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2011年10月アーカイブ

9月30日にNHK総合で放送された「永六輔・戦いの夏」、見逃した人はNHKホームページのオンデマンドのサイトからまだ見られるので、ぜひ見ていただきたいとお勧めします。私は、永さんとは、いま月刊『創』の矢崎泰久さんとの連載対談「ぢぢ放談」収録のために毎月お会いしているし、その前は朝日ニュースターの「痛快おんな組」で一緒だったので、もう5年くらい顔を合わせていることになります。
NHKの番組でも話していましたが、永さんは、最近話題の「上を向いて歩こう」を始め、作詞家として知られた時期もあったけど、フォークソングが出てきた時期にその仕事を辞めたと言います。自分で作詞作曲をして自分で歌うフォークシンガーのありかたこそが表現者だと感じたというのです。永さんらしい話です。
また、今回、自分の思い入れのイベントを紹介する企画だったのでテレビに出演したが、そもそも永さんはテレビ嫌い。戦後のテレビ文化を創った人がテレビ嫌いというのも面白いのですが、テレビに出ることが有名人と同義になった風潮に対する永さんなりの抵抗なのです。このへんのこだわりが、永さんの魅力なのです。そんなふうに自分の生き方にこだわる人って、永さんの世代まではたくさんいたのに、最近ほとんど見かけなくなってしまいました。そのあたりの永さんの生き方をよく表現していたのが、今回のNHKのドキュメンタリー番組でした。永さんを知る世代の人にはぜひ見てほしいと思います。
この番組でも大きなテーマになっていましたが、実は永さんはこの3年ほど、深刻な病気に苦しんでいました。私が5年ほど前、一緒に仕事をするようになった頃は、例の「立て板に水」というべき永さん独特の喋りが聞けたのですが、その後、みるみるうちに元気がなくなり、一気にふけこみ、話してもろれつが回らなくなったのです。一時は周囲の人たちも、このまま永さんは亡くなってしまうのではないかと心配しました。大好きなラジオの仕事でも、「何を話しているのか聞き取れない」という批判の投書と、「永さん頑張れ」という激励の投書が相半ばし、局側も心配したのでした。
でも、昨年あたりから、また永さんは元気になり、言葉も聞き取れるようになったし、今年は被災地にも、さらにモンゴルにまで出かけました。その元気が出るようになったあたりに、タクシーに乗っていて追突される事故があったために、「壊れたラジオと一緒で叩いたら直った」と本人も周囲もギャグにしています。ただ、毎月見ていた私に言わせれば、永さんが回復しだしたのは、パーキンソン病という自分の病名がわかったせいだと思います。それまでは、いろいろな症状が出始めたのに、原因がわからないという状況で、それが不安を呼び、精神的にも元気をなくさせることになっていたのだと思います。
病気が認識できたことで、自分の状況が把握できたというのが大きかったのだと思います。病名がわかって治療に集中するようになってからは、精神的にかなり元気が出てきたように感じました。今は永さんは、病気と向き合い、病気をつきあいながら活動をしています。自分の死生観についても番組で話していました。やはり永さんほどの人が語ると、死生観も重みが違います。考えさせられる番組でした。