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創出版: 2011年9月アーカイブ

 9月15日夜、シンポジウム「原発とメディア」が無事に終了しました。無事にといっても実際はいろいろ大変
でした。まず反響があまりにも大きく、事前予約と当日飛び込みで延べ500人近くが参加を希望したのですが、
会場の定員は370。へたをすると100人強の人が入れない怖れがありました。

 当日は開場前から入り口前にたくさんの人が押し掛けていたのですが、予約者を一人一人名簿で確認、キャン
セル待ちの人はエントリー順に番号札を渡していくという大変な作業を行い、会場の空席を数えながら順次人を
入れて行きました。そして最後は全員が入場してほぼ満席という奇跡的な結果になりました。前日から予約者に
「6時半をすぎると入れない怖れがある」とメールでお知らせしたため、遅れそうな人は来なかったようで、欠
席が100を超える数になったのでした。

 そういう気の遠くなるような作業に疲れ果て、開始時間が過ぎてしまったため、出演者と打ち合わせる時間も
ないまま本番突入となりました。スタート早々時間が押すという結果になってしまったことまことに申し訳あり
ませんでした。

 その後も第一部でさらに時間が押し、特別発言でさらに押し、ということで、第2部の時間がほとんどなくな
るという結果になってしまいました。東電OL事件のゴビンダさんの来日中の家族の話など、時間短縮を要請はし
ましたが、通訳も必要だったし、途中で切り上げるのも難しかったのです。ただ、必死に家族の無実を訴える発
言に会場から熱い拍手が送られたのはよかったと思います。

 第2部は既に時間がほとんどないとあって、会場側と交渉し、30分時間を延長しました。この第2部冒頭に、
会場に俳優の山本太郎さんが来ていたため、急きょ壇上に上がっていただきました。山本さんには7月のシンポ
ジウムに出演をお願いしたのですが、その時は所用で出られず、今回サプライズ参加となったものです。大変貴
重なお話で、中継していたニコニコ動画のアクセス数も大変多かったようです。また11日の新宿デモで逮捕者が
出たために雨宮処凛さんが会場に呼び掛けカンパ袋を回したのですが、何と7万数千円という、異例の多額のカ
ンパが集まりました。雨宮さんも感謝していましたが、主催者側からも改めてお礼を申し上げます。

 シンポジウムの内容については、次号の月刊『創』11月号(10月7日発売)で主な部分を紹介する予定です。
進行に不手際が重なったこと、改めてお詫びしたいと思います。

 終了後の打ち上げには森達也さん、鈴木邦男さん、鎌仲ひとみさん、雨宮処凛さん、それに山本太郎さんも駆
けつけ、熱い議論をかわしました。

110914_1913~01.jpg9月14日、東電OL事件ゴビンダさん支援集会が開かれたが、会場はほぼ満席。予想以上に多くの人が集まり、この問題への関心の高まりを示した。来日しているゴビンダさんの家族が挨拶(写真)、再審無罪を勝ち取った布川事件や足利事件の冤罪被害者らも駆けつけて熱いメッセージを送った。
この事件、周知のように7月21日の読売新聞のスクープの後、次々と新事実が明らかになっている。特に被害女性の膣内や遺体の胸などにゴビンダさんと異なる体液や唾液が残っていたことが判明。無期懲役で服役中のゴビンダさんが犯人でないことはもはや明白になりつつある。

それにしても驚くのは、今頃になって、検察が隠していた証拠が次々と明らかになっていることだ。それらが裁判の段階で開示されていたら2審の有罪判決はなかったことは明らかだ。しかも今回判明した膣内に残っていた精液のDNAなど、捜査段階で鑑定すらなされていなかった。
事件捜査の杜撰さ、検察の不利な証拠を隠しての起訴、誤判としか言いようのない有罪判決と、刑事裁判そのもののあり方を考えさせるような事柄の連続で、ゴビンダさんはもう14年も獄中に囚われたままというひどい話だ。

10年間、コツコツと支援活動を続けてきた「無実のゴビンダさんを支える会」の人たちが今回の集会の主催者だが、彼らの活動がなければ、この真実が明らかになることはなかっただろう。今夜の集会で挨拶した事務局長の客野さんの発言など、聞いていて胸が熱くなった。彼らの奮闘にもエールを送りたい。http://www.jca.apc.org/govinda/

