憧れが確信に変わった広告志望の就活体験

O君/ADK、ベネッセ、セプテーニ内定


 就職したら、たくさんの人を振り向かせたい。学生時代と変わらず面白いことをしたい、と考えていた。
 気付いたら総合広告会社を目指していた。最初は憧れだったかもしれない。しかし、自己分析やOB訪問を繰り返すうちに、憧れが確信に変わった。
 周りを振り向かせることに喜びを感じる自分が広告会社を目指すのは当たり前だったのかもしれない。そして、何より、自分には会社に入ってからの夢があった。

 就活の出発点はインターンシップだった

 大学3年生の夏ごろからのインターンシップの選考が自分にとっての就職活動のスタートだった。
 最初に受けた企業はサイバーエージェントだ。
 はじめて受けた面接は、遅刻からのスタートだった。汗まみれのなか面接会場に入った。みんなしっかりと敬語を話せ、質問に対してしっかりと自分の意見を答えている。自分もダンスサークルの振付師[NOX??IT]や政治家の秘書などをしていたので、話すことには自信があったが、見事に自信は打ち砕かれた。
 この失敗から、面接に慣れようと思い、選考がある企業のインターンシップは片っ端から受けた。サイバーエージェント、リクルート、博報堂、電通、マイコミ、ADK、セプテーニ、ベネッセコーポレーション(インターンシップの面接を受けた順)を受け、ADK、ベネッセ、セプテーニ、マイコミから合格を頂いた。
 ここで学んだことは、面接はやればやるほど成長するということだ。最初は落ち続けていた面接も、後半の面接では受かるようになった。僕がお勧めするのは、夏の時点で面接に慣れることだ。それがベストだと思う。
 はじめはカミカミだった面接も、次第にしっかりとした口調で自分の想いを伝えられるようになる。
 自分はインターンシップに参加したことによってたくさんのことを学んだ。エントリーシートや面接の練習が出来、優秀な仲間にも出会え、行きたい会社のことが知れる。
 せっかくの夏休みだから、インターンシップなんか参加したくないという人もたくさんいるだろう。でも、やってみて良かったと自信を持って言える。大袈裟かもしれないが、この就職活動が自分の人生を決めるかもしれないのだから。
 ADKやベネッセのインターンシップに参加したことによって、この企業で働きたいと考えるようになり、大学3年生の12月の時点では、ADK、ベネッセ、博報堂、リクルートのどれかに行きたいと考えるようになっていた。

 テレビ局で筆記落ち不勉強を悔いる

 広告会社の方にOB訪問をした時に、「うちの会社を受ける前に、たくさんの企業を受けてこい」と言われ、一番選考が早かったテレビ局を受けはじめた。
 11月に日本テレビを受けたが、見事に1次面接で撃沈。当然ながらテレビ局では自分がやりたい番組をしっかりと考えなければいけないことを痛感した。
 次に讀賣テレビを受けた。制作から報道志望に変え、1次を通過し、2次は大阪に向かった。
 面接官に「何故東京に住んでいる君が大阪で報道をしたいのかさっぱり理解出来ない……」と何度も言われて、食い下がったが納得してもらえず、諦めていたその時に、他の面接官から「君、名前面白いね。名前で僕を口説いてみてよ」と言われた。そこで僕はすかさず、「私の名前は港区の港です。妹の名前は香水のコウと書きまして香と言います。2人合わせて香港です!! 僕と香港で挙式をあげましょう」と言うと、面接官達が爆笑した。
 この面接から自己PRでは自分の名前の由来を最初に話して、面接官に顔を覚えてもらうようにした。面接をしながら、この話は受けがいいと感じたものは取り入れるようにしていた。残り100人の段階での筆記試験と3次面接は撃沈。テレビ東京、他の企業も1次、2次面接は通過するが、筆記試験で落ちた。
 この頃から、何故筆記試験の勉強をしてこなかったんだろうと後悔するようになった。これからマスコミを受ける後輩の皆さんは、早めの段階から筆記試験の勉強をした方がいい。面接で落ちるのは納得出来るけれど、筆記で落ちるのはとても後悔すると思うから。
 もし、一年前に戻って就職活動をするとしたら、何をするかと尋ねられたら、間違いなく筆記試験の勉強をすると言う。
 テレビ局は筆記試験以上進むことは出来なかった。
 

