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創出版: 2015年2月アーカイブ

小林よしのり・香山リカ両氏が月刊『創』2015年3月号で「アイヌ問題」やヘイトスピーチをめぐって激突対談を行っている。こんなふうに論客が直接対面してガチンコで対決すること自体最近は珍しいから、大きな話題になっている。
 
ここでは、両者が対決に至った経緯や舞台裏を書いておこう。「アイヌ問題」については、既に小林さんが『わしズム』や『日本のタブー』で詳しく論じていることが知られており、アイヌに対してヘイトスピーチを行う側がその論拠にもしていた。今回、それを覆そうとしたのが香山さんで、それだけにこの1カ月ほど、相当な覚悟をもって文献などに当たり、この対決に臨んでいる。
対談開始早々、香山さんによる「今日は小林さんの主張を撤回してもらいたいと思って来ました。そうしていただかないと私は帰れません」と、いきなりの宣戦布告。奇しくもその日は大雨で、いやがうえにも対決ムードをかきたてた。対談中は時に大声も上がり、予定の2時間になっても双方とも「このままでは帰れない」と戦闘継続。結局、3時間以上にわたる激論となった。

もともときっかけは、2014年8月に札幌の金子快之市議がツイッターで「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理」とつぶやいたことだった。差別的発言だとして物議をかもしたのだが、北海道議会の小野寺まさる議員のように逆に応援する人もおり、さらにヘイトスピーチを行ってきた団体がこれを取り上げ、アイヌを排斥するデモを都内で行うといった騒動に発展した。

アイヌの特権、利権を許すなというこの論理は、在日朝鮮人などに対して投げつけられてきたのと同じものだが、そのヘイトスピーチを行う側が論拠としたのが、小林さんがこれまで幾つかの著書で展開してきた「アイヌ民族は存在しない」という主張だった。つまりアイヌの人たちは長い間の同化政策によって民族としては存在しなくなっているという考えだ。そこで自らが北海道生まれである香山さんは、アイヌへのヘイトスピーチを批判するには、彼らが論拠としている小林さんの主張を覆さなければならないと考えたわけだ。
 2014年、「アイヌ問題」についての議論が拡大していく過程で、小林さんは11月13日のブログで「純粋アイヌはいない。果たして『アイヌ民族』というほどの集団がいるのか?」と書き、「この問いに、香山リカ、中島岳志は答えなさい」と名指しで呼びかけを行った。それに応えて香山さんが『創』1・2月号のコラムで「アイヌ問題」についての見解を述べ、「篠田編集長、小林よしのり氏と対談させてください」と書いた。それを受ける形で実現したのが今回の対談だ。

討論は、アイヌを同化させてきた日本のあり方、あるいは民族とは何なのか、など多岐にわたった。「アイヌ問題」というとやや専門的と思う人もいるだろうが、双方激しい言葉が飛び交う白熱した論戦で興味深い内容だ。アイヌの人たちの権利についてどう考えるのかという問題は、様々な民族問題などに通じるテーマで、極めて今日的だ。対談は、双方とも最後まで相手の主張に同意せず決裂、香山さんが「小林さんの主張を撤回してもらえず悔しいです」と言って終わるのだが、なかなかどうして、香山さんも対談では相当な勢いでアイヌについての考えを展開している。

香山さんは、ネットでいろいろ論評されているが、日本全体の言論の座標軸が右へとずれていくなかで、いまやリベラル派代表のような立場に否応なく立たされており、最近はそのことを自らもある種の覚悟をもって任じようとしているように思われる。これまで保守論壇に大きな影響を行使して来た小林さんにガチンコ対決を挑むというのも、彼女なりの覚悟の現れだろう。終了後、普段は飲まないアルコールを飲んでいたのも、それだけ彼女にとって今回の対談は大勝負だったということだろう。
 その双方にとっての大勝負、ぜひ多くの人に読んでいただきたい。冒頭に書いたように、『創』3月号は発売されたばかりで書店で入手するのは容易だが、ネット書店では品切れになりそうなので、対談ページと香山さんが後日談を書いたコラムとあわせて22ページを電子版にして低価格で読めるようにした。立ち見ページも数ページあるので、内容はある程度無料で読める。興味のある人はぜひアクセスしてほしい。

後藤健二さんが殺害された事件は多くの日本人に衝撃を与えたと思う。戦場取材あるいは戦争報道のありかたを根底から考え直さなければならなくなったという意味では、ジャーナリズムにとっても極めて深刻な事件だ。

ベトナム戦争の時代、ジャーナリストは戦争当事者と距離を置く第三者として戦場に入っていった。しかし、イラク戦争の頃にはもう日本人ジャーナリストは第三者ではなくなり、今回はむしろ敵側としてイスラム国によって標的にされた。

これは、日本が戦争にどう関わってきたかという歴史経緯と重なっている。日本人のほとんどは、戦争を望んでいないと思うのだが、気がついたらいつのまにか私たちは戦争の当事者として攻撃を受けかねない存在になっているのだ。

 

年明けのフランスのテロ事件に際しては、表現の自由を守れという観点から世界中で抗議の声が上がったのだが、ふと気がつくと、そのテロへの抗議の声が、アメリカやイギリスなどによるイスラム過激派との戦争に「回収」されていきかねない流れになっている。後藤健二さんの殺害に対しても、オバマ大統領や安倍首相のテロ非難の発言は、「テロとの戦い」の名のもとになされる戦争に日本を否応なく引きずり込みそうな気配が感じられて、ヒヤッとしてしまう。そもそもこの間のアフガンやイラク戦争にしても、アメリカ側の武力行使のみを「民主化のための戦い」などと正当化するというある種のダブルスタンダードを、日本のマスメディアは既に受け入れてきた。

 

こういう流れのなかで、果たしてジャーナリズムはどういうスタンスで報道にあたるべきなのか。もともと多くのジャーナリストが危険をおかして戦場取材に足を運んだのは、国家のプロパガンダでなく、第三者的な目で、現場で何が起こっているのかを市民に伝えようとしてきたからだ。ジャーナリストによる戦場取材がなされず、戦争当事国の大本営発表だけが伝えられるとしたら、こんな恐ろしいことはない。

 

日本が戦争の当事者にいつのまにかなりつつあるような空気の中で、ジャーナリズムのあり方、戦争と報道について議論をしたい。それはメディア関係者だけでなく、集団的自衛権や憲法改定といった戦後の大きな転換に直面しつつある市民一人ひとりにとっても大事な問題だ。そう考えて、2月18日、〈後藤健二さん殺害事件と「戦争と報道」について考える〉集会を開くことにした。これまで戦場取材に関わって来た野中章弘さんや綿井健陽さんらジャーナリストと相談して開催を決めたものだ。

ぜひ多くのジャーナリズム関係者や市民の方々に来ていただいて、一緒に議論してほしい。

 

 

後藤健二さんの死を悼み、戦争と報道について考える

~日本人拘束事件とジャーナリズムに問われたもの

 

2月18日(水)1815分開場、18時半開会、2115分終了

文京区民センター3階A会議室

[ http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html]

定員370人  入場料1000円 

〔発言〕野中章弘(アジアプレスインターナショナル代表)、綿井健陽(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)、安田純平(フリージャーナリスト)、森達也(作家・監督)、新崎盛吾(新聞労連委員長)、香山リカ(精神科医)、雨宮処凛(作家)、他。

〔司会〕篠田博之(『創』編集長)

 

※当日、確実に座席を確保したい方は件名「2月18日参加希望」でお名前と携帯電話番号を下記へ送信下さい。

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