で石牟礼氏を囲む水俣病シンポジウムで同席したとき、口頭で石牟礼氏にこれらの点について陳謝した。

 石牟礼氏は寛容にも「あまり気になさらないでください」とおっしゃってくださったので、それを諒として受け止めた経緯がある。むろん、それだけで済む問題だとは思っていない。今後、『旅する巨人』の改訂版を出すときには、当該箇所を必ず改定するつもりである。

 すでに改訂版を作業中の『宮本常一の写真に読む失われた昭和』(2004年刊)は、平凡社ライブラリーに入れるため、その作業を終え、4月中には刊行の運びとなる。

 1990年刊の『紙の中の黙示録』中の「もう一つの社会面・三行広告」に記述した赤瀬川原平氏の見解については、読者に陳謝しなければならないことがある。赤瀬川氏の「尋ね人」の広告に対する見解についてである。

 この件については、同書中に『芸術新潮』1984年7月号より、と赤瀬川氏の見解の出典が一応明示してある。この限りでは無断引用とは言えない。

 しかしながら、同書を刊行してから約2年後に発表した平凡社発行の雑誌『QA』(1992年7月臨時増刊号)に、『紙の中の黙示録』を要約したエッセイを発表した際、赤瀬川氏の文章からの引用だと明記せず、それに続く地の文の記述も赤瀬川氏の見方に酷似してしまった。

 これは『QA』に書いた文章が、『紙の中の黙示録』を要約して紹介するエッセイだったため、そこまでの配慮が行き届かなかったせいである。赤瀬川氏にはあらためて深くお詫びする。

◆これで「無断盗用」とは?◆

『宮本常一が見た日本』のなかに、小佐渡の赤泊から国中平野の真野に通じる県道65号線の路傍に立つ「田中角栄」の顕彰碑の描写がある。

 これは現地で私が現認して記述し、同じ 〝経世済民家〟 と言われる宮本常一と田中角栄の共通性と差異性を検証した記述である。

「ガジェット通信」では、これに関連して、毛利甚八氏の『宮本常一を歩く 下巻』にも、同じような表現が出てくるとの指摘がある。だが、読み比べていただければ、似て非なる記述だとわかる。

 共通しているのは、角栄の顕彰碑が出てくる点だけである。あまり言い訳じみた言い方はしたくないが、これで類似性を云々されてはたまらない。

 詳しくは後から述べるが、ノンフィクションでは同じ関係者のところや、同一の場所を訪ねることは、いわば日常茶飯事である。取材対象が重なっているという理由だけで「無断盗用」とされたのでは、ノンフィクション作品は書けなくなる。

 それは誤解を恐れずに言えば、事件現場をたまたま通りかかったから、容疑者扱いされることとほぼ同じ理屈である。

 こんな理屈がまかり通れば、恐ろしくてノンフィクションを書く人間はいなくなる。

 私が恐れるのは、ノンフィクションを目指す後進たちが、私へのこうした指弾で委縮してしまうことである。

 大事なことは、私が毛利氏と別の目的をもって現地に出向き、角栄の顕彰碑を見て、私自身がどんな感想を持ったかが書き留められているかである。

 私は角栄の顕彰碑を見て、「コンピュータつきブルドーザー」といわれた角栄は佐渡と東京を直結する道路を夢想していたが、「離島振興の父」と呼ばれた宮本は佐渡の集落と集落を結ぶ周回道路を夢見ていた、それこそが地域を発展させる原動力になると考えていたからである、と書いた。

 宮本は離島を振興するには離島自体の内部からエネルギーを起こさなければいけないと主張したのに対し、角栄は離島の後進性を解消するには、道路で中央と直結するしかないと信じていた。

 角栄の顕彰碑にはこうある。

――道路は、文化交流の動脈で、人間生活の生命線である。わが新潟県の偉大なる政治家田中角栄先生は、昭和二八年七月来島して、現場を視察され、深い理解と絶大なるご援助で、赤泊村と真野町を結ぶ道路を道路整備計画五ヶ年計画に編入された。ここに赤泊村、真野町の有志一同、衷心より田中角栄先生に感謝するものである云々......。