 博報堂の面接で最後に必死の1プッシュ

 幸いにも目指していた4社(ADK、ベネッセ、博報堂、リクルート)はあまり筆記試験のウェートが高くないということを知り、2月から必死に勉強しはじめた。今思えばこの筆記試験の勉強が就活で一番辛かったと思う。それは、唯一受けていた中学受験も帰国子女枠で受けていたので、初めての受験勉強だったからだ。
 しかし必死に勉強したかいもあってか、博報堂の筆記試験は見事に通過した。第2波での合格通知だったが、はじめての筆記の通過だった。努力したら報われるんだなと思ったのを覚えている。でも、誰も落ちないと言われていた、リクルートのテストセンターでは、まさかのお祈りメールがきて、行きたい会社の1社は、面接も受けずに見事に終了してしまった。一緒にリクルートのテストセンターに落ちた内部の友達と一緒に大爆笑したのを覚えている。後にも先にもリクルートの筆記試験に落ちた仲間に出会うことはなかった。
 博報堂の1次面接は、面接官2人に学生4人の集団面接だった。自分の第一志望群の初めての面接だったので、いままでスラスラ言えた自己PRで噛んでしまい、その後の質問にもぱっとしない答えでズルズルと時間がたっていった。最後の一言では、こんな所で後悔したくないと思い、「御社は憧れが確信に変わった場所なんです。こんな所で終わる訳にはいかないんです。もっともっと自分のことを知って欲しいです」とほぼ半べそをかきながら言ったのを覚えている。いい意味でも悪い意味でもこんなに必死になった面接はなかった。
 結果、最後の一言が良かったのかどうかは分からないが、通過することが出来た。でも、今日みたいな惨めな面接はもう二度とやらないと心に決めた。
 面接には情熱も、もちろん必要だが、内に秘める闘志が面接官に見えたら一番カッコいいと思う。2次の個人面接も通過し、最終面接前は「お正月の新しい番組」のグループワークと「十年後の生活者」という題名の作文だった。自信はあったが、連絡はこなかった。これで、行きたい会社の2社からお祈りされてしまった。人生は甘くないと思わされた瞬間であったが、まだまだ戦えるという気持ちは十分にあったのを覚えている。

 セプテーニの選考はすべてグループワーク小見出し

 博報堂を受けていると同時にインターネット広告代理店のセプテーニも受けていた。この会社は1次から最終前まで全てグルーブワークで選考をするという面白い会社だ。1次、2次のグルーブワークを通過し、3次選考は、なんと3日間にわたるインターシップだった。博報堂の2次面接も控えていたので迷ったが、会社の雰囲氣がなんとなく好きだったので思い切って参加することにした。
 僕はグループワークが大好きだが、選考のグループワークは嫌いだ。選考でのグループワークになると、とたんに周りの仲間は自分のことを考え始める。
 グループワークで重要なことは、面接官のことを気にしないことだと思う。あくまでも、課題に対して仲間たちと協力し合い、最良の答えを出すことが重要だ。面接の本には、「役割を明確に」とか、いろいろ書いているが、みんなで楽しめれば受かると思っている。そのためにも、私は、グループワークの最初の一言で「自分の会社に対しての想いも伝えていないのに、ここで落とされたらたまったもんじゃないから、みんなで受かって、たくさんあるグループの中で優勝して、みんなで面接に進みましょう」と面接官に挑戦するかのような声かけをしていた。実際、私自身グループワークで落ちたことは博報堂の一度しかない。だから思い切りやれば大丈夫だと思う。
 セプテーニは最終面接まで進めた。ちなみにインターンシップのグループワークの課題は「新規事業の提案」だった。
 最終面接は、人事部長と社長との個人面接15分を2回だった。人事部長との面接がとにかく言ったことに対しての、深堀だった。答えに対して「なんで? なんで?」と切り込まれ言葉に詰まったが、自分の想いを思い切りぶつけられたと思う。社長との面接は、自分の人生に対しての想いや、やりがいなどを聞かれた。この次の日に内定の電話をもらい、3月中旬にようやく一段落することが出来た。
 3月末に博報堂に落ちたが、怒涛の快進撃がはじまった。