ゴビンダさんの家族や支援者は、15日、下記のように精力的に要請行動や街宣などを行った後、夜には月刊『創』主催の原発報道批判の集会で発言を行う。ぜひ多くの人にこの冤罪事件に関心を持ってほしいと思う。
15日のゴビンダさん家族の予定:東京高検要請(午後2時~2時30分)、東京高裁要請(午後3時前~3時30分)→司法記者クラブ会見(3時45分~4時15分)→マリオン街宣(午後6時~7時)→緊急シンポジウム「原発とメディア」で挨拶(午後8時頃)

 上映館に右翼団体が街宣車で押し掛けるのが名物になっている渡辺文樹監督が新作を引っさげて東京に戻ってきた。9月13日(火)に京王線千歳烏山の烏山区民会館で1日4回上映。但し午前中は10時半「三島」、0時20分「赤報隊」とこれまでの作品で、新作「金正日」は午後3時と6時半の2回、入場料は千円。タブーに斬り込むことで物議をかもす渡辺監督で、特に天皇制を批判した「天皇伝説」など、各地で右翼と激突を繰り返したが、今回の新作は「金正日」。このテーマでは右翼は押し掛けないだろうが公安の尾行を絶えず受けているのは同じらしく、先週8日にも公安警察に事情聴取を受けたという。「天皇伝説」の時は予防拘束のために逮捕勾留までされたのだが、果たして今回はどうなるのか。
なお渡辺監督については発売中の鈴木邦男著『新・言論の覚悟』に詳しい。同書には右翼団体との激論も収録されている。
この後、関西でも9月22日から上映が予定されているが、その予定については監督直筆の日程表をそのまま公開しよう。※画像クリックで拡大

fumikijouei.jpg

前回の記事はこちらhttp://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2011/09/post-152.html

いやあ、滝本太郎さんがこの件でものすごい量の文書をブログに書き込んでいるので、驚きました。それと同時に、『創』ブログに書いた抗議をめぐる経緯について、不正確な点を指摘しています。私は朝日新聞と産経新聞の報道をもとに9月2日の会見と抗議文の経緯を書いたのですが、そうか、これらの記事がわかりにくかったのですね。滝本さんによると、講談社に抗議を行ったのは日本脱カルト協会と滝本・青沼・藤田の3氏と2つのグループがあって、2日のは合同会見だったとのこと。朝日も産経もなぜか抗議を行った主語が「日本脱カルト協会」としか書かれていないのですが、これはどうしてなのか。個人よりも組織の方を重く扱う権威主義のなせるわざなのか。あるいは滝本さん自身も協会の理事なので、両紙の記者がやや混乱したのか。
ともあれ滝本さんによると、青沼陽一郎・藤田庄市というジャーナリストが入った3人の抗議文の方が、ノンフィクションの問題にまで踏み込んでいるということで、確かに読んでみるとその通りです。そこで、改めて、この3人の抗議文を紹介しておきましょう。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20110903/archive

これらの抗議についての森さんの見解はご本人のブログに書かれています。こちらをご覧いただきたい。
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html

また森さんは『創』9・10月号のコラム「極私的メディア論」でも滝本・青沼両氏の批判に対する反論を書いています。
両者の応酬を見る限り、この問題で双方を噛み合わせて論争にするというのは相当難しいな、という感じがします。(篠田博之)

 森達也さんの本『A3』が先頃、講談社ノンフィクション賞を受賞したことは既に報じられているが、これに対する抗議が講談社に対してなされている。オウム真理教という微妙なテーマを扱っていることに伴う異例の事態といってよいだろう。

 抗議を行ったのは日本脱カルト協会。抗議文の全文がホームページで公開されている
http://www.jscpr.org/activity.htm#20110903

 2日に会見を開いたため3日付の朝日新聞と産経新聞がそれを報じている。産経新聞は結構大きな記事だ。ネットにアップされた記事は以下の通り。
http://www.asahi.com/national/update/0903/TKY201109030104.html
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110902/trd11090221060023-n1.htm

 この抗議に参加している滝本太郎さんや青沼陽一郎さんは『週刊文春』7月28日号でも、『A3』を批判するコメントを出しており、これに対して森さんは発売中の『創』9・10月合併号で反論し、公開論争を呼び掛けていた。

