理系の大学院から小学館内定という異例

C君/小学館内定

理系の大学院でオーロラの研究!?

 私は理系の大学院でオーロラの研究をしている。それにも関わらず、就職先として小学館を選んだ。「理系なのに何故出版社?オーロラ研究者が何故小学館?」と疑問を持たれる方が多いと思う。しかし、私の場合は理系の大学に進学したからこそ出版社への道が拓け、オーロラについて研究していたからこそ面接を突破できたのだと思う。

 私が出版社を志望するようになったきっかけは、就職活動を始める以前の、大学院修士1年の秋に行った学会発表だった。

 当時の私は「家は寝に帰る場所」と周りに豪語するほどオーロラの研究に没頭していた。その結果、北極域のある地域で観測されるオーロラに特殊な性質を見つけたので、この成果を学会で発表することになった。「ここまで頑張って発見した成果を、正確に他の研究者に理解して貰いたい」との想いがあったので、研究以上に学会発表の準備に力を入れた。

 学会発表のプレゼンを作っているうちに、「人に何かを伝える」という事が、とても楽しくて難しい事なのを知る。次第に、「もしかして、研究自体よりも研究発表の方が面白いのではないか?」とさえ思うようになっていた。いざ学会で研究発表を行ってみると、プレゼンが成功した時の達成感が、研究成果が出た時の達成感を上回った。

 本来ならば、学会発表とは研究の「内容」にこそ焦点が行くべきである。しかし内容に価値があっても、伝わらなければ意味がない。私は、「聴きやすいプレゼンにするにはどのような構成にすれば良いか」だとか、「複雑なことをシンプルに伝える言葉選びはどうすれば良いか」といったプレゼンの方法論に興味が湧いていった。学会が終わる頃には、「価値のある情報をまとめ上げ、正確に必要な分だけ伝える職業に就きたい」と真剣に考えるようになった。

「これからの時代はメディアが何であれ、溢れる情報を整理する立場が今以上に重要になってくるだろう」と常々感じていた事に加えて私自身読書好きだった事が重なって、数あるメディアの中から出版社を選んだ。こうして私は理系なのに出版社、それも表現に直接関わる編集者を目指すようになった。

 就職活動は学会発表後の修士1年の12月に本格的に始まった。学部3年生の時には大学院に進もうと思っていたので就職活動は行っていなかった。就活のやり方を何も知らない私はまず、就活のいろはを知るために学部卒で就職した友人にアドバイスを貰いに行った。

 彼は、「OB訪問をしてしっかりと会社の雰囲気をつかんだ方が良い」だとか、「エントリーシートは最終面接まで残るから手を抜くな」といった具体的なアドバイスを沢山してくれた。また、私が出版社志望なのを話すと、「倍率は高いだろうけど、新卒の持つ可能性は無限大だから、なんでも試してみればいい」と後押しをしてくれたので俄然やる気が出た。

 しかし一方で、「せっかく今まで学んできた工学を捨てるのももったいない」との思いが頭の片隅に残っていたので、出版社の他にもメーカーやインフラなどのエンジニア職を10社程度応募した。「提出する数を少なくして、時間をかけてエントリーシートを書きたい」「大きい出版社なら理系の活躍するフィールドが多いだろう」と思っていたので、出版社は小学館、講談社、集英社、角川書店の大手4社に絞った。特に学年誌や図鑑NEOなどの教育的な部分でならより一層自分の持ち味が活きるだろう、と思っていたために小学館が第1志望だった。

 エントリーシートの設問内容の違いはあれったが、出版社とエンジニア職の両方で、「出来るだけ客観的に見た自分を具体的にアピールする」ということを心がけた。その結果、エンジニア職は全部のエントリーシートが通過、出版社も小学館、集英社、講談社の3社が通過し、それぞれの筆記試験を受けることになる。

筆記試験の問題が一番面白かった小学館

 先陣を切った筆記試験は小学館で、内容は4択の一般常識テストとクリエイティブ試験だった。一般常識テストはマニアックな問題が多かったが、「LTEとは何の略か?」などのように工学出身の私だからこそ答えられる問題も多々あったので出来の心配はあまりなかった。クリエイティブ試験として出された「指定された語句を使用して川柳を40分で20個作れ」という問題は楽しんで出来たと思う。「キンタロー。」を使って川柳を作れという問題には「キンタロー。 石原さんは シンタロー。」とふざけて答える一方で、「後継者」を使う問題には「白と黒 色が反転 後継者」と、当時話題になっていた日銀総裁人事(前任の白川氏と後任の黒田氏)について書き、「ふざけた話題も真面目な話題もいけますよ」というアピールをした。その成果が実を結んだのか、小学館筆記試験は無事通過した。

 これは出版社全社に感じたことだが、与えられた時間に対して問題量のボリュームがとても多かった気がする。「もしかして、時間や納期を守るという社会人としての最低限のマナーが見られているのではないか?」と私は解釈し、制限時間内に問いの全てに答える事を心がけた。

 また、集英社と講談社は川柳ではなく作文試験だったが、必ず小学館の川柳と同じように「真面目な話題とふざけた話題」の両方を盛り込む事にした。これは「どんな話題でもイケるトーク力が編集者には必要だろう」という私が持つ編集者像によるものだったが、この意識は後々面接でも実を結ぶことになる。

