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創出版: 2016年7月アーカイブ

 人気バンド「ヒステリックブルー」(Hysteric Blue)のギタリスト、ナオキこと赤松直樹受刑者が突如逮捕され、ファンに衝撃を与えてからもう12年になる。バンドの活動休止、逮捕、バンド解散と2003年から2004年にかけて事件は起きたのだが、ナオキは1審判決が懲役14年、控訴審で懲役12年の実刑が確定した。いったい何が起きたのか真相はよくわからぬまま、その後、服役が10年になる本人は、沈黙を保ったままだった。

 そのナオキが事件後初めて、自分の言葉で、事件のこと、その後の更生の日々について手記をつづった。7月7日発売の月刊『創』8月号に「罪と償いについて考える」というタイトルで掲載されるもので、これは本人がつけたものだ。未決勾留日数が刑期に加えられるため、実はナオキはまもなく出所するのだが、社会に戻るにあたって自分自身を見つめなおすという意図で書かれたものだ。1審では夫を支えると証言した妻ともその後、離婚。孤独の身となって12年の獄中生活から市民社会へ復帰するというのは、本人にとっても大変大きなことだ。

  実はナオキとは何カ月か前から手紙のやりとりを続けてきた。月刊『創』はいろいろな事件を取り上げているが、逮捕や刑の確定で事件は終わるのでなく、更生のプロセスは出所後も続くというスタンスで、受刑者の手記も数多く掲載してきた。例えば連続放火事件で懲役10年の刑が確定した「くまぇり」は今も獄中生活をマンガで連載している。『創』がそういう編集方針であることを知って、最近は獄中者から毎月多くの手紙が届く。ナオキもそのひとりだった。

 彼の場合は性犯罪、しかもかなり悲惨な犯罪だ。掲載にあたってはもちろん事件についての当時の報道や裁判資料などを読み込んだ。これまで『創』が取り上げてきた性犯罪の当事者としては奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚(既に執行)がいる。女児を殺害するというその事件とは異なるとはいえ、ナオキの事件も相当深刻なものだ。

 今回、彼の事件やその更生のあり方について誌上で問題提起をしようと考えたのは、薬物犯罪とともに性犯罪についても、これまでのような対処のしかたを改めるべきではないかという動きが法務省などを中心に起きつつあるからだ。前述した奈良女児殺害事件をきっかけに本格的な治療プログラムが刑務所などに導入されつつある。実際、ナオキも刑務所でそれを受けていた。

 薬物依存者と同様に、性犯罪を犯した者を刑務所に隔離し、満期になったら何のフォローもなく社会に放り出すという、これまでの対処法では再犯を防ぐことはできないという認識が高まりつつあるわけだ。性犯罪者については、出所後、その個人情報を社会にさらすことで社会防衛を図ろうという倒錯した考え方が「ミーガン法導入を」という声となって事件のたびに出て来るのだが、そんなことよりももっと前にやるべきことはあり、実際、司法や行政は既にそれへ向けて動き始めているわけだ。

 多くの死刑囚などとこれまで関わって来たが、性犯罪というのは以前は正直言ってあまり関わろうとする気が起きなかった。あまりに悲惨で弁解の余地のない犯罪だからだ。しかし、昨年夏の寝屋川中学生殺害事件などを見ても、社会全体がシステムの変更を含めてきちんと取り組むべき問題であることは明らかだ。 

 どんな取り組みが始められているかについては、『創』201512月号に掲載した寝屋川事件関連の記事の1本である渋井哲也さんの「性犯罪再犯防止の取り組み その最前線を探る」を、今回、ヤフーニュース雑誌で読めるようにした。記事に出て来る樹月カインさん(仮名)とはその後も手紙のやりとりをしている。

[ http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160706-00010000-tsukuru-soci]

 

 ナオキが手紙をくれたきっかけは、彼が『創』連載陣の森達也さんや佐藤優さんの愛読者だったりと、幾つか要因があるのだが、ともあれ、今回掲載した手記を機に、12年前の事件を彼がどう総括し、社会に何を発信しようとしているのか、考えていこうと思っている。

 手記の全文はぜひ『創』8月号を読んでいただきたいが、ここでその冒頭の一部を紹介しておこう。かつてのファンは、12年ぶりの本人の告白をどう受け止めるのだろうか。

 

元『ヒステリックブルー』ナオキの獄中手記

罪と償いについて考える 赤松直樹

 

 山形刑務所では毎年4月に「観桜会」が実施される。もっとも、その名称ほど大仰なものではなく、運動場の片隅に数本生えている桜の木の下にブルーシートを広げ生菓子を喫食するという1015分の行事だ。

 冬の間ずっと不機嫌だった太陽がようやく顔を出した昨年の観桜会。春風にあおられた花びらが小躍りする様を眺めながら、「交談禁止」のため黙々とプレミアムスイーツ『ふんわりワッフル(4ケ入り)』を食していた。脳内再生されていたBGMはオリビア・ニュートンジョンである。その瞬間、私は確実に小さな幸せを噛み締めていた。生クリームとともに。

