「本を作る人になりたい」その思いから出版社へ

D君/出版社内定


本が好きというだけでは志望動機にならない

 本を作る人になりたい、という思いは、小学生の頃から持ち続けていた。常に本を持ち歩き、ときには自分で小説を書いてみることもあった。気付いた時から私は本が好きで、本を作る人間になりたいと思うのは、ごく自然なことだったように思う。
 しかし、大学3年生の6月、いよいよ本腰を入れて就活を始めようという時のこと。かなり序盤で「本が好き」というだけでは全く志望動機にならないことを知った。考えてみれば、歌が好きだからと言って歌手や作曲家になれるわけではないし、アニメが好きだからと言ってアニメーターやプロデューサーになれるわけでもないのだから、当然のことだ。確かに、「本が好き」というのは必要な条件だろう。しかし、それだけでは志望動機にはならない。
 では何を志望動機にすればよいのか、これが考えても考えてもどうしてもうまく言えなかった。そして私は自分がなぜ編集者になりたいのかを考えることをやめ、その後のインターン、説明会をなあなあで過ごしてしまうのである。私はこれが原因で、「こんなに苦労して出版社に行きたい理由ってなんだっけ」と何度も出版就活を挫折しかけた。志望動機は自分を納得させられるものでなければ、苦しい時に逃げる理由を作ってしまうのだ。
 出版社の採用人数は極めて少ない。大学の教授も「出版は厳しいと思う」と言っていたし、実家にいる心配性の母も、「もっとたくさん採るところにしなさい」と度々メールを送ってきた。それを聞いて、「やってやろう」と反発する自分もいたが、「どこにも採用されなかったらどうしよう」という弱気な自分もまた、確かにいた。私は不安に駆られて「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」方式の就活生になった。
 具体的には3年生の秋頃から、他業界の、採用人数が100人を超えるようないわゆる大手企業に片っ端からエントリーをしていった。何をしている会社なのか、どんな職種があるのかすらわからないままインターンのESを書き、当たり前のように落とされる日々が続いた。説明会に参加しても、「この人たちは、この仕事をやりたいと思って入社したのだろうか」と、採用担当者を見ながら疑問に思った。「仕事なんて、本来やりたくないものなんだ」、誰かにそう言われ、そういうものなのか、と自分を納得させながら、私はメーカー、官公庁、半官半民企業を中心にIT、コンサルなど次々範囲を広げながらたくさんの企業を受け続けた。
 そんなある時、出版社の方とお話しする機会があった。出版社の人と会うのはそれが初めてだったのだが、それまで会ってきたたくさんの社会人とはどこか違っていた。自分の仕事に誇りを持っていて、苦しかった経験も含めて全部自分の財産だと語る姿は魅力的だった。一人会ってしまえば簡単なもので次々とツテを辿って出版関係者の方とお会いすることができた。他業界に行って、本は読み続ければいいと思っていた私だったが、「こういう人たちと一緒に働きたい」と感じ始めるようになった。出版社のインターンに参加したり、OB訪問を重ねたりすると、「こういう考え方の人もいるのか」と驚かされることもしばしばで、私の就活は刺激的な毎日に一変した。「私がやりたいのは、やっぱりこれなんだ。絶対に出版社に行くぞ」と燃えた。
 しかし、出版熱の高まりとともに、私はある種の劣等感を感じ始めた。出版関係の人たちと自分は決定的に何かが違うように思えてならなかったのだ。彼らのほぼ全員に共通していたことは以下の3点だ。@決断と行動が早い。A初対面の私相手でも仲良しのように話す。B自分に自信を持っている。根が人見知りの私がいくら自分を装ったとしても、この人たちのようになれるとはどうしても思えなかった。「出版社に行く人は、こういう人たちなんだ」と半ば諦めのような気持ちになりつつ、私は集英社の面接を迎えた。

3月に集英社の面接1週間で不合格の通知

 集英社の面接は3月に行われた。面接は年明け前に軽い気持ちで受けたテレビ局で3回経験していたが、とても面接に慣れているとは言いがたい状況だった。そこでは何を伝える本が作りたいのかなどを聞かれた。私はマイノリティが「自分だけじゃなかったんだ」と思えるような、個人に寄り添える本を作りたい、と答えた。しかし話は広がらず、まさに一問一答のような味気ない面接に終わり、その1週間後に不合格の連絡が来た。
 面接官は、声に出して聞いたことだけを問いたいのではない。そう思った理由や、それに関する経験を聞きたいのだ。しかしこの時の私はそれが何もわかっておらず、ただ聞かれたことに対して消化していくように質問に答えた。あげく「体力はありますか?」と聞かれて、「はい、あります」と答える始末なのだから、不合格は当然の結果だった。
 会話を広げるのは面接官の役目ではない。それは、これまで会ってきた出版関係者の様子を見れば当然わかるはずだった。たくさんの人に会って、「すごい」「かっこいい」「こういう人になりたい」と浮かれていただけで、そのために何をしなければいけないのか考えることを怠った結果だ。
 集英社での失敗があったため、面接を意識してESを書くという意味がわかってきた頃、大手出版社のES締切ラッシュがやってきた。毎日どこかの締切があり、朝起きてから夜寝るまでES以外のことができない日々が続いた。どうしても納得のいくものが書けず、徹夜したことも一度ならずあった。出版社と並行しての他業界就活は思っていた以上に難しく、他業界のES、面接対策や選考会が体力的にも精神的にも負担になっていた。
 私はだんだんと食が細くなり、気持ちもふさぎ込むようになってしまった。そんな時、力になってくれたのはやはり出版関係の方たち、そしてその方のつながりで会った出版社志望の学生だった。「こんなに大変な思いをしても、出版社に行ける人はごく一握りなんだ」と自分のやっていることに意味を見出せなくなってしまった時、出版社で働いている人の話を聞いたり、他の学生の熱意に触れたりすることで自分を奮い立たせることができた。「そうだ、僕はこういうことがしたいんだった」と思い出すことができた。そういう人たちに会った帰りの電車では、必ずやる気に満ちた自分に戻れていた。

