電通一筋で頑張った広告会社への就活

T君/電通・ADK・リクルート内定


 元々広告が好きだった。
 留学時にもっと日本の企業は世界に出るべきだと感じており、それをサポートするためにはコミュニケーションが必要だと感じていた。また、映画などの日本文化をもっと世界に出していきたいと感じていた。日本の商品やサービス、文化を世界に広めたい。それら全てに関われる可能性があるのが、自分の中では電通しかないと考えていた。
 夏休みの終わり頃からOB訪問を繰り返してその気持ちが強くなり、どうしてもこの会社でと思うようになった。最初は会社の規模や機能が一番の志望動機であったが、多くの社員さんに会うことでこの人たちと働きたいと思うようになり、「大手広告」というよりは「この会社で!」と考えて就職活動をするようになった。そのため、年末には「絶対電通に行く」と友人に語っていたし、訪問した社員さんには「来年からよろしくお願いします」と話していた。ちょっと思い込みが激しかったかもしれないが、それくらい熱意がある(もしくは勘違いしている)人間がいても面白いのではないだろうか。結果だけを見れば、間違ってはいなかった。
 上述したように、本当に行きたいと思える企業は電通のみだった。実際は他にも別の広告会社や商社、コンサル、ベンチャーなども受けたが、全て4月の電通のためのつもりだった。

 博報堂のインターン 事前の最終選考で落選

 就職活動を本格的に始めたのは3年生の5月。夏のインターン選考に向けて、勉強会に参加し始めたのがきっかけだ。この頃から既に電通に行きたいと考えていたが商社にも興味があり、視野を狭めないためにも手当たり次第に色々な企業を受けまくろうと考えていた。どんな企業の面接でも練習になるし、広告業界しか目に入らないのも不幸ではないかと感じたからだ。
 夏のインターン選考は博報堂のESを書き始めたのが始まりだった。「博報堂は夏のインターンが採用に直結している」。博報堂に内定した先輩もインターンに参加していたし、夏の重要性はよくよく感じていた。博報堂のものに限らず、大学の先輩にESをチェックしてもらったり面接の練習をしてもらったりしたおかげか、7月の選考は順調に進んでいった。4コマで学生時代を表すというビジュアル的な表現を求められるテレビ東京のESを、絵が苦手だからという理由で文章だけで埋めて通過した時は、「こんなものか」と根拠のない自信に拍車が掛かった。選考で出会う学生の多くもこの時期はとりとめもないことを話すばかりで、数カ月間とはいえ前もって対策をしてきた自分は「余裕」を感じてしまっていた。
 今でも覚えている、7月の31日。博報堂の夏インターンの2次面接である。夏は2次面接が最後の選考で、ここまでに残り100人ほどまで削っているらしく、実質的な倍率は2倍を切っている。ここをしっかり通過できれば、ぐっと内定まで近くなる。インターンで成果を出して本選考より前に内定を貰い、その勢いで電通にも内定を貰う……そんなお花畑のような青写真を描いていた。
 しかし実際はそんなに簡単なものではなかった。自信満々で望んだ20分の個人面接、前半の10分間はオーソドックスな面接だった。腕時計を見てちょうど10分が過ぎた頃、二人の面接官の内の、それまで全く話しかけてこなかった方が「う〜ん」と首をかしげたのだ。「君のやりたいことは、うちじゃできないんじゃないの?」いきなりそう問いかけられて、慌ててしまった。
「そんなことはないと思いますし、それを確かめるためにもインターンに参加したいです」「ふ〜ん……ところで君、雑誌なに読む?」「最近の若い人ってなにして遊んでるの?」「テレビ、見る?」「車とか乗るの?」……今思えばなんてこともない質問だが、この時は全く用意していない想定外の質問にすっかりやられてしまった。「この質問の意図はなんだろう?」「素直に答えてよいのか?」そんな雑念ばかりが沸いてきてしまい、あっという間に面接は終わってしまった。
 しまった!と思った。しかし他社の選考はまだまだ続く。きっと受かったはずだと自分に言い聞かせ、他社の選考を受け続けた。PCのディスプレイ越しに落ちたことを知った時は、最高にショックだった。
 手探りではあったが、夏は結果的にそれぞれ違う業種の4社に合格することができた。しかし一番行きたかった博報堂に落ちてしまったことは、ずっと心の底で重石になってしまった。このままで本当に志望するところに行けるのだろうか、そもそも広告に向いているのだろうか……と。

