学生の頃から憧れた記者の仕事へ

F君/全国紙、キー局内定


 「将来の夢、新聞記者」。私の小学校の卒業アルバムにはこう書いてある。小さい頃からの漠然とした記者への憧れ。大学生になってその気持ちを言語化するのは非常に困難だった。「なぜ記者になりたいか」。太陽がギラギラと照りつける夏のインターンシップから、鮮やかな緑が街を彩る最終面接まで、考えに考え抜いた。自分は記者に向いていないのではないかと幾度となく不安になったが、幼い頃からの自分の直感を信じて進み続けた。このページを開いた記者志望のあなたの、たまたま本を手に取っただけのあなたの、少しでも参考になれば幸いだ。

就活は3年夏のインターンシップから

 私の就職活動は3年夏のインターンシップから始まった。入学当初から部活動に没頭し、就職の“し”の字も頭になかった私は、6月にふと大手インターン情報サイトに登録した。「どうせ夏休みも部活漬けなのだから、受かったらインターンにでも行ってみよう」と軽い気持ちでエントリーシートを書き始めた。結果は、朝日新聞と読売新聞が通過し、共同通信と日本経済新聞とフジテレビは落ちた。共同通信と日本経済新聞はエントリーシートで敗退、フジテレビは旅行の予定をずらしてまで面接に行ったが、あえなく敗北した。
 このインターンシップが本選考にどれほど繋がったかはわからないが、一つ言えるのはそうやって足を運ぶことが自分の財産になるということだ。周りにマスコミ志望の学生がいなかった私にとって、1〜2年の頃から新聞部などで活躍してきた学生や、ジャーナリズムを専攻する学生に出会ったことは、どれだけ自分がマスコミ業界のことを知らず、優秀な学生がごまんといるかを思い知らされるいい機会になった。冬から始まる本選考に向けて、もっと学び成長しなければ勝ち抜けないと気を引き締めた。
 夏のインターンが大体落ち着いた頃、エントリーシートのどこが悪かったかを反省した。一番の改善点は自分の経験をもっと散りばめることだ。たくさんの自分だけの経験をエントリーシート全体に散りばめ、自分という人間がどのような複合的な経験から作り上げられてきたのか理解してもらうことを意識した。
 私の大学生活はほぼ部活動一色で、強みはほぼそこしかないのだが、面接官は必ずアルバイトのことや勉強のことも聞いてくる。例えば「学生時代に最も力を入れたこと」はサークルの話、「記者の志望理由」はボランティアの経験、「最近最も関心をもったニュース」はアルバイトの話を絡めて話す。エントリーシートでは語りきれない部分を面接官は必ず聞いてくるから、その受け答えも準備しやすい。エントリーシートは、面接という自分語りをする目次なのである。
 この戦略をひっさげ、冬のインターン選考に臨む。最も面接が早かったのはNHKである。書類選考通過のお知らせの後、11月17日に面接を行った。15分程度の個人面接を1日で2回行った。
 まず受験人数の多さに驚き、機械を使った呼び出され方に驚いた。めまぐるしく回され緊張したが、自分の話を真摯に聞いてくれる面接官の姿に感動した。面接官は記者の人だったので、取材をされている気分で自分の話を聞いてもらい、記者という仕事への憧れを深めた。その中で誰かNHKの職員に話を聞いたことがあるか聞かれたのが印象的だった。

