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安保法案反対会見での「報道はどこにいる」発言が胸にしみた

8月26日、午後1時からの「安保法案に反対する学者の会」の会見に足を運んだ。上野千鶴子さんが発言の中で言っていたが、この運動には100以上の大学の教員や学生が関わっており、もはや学者の会というより、大学人の運動と言ってよい。大学がこんなふうに社会的運動の前面に登場したのは、70年安保前後の大学闘争以来ではないだろうか。国旗国歌の掲楊が国から要請されるなど、大学の自治や自立を脅かす動きが強まっていることへの危機感もあいまってそうなっているのだろう。

この日、全国から集まった200人を超える「学者の会」のメンバーは、夕方、日弁連との合同会見を行ったのだが、この会見をめぐって幾つかの波紋が広がっている。私はそちらの会見には行けなかったのだが、後で参加者から話を聞いて、あー行けば良かったと後悔した。でもその会見の模様は全編動画公開されており、「学者の会」のホームページからアクセスできる。

http://anti-security-related-bill.jp/

 会見の発言はそれぞれ考えさせる内容だが、特に拍手が大きかったのが上智大学・中野晃一教授の発言だ。私も日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長を務めていることもあってこの1年ほど院内集会などで発言する機会が何度かあったが、中野教授は学者の立場から、そういう集会ではいつも発言して来た人物だ。

その中野教授が今回の会見で強調したのは、こうして全法曹界が声をあげ、全学会も集まった、では全報道はどこにいるのか、報道の自由が危機に瀕しているこの時に「報道はどこにいるのか」という内容だった。発言が終わった後、会見に臨んだ人たちの間でしばし拍手が鳴りやまなかった。

 今、安保法案をめぐって多くの国民が反対の声を挙げているなかで、改めて問われているのがジャーナリズムのあり方だ。この会見もそうだが、メディアがそれを伝えなければ、そこでの発言は多くの人に伝わらない。実際、新聞・テレビでこの会見内容を全く報道しなかったメディアもある。そもそも私が足を運んだ昼の会見も、取材に訪れていたのは特定のメディアだけだ。

 

戦前戦中と日本のマスメディアは戦争に協力し、戦意高揚の報道を続けた。それに対する痛烈な反省から出発したのが戦後のジャーナリズムのはずだったのだが、いまやメディア界は様変わりしてしまった。市民の知る権利を代行し権力を監視するのがジャーナリズムの役割という認識さえ、稀薄になりつつある。

その意味では、中野教授の発言は、ジャーナリズム界への大きな問題提起なのだが、この会見で波紋を投げたのはそれだけではなかった。質疑応答に移って、3つのメディアが質問に立ったのだが、その最後が産経新聞だった。そしてその記者が、安保法案のような賛否が分かれる問題について日弁連が反対という特定の立場をとるのはどうなのか、という質問をしたのである。会場に失笑と、ヤジが飛んだ。

それまでの発言で、日弁連としては安保法案が立憲主義そのものを否定するものであり、廃案を求めざるをえないと説明してきたのに、「今までの話を聞いてたのか?」と突っ込みが入るような質問だった。学者の会として檀上でそれを聞いていた知人は、そこまで空気の読めない質問を敢えて行う勇気に感心した、と皮肉まじりに語っていた。

産経記者が先の中野教授の発言を聞いたうえで確信犯的に最後にその質問をしたのかどうか定かではないのだが、メディア界の現状をあまりにも象徴的に示した光景だったと言える。その最後の質問に至るまでネットに動画が公開されているから、ジャーナリズム関係者はぜひそれを見て、考えてほしい。

 

ちょうど発売中の月刊『創』9・10月合併号で「安倍政権のメディア支配」について特集を組んでいるが、安倍政権がこの間、批判勢力としてのメディアを抑えこもうとしてきたのは確かだ。NHKの会長に政権寄りの人物を送りこんだり、朝日新聞やテレビ朝日に揺さぶりをかけるなど、戦略的にそれを行っている。先頃「マスコミを懲らしめる」という自民党の一部議員の発言が非難されたが、あれはあまりに下品で露骨だったから退けられたが、政権の意向とそう大きく違っているわけではない。

『創』の特集で金平茂紀さんが、メディアが政権から介入を受けているという言い方は間違いではないけれど、実はメディアの側に政権にすり寄っている人たちがいるのではないかと述べ、それを「自発的隷従」と言っている。言う間でもなく金平さんのような、組織に身を置くジャーナリストが、こういう発言をするのはある種の覚悟なしにはできないのだが、今のメディア界はある種の覚悟なしには発言もできないような状況になりつつある。

その意味でもジャーナリズム界は今、戦後最大の岐路に立たされていると言える。中野教授の「報道はどこにいる」という指摘は、言論・報道に携わる者が深刻に受け止めなければならないのではないだろうか。

http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/index.html

 

8月26日、午後1時からの「安保法案に反対する学者の会」の会見に足を運んだ。上野千鶴子さんが発言の中で言っていたが、この運動には100以上の大学の教員や学生が関わっており、もはや学者の会というより、大学人の運動と言ってよい。大学がこんなふうに社会的運動の前面に登場したのは、70年安保前後の大学闘争以来ではないだろうか。国旗国歌の掲楊が国から要請されるなど、大学の自治や自立を脅かす動きが強まっていることへの危機感もあいまってそうなっているのだろう。

