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2011年2月アーカイブ

 警察官出身で警察裏金問題などを告発し続けてきたジャーナリストの黒木昭雄さんが昨年遺体となって発見。「俺が死んだら警察に殺されたと思ってくれ」というのが口癖だったため、当初は「謀殺説」が吹き荒れました。昨年12月19日、都内ホテルで黒木さんと親交のあったジャーナリストらが集まりました(写真はそこで挨拶する宮崎学さん)。その時の黒木さんの長男  が最後に挨拶で語った「父は自殺したのではない。殉職だと思っています」という発言が印象に残り、その後、黒木さんの死の背景などを取材しました。享年52歳という、ジャーナリストとしてはこれからという年齢で黒木さんがなぜ自殺したのか。考えてみるべき問題が残されているように思えたからです。  

 その詳細は、発売中の月刊『創』3月号に9ページにわたって書きましたので、ぜひそれをご覧いただきたいのですが、ここでポイントのみ紹介しておきましょう。


黒木1.jpg まず外形的には黒木さんは間違いなく自殺でした。遺書も見つかり、自殺した昨年11月1日の行動も判明しました。夕方4時頃、自家用車で家を出てからホームセンターでカードを使って練炭コンロ2つや軍手、マッチなどを購入。レシートも残されていました。警察官だった父親の墓の前でワンカップの酒を飲み、妻の兄に携帯電話をかけていること、10月27日に医者に処方してもらった睡眠剤を飲み、練炭自殺を図ったことも、ほぼ間違いないと思われます。

 ただ、知人の清水勉弁護士に送った遺書にも書いてありましたが、この自殺は、黒木さんが一昨年から追いかけていた岩手の女子殺害事件との関わりを抜きには語れません。この事件を追う過程で黒木さんは物理的にも精神的にも追い詰められていったといえます。事件の詳細をここに語るのはスペースの都合で割愛しますが、2008年に岩手で女性が殺害された事件を追いかけるうちに、黒木さんは、警察の見立てたストーリーが全く間違っていることをつきとめ、捜査の見直しを強く求めていたのです。警察は被害女性の知人で行方不明になった男性を容疑者だとして指名手配したのですが、黒木さんによるとその男性も被害者で既に殺害されている可能性が高いというものでした。その男性の親は、捜査も進まぬうちに息子が殺人犯として公開され、「生き地獄」のような状況に置かれるのですが、黒木さんはそういう状況に憤りを持ち、殺害された女性の遺族と、指名手配された男性の家族とともに、捜査の見直しと真相究明を掲げて、署名運動や警察・行政への申し入れを繰り返します。岩手県へ多い時は月に何回も出かける生活になったのです。

 ところが残念ながら、黒木さんの訴えにも関わらず、警察は誤りを認めず、権力を監視すべき新聞・テレビも警察を恐れてこの問題をほとんど取り上げないという状況が続きました。黒木さんはフリーのジャーナリストですから、取材や署名運動に費やした経費はかさみ、生活も圧迫するようになっていったのです。『週刊朝日』などに何度か署名記事でこの事件を執筆しましたが、そのくらいでは追いつかなかったようです。地元の新聞・テレビがほとんど動かないことも黒木さんをおおいに失望させました。

 黒木さんがこの間、取材経過を書いたブログは今でも残されています。http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki
また、昨年5月に一度、黒木さんと協力してこの事件の疑惑を報じたテレビ朝日系「ザ・スクープ スペシャル」はこの3月に黒木さんの遺志をついで、再度番組でこの事件をとりあげる予定です。さらに清水弁護士らが地元警察を相手に起こした裁判も続いています。
 黒木さんは時々、『創』編集長・篠田の携帯にも突然電話をかけてきて、「岩手の事件は必ず弾けるから」と語っていました。その黒木さんの信念がなかなかかなえられず、本人の自殺という事態に至ったことは、編集者として何もしてあげられなかった自責の念とともに衝撃を与えました。