『日本のゴミ』(1993年刊)に収録した「生き物の終わり」は山根一眞氏の『ドキュメント 東京のそうじ』との類似点があるという指摘は納得できない。

 これは私自身が東京湾の城南島にある動物愛護センターに足を運んで、その界隈の情景描写と心象風景をスケッチしたものである。参考文献にも、『ドキュメント 東京のそうじ』は明示したし、文中にも「山根一眞の『ドキュメント 東京のそうじ』によれば、人はここ(城南島)を「東京の一等僻地」と呼びならわしてきたという」という言い方で私なりに山根氏の仕事に敬意を表している。

『東京のそうじ』の章タイトルが「新幹線のそうじ」「糞尿のそうじ」などとなっているのに対し、『日本のゴミ』の章タイトルが「自動車の終わり」「ファッションの終わり」になっているのもイメージの類似性があるといわれた。

 ここまで言われるにいたっては、もはや何をか言わんやである。

『新潮45』1986年9月号に掲載した「ドキュメント『欲望』という名の架橋」(のごく一部)が、佐野良衛氏の「東京湾横断道路の大魔術」(『創』1986年6月号)に類似しているのではないかとの指摘については、問題個所は客観的事実関係に類することなので、あえてその部分は「引用」としなかった。

 問題の個所は誰もが認める周知の事実であり、類似性はあっても、それがなければ生まれない依拠性はない。学術論文とは異なり、人が調べた事実であっても、それが「既知」の事実であるなら、少なくとも著作権法上の問題はないと考える。

 著作権法が規定するのは事実ではなく表現である。だから事実を報道しているという見地に立てば、出典の明示は必ずしもマストではない。

 ただし、このケースは表現が極めて似通っており、カギ括弧でくくり「東京湾横断道路の大魔術より」と引用の形にした方が望ましかったかもしれない。

◆『あんぽん』の盗用疑惑に答える◆

 逆に『あんぽん』(2012年刊)に書かれた孫正義の小学校時代の詩と解釈は、松原耕二氏の『勝者もなく、敗者もなく』からの無断引用ではないかという指摘については一言申し上げなければならない。

 この詩は孫正義を北九州市立引野小学校5、6年生のとき担任した元教師の三上喬氏からスタッフ記者が入手したものである。そのことは『あんぽん』のその部分の記述を精読いただければ、よくわかっていただけると思う。   

 松原氏もおそらく同じ詩が書かれた文集を関係者から入手されたのだと思う。

 ノンフィクションでは同じ関係者を取材することは珍しいことではない。

 他の著者がすでに取材した関係者のところへは行ってはいけない、もし書くのならそれを断った上でなければいけない、というのではノンフィクションは成立しない。

 それはあまりにも杓子定規な考え方である。書いた内容がすべて初出の関係者と初出の証言というのは理想ではあるが、それは現実問題としては非常に困難である。念のために言っておけば、スタッフ記者が孫正義の元担任教師の三上喬氏を見つけてきたのは、孫正義の小学校時代の友人関係をたどった結果である。

 その取材プロセスの中には孫正義の詩が掲載された松原氏の著作や、孫正義の少年時代にふれた井上篤夫氏の『志高く 孫正義伝 完全版』、父親の孫三憲氏と子供時代の孫正義のエピソードを描いた大下英治氏の『孫正義 世界20億人覇権の野望』もあった。

 これらの著作については敬意を表して『あんぽん』の巻末に参考文献としてもきちんと掲載している。それら先行する仕事に、私の記述がなにがしかの影響を受けたことは否めない。

 しかしながら、他人の著作から影響を受けた部分をすべてカギ括弧でくくり、「何々氏の解釈によると」としたのでは、読者の煩雑さを考えても、ノンフィクションは成立しない。