 『A3』への授賞を決めた選考会の議論は、発売中の雑誌『g2』(講談社)に公開されており、なかなか興味深い。特に中沢新一さんが選考委員としてこの作品をどう評価したかは、関係者の注目を浴びていた。9月5日の授賞式には、中沢さんが選評の挨拶に立ったのだが、なぜか「挨拶は短くと言われたので」とほとんど内容に踏み込まず、東京会館のパーティールームを埋め尽くした参加者をがっかりさせた。ちなみに、この授賞式とパーティーには、アレフの荒木浩さんや「光の輪」の広末さんら元オウム関係者も会場に来ており、会場の片隅で両人が議論を行うという、これもノンフィクション賞授賞式では異例の光景が見られたものだ。

 さて、その5日に、『創』は、この問題について双方が直接顔を合わせて公開論争してはどうかと滝本さんに提案した。そして、結果的に拒否となった滝本さんの回答が返事のあった6日にそのまま滝本さんのブログに掲載された。ネット社会では話題になりそうなテーマだけにたちまちツイッターでこれが広がったらしい。で、気になるのは、滝本さんのその文書の中で、論争提案についての経過をめぐって誤解があり、それがひとり歩きしているらしいことだ。

 それ自体は単なる行き違いなのだが、『創』としては一応事情説明をしておいた方がよいだろうと考え、滝本さんに返信するとともに、ここにその文書を公開することにした。
 滝本さんのブログはこちらである。
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/


それについての『創』の説明が以下の文書である。
 森さんの『A3』をめぐる論争、本当なら生産的なものになってほしいのだが、感情的な対立もあって、なかなか難しいことが今回のこの一件で明らかになったといえるかもしれない。

 8月23日のタレント島田紳助の引退騒動が大きな話題になっている。『週刊文春』9月1日号によると、紳助が今回、事務所に呼び出されたのは会見2日前の21日深夜。そこで幹部から、暴力団との関係を示す携帯メールをつきつけられたという。事務所側は謹慎や休業という処分を考えていたようだが、紳助は引退を決意。会見当日の昼まで話し合いが続いていたという。

 その引退会見の日、問い合わせが殺到したというのが、ノンフィクションライター森功さんだった。『週刊現代』5月7・14日号で今回の事態を予見するような記事を執筆していたからだ。この4カ月前の『週刊現代』の記事は、見出しが「ガサ入れで見えた『暴力団と芸能界』」。大阪府警の暴力団担当刑事の証言を紹介したものだが、今読み返すと、府警が暴力団と芸能界、特に山口組と吉本興業の関係についてどう考えていたかよくわかる。その意味で極めて参考になる記事だ。

 府警の刑事の証言は、今回紳助の会見で「Bさん」と紹介された極心連合会会長宅への家宅捜索で、紳助直筆の手紙や写真が見つかったという話なのだが、この記事を紳助も吉本興業も否定してしまったため、当時は大きな騒動にはならなかった。

 それと今回の引退のきっかけになった携帯メールだが、『週刊朝日』9月9日号が書いているように、もともとは2007年6月に作成された府警の捜査報告書だという。その年にタレント羽賀研二と、元プロボクサーで今回の紳助の会見で「Aさん」と紹介された渡辺二郎が恐喝事件で逮捕されたのだが、その捜査過程で押収された渡辺二郎の携帯電話から出てきたもの。この恐喝裁判で検察側が証拠として提出したものだという。
 それが今この時期に吉本側に提示されたのは偶然の要素もあるだろうが、4カ月前の刑事の証言の報道といい、吉本ないし紳助と山口組の関係に対する警察の意向が背景として作用していたといえるだろう。ちょうど2007年に吉本の創業家当主だった林マサによる告発手記が『週刊新潮』に掲載され大きな騒動になったが、ここでも問題になったのは吉本と山口組との関係だった。この3~4年、吉本と山口組の関係について、府警が大きな関心を持ってきたことは間違いない。
今回の騒動が暴力団排除条例を全国的に整備してキャンペーンを展開しようとしていた警察庁にとって、願ってもない事態なのは確かだ。1日の定例会見で警察庁長官はさっそくこの問題を取り上げ、暴力団排除を訴えた。

 昨年の大相撲野球賭博騒動も、以前も書いたように警察主導だった。今回の騒動が今後どう展開するか見るうえで、騒動の背後に権力の意志が働いていることは認識しておくべきでないかと思う。