トップ> 月刊「創」ブログ > 創出版: 2008年6月アーカイブ

創出版: 2008年6月アーカイブ

 宮崎勤死刑囚への処刑を契機に死刑論議が高まっているようで「ニュース23」も連続して死刑をめぐる関連ニュースを扱っています。この土曜日(21日)には午後1時半から文京区民センター3階で、安田弁護士らの死刑廃止フォーラムが死刑について考えるシンポと集会を開催します。私・篠田も、本当は大学院の非常勤講師の仕事が入っていたのですが、休講というか、そこへの参加をもって授業に代えることにして、参加することにしました。というか、宮崎死刑囚のことで発言をと言われたのです。もし死刑問題について関心ある人がいたら参加してみてください。創出版への取材はまだ続いており、今日もさっきまで「サンデージャポン」が取材に来ていました。土曜日の集会はもともと裁判員制度についてのシンポでしたが、後半を急遽、今回の死刑執行についての集会に変えるのだとか。

 主催団体のフォーラム90についてはこちらをご覧ください。        

 

                       (「創」編集長・篠田博之)

                                                    

 昨日来、新聞・テレビで宮崎勤死刑囚処刑のニュースが大量に流れ、弊社にも問い合わせがたくさん入っています。例えばあのパリ人肉事件の佐川一政さんからも、編集長の憔悴した表情をテレビで見て心配になったとのファックスをいただきまして、すみません、それは宮崎勤の処刑に憔悴したのでなく、取材殺到でたんに疲れていただけです(笑)。特に最後に取材を受けた「朝ズバッ!」など画面で見ても我ながら疲れた表情でした。ご心配いただいて恐縮です。確かに仕事が過重で疲れているのも事実ですが。

 でも昨日はほぼ全社全局の取材を受けましたが、テレビのコメント取材は本当に徒労感が残ります。1時間近く話したものから1分くらいだけ抽出して使われるので、私の真意は全く伝わりません。しかも、昨日来、一般の人から届く問い合わせが大半、「お前のところはなぜ犯罪人の手記など出版してるのか」とか「結局、宮崎勤という人間についてはわからない」という断片的なコメントに「ではなぜ300通も手紙をやりとりしてたのか」といった内容。それらについてはこれまで何度も雑誌や本の中で説明しているし、たぶん「創」という雑誌のことをある程度知っている人ならわかるはずなのですが、テレビというのは大量の面識のない人たちに情報が伝えられ、しかもほとんど断片的にしか伝えられないので、いつもこんなふうになってしまうのです。テレビのコメント取材はいっさい受けないという人もいるのはそういう事情ですが、まあ今回のような場合は仕方ないかなと。

 宮崎勤の本についても反響や問い合わせが来ているので、ここで紹介しておきます。別に処刑をきっかけに商売しようという意図はありませんが、昨日来断片的にしか報道されていないあの事件について多少なりとも関心を抱いた人がいるのであれば、まず創出版刊の宮崎勤著「夢のなか」「夢のなか、いまも」を読んでください。彼の著書を世に出すことについて編集者としてどう考えたかもそこに書いてあります。宮崎勤自身の言葉は一般の人には理解しにくいので解説も長めに書いてあります。一言で言うならば、宮崎事件というこの平成元年の衝撃的事件をきちんと解明しなかったことが、その後、先日の秋葉原事件を含む、平成時代に目につく無差別殺人事件や動機不明の事件に社会の側が対処できない状況を象徴していると思うのです。犯罪者を処刑するだけで動機の解明がなされない現状は、いわば単なる対症療法に過ぎず、そういうやり方をしている限りは同種の犯罪の防止はできないでしょう。極端に言えば、今の司法システムが本当にこの種の事件を裁くためにきちんと機能しているのかおおいに疑問だし、宮崎事件も酒鬼薔薇事件も、結局どうしてあの事件が起きたのかよくわからないまま法廷決着のみがつけられていったのが現実です。動機不明の事件の頻発はどう考えても、今の社会システムが崩壊しかけていることの警告で、それらを裁くとはどういうことかまで立ち入って考えねば本当の解決にはなりません。たぶん元々は裁判員制度というのもそういう司法改革のひとつとして登場したのでしょうが、今のまま導入されても却って事態を悪化させるように思えます。

 次号の「創」に載せる宮崎死刑囚の手記は、今回の執行がなくても載せるつもりだったし、この5月にも本人からぜひ載せてほしいと催促を受けていたものです。これがまさか遺稿になるとは思ってもみませんでした。事件の解明のために役立てばという思いからこの12年間、宮崎死刑囚と関わってきましたが、十分なことができないままこんなことになってしまって本当に残念です。                                                            (月刊「創」編集長・篠田博之)

 驚きました。まさかこんなに早く執行されるとは、本人も今朝執行を告げられて驚天動地だったと思います。こんなに早い執行で、しかもあれだけの大きな事件ですから、法務省が相当考えて政治的意志の貫徹のために執行に踏み切ったのは明らかです。来年からの裁判員制度や死刑制度についての議論が盛り上がっている状況のなかで、死刑執行を積極的にやるというアピールだと思います。

 でも宮崎本人は、まだ罪の自覚もないままで、死刑についても確定後言及するようになったところで、今回の執行もよくわからぬまま刑場に引き出されたということでしょう。死刑本来の意味を果たせた執行だったかおおいに疑問です。

 確定までは死刑など自分には無関係で関心もないと言っていた宮崎ですが、確定後、例えば一昨年には死刑について書いた手記を寄せてきたり(2006年7月号)していました。「創」に掲載した手記の最後は昨年の8月号で、実はこの後も掲載を希望する手記を何本か送ってきていて、この5月の手紙には次号以降、それを載せてほしいと言ってきたため、掲載する予定だった矢先の執行でした。次号7月発売の8月号にそれらを掲載するとともに宮崎事件とその死刑執行について考える記事を掲載しようと思います。

 それにしても、自分が十年以上も関わってきた人間が処刑されるという事態は、一般論として死刑の存廃論議をしているレベルと異なり、いささか衝撃を受けたのも事実です。きょうは朝十時過ぎからまさにひっきりなしに新聞・テレビの取材が入りました。ほぼ全部の大手新聞・テレビ局が取材に来ました。あとまだ「朝ズバッ!」の取材が今夜ひとつ。ほとんど考える間もなく忙殺された一日でした。

 最後に面会した時の、面会室での宮崎の表情が思い出されます。それにしても母親は言い知れぬショックを受けていると思います。父親が事件を苦に自殺してからは、自分が死ぬまで息子のめんどうを見なければならないと差し入れに通っていた20年が、こんな形で結末を迎えようとは思っていなかったことでしょう。

 なお宮崎勤が創出版から刊行した著書「夢のなか」「夢のなか、いまも」についての問い合わせも来ていますが、こちら(「夢のなか」「夢のなか、いまも」)に案内が載っています。   (「創」編集長・篠田博之)