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創出版: 2008年3月アーカイブ

 3月20日、都内にて「三浦和義氏の逮捕に怒る緊急集会」が開かれました。

 予想はしていましたが、テレビ局始めマスコミが大勢取材に入り、集会参加者はたぶん100人くらいと思いますが、テレビカメラが何台も回る中でのちょっと異様な集会となりました。

 

三浦集会.JPG でも議論そのものはなかなか有意義なものでした。法律家の新倉修教授の「一事不再理」問題をどう考えたらよいかも参考になったし、会場に来ていた弘中惇一郎弁護士も細かい事実経過を説明してくれました(写真)。

 また三浦さんと親しい人たちも参加していて、今後何ができるかといった話もできました。当面、弁護士費用を含め、三浦さんの支援については、可能な限り連携して実行することにして、近々支援のホームページを立ち上げることも決まりました。

 支援のカンパの受け入れ先として旧弁護団の口座を使うことも決まりました。

 

 みずほ銀行新橋支店(130) 普通預金 1527996

 三浦和義さん弁護団預り弁護士弘中惇一郎

 

 ホームページが立ち上がったらまたお知らせします。

 2月23日の三浦和義さん逮捕には驚きました。もともと三浦さんと『創』の縁は深く、 彼が最初に逮捕された翌年の1986年から「検証・三浦報道」という1年以上に及ぶ獄中連載を掲載したのがきっかけでした。ロス疑惑事件とは、『週刊文春』発のマスコミ先行の事件だったので、報道のあり方をめぐって大きな議論が起きました。その中で、『創』は報道される側から報道を検証しようという企画で三浦さんに手記をお願いしたものです。 新聞・雑誌など膨大な記事をコピーして拘置所の三浦さんに送るという作業で、スタッフ1人が半年間その仕事にはりつきになりました。こうした報道の検証から発展して、その後三浦さんは大量のメディア訴訟を手がけるようになりました。それも含めて1984年のロス疑惑報道とは、日本の報道の歴史を画する出来事といえます。


カレー事件集会での三浦さん.JPG

 その後も三浦さんには、折りに触れて手記を書いてもらい、無罪判決で釈放された直後 や宮城刑務所からの出所直後など、節目節目で登場してもらいました。三浦さんは、あれだけマスコミに叩かれながら無罪を勝ち取った人物として、冤罪事件などで発言するようになり、恵庭事件や和歌山カレー事件(写真右=集会で発言する三浦さん)でよく顔をあわせるようになりました。
 そうした長年にわたる親交があったゆえですが、今回の逮捕については当日夕方からたくさんの新聞からコメント取材を受け、その後も連日のように取材を受けました。テレビではコメント取材だけならあちこちに出ましたが、大きなものでは2月24日のTBS「報道特集」生出演がありました。佐木隆三さんがわざわざ九州から飛行機で駆け付け、TBSの杉尾秀哉さんと3人でスタジオでトーク。司会は田丸美寿々さんでした(写真左下)。


報道特集.jpg 雑誌では『週刊新潮』『AERA』『週刊朝日』などに登場。特に3月12日発売の『週刊朝日』では約1ページにわたってコメントが掲載されています(写真右下)。


三浦.jpg 連日の大報道であっという間に2週間以上が過ぎてしまいましたが、三浦さんと親しい人たちの間で、ようやく何か支援をしようという話が広がっています。3月20日に集会が予定されており、そこで支援する会が立ち上がることになりそうです。また、メディア訴訟で知られる三浦さんのこと、将来のことを考えて、今回の報道についても検証していこうという話が出ています。『創』5月号(4月7日発売)では、そうした報道の検証を始め、ある程度のページをとって報道する予定で、三浦さん本人の肉声もお伝えしたいと考えています(写真下=三浦さんの獄中手記を掲載した『創』1986年12月号)。

『創』編集長・篠田博之

 

 

  三浦2.jpg 


押し紙.jpg 『創』4月号は新聞社の大特集だが、もちろんただの業界特集と違うのが本誌ならではで、例えば「押し紙」の現場写真をカラーで公開している(写真)。公表されている新聞の部数は実は水増しされたもので、新聞社から販売店に送られた新聞のある程度は実はそのまま廃棄処分されている。業界では昔から指摘されてきたものだが、それを具体的に直撃ルポで暴いたのがフリーライターの黒薮哲哉さんだ。彼が昨年上梓した単行本『崩壊する新聞』は、何と朝日新聞社社内の書店で売れ行きベスト1になっている(笑)。

柳.jpg 2ちゃんねるやヤフーで一時は大騒ぎとなった「虐待」騒動について、柳美里さん自身が詳しい経過を『創』4月号の連載の中で明らかにした(写真)。『週刊女性』との攻防戦についても書いているが、その攻防戦のただなかに、同誌の太田裕子編集長について、本誌サイトの「週刊誌を読む」から引用するなど、このサイトも結果的に騒動に関わることになった。

 

徳島刑務所.JPGのサムネール画像

 さる2月19日、『創』が2月号で大暴動の詳細をスクープした徳島刑務所で、受刑者17 人と元受刑者4人、それに遺族1人の計22人が集団告訴・告発を行った。告訴告発の対象は徳島刑務所の松岡裕人医務課長と元徳島刑務所長ら3人。大暴動も戦後初めてと言われるが、この集団告訴も極めて異例なものだ。
 その日、徳島と東京で記者会見が行われ、元受刑者が弁護士とともに、徳島刑務所の現状を訴えた。東京での会見では、元受刑者が「これまで受刑者らが何度も内情を表沙汰にしようと試みたがいずれももみ消されてきた。受刑者には何をやってもいいという風潮はおかしい」などと涙ながらに訴えた(写真上)。
 受刑者らはこの集団告訴とともに、日本弁護士連合会に人権救済申し立ても行った。
 この集団告訴には、『創』2月号のスクープも大きな力になった。それまで受刑者からの訴えは地元弁護士会や東京の弁護士に寄せられ、国会でも取り上げられたものの、一方的な訴えだとして退けられていたのだが、『創』の記事では受刑者だけでなく刑務官がそれを裏付ける詳しい証言を行っており、事実が客観的に裏付けられた形になった。記事の中身は告訴状でも詳しく紹介されている(写真下)。


徳島.jpg それにしても告訴状に書かれた徳島刑務所の医療に名を借りた虐待は深刻で、例えば42歳の告訴人TYの場合は、運動中に倒れて担架で医務室に運ばれた同人を、松岡らが押さえ付けて「肛門に手指を挿入して肛門内部を掻き回し」、その結果「肛門からの出血は1週間ほど続いた」とある。
 こうした虐待に耐えかねた40人の受刑者が暴動を起こしたのが昨年11月17日だった。大半が服役していたヤクザたちで、プライドを傷つけられた彼らが処罰覚悟で国家権力に闘いを挑んだまさに任侠道を地で行く決起だった。
 当局が情報統制し、外部に知られることを抑えたにもかかわらず暴動の事実は一部の新聞でも報じられ、現役刑務官の証言を伴って『創』で大きく報じられたのだった。今後は暴動参加者らに対する処罰の裁判も始まり、経緯の詳細がさらに明らかになってくると思われる。
 なお今回の集団告訴を含めた、暴動をめぐるその後の経過については、『創』4月号の記事「大暴動・徳島刑務所で受刑者らが集団告訴」で詳しくレポートされている。