この日、全国から集まった200人を超える「学者の会」のメンバーは、夕方、日弁連との合同会見を行ったのだが、この会見をめぐって幾つかの波紋が広がっている。私はそちらの会見には行けなかったのだが、後で参加者から話を聞いて、あー行けば良かったと後悔した。でもその会見の模様は全編動画公開されており、「学者の会」のホームページからアクセスできる。

http://anti-security-related-bill.jp/

 

会見の発言はそれぞれ考えさせる内容だが、特に拍手が大きかったのが上智大学・中野晃一教授の発言だ。私も日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長を務めていることもあってこの1年ほど院内集会などで発言する機会が何度かあったが、中野教授は学者の立場から、そういう集会ではいつも発言して来た人物だ。

その中野教授が今回の会見で強調したのは、こうして全法曹界が声をあげ、全学会も集まった、では全報道はどこにいるのか、報道の自由が危機に瀕しているこの時に「報道はどこにいるのか」という内容だった。発言が終わった後、会見に臨んだ人たちの間でしばし拍手が鳴りやまなかった。

 今、安保法案をめぐって多くの国民が反対の声を挙げているなかで、改めて問われているのがジャーナリズムのあり方だ。この会見もそうだが、メディアがそれを伝えなければ、そこでの発言は多くの人に伝わらない。実際、新聞・テレビでこの会見内容を全く報道しなかったメディアもある。そもそも私が足を運んだ昼の会見も、取材に訪れていたのは特定のメディアだけだ。

 戦前戦中と日本のマスメディアは戦争に協力し、戦意高揚の報道を続けた。それに対する痛烈な反省から出発したのが戦後のジャーナリズムのはずだったのだが、いまやメディア界は様変わりしてしまった。市民の知る権利を代行し権力を監視するのがジャーナリズムの役割という認識さえ、稀薄になりつつある。

その意味では、中野教授の発言は、ジャーナリズム界への大きな問題提起なのだが、この会見で波紋を投げたのはそれだけではなかった。質疑応答に移って、3つのメディアが質問に立ったのだが、その最後が産経新聞だった。そしてその記者が、安保法案のような賛否が分かれる問題について日弁連が反対という特定の立場をとるのはどうなのか、という質問をしたのである。会場に失笑と、ヤジが飛んだ。

それまでの発言で、日弁連としては安保法案が立憲主義そのものを否定するものであり、廃案を求めざるをえないと説明してきたのに、「今までの話を聞いてたのか?」と突っ込みが入るような質問だった。学者の会として檀上でそれを聞いていた知人は、そこまで空気の読めない質問を敢えて行う勇気に感心した、と皮肉まじりに語っていた。

産経記者が先の中野教授の発言を聞いたうえで確信犯的に最後にその質問をしたのかどうか定かではないのだが、メディア界の現状をあまりにも象徴的に示した光景だったと言える。その最後の質問に至るまでネットに動画が公開されているから、ジャーナリズム関係者はぜひそれを見て、考えてほしい。

 ちょうど発売中の月刊『創』9・10月合併号で「安倍政権のメディア支配」について特集を組んでいるが、安倍政権がこの間、批判勢力としてのメディアを抑えこもうとしてきたのは確かだ。NHKの会長に政権寄りの人物を送りこんだり、朝日新聞やテレビ朝日に揺さぶりをかけるなど、戦略的にそれを行っている。先頃「マスコミを懲らしめる」という自民党の一部議員の発言が非難されたが、あれはあまりに下品で露骨だったから退けられたが、政権の意向とそう大きく違っているわけではない。

『創』の特集で金平茂紀さんが、メディアが政権から介入を受けているという言い方は間違いではないけれど、実はメディアの側に政権にすり寄っている人たちがいるのではないかと述べ、それを「自発的隷従」と言っている。言う間でもなく金平さんのような、組織に身を置くジャーナリストが、こういう発言をするのはある種の覚悟なしにはできないのだが、今のメディア界はある種の覚悟なしには発言もできないような状況になりつつある。

その意味でもジャーナリズム界は今、戦後最大の岐路に立たされていると言える。中野教授の「報道はどこにいる」という指摘は、言論・報道に携わる者が深刻に受け止めなければならないのではないだろうか。

http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/index.html

新刊のご紹介

同調圧力メディア 森達也著

同調圧力メディア
メディアが三流なら社会と政治も三流なのだ
森達也著
ISBN 978-4-904795-46-0
2017年4月19日発行
定価 1500円+税
四六判
288頁

あの映画「FAKE」を世に問うた監督の極私的メディア論!「忖度(そんたく)」が横行する日本社会の元凶は、同調圧力を強いるマスメディアが元凶なのではないか!『創』連載をまとめた森達也さんのメディア論の真髄!

〔内容紹介〕
《「みんなが右に向かって歩いているのに、どうしてあなたは左に行こうとするのだ」――同調圧力。法や明文化されたルールではない。自主規制だ。全体で動くことを強要される。あるいは自ら強要されることを求めてしまう。特に日本人はこの傾向が強い。だから放送禁止歌のような意味不明なシステムが実体化して、原発安全神話のような虚構が何十年も存続する。「ちょっと待って」とか「やっぱりこれは変だ」などの声を、もう少し多くの人が発していたならば、こんな状況にはなっていなかったはずだ。》(本書より)




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