 結果として筆記試験は3社が無事通過したが、この時「筆記試験の設問が一番おもしろい出版社は小学館だなあ」と感じていた。

 筆記試験の次に行われた小学館での1次面接は、学生1人対面接官2人で行われた。「なぜ小学館を志望したか」といったような、オーソドックスな質問が多かった。控室では人事の方が和ませてくれていたのでリラックスできていたが、いざ面接となると私はカチコチに緊張してしまった。

 しかし面接官の方はプロの編集者でありインタビューのプロ、緊張している私から上手く私の良い所を引き出してくれた気がする。丁寧に話を聴いてくれた面接官の姿がとても印象的で、小学館で働きたいという思いが更に強くなった。

 小学館の1次面接が終わった頃、並行して選考が進んでいた某交通インフラからエンジニアとして内定を頂いた。「これで心置きなく出版社に全力を注げる!」……と意気込めれば良かったのだろうが、実際には「1社内定を貰えたからとりあえず安心だ」と気が緩んでしまった。この後に集英社と講談社の1次面接に進んだが、気の緩みが影響したのかあっけなく落ちてしまった。

 1次面接終了の時点で残る出版社はたったの1社のみとなったが、「まだ第1志望の小学館は残っている。ここで全力を尽くさなければ一生後悔する!」と思ったので、気持ちを入れ替えて奮起した。

 具体的にどう奮起したかというと、小学館の2次面接前には「小学館でどんな事がしたいか、また自分に何が出来るか」「他の出版社との違いは何か」など、面接で飛んでくると思われる質問を百個予想しそれに論理的に回答した「予想問答集」を作り、その全てがスムーズに口から出るよう練習した。この予想問答集は自己分析の意味でもとても有意義だったが、「これだけ準備をしたのだから良い結果がついてくるだろう」という自信にも繋がったので、やってみてとても良かったと思う。「もし自分が面接官だったらどういう所を掘り下げたいか」を考えるためにも、予想質問はできるだけ自分で作ったほうが良い。是非試して見てほしい。

一発芸でスベり、面接官が苦笑

 気持ちを入れ替えて臨んだ2次面接では「何故オーロラの研究を続けないのか」だとか「今の研究について1分で簡単に説明しなさい」と言ったように、大学院で行っているオーロラの研究について沢山質問をして頂いた。私はオーロラに関する質問がされるたびに「難しいことをわかりやすく伝える、編集力の様なものを試されている」と思ったので、学会発表で鍛えたプレゼン力を前面に押し出し、平易にかつ要点をおさえた返答をするよう心がけた。面接中に、「流石理系、論理的に話をするから分かりやすいよ」と面接官の方に言って頂けて、とても嬉しかった。理系で良かったと思えたし、研究に手を抜かなくて良かった、学会発表に全力を尽くして良かった、と思えた。そして何より、「自分でも出版社でやっていける」という確信を持てた。

「何か(一発芸を)2、3個持ってない? 持っているならやってみてよ」といった変わった質問が飛んできたりもしたが、私はこれを筆記のクリエイティブ試験と同じく「ふざけた事も出来る人間であることをアピールするチャンス!」と思い、全く躊躇せずにイチオシ一発芸を1つ披露した。ダダ滑りしたので更にもう1つ披露すると、「もういい、もうやらなくていい」と苦笑いされた。

 滑ってもへこたれない姿勢を評価してくれたのか、2次面接も無事通過した。予想問答を百個も用意していたにも関わらず、二次面接で十数個された質問のうち半数も的中できなかったところに、現役編集者の着眼点の鋭さを感じた。

 2次面接を踏まえて予想問答集をアップデートして臨んだ3次面接は人事との面接だった。1次面接と似た雰囲気で、突飛なことを聞かれる事もなく無事通過し、残るは役員面接と社長面接という所まで進んだ。

 役員面接は役員6人に対して学生が1人の面接を2度行うというものだった。面接官の人数が多いために最も深くかつ多角的に突っ込まれ、今までの面接の中で最も難関な印象を受けた。

「好きな音楽は?」と聞かれて「クラシック音楽です。バッハとチャイコフスキーが好きです」と答えると、すぐざま「他には何を聞く?」と聞かれるなど、興味の幅の広さを見られている質問も多かったように思う(ちなみにこの質問には「松山千春です」と答えてひと笑いを取った!)。

 物凄いプレッシャーの中で行われた面接だったが、今までの面接と変わらず、要点をシンプルまとめて論理的に伝える事が出来た実感が有ったため、終了後の私は手応えを感じていた。

 自信が有ったとはいえ、面接帰りの電車の中で内々定の電話を頂いた時には、嬉しさの余りに慌てて電車から飛び降りた。「もしよければ、来年度から小学館で一緒に働いて下さい」と人事の方がおっしゃったその言葉に対し、私は電話口なのに深々と何度も頭を下げて、「こちらこそ、よろしくお願い致します」と答えた。

 私は理系大学・大学院にまで進学して、編集者というなりたいものを見つけた。そして理系としての数々の経験が、出版社での仕事に活かせる事を就職活動の中で確信した。どのような経験が何に繋がるかは全くわからないもので、オーロラ研究を頑張っていなければ学会に出ることは出来なかっただろうし、そうすると出版社を志望する事もなかったかもしれない。大学で友人に恵まれていなければ就活のアドバイスを貰えず、小学館にエントリーシートを出していなかったかもしれない。このようなご縁はいつどこで頂けるか分からないので、是非ひとつひとつの出会いとご縁を大事にして欲しい。自分の可能性を狭めるようなことはせず、何にでも積極的に挑戦して全力を尽くしてほしい。きっとその経験が無駄になることはなく、自分の将来につながるだろう。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。