NHKに続いて読売、日経、毎日の面接

 次にエントリーシートを提出したのは読売新聞。1月初旬にエントリーシートの締切があり、月内に2回面接を行った。1回目は1月14日に人事2人との個人面接。ごく一般的な質問しかされなかったが、人数に対して部屋が広かったこと、順番が早く、一問一答のような面接らしい面接だったのでかなり緊張した。
 なんとか通過すると1月20日に2次面接に案内された。ここで論文試験もあり、60分800字で作文を書いた。ここでも自分にしか書けない経験を絡めて書くことを意識した。最初に時間をおしまず構想をしっかり練り、後の時間で猛烈に書き上げた。「読んでみようかな」と思わせる入りを書くこと、最初から終わりまで一貫性を持たせることはテクニカルな部分だと思うが、必要なことだと感じた。800字は意外と短いので、内容を盛り込みすぎないことも重要だ。
 面接はやや圧迫ぎみだった。他社のインターンシップの感想や、テレビと新聞、他紙と読売の違いを重点的に聞かれ、かなり窮した。何より、控え室で集中してシミュレーションしている時に職員に話しかけられたこと、自分より前の順番だった見知らぬ学生に「優しい面接だった」と油断させられたのが焦りの要因だったと思う。
 日本経済新聞のインターンシップもエントリーシートは通過し、1月11日に面接に呼ばれた。当日昼の面接だったのに寝坊しかけ、会場到着がギリギリになってしまった。順番が遅かったので控え室でかなり待たされた。張り詰めた雰囲気の控え室とは裏腹に、隣の面接部屋で面接官が大爆笑する声が聞こえてきて、かなり焦った。面接は一般的な質問で始まったが、最後に「最近大笑いした話を教えてください」と言われ、これかと思い、渾身のネタを披露するも大すべりした。
 毎日新聞もエントリーシートが通過し、1月17日に面接に呼ばれた。個人面接であったが、ブース形式でこちらも長時間待たされた。かなり雰囲気の良い面接をしている様子が伝わってきたので安心して臨めた。
 面接官は2人で朗らかに話を聞いてくれた。自分の提出したエントリーシートに蛍光ペンでラインが沢山引いてあり、面接官も自分一人を見るために、ちゃんと丁寧に時間を割いて読んでくれたことがわかり嬉しくなった。かなりフランクに始まったが油断せず、きちんと会話のキャッチボールをすることを心がけた。インターンから本選考を通じて唯一、趣味の欄に書いた「神社仏閣巡り」がつっこまれ、内心焦った。
 冬のインターンシップは合計で記者職4つが通過し、3つに参加、1つは辞退した。会社によって内容はそれぞれだが、社内の雰囲気はもちろん、参加する学生もなんとなく傾向があり、面白かった。また新たに優秀な学生と出会い、凹むこともあったが、結局は「自分は自分の強み」と割り切り、自信を持って日々を過ごすことができた。

内々定を一つ得た後、3月から本試験

 インターンに参加した中で早期選考の話をもらい、3月に入る頃に内々定をもらった。初めての最終面接は非常に緊張したが、実際始まってみると、ここまで来られたならやりきるだけだ、と爽やかな気持ちだった。答えに詰まる質問もあったが、正直にわかりませんと答えたら、それもそうですねと言われ、必要以上に焦らなくて済んだ。内々定の連絡が来た時は全く実感がわかなかったが、ホッと安心したのを覚えている。
 1社内々定をもらって初めて、どこの会社で働きたいかを考えた。記者になることだけ考えていた私は、その場で終える決断はできなかったので、就職活動を継続することに決めた。
 その後、朝日新聞とNHKだけエントリーシートを提出した。3月24日の朝日新聞の1次面接は最も緊張した。インターンシップなどとは違い、一発勝負の本選考の面接は初めてだったので、ここでは落ちられないと思い少し上がってしまった。そのせいか面接官の質問が頭に滑らかに入ってくる感覚がなく、聞かれたことに必要十分に答えられていなかったと思う。それでもとにかく自然な笑顔だけは崩さないようにと思い、なんとか乗り切った。
 3月31日の2次面接は、29日の論作文試験と併せて行われた。1次とはうって変わって非常に朗らかな面接官で、面接官自身の話も聞くことができ、心から楽しいと思った。最終面接は噂通りの厳かなフロア、雰囲気だった。緊張しすぎて待合室に用意されていた週刊誌を漁るように読んだ。いざ面接となり重い扉を開くと、あまりにも緊張感がありすぎて笑いそうになった。想定外の質問が何個か飛んできたが、自分の中で明快に答えがある質問がきたのでこれは勝ったと思った。
 NHKは人事面談と個人面接が主だった。中でも年配の記者と1対1で、作ってみたい番組に関して面接官と一緒に考える面接は面白かった。面接官も知識を貸してくれ、自分の知識が深まり勉強にもなった。最終面接も他に内々定があると思うと気が楽で、いつも通りの自分で臨めた。面接官も非常に朗らかでゆっくり落ち着いて答えることができた。