 税金で犯罪者にそんな贅沢させるなという意見もあるだろう。しかし、単調な生活を送る毎日にあって、このような行事が受刑者に与える心理的影響は決して小さくない。幸せを感じると同時に、改めて気付かされるのである。

 ――ああ、幸せだ。社会からは忌み嫌われるべき存在でしかない犯罪者のオレが、こうして美味しいお菓子を食べさせてもらいながら桜を眺め幸せを感じている。でも、オレの被害者の人たちは事件以降こんな幸せさえ感じることができなくなってしまったのかもしれない。彼女たちは事件の傷とどう向き合い、どう乗り越え、あるいは乗り越えられず今も苦しんでいるのだろうか。本当に、本当に申し訳のない、取り返しのつかないことをしてしまった......。

 

 2004年3月4日、私は建造物侵入及び強制わいせつ容疑で逮捕された。事案は、マンション内の共用廊下に立ち入り、その場で女性にわいせつ行為をしたというもの。その後、余罪を自供し、強姦1名を含む計9名に対するわいせつ・強姦事件で06年6月に実刑判決が確定した。

〈そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。〉(太宰治『人間失格』新潮文庫)

 逮捕から12年、受刑者としてはちょうど10年の節目を迎える。償いとは何か。被害者の方々に罪を償うにはどうすればよいのか。それをずっと考えてきた。......いや、ちょっと待てよ。その問いの背景には、何らかの方法によって償うことができるとの前提が隠れているのではないか。「償える」と思うことが被害者の苦しみを過小評価した加害者側の傲慢さの表れではないのか。そもそも、加害者(しかも性犯罪)が被害者に対し償うこと自体可能なのか。答えは否である。たとえ死んでお詫びしたところで被害者の傷が癒えるわけでもない。ならば私は償うことさえ叶わない大きな罪を犯したのだという自覚を持ち、一生それを背負って生き続けなければならないのだ。

 懲役刑に服するということはあくまで社会治安を乱したことに対する国家への償いでしかなく、むしろ服役を終え自由を手にした後こそが真の償いの始まりである。自分の被害者に対して償えないのであれば誰に対して償うのか。まずは「未来の被害者」なのだと思う。今はまだ被害に遭っていないが将来何らかの事件に巻き込まれるかも知れない存在。つまり私自身が再犯に至らないことを大前提として、その上でなお、新たな犯罪を防ぐことができないだろうか。

 統計数字を見る限り、そして私自身の経験からも、刑務所とは「矯正施設」ではなく「再犯者養成所」である。適切な運営と教育により大きく再犯率を下げることができるにも関わらず。

 加害者も被害者も、受刑者も刑務官も、市民も政府も、それぞれ立場は異なるものの「新たな被害者や加害者を生み出さないために何ができるのか」との一点においては同じ目的を共有できるのだと信じたい。

 こうして私が自分なりに罪と向き合うことができているのには、ふたつの大きな要因があるからだろう。ひとつは通称「R3」と呼ばれる更生プログラムを受講したこと。そしてもうひとつはキリスト教の信仰を得たことだ。

 全員というわけではないが、多くの性犯罪者は服役中にR3の受講を義務付けられる。これは認知行動療法に基づいたプログラムで、週2回、半年かけて実施される。受講者8名(固定メンバー)と臨床心理士・教育部門スタッフなど計10名前後で行われ、各自が課題として作成したワークブックの内容について発表し、ディスカッションするグループワークだ。私はこれを2009年に受講した。

このプログラムの効果は昨年度版『犯罪白書』で明らかにされ、出所後の再犯率はR3受講者が9・9%、非受講者は36・6%とのことである(出所者全体では47・1%)。

 R3では感情統制方法など様々なスキルを学ぶこともできるが、私にとって最も効果があったのは「心を開くことができるようになった」ということだ。

 元来私はそれができず、常に本音を隠して生きてきたように思う。その結果、親友なるものができたことはなく、また、人に弱音を吐くことができないためひとりでストレスを抱え込むこととなる。それが極限まで高まったのは2002年だった。 (略)

 

 女性に困っていたわけでも特殊な性癖があったわけでもない。もしかしたら性犯罪ではなく薬物や暴力だった可能性もあったかもしれない。今更ながら身勝手極まりなく、被害者の方々にはお詫びのしようもない。

 二度と犯罪に関わりたくないというのは、多くの受刑者が持ち合わせている願いだ。私も、自身の再犯防止のため、R3の効果を最大限享受したいと思い受講に臨んだ。そしてそのために、これまでずっと閉じてきた心の扉を常時オープンにする必要に迫られた。なんせこれまで本音を見せずに生きてきた人間が、幼少期から現在に至るまでの自分史や当時の感情、性の芽生えや性的嗜好などを人前で発表するのである。

 しかし受講を重ねるうちに気付いてきた。自分を晒け出すことに何の不都合もないのではないか、と。むしろこちらが心を開けば相手も同じように接してくる。距離が縮まる。そんな当たり前のことや対人関係の築き方を30歳(当時)にもなって初めて知ったのだ。逆に、なぜこれまでの人生においてあんなにも頑なに心を閉ざしてきたのか疑問にさえ思った程である。

