運と相性と多少の努力で
TV、広告内定

Y君/慶大 テレビ局、広告会社内定


 結果的にはうまく行ったのではないかと思うが、私の就職活動はかなりいい加減で、この体験記がまじめな読者にお役に立てるかどうかはわからない。というのも、商社や銀行も志望していて、それほど強くマスコミを志望していたわけではなかったし、マスコミ予備校に通ったり、就職本を読んだわけでもない(『マス読』も買ったことがなかった!?)。それでいて、受けたマスコミは、在京民放キー局、NHK、博報堂の7社のみ。とりあえず、私の体験記を読んで下さい。

12月から資料請求ハガキ書き

 就職を意識し始めたのは、夏休みが終わった9月の下旬ころ。大学の就職課がこのころから就職説明会をやり始めた。一応、行ったが、実感がわかない。大抵この手の説明会はつまらないので、途中で帰ったりしていた。このころは、まだゼミの勉強、課外活動などで忙しく、就職について考えている暇があまりなかった。ただ、勉強があまり好きではないので、とにかく就職するしかないだろうと思っていた。
 私の就職活動はいつから始まったのだろう。これが、ほんとにわからない。学園祭の前には、論文書きで忙しかったし、学園祭中にはニューヨークに旅行に行ったり、かなり怠慢だった。友達から、マスコミ志望者は、動きが早いと聞いていたが、そんなのは他人事みたいな感じだった。ニューヨークから帰国すると、自宅にいくつかの会社からダイレクトメールが届いている。そろそろ就職活動をやらなければと思い、12月上旬頃からハガキを書き始めた。マスコミだけに絞らず、商社、通信、銀行など幅広く資料を請求した。業種は特定しておらず、会社が一流企業で、給料がよければいいと思っていた。それが、資料請求した会社の基準だった。ハガキを少しずつ書いているうちに、冬休み、学年末試験に突入。この間、勉強ばかりで、就職活動自体は全くやっていない。
 2月の初め、学年末試験後、マスコミを受験したことのある同じサークルの4年生に、就職活動についていろいろ聞いた。彼は、アナ採用試験に最終前までいったりしたものの、もともとマスコミ志望ではなかったので、某有名銀行に内定していた。就職活動の全体の流れやOB訪問の仕方、面接の対処法、要領のいい活動の仕方などいろいろ聞いた。この人の言っていることは、ほとんど間違いがないので、かなり参考になった。
 就職活動では、大量の情報が氾濫する。友達、先輩、インターネットなどから、たくさんの情報が得られるが、デタラメな情報も多い。私は、友達や先輩のなかでも、間違いの少ない人と多い人を選別するようにしていた。間違いがないとは、判断枠組がちゃんとあり、バイアスがなく、勝手な判断をしたりしないことである。あまり間違いを言わない人の情報は、かなり参考になる。この頼りになる先輩の意見がそれ以後かなり栄養になっていたと感じる。
 最初のマスコミ採用試験は、日本テレピの1次面接だった。2月9日、寒い中、日テレの本社前に面接待ちの行列ができていた。最初に、自己PRをさせられ、その後エントリーシートに沿って質間される。最後に「何か一言」言わされるのは、恒例になっているようだ。面接の練習もせず、適当にしゃべったので、即敗退。まあ、テレビ局は倍率が高いのでしょうがないと全く反省をせず、優雅な春休みを過ごす。このころも、ハガキやエントリーシートを書いたり、会社案内を眺める程度しかしていない。
 2月21日、フジテレピの1次面接。「ゆりかもめ」がウザイ。2対2の面接で、面接官の一人がたばこを吸いながら、ずっと下を向いているので、やる気がなくなる。不合格の速達はがきがすぐに来る。

出遅れながらも0B訪問開始

 そろそろ、ちゃんとまじめに就職活動をしなければと反省し、知り合いや大学の0Bで、民放のプロデューサー、電通マン、NHKの部長の方に電話し、会ってもらうことにする。0B訪間に行く時は、スムーズに進むように、必ず質問を10個程度考えていった。どんな仕事をしているのか、その業界について、あるいは会杜の雰囲気などを聞いたり、自己PRや志望動機を見てもらったりした。大学の先輩からは、0B訪問が一番役に立ったと聞いていたので、なるべくしようと考えていた。私もこれに同感で、就職活動の中で、OB訪問が最大の財産になったと思う。そして、0B訪間をしなければ、いまの私はなかっただろう。仕事とは何かということを聞いたり、コミュニケーションについて教わったりした。面接官をどのようにうならせるかなど実践的なことまで教えてくれる方もいた。これらの情報が、本当に役に立った。面識のない方に、同じ大学を卒業したというだけで、いきなり電話をするのは緊張するものだが、だんだん回数を重ねていくうちに慣れてくるものだ。
 2月25日、TBSのエントリーシート提出と事前面接。1対1の面接で、笑いをとって、通過する。最初の通過TELにちょっと喜ぶ。単純だが、次の面接のために、この日からTBSの番組をなるべく見るようにした。だが、3月2日の1次面接で敗退する。これで民放トップ3に敗退が決定し、かなりへこむ。
 これまでの面接で、毎回最初に聞かれていたのが、自己PRだった。どこかの本でも、面接の中で自己PRが一番重要と書いてあったのを思い出し、ちゃんと自己PRを考えることにした。私は、大学時代、いろいろな活動をしていたので、それを全部語るのは不可能である。それをうまく料理し、志望動機につなげられるコンパクトな自己PRをつくるのは、本当に難しい。完壁な自己PRができれば、採用試験を制覇できると言っても過言ではないと思う。とにかく内定が取れるまで、自己PRは毎日のように練り直した。

