就活弱者から出版社合格まで

Y君/出版社内定


マスコミ志望者は、早めの準備を

 「とにかく多くの企業をみてみること」
 先輩のアドバイスに従い、3月からの学内説明会ではマスコミ業界に限らず、メーカーやインフラなど、できるだけ多くの企業の説明会に足を運んだ。数を絞って企業を見て回ったほうがいいという意見もあるが、私はこの時期に多くの企業を知れたことは有意義であったと感じている。これまでは企業の製品やサービスを享受する側であったが、これからは提供する側になる。そのような視点をもって説明会に参加すると、企業に対する考え方が変わるからである。
 説明会回りと並行して、テストセンターの試験対策や自己分析を始めた。4月からはエントリーシートの提出に追われ、さらに忙しくなるため、テストセンターの試験勉強は早く始めるに越したことはないと感じた。自己分析においては、常に就活ノートを持ち歩き、気づいたことはすぐにメモするようにした。またサークルのOBOG名簿を引っ張り出し、関心のある企業で働いている先輩には実際に会って、ESをみてもらったり、悩みを聞いてもらったりした。しかし知り合いにマスコミ業界で働いている人が少なく、この時期は創出版の『マスコミ就職読本』など、書籍やインターネットで情報を収集するだけの日々が続いた。今振り返ると、この時点では明らかに準備不足で、マスコミ業界を目指す他の学生に比べ、かなり遅れをとっていたように思う。

読む人が楽しめるESを

 一通り説明会が終わると、エントリーシートの提出に追われた。放送、出版、広告代理店など、マスコミ業界を中心にエントリーしたが、「マスコミだけ」という考えはもたなかった。メーカーや金融、航空、インフラなど、少しでも関心がある企業にはエントリーシートを出した。締切に追われ、無心にESを書き続けた結果、エントリーした企業は40社にのぼった。しかし、ESを提出することが目的となってしまい、志望度の高い企業に十分な時間を割くことができなかった。特にマスコミ業界のESは書く内容が多く、十分な推敲を必要とした。そのため寝不足で体調を崩したり、就活への不安感が高まったりするなどの悪循環が続いた。今振り返ると、もう少し業界を絞ってエントリーするべきだったと反省している。
 エントリーシートにおいては、アピールポイントを一つ軸にしながらも、引き出しが多く、総合的にバランスのとれたものを目指した。特にマスコミ業界のESを書く際は、「読む人を楽しませよう」という視点も意識した。私は一人で黙々とESを書くタイプだったが、周囲には複数人で一緒に書いている人もいた。やはりESは他人が読むものなので、できるだけ多くの人に目を通してもらう意味でも、友人と協力することは有意義だと感じた。提出の方法においては、企業によってウェブ上か郵送のどちらかである。出版社はほとんどが手書きで郵送だったため、太ペンを活用したり、上質紙を用いたりし、できるだけ印象に残るESを心がけた。もっとも、終始締切間近に速達で郵送する始末であったが。
 運も味方し、幸いにも提出したエントリーシートは無事通過した。次第に面接のお知らせのメールがひっきりなしに届き、いよいよ就職活動が本格化していくのを感じた。最初の面接はフジテレビだった。学生3人の集団面接で、時間は一人当たり正味5分程度。短い時間内で、簡潔に自分をアピールしなくてはならなかった。にもかかわらず、まとまりのない話を延々と続け、結局何を伝えたかったのか自分でも分からなくなってしまった。案の定、後日「お祈りメール」を受け取ったが、収穫もあった。第一に、面接とは対話であるということである。一方的に用意したことを話すのではなく、面接官の言動に臨機応変に対応しなくてはならない。そのためには何を話すかを準備しすぎず、また面接の中で話が逸れることを恐れないようにしたい。事実、話が全く違う方向に逸れ、世間話だけで面接が終わったにもかかわらず、通過していたということが何度もあった。それだけコミュニケーション能力が大切であるということだろう。
   その反省を活かし、次の名古屋テレビの面接ではとにかく「会話すること」に注力。部活の辛かったエピソードを、ユーモアを込めて話したり、サークルでの失敗談を語ったりし、自らをよく魅せようとせず、雑談する感覚で臨んだ。その結果、背伸びしない姿勢が奏功したのか、無事通過した。
 面接と並行して、出版社の筆記試験も始まった。漢字や時事問題、作文をはじめ、出版社の筆記試験は対策が難しい。その上エントリーシートの提出に追われていたため、試験勉強はほとんどせず本番に臨んだ。しかし他企業のウェブテストやテストセンターの試験勉強としてSPI対策をし、普段から新聞を読んでいたため、なんとか通過することができた。しかし事前に十分な準備をしておくべきだったと、今振り返ってそう思う。例えば頻出である三題噺や一般常識問題は、準備次第ではライバルと差をつけられると感じた。また準備の有無で、精神的な余裕にも雲泥の差が生まれる。