 心を開く対象は他人だけではなく自分自身をも含む。本当は傷付いて生きてきたにも関わらず傷付かない振りをして、あるいはそれを認めたくないから意図的に目を逸らしていたのだろう。自分の痛みに向き合えない人間が他人の痛みを想像することなんて決してできない。だからこそ簡単に人を傷付けることができた。    (以下省略)

 

 

 昨年6月にシリアで消息を絶ったジャーナリスト安田純平さんが「助けてください。これが最後のチャンスです」と書かれた紙を持った写真が5月末に公開され、代理人を自称するシリア人が「期限は1カ月」と言ったと報じられて1カ月が経過する。ちょうど安田さんが1年前に拘束された時期であり、拘束側が1周年を機に何らかの動きに出る可能性がある。

拘束しているのはアルカイダ系のヌスラ戦線と言われるが、身代金目当てであることは明らかになっている。だから、この「期限は1カ月」というメッセージも一種の揺さぶりだという見方もある。ただ、昨年、これはイスラム国という別の組織に拘束された後藤健二さんら2人の日本人が実際に殺害されているから楽観は禁物だ。 

 5月末に写真が公開される前には3月16日に安田さんの動画とメッセージが公開されている。安倍政権はテロリストは相手にしないと言明しているから、拘束した側も間もなく1年ということで焦りが出ている可能性もある。

 そうした状況を受けて、ここへきて日本でもいろいろな動きが出始めている。NHKなどテレビのニュースでも報道されて話題になったのは、6月6日夜に首相官邸前に100人以上の市民グループが集まり、安田さん救出へ向けてあらゆる努力をすべきと訴えたことだ。市民グループがイメージしたのは2004年に高遠菜穂子さんらがイラクで人質になった時の救出運動だろう。あの時はいろいろな人が声を上げ、人質は無事に解放された。ちなみに安田さんもその後に一時拘束され解放されている。

 ただ、この市民グループのデモについては、批判も含めていろいろな意見が投げられた。今回は2004年と違って、拘束した側が身代金獲得を目的としているため、下手に動くと拘束グループの思うつぼになりかねない。安田さん自身もこれまで戦場取材の経験を積んで、こういう局面で自らが何らかの取引に使われることを良しとしないという覚悟を表明してもいた。その本人の意志も尊重せねばならない。

実際、安田さん救出へ向けての動きは昨年からいろいろな人が行っていたのだが、それが水面下にとどまっていたのは、秘密裡にやったほうが解放への近道だという判断が働いていたからだ。その後、拘束グループが安田さんの映像を公開して揺さぶりをかけてくるという新たな局面に至って、安田さんの解放を望むジャーナリストらの間でも、救出へ向けてどう行動すればよいかについてはいろいろな考え方が表明されている。

 そういう意見の違いが対立にまで至ったのが、6月9日発売の『週刊新潮』6月16日号に「勝手に『安田純平さん』身代金交渉という自称ジャーナリストの成果」と題してジャーナリスト西谷文和さんを名指しで非難する記事が掲載されたケースだ。西谷さんのこの間の動きが事態を悪化させたのではないかという、この記事に対して西谷さんは憤り、記事でコメントもしている常岡浩介さんを、「イラクの子どもを救う会ブログ」で激しく批判した。

 さて、この段階で、どう行動することが安田さん解放への近道なのかという問題を含め、これまで戦場取材に関わって来たジャーナリストが率直に意見を交わそうという趣旨で開催されたのが、月刊『創』主催の4月19日のシンポジウム「安田純平さん拘束事件と戦場取材」だった。昨年、後藤健二さんらの事件の後にシンポジウムを開催し、そこに安田さんも参加していろいろな議論を行った経緯があったため、今回改めていろいろな人に声をかけて開催したものだ。

 罵倒にまでは至らなかったものの、そこでは相反する立場も含め、いろいろな意見が表明された。ジャパンプレスの藤原亮司さんは「今日のシンポジウムの開催趣旨にもありますが、『こういう局面で私たちが何をすべきか、何ができるのか』ーー私は、何もしないでほしいと思っているんです」と語った。つまり下手に動くべきでないという主張だ。

 中東ジャーナリストの川上泰徳さんは、それに異議を唱えてこう発言した。「私は、交渉イコール身代金を支払うものだと決めつけないで、いったい何を求めていて、どういうコネクションがあってどういう話ができるかということをまず探るべきだと思っています」

シンポジウムではそのほか、アジアプレスの野中章弘さんが戦場取材におけるフリーランスの置かれた状況について、新聞労連委員長の新崎盛吾さんが組織ジャーナリズムとフリーランスについて語った。さらにフリージャーナリストの志葉玲さんや、作家の雨宮処凛さんがそれぞれの意見を述べ、中身の濃い議論が行われた。安田さん救出のために何ができるのかという問題だけでなく、そもそも戦場へ足を運んで戦争の実態を報道することにどういう意義があるのか、あるいはもっぱらフリーランスに危険な取材を負わせている現在の日本における戦場取材のあり方をどう考えるべきかなど、ジャーナリズムの基本に関わる多くの問題が提起された。