博報堂のリクルーター面談

 2月下旬に、博報堂から簡単な会社案内とリクルーターの名簿が届く。先輩から博報堂志望者は多く、面談の予約が殺到するので、早めに電話をすることをすすめられていたので、リストに載っている順に電話をする。営業や媒体の人は、なかなかつかまらない。外出か打ち合わせ中と言われることが多い。やっとつかまったのは、経理の人だが、3月上旬に会うことになった。博報堂へは毎日、頻繁に電話をする。私の大学の場合、リクルーター名簿が複数あるので、友人からそれをコピーしてもらい、そのリストからも電話をする。
 やっと、営業やマーケの人にも会えることになる。リクルーターに会う時は、毎回、自己PRや志望動機を書いたものを持って行き、見てもらった。あとから聞いた話だが、電話をかけてきた学生全員に会うことは無理なので、リクルーターによっては、最初の電話の印象で、会うか会わないか決めることもあるそうである。電話の話し方、就職活動の状況などで判断するらしい。
 3人目のリクルーターに会った後、以前会ったことのあるリクルーターから電話があり、話がしたいということで、博報堂本社に坪ばれる。いろいろ質間に答えてもらったり、電通と博報堂の違いなどを教わった。これで、「博報堂第一志望」と面接の時にはっきり言える材料をもらったような気がした。電通ではなく博報堂と論理的に言うのには、やはり0B訪間などを通じて勉強が必要である。この面談の時人事にあげてもらうことになったが、人事からはなかなか電話が来ない。それでも他のリクルーターや社員の方には会い続けていた。
 3月19日、テレピ東京の1次面接。かなりの圧迫で、手応えがなかったにもかかわらず、通過する。3月26日に筆記試験。一般常識の勉強は全くしていなかったので、半分も答えられず、不合格。

その時、人事の方はキレていた

 4月5日、テレビ朝目の1次面接。最初に、白己PRを言う。この時から、これまで毎日のように練ってきた自己PRが効果を発揮し始める。自己PRや志望動機が面接官に「刺さった」ようで、人事の方に約8分の面接と言われたが、15分くらいは話したと思う。通過者には夜9時までに電話が来ることになっており、8時ごろ携帯電語に連絡が来る。だが、OB訪問中だったので、とれない。連絡が取れない場合、本人が9時までに折り返し違絡するよう言われていたが、OB訪間が終わったのが9時半で、それから電話をすると、人事の方がキレていた。5分間くらい説教された。あんなに怒られた理由がいまだに分からない。もう駄目かと思った。
 4月上旬やっと博報堂の人事の方に会うことになった。1時間ほど会話をした。若い方だったのでノリがよく、爆笑トークで盛り上がる。面接という感じではなかった。上にあげてもらうことになり、次の面接の連絡を待つように言われる。この日に会った人事の若手の方が内定まで私の世話をしてくれる。
 4月9日、テレピ朝日の2次面接。15分程度の面接と言われたが、ここでも20分はしゃべっていた。話もすごく盛り上がって、手応えがある。その日の夜に通過TELが来る。通過TEL待ちは、心臓に悪いものだ。
 4月12日、テレビ朝日の筆記試験。SPIと一般常識。一般常識は、他局よりは簡単らしい。その日の夜に通過TEL。次の日に、健康診断とセミナーがある。選考とは関係ないらしい。4月14日、博報堂の2次面接。自己PR、志望動機、履歴書を持参する。30分ほどの面接で、提出した書類に沿った質問。ちゃんと話を聞いてくれる。
 その日の夜、担当の人事の若手から通過のTELが来る。そして、次の日に最終面接用の書類をもらいに行く。
 同じ日にNHKの事前面接がある。待合室で、指回し体操をしている奴や、センスのない茶色のスーツを着たアナ志望の男、独り言を言っている者を見ていると、この会社は違うなと感じた。うわさ通り、NHKの人は、本当によく話を聞いてくれる。面接であることを忘れるぐらいよく話せた。
 4月16日、テレビ朝日の3次面接。手応えはなかったが、通過する。テレ朝と博報堂が最終まで行けることになったので、ここでかなり自信を持ち始める。
 4月18日、NHKの筆記。一般常識は、全く勉強していないので、崩壊。しかし、次の週、通過のTELが来る。事前面接がよかったからか。でも、地方勤務が嫌なのと、指回し体操男や茶色スーツ男を見たおかげで、NHKには行く気がなくなり、辞退する。

就職活動最大の山場!

 4月21日。この日は、何と言っても就職活動の最大の山場だ。テレビ朝日と博報堂の最終面接の日である。
 午前中テレ朝に行く。社長はじめ役員が約8人並んでいる。かなり重々しい雰囲気。質問をしない役員も、面接中ずっと受験者の顔をうかがっている。面接後、一緒に受けた人とコーヒーを飲んだあと、学校へ戻り、昼食をとる。同じゼミの野郎連中と会い、下ネタトークでヒートアップ(!?)してから、博報堂へ行き、最終面接を受ける。
 局長クラスの方が2人おり、かなりの圧迫。笑いをとろうとしても、笑ってくれない。この時の「能面顔」を思い出すと今でも笑える。結果、運良く2社から内定がもらえた。博報堂は、電話で断ることができた。
 これで、就職活動が終わった。振り返ってみると、「運」と「相性」が大きな要素だったような気がする。あとは、自己PRを練ったり、OB訪間をしっかりするなどの多少の努力。そして、面接中にちゃんとキャッチボールができるようなコミュニケーション能力が重要だと思う。就職活動が、大学時代の最大のイベントと言う人は多いが、私にとってそんなことは決してない。就職活動以外に、いろいろとやってきたので、それを自己PRにつなげた。それぐらいのことをやってきていれば、マスコミは制覇できるだろう。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。