「ガジェット通信」は、『あんぽん』の一部は、それらの本との類似表現ではないかという。

 だが、それは私やスタッフ記者が、父親の孫三憲氏はじめ、孫正義のクラスメイトや恩師ら多数の関係者に会って直接取材した成果だと言っておく。

「ガジェット通信」は、参考文献に書かれた同級生の証言が『あんぽん』の記述に類似しているとも言っている。

 しかし、同一人物に取材している以上、証言が似ない方が逆に不自然である。

 孫三憲氏が若い頃、「山小屋」という喫茶店を開いた経緯について、「ガジェット通信」は大下英治氏の著作からの引用ではないかと言うが、それは誤りである。

 これは孫三憲氏や孫正義のインタビューで明らかになった事実を書いたものである。

 当事者たちを取材して書いているのだから、これ以上真実に近い証言はない。

 さらに「ガジェット通信」は、証言者の一部が匿名になっているのを理由にあげて、実はその関係者に取材していないのではないかとまで疑っている。

 これは見当はずれもはなはだしい。

 様々な理由で名前を明かせない証言者が出てくるのは、ノンフィクションの仕事をしている者なら必ず直面することである。

 孫正義が中学時代に書いた「じゅく」という詩について、松原氏は、「差別を生みだすじゅく」に「いつかきっと 正義の原爆がおちる時がくるぞ」というフレーズは、「子供の持つストレートな過激さだけでない攻撃性さえ感じさせた」さらにいえば「正義の原爆がおちる」は「正義の原爆を落としてやる」とも読むことができる、と解釈している。

 これに対し私の解釈は、「この詩には『誰からも好かれる』『明るい』少年とは別人格としか思えない強い攻撃性が隠されている」「正義の原ばくが落ちる」は「正義の原ばくが落ちる」と読むこともできるというもので、松原氏の解釈とは微妙に違っている。

「正義」にはルビが振られていないので、この詩に接した多くの人にとって、「正義の原爆」を「正義の原爆」と読み替えが可能だった。

 そう読み替えた一人である私も、「正義」を「正義」と読み替えて、「正義の原爆が落ちる」という正直な感想を述べたに過ぎず、無断引用にはあたらない。

◆角を矯めて牛を殺しては◆

 こうしたことが、ノンフィクションの情報源問題、出典問題を必要以上に複雑にさせている。そして、ひいては類似性や無断引用を疑われる根拠になっている。

 拙著と読み比べていただければわかると思うが、松原氏の本に引用されている孫正義の詩とスタッフ記者が入手した詩は、句読点の位置や改行の位置が微妙に違っている。

 これはどちらが正しく、どちらが間違っているかという問題ではない。

 それをいくら検証しても、おそらく解答は出ない。ノンフィクションには、こうした問題がいつもつきまとっている。特に孫正義のような有名人のケースは、多くの著者が同じ関係者のところへ取材に行って 〝孫正義論〟 を書いている。

『あんぽん』は、それらの参考文献には正確さを期すため以外は頼らなかった。関係者ひとりひとりから長時間にわたって取材して、その成果を単行本にまとめたものだと自信をもって言える。

 ノンフィクションにおける出典引用問題は極めて難しい問題である。

 引用した当該箇所すべてに印を付して、脚注のように参考文献を明示するという考えもあるが、それは読者を煩雑な思いにさせるばかりと言う別の考えもある。

 ノンフィクションは学術論文ではないのだから、必ずしも当該箇所に引用文献の出典を詳細に明示する必要はないという考えである。

 私はこれまでの慣行として、雑誌連載→単行本化を前提として執筆しており、単行本化の際に、人一倍参考文献への配慮を払ってきた。逆に言えば、雑誌発表段階で参考文献を一々あげるのは、読者の煩わしさやページ数の制約を考えてあまりなじまないと考えてきた。

 誤解を恐れずに私の考えを述べれば、参考文献の引用問題に関して、誰にも納得できる 〝正解〟 はあり得ない。

 だが、私なりの率直な考えを言わせてもらえば、引用部分に関しては主従の関係をつけ、地の文と違うことを読者にわからせるというのが最低限のルールだろう。その上で括弧内に引用文献を明記すれば、それでこの問題は一応クリアできたと思う。そのルールを忠実に守ってきたか。それがこの問題に対する私の最大の反省点である。

 だがその反面、もし週刊誌などでカギ括弧でくくられた文章が多用されたりすると、非常に読みづらい文章になり、それだけで読み物を期待した読者の中には、きっと敬遠する者も出てくるだろう。私が懸念するのは、その点である。