それらの議論は、発売中の月刊『創』7月号に28ページにもわたって詳細に掲載されているし、創出版のホームページからその部分だけをスマホなどで読めるようにしてある。

  関心ある人はぜひ議論の全文を読んでいただきたいが、ここではその中から幾つかの発言を抜粋して公開しよう。

 実はこのテーマについては6月11日に産経デジタルのサイトiRONNAに幾つかの発言や論考を公開したのだが、最後に産経デジタルの編集部が設定したアンケート「命を落とす危険があってもジャーナリストは戦地に行くべきだと思いますか?」に対して、現状で「行くべき」が97票、「行くべきではない」が911票。圧倒的に戦場取材についての理解が得られていないという結果が出ている。もちろんこういうアンケートはどういう情報を提示してどういう設問にするかによって結果がある程度左右されるのだが、この結果が今の日本における市民感覚と言えるかもしれない。

 この問題をめぐっては、6月20日過ぎが安田さん拘束から1年を迎えるため、再び拘束グループが揺さぶりをかけてくる可能性がある。またその時期に、川上さんやイラク戦争の報道で知られる綿井健陽さんら戦場取材に関わって来たジャーナリストを中心に「危険地報道を考えるジャーナリストの会」という会を立ち上げ、安田さん解放へ向けた声明を世界に発信しようという動きもある。

多くのジャーナリストや市民がぜひこの問題を一緒に考え、議論してほしい。シンポジウムの発言もぜひ全文を読んでほしいが、ここではその中から藤原さんと川上さんの発言だけを紹介しよう。

 そして安田さんが一刻も早く無事に解放されることを祈りたいと思う。

 ●藤原亮司さん(ジャパンプレス)の発言

 安田純平さんが昨年6月23日にトルコの国境を越えてシリアに入って、すぐに地元の武装勢力につかまったということを、私はその数日後に耳にしました。個人的にも親交がありますので、私はそれから安田さんの情報をずっと追いかけてきました。私自身もシリアで取材したことがありますので、現地の友人や安田さんの友人、あるいは私が使っていたコーディネーターなどから情報を得ています。おそらく今はヌスラ戦線というシリアの反体制派グループに拘束されているだろうと言われています。

 彼がつかまって以降、公にはずっと情報がなかったのですが、昨年1222日付で、「国境なき記者団」という団体が声明を出しました。その内容は、日本政府が解放交渉を行わなければ安田純平は人質として転売されるか殺されるであろうというものでした。なぜそんな発表がなされたかというと、セキュリティ会社の社長を名乗るスウェーデン人の男がおりまして、それまでもずっと日本のメディアや政府に自分が仲介役になれる、交渉できると持ちかけて、一儲けしようと企んでいたのです。しかし相手にされず、国境なき記者団でよく知っているベンジャミンというアジア太平洋担当デスクに話を持ちかけた。そして彼が上司の判断を得ず、会社の会議にかけずに個人の判断でリリースを出してしまい、世界に広まってしまったということです。

 それは全くの誤報であり、国境なき記者団に抗議を送ったところ、ベンジャミンの上司からすぐにメールが返ってきて、撤回させるとのことでした。私だけでなく複数の人が働きかけたと思いますが、それによって国境なき記者団は、声明を取り下げたわけです。

 その後、今年の3月、今度は安田純平さん本人がビデオで語っている映像が流れ、大きく報道されて知られることになりました。今日のシンポジウムの開催趣旨にもありますが、「こういう局面で私たちが何をすべきか、何ができるのか」。私は、何もしないでほしいと思っているんです。

というのは、安田さんが3月16日のメッセージの中で、ご家族や奥様、ご兄弟のことを言っています。「いつもみんなのことを考えている。みんなを抱き締めたい。みんなと話がしたい。でも、もうできない」。これは、安田さんが家族や関係者に伝えようとした強烈な覚悟、意思表示だったと思うんです。自分は身代金による解放を望んでいないので、もう家族たちには会えないだろうという決意表明をしたのだと思います。私はこれは、一人の職業人として、ジャーナリストとして、本当に立派な覚悟のしかただと思っています。

 安田さんは過去に一度、3日間ほどではありますが、イラクでも拘束されたことがあります。戦場においてジャーナリストや取材者が一時的に拘束されるというのは、時々起こりうることなんです。12年前にイラクで安田さんが拘束されたこともよくあることの一つだったにもかかわらず、大きく扱われてしまった。高遠菜穂子さんら他の3人の誘拐事件とタイミングが重なったために、非常に大きな扱いをされたわけです。