講談社の面接で頭が真っ白に

 そんな風にしてかろうじて自分を保っていた私は、ESと筆記試験を通過した後の面接で何度も失敗を繰り返した。講談社の1次面接で、好きな雑誌について話した後、「もう1つ好きな雑誌をあげるとすれば何?」と聞かれ、頭が真っ白になった。想定していなかった質問が来ることは、出版社に限らず就活をしていれば避けられない。そのことをしっかり理解していれば、答えをあらかじめ作っておくという面接対策の危うさに気づくことができる。「面接は対話だ」とよく言われるが、これはまさにその通りだと思った。
 その後私は、無理に雑誌名をひねり出し、かえって自分を追い込むことになった。「どんなところが好きなの?」「気になった記事は?」「自分だったらその雑誌にどんな記事を載せたい?」……私は何も答えられなかった。結局、素人の学生が現場の社会人を誤魔化そうなどということはできない。
 文藝春秋の2次面接では「我が社の文芸誌は他社と比較してどんな特徴があると思うか」と聞かれた。この質問は改めて考えてみればそれほど突飛な質問ではない。地方学生だから、と甘えることなく、東京にいる間は国会図書館に通うだとか、地方にいても大学の図書館や実際に購入してその会社の雑誌を読んで分析しておくくらいの対策は最低限必要だ。ありのままの自分で対話をすれば良いというものでもない。
 出版社の対策は楽しんでできるが、確実に時間はかかる。早くから取り掛かるに越したことはない。新潮社の3次面接ではESに書いた1年間の読書冊数について「なぜこの冊数なのですか」と聞かれ、小学館の4次面接では「文芸編集をどれくらいやりたいですか」と聞かれた。私はこの質問の意図がとっさに理解できなかった。正直に言えば今でもなんと答えるのが正解なのかよくわからない。
 しかし私は、わからなかったにもかかわらず、わかったように答えてしまうという最悪の対応をしたのだ。どういう意味なのかわからなかったのなら正直にそう伝える方が何倍もいい。もちろん一発で答えられるのが一番ではあるが、質問したことに対して全く違う回答が返ってきたら、面接官は「意思疎通に問題がある」と判断せざるを得ないだろう。このように数々の失敗を繰り返しながらも運良く通過したり、あるいは不合格通知を受け取ったりするうちに、あっという間に就活が終わった。

周りの人とたくさん話す就活を

 私は全く優秀な学生ではなかったし、本は好きだけれど誰よりも読んでいるというわけでもなく、もちろん見ず知らずの面接官の前で器用に話せるようなタイプでもなかった。しかし、だからこそ私は周りの優秀な人とたくさん話す就活をした。自分よりも高いレベルの人と一緒にいることは苦しかったけれど、知らないステージを見られることは本当に刺激的だった。
 そして、人は意外と優しいのだということを知った。「見下されているのではないか」という劣等感や不安は、大抵杞憂だ。いろいろな考え方の人がいることを知り、応援の声を聞き、やっとのことでそういう優秀な人たちの足元にたどり着くことができたのかなと思う。優秀でない人が、優秀な人に近づく方法は、きっとそれしかないのだと思う。
 今自分がやっていることが正しいのか、自分は行きたいところに行けるような人間なのか、考え始めたら際限なく不安は浮かんでくるかもしれない。
 そういう時、自分の尊敬できる人を探し、話し、時間をともに過ごしてみてほしい。遥か遠くに感じられた憧れの景色も、近くで見てみると自分の足元と地続きになっているはずだ。目指すべき場所がわかれば、あとはただひたすらにその方向にむかって歩けばいいだけなのだ。


「冒険家になりたい!」そんな夢から出版社へ

Mさん/出版社内定:
「冒険家になりたい!」
 そんな子供のような夢から、私のマスコミ就活は始まった。

「歴史の最前線に立ちたい」その思いで記者をめざした

Y君/全国紙、キー局内定:
「歴史の最前線に立ちたい」
 東日本大震災、平和安全法制制定、北朝鮮によるミサイルの発射…。


アナウンサー就活から最終的にテレビの報道へ

Rさん/キー局、全国紙内定:
「文章を書くのがうまいね」
 小学校や中学校の教師からよくほめられた。

「なぜ記者になりたいか?」自分を見つめ直した就活

Tさん/全国紙・NHK・ブロック紙内定:
 幼稚園の頃、私は両親に「作家になりたい」と言っていた。高校時代は、



地方紙受験で始まった就活はキー局内定で幕

H君/キー局内定:
 私の就職活動の開始時期は1月と遅く、さらに、留学経験もなければ、大学でメディアについて学んでいたわけでもない。

「本を作る人になりたい」その思いから出版社へ

D君/出版社内定:
本が好きというだけでは志望動機にならない
 本を作る人になりたい、という思いは、


面白いことをしたいと広告を志望した

Y君/広告会社内定:
インターンのお題が独特で徹夜するほど熱中した
 お笑いが好き。旅行が好き。政治学が好き。目立ちたがり屋で