 9月から冬にかけて数十人にOB訪問

 インターンも全て終わり、9月も終わり秋から冬にかけては、OB訪問や友人達と自己分析をし続ける毎日を送った。特に考え続けたことは以下の3つである。
「自分の歴史を振り返り、経験を掘り下げて分析してみること」
「なぜ広告なのか(または他業界なのか)を突き詰めること」
「そもそも自分はどう生きていきたいのか」
 ノートを前にして自分の地図を作って悶々としたり、「なんでなんで」と一日中考えがループして辛いこともあった。一人でじっくりと考えてみることも大事だが、考えたことを仲間に聞いてもらうのも大事であった。自分の説明がうまくできているかや話の反応を見る以外にも、自分以外の誰かと話しているだけで別の自分を見つけることも出来たし、他の人の斬新な切り口や独自の価値観を知ることのできるいい機会であった。
 広告業界へのOB訪問は数十人にした。時間さえあえば訪問をしていたので、コネも何も無い受験生の中では、人数だけならかなりの上位だろう。
 まだ学生の身分なのではっきりとは分からないが、電通はOB訪問が直接的に選考に有利になるということは無いようだった。総合商社も十数人訪問したが、こちらはしっかりと判断材料になっているようだったし、他業界はしっかりと評価に組み込まれているところもあるようだ。
 社員訪問を全くしなくても受かる人は受かるが、やはり勉強になるし回数を重ねたほうがいい。もちろんただ回数を重ねるだけに訪問するのは失礼だが、数をこなしてみて初めて分かる「○○っぽさ」や実際の業務についてなど、知らなければならないことを知れるいいチャンスであると思う。

 テレビ朝日は4次選考を辞退

 そうこうしている内に日テレや外資系、ベンチャー企業など、選考の早い企業のエントリーが始まった。夏の感触もしっかりと残っているし、きっとうまくいくはず。そのはずだったが、キー局のESの結果は5社中4社に落ちるという悲惨なものだった。外資やベンチャーの選考は進んでいくのに……。「マスコミ」という枠は、自分が当てはまる場所ではないのかと落ち込んだ。
 キー局のESは通過率が高い。元々テレビ局には興味が持てなかったのだが、まさかESすら通らないとはこの時は考えられなかった。きっとテレビ局には縁がない……。唯一ESが通ったテレビ朝日の面接では、開き直って「テレビ局はこれから益々コンテンツ輸出企業になるから、そこでコンテンツビジネスがしたい」と話した。
 今振り返ってみれば、就職先としてのテレビ局には全く興味がなかったことがESからも滲み出ていたのかもしれない。テレビ朝日のESでも、志望動機からいえばコンテンツビジネスを志望するべきところを、営業志望にしていた。それくらいテレビ局について理解をしていなかった。3次面接でようやく「じゃあ、次の選考からコンテンツビジネス志望に変えてもいい?」と言われる始末であった。限界を感じ、4次選考は辞退してしまった。
 2月頃になると、本命の広告業界のESを書き始める時期である。それまで『宣伝会議』などを読んだり、広告を見続けたり、広告やマスコミ業界志望者の勉強会に出たりなど、広告に関しては受験勉強並みに積極的に行った。実際の選考でそれがどれだけ活きたか分からないが、自信が持てたという点で非常にしておいて良かった。好きなので苦ではなかった。やはり自分は広告に行きたいんだ、と改めて納得していた。
 この時期は就活生にとってはESの締切がピークになる。文字通り、大手広告のESには魂を込めた。余談だが、よく締切直前に郵便局でESを書くとか、私書箱の設置されている営業所まで持っていくという話を聞くが、なるべく余裕を持って書くよう心がけた方がいい。特にマスコミ志望者は、マスコミ独特の手間がかかるESのために、1〜3月のESラッシュに大変な思いをする場合も多い。繰り返すが、なるべく余裕を持って書くよう心がけるべきである。
 大手広告の選考は、博報堂とADKが早い。OB訪問や自己分析を繰り返し、これ以上やり残したことはないくらい用意周到に準備をした。絶対にいける……そう信じ込んでいたのだが、博報堂の2次面接で今までにないほど緊張し、落選してしまった。力みすぎて空回りしてしまった。夏の選考の二の舞になったことでひどく気分が落ち込み、ファミレスで友達に慰めてもらいながら、吸わないタバコを貰って吸った。本当に辛かった。
 博報堂に落ちたことは、もう一度自分を見つめなおす機会になった。面接では自分の話したいことを話すのではなく、どういう意図があって話すのか、なんのメリットがあって話すのかを考えなければならない。きっと緊張していたことだけが敗因ではないと、もう一度自分の考えを整理しなおした。