 それ以降、彼はずっと、自分がもしどこかで拘束されたり、身の上に何かがあった時どう処すればいいかを考えて取材地に向かっていたはずです。彼はそれを、今回ヌスラ戦線と思われるところから流れてきたビデオによって、しっかりと表明したんです。それに対して我々はじめ同業者、あるいは関係者や一般の人たちが、政府に安田さんを解放してやってほしいと働きかけることは、安田さんの意に反することでもあるのです。これは国家が国民の身に何かが起きた時に、尽力する責任がある、義務があるということとは全く別の話で、当然政府にはそうした責務があるのですが、一方で安田純平さん個人が、自分の職責において、自分の生き方において、政府による交渉を望んでいないので何もしないでくれという訴えかけをしてきた時、私は友人として、同じ仕事をしている人間として、彼の意志を尊重したいと思うんです。

 また、闇雲に政府に働きかけたり、それによって政府が何か動いたり、また我々の側からヌスラ戦線に解放してくれとアピールするといったことは、身代金を欲しがっている人間のことをこちらから宣伝してやっているようなものです。それは安田さんにとって何のメリットもないことだと、僕は思っています。

 

●川上泰徳さん(中東ジャーナリスト)の発言 

 私は朝日新聞で20年ほど中東記者をやって、1年前からフリーになっています。ちょうど1年前というのは後藤健二さんたちの人質事件があった時で、それを受けて、土井敏邦さん、石丸次郎さん、綿井健陽さんと私の4人で「危険地報道を考えるジャーナリストの会」を立ち上げました。そこで、ジャーナリストが危険地に行くというのは、ジャーナリストにとってはある意味当然のことなんだが、社会的には理解されていないという話をしてきました。安田さんもその会に参加して、自分の経験やいろんな意見を話してくれました。6月に行方不明になる前の話です。

 安田さんの問題は非常に難しくて、今年の3月に映像が出てくるまで、確認情報がなかったんです。この映像も確認情報と言えるかという問題はありますが、それ以前は、安田さんが拘束されているのかどうかもわからない、誰が拘束しているかもわからない、その中で私たちも声明を出すこともできないし、動きようがないという状況でした。インターネット上では、安田さんのことが公表されないのは政府の意向などを受けて意図的に隠されているんじゃないかという声も出ている状況でした。私もあの映像が出て初めて、WEBRONZAで安田さんについての記事を書きました。

 安田さんを拘束しているのは、ヌスラ戦線と言われています。ヌスラ戦線はシリアのアルカイダ組織ということですが、あまり理解されていないんじゃないかと思います。イスラム国とヌスラ戦線というのは、どちらも国際社会、安保理でテロ組織として認定されています。ただしこの二つが全く違うのは、これまでヌスラ戦線は人質をとっても、イスラム国のように殺した例はないんです。身代金の問題はありますが、何らかの形で解放されている。私は、これは重要なことだと思うんです。相手がどういう組織なのか。アルカイダ系ではあるけれども、少なくともイスラム国とは違う。ヌスラ戦線は、アサド政権軍に対して最も激しく戦っているグループと考えていいと思います。逆に、この前ロシア軍がアサド政権を支えるような形で空爆を行いましたが、その時、イスラム国に対する空爆よりも、自由シリア軍やヌスラ戦線などに対する空爆の方がひどかったし、それによる民間人の被害もかなり多く出た。だからまさに、内線の中で、政権軍と戦っている最前線にいるグループと考えてよいと思います。

 だから私は、交渉イコール身代金を支払うものだと決めつけないで、いったい何を求めていて、どういうコネクションがあってどういう話ができるかということをまず探るべきだと思っています。それは民間でもできるし、当然政府にしかできないこともある。

 実はアメリカが昨年6月に、人質についての政府の対応策を変更しました。それまでテロ組織とは全く交渉しない、関わらないと言っていたけれど、それを、身代金は払わないが、家族が支払うことを政府は止めないとか、その際に家族が騙されないように政府がいろんな形で支援すると方針を変えました。支援の中には、政府の担当機関が直接そういう組織と関わったりコミュニケートするということを含んでいるんです。アメリカがそれまで自国民を人質にとったテロ組織と全く関わらないとしてきたのを方向転換して、人質の安全な救出を最優先するとしたことは、すごく大きいと思うんです。

 アメリカは決して、国家の安全保障は二の次だと言っているわけではありません。国家の安全保障は重要で、身代金は払わない。しかし一方で、人質の安全解放に向けて国は最善を尽くす、担当チームを政府の中に作って動く、情報収集をすると言っている。そういう態勢は日本でも必要だと思います。「身代金は払いません、テロ組織とは関わりません」でおしまいではなく、いろんな形で、人質をとっている組織とコネクションがあるところに当たり、政治的経済的宗教的に当たって、身代金を払わなくても解放する道があるのではないか。

 アメリカでは実際に、ヌスラ戦線から解放されたフリーランスのジャーナリストがいます。その際にはアメリカ政府は20カ国のコネクションに当たったそうです。最終的には、ヌスラ戦線とコネクションのあるカタールが交渉に当たって人質解放がなされた。アメリカは直接的には交渉には関わっていないという立場ですが、周辺への働きかけはしている。日本も相手が「テロ組織」であっても何もしないというのではなく、できる限りの努力をする必要があり、そのためにはジャーナリストである私たちも動く必要があるし、政府しか使えないチャンネルもたくさんありますから、政府としても働きかけていくべきだと思っています。