 ベネッセ、ADKと相次いで内定

 4月のはじめに、ベネッセの2次面接を受けた。ベネッセでは、「マーケティングをやり、最終的には新規事業をやりたい」と熱い想いを伝えた。次の日に最終面接の連絡が来て、「15分間の面接と何を使ってもいいから学生時代に頑張ったことを5分間でプレゼンテーションをする」という内容だった。急いでパソコンでパワーポイントを作り、拡大コピーしてスケッチブックに貼り付けた。さらに台本を作り、何度も何度も練習をした。父親に聞いてもらっては台本の直しを繰り返し、本番前日には台本を見ないで5分ちょうどで話せるようになっていた。絶対にベネッセに受かりたいという想いを伝えるために、新規事業の案を紙にまとめることもした。
 本番当日、「あれだけ練習したんだ」と強い気持ちを持って、面接に臨んだ。プレゼンテーションも練習通りに出来た。あとは面接だけだと思い、面接官からの質問を聞くが、一向に学生時代に頑張ったことは訊かれない。ずっと待ってはいたが、最後までプレゼンテーションの内容を聞かれることはなく面接は終了した。新規事業の案も面接中に出せたし、プレゼンも失敗する事なく出来た。でも、学生時代に頑張ったことを訊かれなかったことだけが心残りであった。
 次の日、昼ごろに一緒に面接を受けていた友達から内定の電話がきたと、メールが来る。私はそれから3時間待っても来ず。待つのが辛すぎて一人で映画『アバター』を観に行った。3Dに感動しながらも、携帯は握りしめていた。映画が終わっても連絡は結局来ず、家に帰り寝ようとした時に、着信が鳴った。
「O君、内定です」。
 嘘かと思った、諦めていた。気づいたら涙を流して人事の人と会話をしていた。最終的に内定を断ってしまったが、インターンや面接、OB訪問から感じたのは、とても素晴らしい会社だということだ。この内定をもらったからこそ、ADKの内定ももらうことが出来たと思うし、いい会社にめぐり合うことが出来たと思う。
 最後の面接はADKただ一つとなった。もともと最初に決めていた4社以外は行く気がなかったので、ベネッセからの内定をもらってからは他の会社は全て辞退した。後はADKに全精力を使うために。
 この会社の面接は、本当に楽しく、一番自分が出せた場所だったと思う。そのため1次、2次はすんなりと合格することが出来た。しかしADKは2次面接の後に、筆記試験があるので、安心するわけにはいかなかった。けれども、奇跡的に通過することが出来、後はするすると最終面接まで進み、内定を頂くことが出来た。この会社に決めた理由は、自分の夢の実現と、自分がインターンや面接で感じた会社の雰囲気だ。ちなみに最終面接は役員6人くらいと学生3人の集団面接なのだが、日常会話が多く、やっつけ仕事のようでここだけ納得できなかったが……(笑)。
 私はこの会社が大好きだ。まだ全然会社のことなんて分からないけど、自信を持って言える。どこの会社だってやりたいことは見つかると思うし、いい会社はたくさんあると思う。でも、私は “ADKで” という言葉が最初にくると心の底から感じ、この会社で働くことを決めた。
 私は、国と生活者の距離を縮めるコミュニケーションを作る、ダンスを含めたエンターテイメントを応援し、最終的には日本を元気にするという夢を背負い、広告会社ADKで来年から、働く。

【後輩へのメッセージ】
 学生の分際で、そして、こんな自分が偉そうなことは言えませんが、とにかく、動くことだと思う。分からないことばかりだと思うけど、動いたら、おのずと理解していく。たくさんの人たちとコミュニケーションをとって、自分を磨いてください。それは、コミュニケーションがこの業界で一番必要なことだと思うから。
 面接に関しては何事も簡潔に。そして、他者との差別化。自己分析をして、自分をどうアピールすればいいのか、自分の最適な売り出し方を見つけること。他人の武勇伝を真似るのではなく、自分の200点満点を伝えてください。ベンチャーから大手まで、たくさんの会社を受けることもお勧めです。面接はやればやるほど成長します。やっぱり止まらずに動くことだと思います。応援しています。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。