OB訪問で社員さんの優しさに感動

 面接をこなす過程で、自分がいかに受験している企業について無知であったかを思い知らされた。そこで選考中ではあったが、広告代理店を中心にOB訪問を始めた。OB名簿や友人の紹介など、ありとあらゆる手段を駆使して社員さんとお話しする機会を得た。社員さんから直接お話を聞くたびに、毎度感動したことを覚えている。OB訪問で対面するまで一度もお会いしたことがなかったにもかかわらず、親身になってESの訂正や仕事の内容について教えてくれたからだ。やはり仕事について、現場で働いている社員さんから直接聞けるのは有意義だろう。私はES提出後にOB訪問を始めたが、提出前に社員さんに見てもらうべきだったと今でも後悔している。しかし社員さんの優しさや仕事に対する情熱を感じ、就活への意欲も増した。
 選考の過程で、グループディスカッションを行う企業は少なくない。電通、博報堂は無事二次選考を通過するも、三次のグループディスカッションで落選。電通においては、およそ8人で90分間話し合う長丁場であるため、事前の心構えと、他の学生に圧倒されないだけの精神的強さが必要だろう。この時期はグループディスカッションでの落選が続き、不安が募ることもあった。
 6月の面接解禁以降は、毎日面接会場と学校を往復する日々が続いた。エントリー数が多い分、過密スケジュールで体力的にも精神的にも参ってしまいそうになることがあった。そこで先輩に相談したり、自身で今一度就活へのスタンスを考え直したりした。そして選考が続いていようとも、マスコミ以外の企業には全て辞退を申し入れた。エントリー数は人それぞれで異なるが、是非とも様々な要素を加味した上で、バランスのとれた数を応募してもらいたい。

私なりの就職活動への答え

 今振り返ると、私の就職活動は他の学生と比べても明らかに遅いスタートであった。そこでアドバイスとして、当たり前ではあるが「就職活動は早めに始めること」を伝えたい。3年生の夏からインターンシップを募集する企業も多く、その時期から就活を意識して積極的に応募したい。それと並行して、徐々に企業に対する理解も深めていきたい。何も「企業研究」というのではなく、広告業界に興味があるなら、ユーチューブでテレビCMを見ることから始めればいい。出版社に興味があるなら、書店に足を運んで、どんな本が今店頭に並んでいるか眺めるだけでもいい。そして何も「OB訪問」というのではなく、サークルやゼミの先輩に連絡して夕食をご一緒するだけでもいい。
 ではいわゆる「就活弱者」であった私が、なぜ無事に内定をいただくことができたのか。それは、「時間と労力を惜しみなく費やしたこと」に尽きるのではないかと思う。就活解禁後、とにかく一つのことに集中するために、内定がでるまでアルバイトはしなかった。その代わり四六時中就職活動のことを考え、隙間時間を捻出してはテストセンター対策や自己分析に励んだ。また毎日一人OB訪問をすると決めたら、ありとあらゆる手段を駆使して社員さんにこぎつけた。さらに一日中テレビCMを観る日もあれば、開店から閉店まで書店で過ごす日もあった。そして自己分析や面接で感じたことを記した「就活ノート」は11冊を数えた。私には人に自慢できるような経歴や特技はないが、一つのことに時間と労力を惜しみなく費やせたからこそ、納得のゆく形で就職活動を終えることができたのだろう。
 逆を返せば、努力次第でいくらでも「就活強者」と対等に渡り合えるということである。周りの学生が優秀だからといって、引け目を感じる必要はない。自分の経歴に自信がないと、落ち込む必要もない。惜しみなく時間と労力を費やせば、必ず結果はついてくると信じ、ぜひとも志望する企業の内定を勝ち取ってください。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。