 それから、こういった危険地報道を考える時に、ジャーナリストの間で中心になって動くところがないということで、今、そういうものを作ろうと正式な立ち上げに向けて動いています。

 

 昨年6月にシリアで消息を絶ったジャーナリスト安田純平さんが「助けてください。これが最後のチャンスです」と書かれた紙を持った写真が5月末に公開され、代理人を自称するシリア人が「期限は1カ月」と言ったと報じられて1カ月が経過する。ちょうど安田さんが1年前に拘束された時期であり、拘束側が1周年を機に何らかの動きに出る可能性がある。

拘束しているのはアルカイダ系のヌスラ戦線と言われるが、身代金目当てであることは明らかになっている。だから、この「期限は1カ月」というメッセージも一種の揺さぶりだという見方もある。ただ、昨年、これはイスラム国という別の組織に拘束された後藤健二さんら2人の日本人が実際に殺害されているから楽観は禁物だ。 

 5月末に写真が公開される前には3月16日に安田さんの動画とメッセージが公開されている。安倍政権はテロリストは相手にしないと言明しているから、拘束した側も間もなく1年ということで焦りが出ている可能性もある。

 そうした状況を受けて、ここへきて日本でもいろいろな動きが出始めている。NHKなどテレビのニュースでも報道されて話題になったのは、6月6日夜に首相官邸前に100人以上の市民グループが集まり、安田さん救出へ向けてあらゆる努力をすべきと訴えたことだ。市民グループがイメージしたのは2004年に高遠菜穂子さんらがイラクで人質になった時の救出運動だろう。あの時はいろいろな人が声を上げ、人質は無事に解放された。ちなみに安田さんもその後に一時拘束され解放されている。

 ただ、この市民グループのデモについては、批判も含めていろいろな意見が投げられた。今回は2004年と違って、拘束した側が身代金獲得を目的としているため、下手に動くと拘束グループの思うつぼになりかねない。安田さん自身もこれまで戦場取材の経験を積んで、こういう局面で自らが何らかの取引に使われることを良しとしないという覚悟を表明してもいた。その本人の意志も尊重せねばならない。

実際、安田さん救出へ向けての動きは昨年からいろいろな人が行っていたのだが、それが水面下にとどまっていたのは、秘密裡にやったほうが解放への近道だという判断が働いていたからだ。その後、拘束グループが安田さんの映像を公開して揺さぶりをかけてくるという新たな局面に至って、安田さんの解放を望むジャーナリストらの間でも、救出へ向けてどう行動すればよいかについてはいろいろな考え方が表明されている。

 そういう意見の違いが対立にまで至ったのが、6月9日発売の『週刊新潮』6月16日号に「勝手に『安田純平さん』身代金交渉という自称ジャーナリストの成果」と題してジャーナリスト西谷文和さんを名指しで非難する記事が掲載されたケースだ。西谷さんのこの間の動きが事態を悪化させたのではないかという、この記事に対して西谷さんは憤り、記事でコメントもしている常岡浩介さんを、「イラクの子どもを救う会ブログ」で激しく批判した。

 さて、この段階で、どう行動することが安田さん解放への近道なのかという問題を含め、これまで戦場取材に関わって来たジャーナリストが率直に意見を交わそうという趣旨で開催されたのが、月刊『創』主催の4月19日のシンポジウム「安田純平さん拘束事件と戦場取材」だった。昨年、後藤健二さんらの事件の後にシンポジウムを開催し、そこに安田さんも参加していろいろな議論を行った経緯があったため、今回改めていろいろな人に声をかけて開催したものだ。

 罵倒にまでは至らなかったものの、そこでは相反する立場も含め、いろいろな意見が表明された。ジャパンプレスの藤原亮司さんは「今日のシンポジウムの開催趣旨にもありますが、『こういう局面で私たちが何をすべきか、何ができるのか』ーー私は、何もしないでほしいと思っているんです」と語った。つまり下手に動くべきでないという主張だ。

 中東ジャーナリストの川上泰徳さんは、それに異議を唱えてこう発言した。「私は、交渉イコール身代金を支払うものだと決めつけないで、いったい何を求めていて、どういうコネクションがあってどういう話ができるかということをまず探るべきだと思っています」

シンポジウムではそのほか、アジアプレスの野中章弘さんが戦場取材におけるフリーランスの置かれた状況について、新聞労連委員長の新崎盛吾さんが組織ジャーナリズムとフリーランスについて語った。さらにフリージャーナリストの志葉玲さんや、作家の雨宮処凛さんがそれぞれの意見を述べ、中身の濃い議論が行われた。安田さん救出のために何ができるのかという問題だけでなく、そもそも戦場へ足を運んで戦争の実態を報道することにどういう意義があるのか、あるいはもっぱらフリーランスに危険な取材を負わせている現在の日本における戦場取材のあり方をどう考えるべきかなど、ジャーナリズムの基本に関わる多くの問題が提起された。