 一番苦しかった電通の4次選考

 4月に入ると、1日から毎日商社の選考が続いた。OB訪問した社会人(広告も含めて)からは商社に向いている、商社に行くべきだと再三再四言われていたが、もうこの頃には商社業務にほとんど魅力を感じることができず、熱のこもった志望動機を用意することができなかった。2週目には早々にも七大商社の選考に全て落ち、残すは本命の広告業界のみとなった。
 4月の第一週にはADK、朝日広告社と電通、二週には読売広告社と電通、三週にはADK、大広、電通……などと、それまでの真っ黒塗りの手帳から比べたら、ゆっくりしたペースで選考は進んでいった。
 変わらずの第一志望であった電通の選考は、リラックスした気持ちで望め、すんなりと進んでいった。「電通は器がでかい人が好き、何を成し遂げたいか、自由に語ればいい」とOB訪問で聞いていたので、1次面接から役員面接まで、以前から夢想していた世界規模の途方もない夢を語り聞いてもらっていた。
 電通は3次選考、いわゆる2次面接が一番ふるいにかけられる山場である。しかもかなり網目の粗いふるいである。ここをなんとか乗り越えたい……そんな気持ちで以前お伺いしたことがある社員さんに電話をすると、快く再度のOB訪問を受けてくれた。日曜日にもかかわらず時間を割いて頂き、激励してもらえた。これが最後のOB訪問となった。
 無事3次選考を通過し、4次選考。この面接が一番厄介であった。
「君が信用できない人が上司になったらどうする?」など、通常の面接とは違う心理テストのような質問ばかりの面接だったのだ。定石の通じない質問に、戸惑いながらも会話をするよう心がけて望んだ。大丈夫だ、相手はちゃんと自分を理解しようと努めてくれていると感じられる内容で「ほぼ100%通過してる!」と強気に信じていたが、残りの数%の「落ちたかもしれない……」という気持ちが、大変もどかしかった。
 あまりの心苦しさに電車に乗ることができず、一旦新橋駅まで行ったもののそこから築地まで歩いて、どんぶり屋さんで大盛りの海鮮丼を食べ、帰った。家に着くとどっと疲れが襲ってきて、そのまま泥のように寝てしまった。夢の中でもさっきの面接官と面接をしていた。一生懸命に何かを伝える自分が見えた。ここが一番苦しかった。
 4月も4週目に入ると他業界大手に決まった友人達がどんどんと就職活動をやめていき、気の早い企業はもう内定者懇親会を開く時期である。自分は4月初め頃に2社から内定を貰っていたのだが、20日に行った某コンサル会社の内定者懇親会で全く社員にも同期にも魅力を感じることができず、ご馳走になってすぐ早退してしまった。最後の最後で、やはり広告しかないと改めて感じた瞬間だった。
 この懇親会の翌日、電通から4次選考の通過電話がきた。大きく安すると共に、もうこれで就活も終わるんだなと少し感慨深くなってしまった。この週の日曜にはADKの最終面接をこなし、内定。その後、電通の役員面接を落ち着いて受け、内定を頂いて就職活動を終えた。

  学生生活でもっとも充実した一年間

 友人からは「電通に落ちたら自殺するんじゃないかと思ってた」と言われたくらい、この一年間は電通に行くために有意義に使った。辛い思いをしたこともあったけれど、一年を通して大半は楽しいことや面白いことばかりで、学生生活で最も充実した一年間だったといっても過言ではないかもしれない。ある面ではネガティブな気分に陥ることもある就活だけれども、マスコミを本気で受けるような積極的な学生ならば有意義に活動して欲しい。
 最後に。これまでの生活を通して、自分自は能力的に恵まれているわけでもないし、人の二倍から三倍努力しなければならないと感じていた。就職活動は受験勉強などと違い努力の量がしっかりと比例して現れるわけではないが、それでもやはり結果は真剣さと努力の量に比例して現れるものだと思った。悲喜こもごもの一年になるとは思うが、皆さんの就職活動が充実したものになることを祈って、体験談を終わりとしたい。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。