「就活は愛と運と縁」が就活中の合言葉

 合計で3つの会社から内々定を貰った私は、人との出会いを基準に考えた。内々定を受諾することにした会社は、社員も学生も面白い人たちばかりだった。私は、インターンなどで上がってくる学生はやはり本選考でもその会社が評価するような人材だと考えていたので、インターン中から一緒に働きたいと思える学生を探していた。その会社は社員も学生も、それぞれユニークな強みを持ち、優秀でありながらそれを鼻にかけない良さを感じた。
 自分がその人たちに囲まれて面白い日々を送り、成長を続けられるのはこの会社だと確信し、決断した。また地元の地方紙の受験も考えていたが、取りやめた。一度東京で行われた説明会に足を運んだが、自分の成長と周りの人のユニークさという点で劣ると感じたためである。
「就活は愛と運と縁」
 就職活動中、自分が持っていた合言葉である。
「愛」は、会社への愛だ。学生と会社が相思相愛であれば採用されると仮定したとき、相思相愛になるには好きになってもらうこと、好きな気持ちを伝えることが必要だ。すなわち、学生自身が魅力的であること・会社の魅力を言えることである。そのための努力は惜しむべきではないから、より自分を魅力的に伝える練習(自己PR)、会社をよく知っていることを伝えること(志望理由、筆記試験対策)は徹底するべきだと思う。
「運」「縁」は努力ではどうにもならない。自分に合うタイプの面接官が来る運、インターン先で面白い社員に出会う縁。これは本当に自分の力ではなかなか掴めない。私は面接に通過しなかったとき、自分にまず「愛」が足りていたかと確認した。これ以上ないほど準備ができていれば「運」、「縁」がなかったと考えると非常に気が楽になった。


試験を受けていて「ここで働きたい」という気持ちが…

Tさん/キー局、出版社内定:
文章を読んでほっとする。映像を見て涙する。人の無事を願ってニュースに聞き入る。そうやって自分の感情を揺さぶられて生きてきた。

やりたい事と適性は別…だから面白い

Sさん/全国紙、キー局内定:
小学生の時からずっと、小説の編集者になりたいと思っていた。書く才能はなかったが、なんとか本に関わる仕事に就きたいと思っていたし、「この人にこんな作品を書いてほしい」と考えることが多かったからだ。


「広告業界に行きたい!」と声を大にして言い続けた

Yさん/放送局内定:
中学生の頃、「マズい、もう一杯!」という青汁のCMに出会った。「人の本音や世の中の本質を見抜き創られたものは、多くの人の心を揺さぶるのだ」と強く感じ、

ただただ記者になりたかった

M君/全国紙、出版社内定:
中学1年生の時、「クライマーズ・ハイ」という映画に出会った。1985年の日航ジャンボ機墜落事故とそこにある事実を、地元新聞社の記者が追っていく作品である。


「記者になりたい」との夢を叶えるまで

Y君/放送局、出版社内定:
記者になりたい」。幼い頃から抱いていた夢だ。自分が生まれ育った町は、衆議院選挙の激戦区で、与野党問わず多くの大物政治家が駅前で応援演説を行っていた。

50連敗に涙した後、奇跡の第一志望内定へ

Kさん/ブロック紙、地方紙内定:
2勝50敗。私の就活の戦績だ。
文章を書く仕事がしたい。そう漠然と意識するようになったのは、小学生の頃だった。