それらの議論は、発売中の月刊『創』7月号に28ページにもわたって詳細に掲載されているし、創出版のホームページからその部分だけをスマホなどで読めるようにしてある。

  関心ある人はぜひ議論の全文を読んでいただきたいが、ここではその中から幾つかの発言を抜粋して公開しよう。

 実はこのテーマについては6月11日に産経デジタルのサイトiRONNAに幾つかの発言や論考を公開したのだが、最後に産経デジタルの編集部が設定したアンケート「命を落とす危険があってもジャーナリストは戦地に行くべきだと思いますか?」に対して、現状で「行くべき」が97票、「行くべきではない」が911票。圧倒的に戦場取材についての理解が得られていないという結果が出ている。もちろんこういうアンケートはどういう情報を提示してどういう設問にするかによって結果がある程度左右されるのだが、この結果が今の日本における市民感覚と言えるかもしれない。

 この問題をめぐっては、6月20日過ぎが安田さん拘束から1年を迎えるため、再び拘束グループが揺さぶりをかけてくる可能性がある。またその時期に、川上さんやイラク戦争の報道で知られる綿井健陽さんら戦場取材に関わって来たジャーナリストを中心に「危険地報道を考えるジャーナリストの会」という会を立ち上げ、安田さん解放へ向けた声明を世界に発信しようという動きもある。

多くのジャーナリストや市民がぜひこの問題を一緒に考え、議論してほしい。シンポジウムの発言もぜひ全文を読んでほしいが、ここではその中から藤原さんと川上さんの発言だけを紹介しよう。

 そして安田さんが一刻も早く無事に解放されることを祈りたいと思う。

 ●藤原亮司さん(ジャパンプレス)の発言

 安田純平さんが昨年6月23日にトルコの国境を越えてシリアに入って、すぐに地元の武装勢力につかまったということを、私はその数日後に耳にしました。個人的にも親交がありますので、私はそれから安田さんの情報をずっと追いかけてきました。私自身もシリアで取材したことがありますので、現地の友人や安田さんの友人、あるいは私が使っていたコーディネーターなどから情報を得ています。おそらく今はヌスラ戦線というシリアの反体制派グループに拘束されているだろうと言われています。

 彼がつかまって以降、公にはずっと情報がなかったのですが、昨年1222日付で、「国境なき記者団」という団体が声明を出しました。その内容は、日本政府が解放交渉を行わなければ安田純平は人質として転売されるか殺されるであろうというものでした。なぜそんな発表がなされたかというと、セキュリティ会社の社長を名乗るスウェーデン人の男がおりまして、それまでもずっと日本のメディアや政府に自分が仲介役になれる、交渉できると持ちかけて、一儲けしようと企んでいたのです。しかし相手にされず、国境なき記者団でよく知っているベンジャミンというアジア太平洋担当デスクに話を持ちかけた。そして彼が上司の判断を得ず、会社の会議にかけずに個人の判断でリリースを出してしまい、世界に広まってしまったということです。

 それは全くの誤報であり、国境なき記者団に抗議を送ったところ、ベンジャミンの上司からすぐにメールが返ってきて、撤回させるとのことでした。私だけでなく複数の人が働きかけたと思いますが、それによって国境なき記者団は、声明を取り下げたわけです。

 その後、今年の3月、今度は安田純平さん本人がビデオで語っている映像が流れ、大きく報道されて知られることになりました。今日のシンポジウムの開催趣旨にもありますが、「こういう局面で私たちが何をすべきか、何ができるのか」。私は、何もしないでほしいと思っているんです。

というのは、安田さんが3月16日のメッセージの中で、ご家族や奥様、ご兄弟のことを言っています。「いつもみんなのことを考えている。みんなを抱き締めたい。みんなと話がしたい。でも、もうできない」。これは、安田さんが家族や関係者に伝えようとした強烈な覚悟、意思表示だったと思うんです。自分は身代金による解放を望んでいないので、もう家族たちには会えないだろうという決意表明をしたのだと思います。私はこれは、一人の職業人として、ジャーナリストとして、本当に立派な覚悟のしかただと思っています。

 安田さんは過去に一度、3日間ほどではありますが、イラクでも拘束されたことがあります。戦場においてジャーナリストや取材者が一時的に拘束されるというのは、時々起こりうることなんです。12年前にイラクで安田さんが拘束されたこともよくあることの一つだったにもかかわらず、大きく扱われてしまった。高遠菜穂子さんら他の3人の誘拐事件とタイミングが重なったために、非常に大きな扱いをされたわけです。

 それ以降、彼はずっと、自分がもしどこかで拘束されたり、身の上に何かがあった時どう処すればいいかを考えて取材地に向かっていたはずです。彼はそれを、今回ヌスラ戦線と思われるところから流れてきたビデオによって、しっかりと表明したんです。それに対して我々はじめ同業者、あるいは関係者や一般の人たちが、政府に安田さんを解放してやってほしいと働きかけることは、安田さんの意に反することでもあるのです。これは国家が国民の身に何かが起きた時に、尽力する責任がある、義務があるということとは全く別の話で、当然政府にはそうした責務があるのですが、一方で安田純平さん個人が、自分の職責において、自分の生き方において、政府による交渉を望んでいないので何もしないでくれという訴えかけをしてきた時、私は友人として、同じ仕事をしている人間として、彼の意志を尊重したいと思うんです。