『巨怪伝』も『カリスマ』も『甘粕正彦 乱心の曠野』も『阿片王』も『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』も、そのことを恐れて、雑誌連載時は必要最低限の引用文献しか明示しなかった。

 角を矯めて牛を殺したのでは何にもならない。引用問題の難しさはつまるところ、読者のリーダブル(読み易さ)問題と、資料の厳密性のバランスをどうとるかという問題にかかっている。

◆ノンフィクションにおける引用問題の難しさ◆

 前掲の『紙の中の黙示録』(1990年刊)で無断引用を指摘された「みえない街みえない人」のケースは、私が外国人労働者が多く働く京成線荒川駅(現・八広駅)周辺の皮革工場を訪ねてバングラデシュなどからの出稼ぎ労働者に会い、自分の実感でリポートしたものである。

 だから他人の見解は引用していない。

 同書の巻末に参考文献として深田祐介氏の『新・東洋事情』をあげなかったのはそのためである。却って混乱を招くと思ったからである。

 私が現地取材に入ったのは、深田氏が書いた時点から2年後のことである。その2年間で外国人労働者問題の何が変わったのか。何が変わらなかったのか。それがそのルポのポイントだった。しかし、その2年間の差異を強調するために、深田氏の著作を文中に示しておいた方がよかったかもしれない。その点に関する説明が不十分だったため、深田氏の著作との類似性という誤解を招いてしまった。

 深田氏には担当編集者を通じてすでに、その点に関する説明が不十分だったと陳謝した。ちくま文庫版は未改訂だったので、増補の際に深田氏の著作に影響された旨を表記するつもりである。

 以上述べてきたように、「ガジェット通信」の指摘には、謝罪しなければならない箇所もあるが、納得できない箇所の方が多い。

「ガジェット通信」の批判に対しては、彼ら以外の第三者の底意と深謀遠慮を感じないわけではない。だが、これ以上はもう言わない。その都度引き合いに出される関係者の方々にもご迷惑なので、こういう文章も二度と書くつもりはない。

 それにしてもいまさらながら実感するのは、ノンフィクション作品における引用問題の難しさである。

 これらのことを痛恨の経験として深く反省し、今後もなお書き続けることが私の汚名返上と読者の信頼回復につながると思っている。

 ノンフィクションを目指す後輩たちには、計り知れない迷惑をかけてしまった。あらためて深くお詫びしたい。

 勝手な言い分だと思われるかもしれないが、書くことで失った信用を回復するためには、苦しみながら書き続けることしかない。

『週刊朝日』の連載打ち切り問題を含め、いまが人生最大の試練のときだと思っている。そして、この逆風の中でこそ書き続ける、それが私の精神を強靭にすることだと確信している。これが悩み抜いた末に達した私の結論だった。

◆選考委員を辞め一ライターとして◆

 私を育ててくれた多くの編集者たちも、これを第二の出発点にして、新しい作品を発表してほしいと叱咤激励の声援を送ってくれている。

 見知らぬ多くの読者からも、これにめげることなく、頑張ってくださいという支援のエールが寄せられている。

 私を信じ続けてくれる彼らには、感謝の言葉もない。それに甘えることなく、今後の仕事には万全の配慮を払うつもりである。

 私はどんな困難があろうと、挫けずに書き続ける所存である。

 どう思われても自由だが、それがこれまでノンフィクションを書き続けてきた私の使命であり、責任だと思っている。また、それが読者への信頼回復につながる道だと信じている。

『週刊朝日』の「ハシシタ」連載中止問題も無断引用問題も、そもそもの原因といえば、自分の原稿のチェックの甘さのせいである。

 自分の原稿もチェックできない人間が、人様の原稿をチェックできるはずもない。

 そう考えて、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム賞と開高健ノンフィクション賞の選考委員は辞任した。

 物事のけじめをつけるため、そして少しゆっくり考える時間を持つため、レギュラーの仕事もすべて休載とした。

 そしてこれからは一ライターとして、書き下ろしのノンフィクションを中心に書いていくつもりである。今後のノンフィクションの発展のために残りの人生に全力を尽くす。そういう信念で今後もこの道を歩いて行きたいと思っている。

2013年3月1日 佐野眞一

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