 黒木さんがのめりこむようにして事件の真相を追及し、警察と闘ったのに、逆に自ら死を選ばねばならなかったというこの現実は、日本のジャーナリズムのあり方を考えるうえで深刻な問題を提起しています。かつて狭山事件や島田事件など、大きな事件には、それを追うフリージャーナリストが何人もいて、社会に告発をするとともに、事件を記録するという役割を果たしたものですが、今はそういうジャーナリズムの仕事を保証する環境がなくなってしまったのです。ジャーナリズム系の雑誌が次々と廃刊していったことも、これに拍車をかけました。警察情報に依拠するが故に警察批判のできない新聞・テレビが取り組まない状況を突破してきたフリージャーナリストが、いまどういう状況に置かれているか。黒木さんの自殺は考えるべき多くの問題を提起しています。(篠田博之)

 毎日新聞の半日先行のスクープで始まった大相撲八百長騒動ですが、大筋ではこれまで『週刊現代』などで報じられてきたことと同じです。今回のように「動かぬ証拠」が出たというのは大きなことです。でも、気になるのは、いまだに相撲協会が「八百長は過去にはなかった」と強調していること。これは『週刊現代』への裁判が昨年10月に確定して4000万円以上の賠償金が決まっている事情を意識しての発言ですが、幾ら何でもひどすぎるのでは。一方で「うみを出し切る」とか言いながら、他方で「過去にはなかった」と平気で言っているという、これ一体何なのでしょうか。

 今からでも、あの『週刊現代』の裁判は何だったのかということを再度見直すのが当然でしょう。あの裁判は、メディア訴訟の歴史に残るような高額賠償判決で、『週刊現代』と筆者の武田頼政さんは完敗でした。それが確定後3カ月で、根底からひっくり返る証拠が出てきたわけです。これ、冤罪事件のようなものじゃないですか。
 確かに裁判で審理されたのは朝青竜など別の力士のケースなので、今回の証拠が直接それに関わるわけではないのですが、でも今回の証拠の発覚が半年早ければ、心証は全く違っていたはずです。

 あの高額訴訟は、もう八百長疑惑など週刊誌に書かせないぞという威嚇を狙ったもので、かつての『週刊ポスト』のキャンペーンの経緯もあり、相撲協会としては書けば必ず訴えるという態度を見せつけたものです。こういうあからさまな威嚇訴訟を裁判所が追認していくという現状は、改めて考えるべきことです。だって武田さんなどへたをするとライター生命を失いかねなかったわけですから。

 この話、2月6日付東京新聞の「週刊誌を読む」にも書いて、その中でも触れましたが、月刊『創』も2003年に武富士の山岡さんへの盗聴疑惑を告発した時、武富士から次々と提訴されました。武富士は「全くの事実無根」とか無茶苦茶なことを言って、その山岡さんの書いた記事を訴えたわけです。で、裁判が始まった直後に武富士会長が逮捕されるというドラスティックな展開で、『創』は勝ったわけです。もし逮捕がもっと遅かったら、裁判は簡単ではなかったはずで、名誉毀損訴訟は、挙証責任が書いた側にあるので、取材源秘匿などの責務を負う報道側には不利な構造になっているのです。
確かに、断罪されてもしかたないようなひどい報道がたくさんあるのは事実なのですが、問題はプライバシー侵害や弱い者いじめでしかないようなケースも、権力追及といった報道目的の場合も、裁判所が「ミソもクソも一緒」に取り扱ってしまうことです。権力追及においては、「100%ウラがとれなくても書く」という週刊誌ジャーナリズムの姿勢は称揚されるべきで、そのあたりの認識が裁判所に欠けているのは残念としか言いようがありません。

 でも今回、警察のお墨付きを得たことで堰を切ったように大手マスコミが八百長告発をしていますが、相撲記者だったら八百長についてはこれまで何らかの情報に接する機会はいくらでもあったはずです。それを協会の報復を恐れて黙ってきて、こうなったとたんに書きまくるというのはどうなのかな、という感じ。前述した武富士の時も会長が逮捕されたとたんに大手マスコミが洪水のように書き始めたのですが、それまでは『創』など一部の雑誌が孤立しながら告発を行っていたわけで、あの時も「なんだかなあ」という感じでした。きょう7日発売の『週刊現代』が「八百長を見て見ぬふりをした相撲ムラのインサイダーたち」という記事を載せてますが、その通りです。でも裁判で完敗した『週刊現代』、今週号の誌面はものすごい鼻息の荒さですねえ。