 また、闇雲に政府に働きかけたり、それによって政府が何か動いたり、また我々の側からヌスラ戦線に解放してくれとアピールするといったことは、身代金を欲しがっている人間のことをこちらから宣伝してやっているようなものです。それは安田さんにとって何のメリットもないことだと、僕は思っています。

 

'''●川上泰徳さん(中東ジャーナリスト)の発言''' 

 私は朝日新聞で20年ほど中東記者をやって、1年前からフリーになっています。ちょうど1年前というのは後藤健二さんたちの人質事件があった時で、それを受けて、土井敏邦さん、石丸次郎さん、綿井健陽さんと私の4人で「危険地報道を考えるジャーナリストの会」を立ち上げました。そこで、ジャーナリストが危険地に行くというのは、ジャーナリストにとってはある意味当然のことなんだが、社会的には理解されていないという話をしてきました。安田さんもその会に参加して、自分の経験やいろんな意見を話してくれました。6月に行方不明になる前の話です。

 安田さんの問題は非常に難しくて、今年の3月に映像が出てくるまで、確認情報がなかったんです。この映像も確認情報と言えるかという問題はありますが、それ以前は、安田さんが拘束されているのかどうかもわからない、誰が拘束しているかもわからない、その中で私たちも声明を出すこともできないし、動きようがないという状況でした。インターネット上では、安田さんのことが公表されないのは政府の意向などを受けて意図的に隠されているんじゃないかという声も出ている状況でした。私もあの映像が出て初めて、WEBRONZAで安田さんについての記事を書きました。

 安田さんを拘束しているのは、ヌスラ戦線と言われています。ヌスラ戦線はシリアのアルカイダ組織ということですが、あまり理解されていないんじゃないかと思います。イスラム国とヌスラ戦線というのは、どちらも国際社会、安保理でテロ組織として認定されています。ただしこの二つが全く違うのは、これまでヌスラ戦線は人質をとっても、イスラム国のように殺した例はないんです。身代金の問題はありますが、何らかの形で解放されている。私は、これは重要なことだと思うんです。相手がどういう組織なのか。アルカイダ系ではあるけれども、少なくともイスラム国とは違う。ヌスラ戦線は、アサド政権軍に対して最も激しく戦っているグループと考えていいと思います。逆に、この前ロシア軍がアサド政権を支えるような形で空爆を行いましたが、その時、イスラム国に対する空爆よりも、自由シリア軍やヌスラ戦線などに対する空爆の方がひどかったし、それによる民間人の被害もかなり多く出た。だからまさに、内線の中で、政権軍と戦っている最前線にいるグループと考えてよいと思います。

 だから私は、交渉イコール身代金を支払うものだと決めつけないで、いったい何を求めていて、どういうコネクションがあってどういう話ができるかということをまず探るべきだと思っています。それは民間でもできるし、当然政府にしかできないこともある。

 実はアメリカが昨年6月に、人質についての政府の対応策を変更しました。それまでテロ組織とは全く交渉しない、関わらないと言っていたけれど、それを、身代金は払わないが、家族が支払うことを政府は止めないとか、その際に家族が騙されないように政府がいろんな形で支援すると方針を変えました。支援の中には、政府の担当機関が直接そういう組織と関わったりコミュニケートするということを含んでいるんです。アメリカがそれまで自国民を人質にとったテロ組織と全く関わらないとしてきたのを方向転換して、人質の安全な救出を最優先するとしたことは、すごく大きいと思うんです。

 アメリカは決して、国家の安全保障は二の次だと言っているわけではありません。国家の安全保障は重要で、身代金は払わない。しかし一方で、人質の安全解放に向けて国は最善を尽くす、担当チームを政府の中に作って動く、情報収集をすると言っている。そういう態勢は日本でも必要だと思います。「身代金は払いません、テロ組織とは関わりません」でおしまいではなく、いろんな形で、人質をとっている組織とコネクションがあるところに当たり、政治的経済的宗教的に当たって、身代金を払わなくても解放する道があるのではないか。

 アメリカでは実際に、ヌスラ戦線から解放されたフリーランスのジャーナリストがいます。その際にはアメリカ政府は20カ国のコネクションに当たったそうです。最終的には、ヌスラ戦線とコネクションのあるカタールが交渉に当たって人質解放がなされた。アメリカは直接的には交渉には関わっていないという立場ですが、周辺への働きかけはしている。日本も相手が「テロ組織」であっても何もしないというのではなく、できる限りの努力をする必要があり、そのためにはジャーナリストである私たちも動く必要があるし、政府しか使えないチャンネルもたくさんありますから、政府としても働きかけていくべきだと思っています。

 それから、こういった危険地報道を考える時に、ジャーナリストの間で中心になって動くところがないということで、今、そういうものを作ろうと正式な立ち上げに向けて動いています。