トップ> 月刊「創」ブログ > 2013年2月アーカイブ

2013年2月アーカイブ

 朝から新聞社やテレビ局からの取材が殺到し、幾つかのメディアにはコメントしたが、親しくつきあってきた小林薫死刑囚への刑執行は衝撃だった。しかも同時に金川死刑囚も執行というのにも驚いた。この2つの事件は、死刑制度とは何なのかについて大きな問題提起をしたケースだし、金川死刑囚の場合は死刑になるために殺人を犯したということだから、死刑が凶悪犯罪の抑止どころか逆に犯罪の背中を押した事例だ。本人はただ死にたくてやったというだけだが、そういう人間を死刑にすることが「裁いた」ことになるのかどうか、真剣に考えるべき事件だと思う。

 私は2人の死刑囚とも会っており、特に小林死刑囚とは一時期、毎月のように会い、手紙のやりとりをしたし、控訴取り下げなどについて相談も受けた。2人とも共通するのは、マスコミに流布されたイメージと生身の本人の印象が異なることで、特に金川死刑囚は、会ってみた印象は本当に「好青年」だった。自我が確立する時期に自殺を考えることは誰でもあるが、それをそのまま無差別殺傷で死刑になるという短絡した発想で実行してしまったのが金川死刑囚だった。既に判決時点で彼の「死にたい」という意志は強固で、誰もが執行は早いだろうと思っていたと思う。

 もうひとつ2人に共通しているのは家庭環境が複雑なことで、金川死刑囚の場合は、現代の「家庭崩壊」の象徴のような状況だった。小林死刑囚も、小さい頃に母親を亡くし、父親には暴力を振るわれて社会的に疎外されていった人物だが、母親のことをいつも思い、法廷でも母親の話になると涙を浮かべるという心情を持っていた。一方で、法廷中がすすり泣いた被害者の証言の時には全く涙も見せない非情な態度で、私はそれにも驚いたが、生涯通して家族にも社会にも否定され続けた小林死刑囚の境遇が、彼のそういう人格に影を落としていたことは確かだ。

 金川死刑囚は、たぶんそのまま成長していれば人格的に変わっていったのは確かだし、小林死刑囚も仮に違った環境に生まれていればああいう事件を起こすことはなかったと思う。その意味で、2人ともその犯罪を通じて考えるべき多くの問題を投げかけていたのだが、裁判ではほとんどそれに応えられないままだった。特に小林死刑囚は、本当は検察の筋書きは事実と全く違うのだが、死刑になりたいので争わず受け入れるとして、法廷で真相を語ることを拒否していた。ただ真実は残したいので「創」に手記を書きたいと、裁判では全く主張しなかった事件の細部を手記に書いていった。いずれが真実なのか、本当はそれを争い裁くのが法廷なのだが、実際の裁判ではほとんどその解明はされないまま、被告の望み通りに死刑判決が出された。こんなことでよいのか、と私は裁判を傍聴しながら、大きな疑問を感じざるをえなかった。

「裁判は茶番だ」と2人の死刑囚は言っていた。特に小林死刑囚は確定後も「裁判は茶番だ」と言い続けて死んでいった。犯罪を犯した人間を処刑してそれで事件が裁かれたとする単純な社会通念に、この2つの事件は大きな疑問をつきつけている。本当にこれでよいのか。2人の死刑執行を機に、我々は考えてみなければいけないと思う。

 小林薫死刑囚については拙著『ドキュメント死刑囚』『生涯編集者』に書いたし、金川死刑囚の手記は『創』に2回にわたって掲載した。本日、『生涯編集者』の関連部分と、金川死刑囚について書いた『創』の記事を、ネットに公開したいと思う。この機会にぜひ多くの人に、死刑について考え議論してほしいと思うからだ。(月刊『創』編集長・篠田博之)

 

 『生涯編集者』(篠田博之著)

「第11章 奈良女児殺害・小林薫死刑囚の手記」より 

 

 この章で取り上げる奈良女児殺害事件・小林薫死刑囚のことは、私の前著『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)で詳しく書いている。重複を避けるため、この章は割愛しようかとも思ったが、死刑の問題と別に、書いておきたいことがあるので敢えて取り上げることにした。

詳しくは別の機会に譲るが簡単な報告だけはしておこう。

2月1日(金)夜、都内で「週刊朝日」連載中止事件についてのシンポジウムが開催され、佐野眞一さんが、2つのノンフィクション賞の選考委員を辞任した。100人くらいの規模のシンポだったが、まだ公に募集をする前から口コミで参加希望者が殺到し、結局あまり募集告知もしないまま定員に達してしまったため、開催を知らなかった人も多いと思う。当日参加した共同通信その他の記者により、選考委員辞任の一報だけは多くの新聞に掲載された。シンポのコーディネイターを務めたのは『創』編集長・篠田だが、この問題はなるべくオープンな場で、佐野さん自身も含めて議論すべきと以前から呼びかけていた。

議論は「週刊朝日」の昨年の対応や、部落差別という難しいテーマをノンフィクションでどう扱うかといった話まで、高山文彦さんらをまじえて行われた。詳しい議論の中身は月刊『創』4月号に掲載予定だが、そのシンポの冒頭の佐野さんの発言だけ、ここで紹介しておこう。選考委員辞任は、その議論の冒頭、佐野さん自身によって表明されたものだ。

《この度の週刊朝日問題では、多くの方々に多大な迷惑をかけてしまいました。出自に触れる事が差別意識と直結する事は絶対あってはならないことです。それが分かっていながら、「ハシシタ」というタイトルが、橋下徹氏の出自と人格を安易に結びつける印象を与えてしまいました。加えて『週刊ポスト』の昨年末号に書いたように「化城の人」、これは創価学会論ですね。この無断引用問題も私に降りかかっております。二つの問題とも、自分の原稿チェックの杜撰さゆえです。自分の原稿チェックもできない人間に、他人の原稿のチェックが出来るはずはありません。

よって私は今日今日を持って、早稲田大学記念石橋湛山賞、開高健ノンフィクション賞の選考委員を辞退いたします。》

なお、佐野さん及び『週刊朝日』と部落解放同盟による確認糾弾会は1月22日に第1回が始まったばかりだ。この内容については、発売中の『創』3月号に掲載してあるのでご覧いただきたい。『週刊朝日』問題はもう過去の話と思っている人も多いのだが、本格的な議論はまだこれからだ。