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2010年4月アーカイブ

 インターネットのすごさに驚くことはしばしばなのですが、今回もそうでした。先日、3月19日に出たNHK受信料裁判の札幌地裁の判決を画期的だと評価し、できれば被告の方は連絡下さい、とネットで呼びかけたところ、来たんですね。その被告の代理人である弁護士からメールが。
 こういうことって既存のメディアだと、よほど影響力の大きい媒体でない限り、ありえないことですよ。ネットの場合は検索機能がついているので、被告側が関心を持ってネットを見ていればこの呼びかけに気づくんですね。本当にすごいことだ。
 と感心してばかりいないで本題に入ります(笑)。
 判決文を仔細に検討し、その内容については追って詳しく紹介しようと思いますが、まず今回は、この札幌判決がどういうものだったかだけ書いておきましょう。同じようにNHKの法的督促を受けている人にとっては、これは本当にすごい判決で、NHKの弁護団が顔面蒼白になったであろうことは確かです。東京の裁判では地裁が被告側の主張をほぼ全面的に退けたのですが、では札幌地裁はどうして被告側の主張を認めたのか。これは裁判の争点の組み立て方が違うからなんですね。本当は判決文を個人が識別できる部分を伏せて全文公開するのがよいのですが、被告の主張自体が個人情報とも関わっているので、それは今回は保留して、中村弁護士のコメントと、判決の末尾の裁判所の考えを示した部分のみ原文を公開することにします。
 まず弁護士のコメントですが、メールの、参考になりそうな部分を紹介しましょう。
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私は札幌の弁護士○○と申します。「NHK受信料裁判を考える」のページで札幌地裁の3月19日判決が取り上げられていたのを拝見しましたのでメールします。
私はこの裁判で被告の代理人をしていた弁護士です。
この判決は,法律論の上で大きな影響があると思います(翌3月20日の北海道新聞の「全国の訴訟に影響も」の記事がもっとも正鵠を得ています。判決当日,(おそらく)東京の弁護団の弁護士の方からも連絡をいただき当方から電話もしたのですがつながらず,その後忙しさにかまけてそのままになってしまいました)。
また,放送受信契約とは何か,受信料とは何かについて法律的にきわめて掘り下げて言及した判決と考えています。
私は,比較的消費者事件等を取り扱うことが多いのですが,依頼者(被告)がこの裁判を戦うことにした大きな動機のひとつは,「受信料を支払っていない人は,確信的な人も含めたくさんいるのに,なぜ自分のように契約してしまった人だけ,しかも本件のように自分が不在中に妻が軽い気持ちでハンコを押してしまったような人を相手に裁判をするのか」という点でした。あまり大裁判にするという気持ちはありませんでした。
あらかじめ申しておきますとこの裁判では,東京訴訟のように憲法問題は主張していません。論点はただひとつ「NHK放送受信契約に,民法761条(日常家事債務の連帯責任)の適用はあるか」と言っても過言ではありません。したがって,細かい事実はあまり問題ではなく,法律解釈の問題です。
法律論となって恐縮ですが,「NHK受信料は,食料品の購入や電気ガス等の公共料金と同じように『日常家事債務』というものの範疇に入るかどうか」ということも,(もちろん一応「入らない」という主張はしましたが),問題ではありませんでした。
「そもそも,761条の趣旨からみてNHK受信料契約は適用されるべきではない」という結論です。その理由は,受信料契約は「片務契約」であり,受信料は「いわば国民の特殊は負担金」であるので,「双務契約における(夫婦と取引した)相手方の保護のための規定である民法761条は,適用がない」という論理です。
私も,「761条は『原則として』双務契約に適用がある。過去の判例,裁判例の事例もすべて双務契約であり,受信料には適用はない」と主張していたのですが,判決の方が私の主張よりも明快でした。
受信料契約が「片務契約である」というのは,裁判官の釈明に対しNHK側が明確に述べています(「双務契約」となると,放送と受信料との対価関係の問題が出てくるので,NHKは口が裂けてもそうは言えない)。また,受信料が「いわば国民の特殊な負担金」というのも,NHK側が提出した書証(国会答弁や,放送法逐条解説)から認定されています。
NHKは,「(昨年の)東京地裁を含め,裁判例は,受信契約に761条の適用を認めている」と主張しましたが,判決は,「それらの裁判例は,放送受信契約の性質が争点とはなっていなかった」と退けました。また,NHK側は,きわめて著名な民法学者3名の意見書(761条適用肯定)を証拠として提出してきましたが,これも,「片務契約であること,特殊な負担金であることに言及されていない」として採用しない,と述べました。
ところで,NHKは,この判決についてのニュースで,「判決は,国民の大多数が契約を締結することが望まれる,と述べた」と言っています。たしかにそのとおりなのですが,これは,裁判所が和解勧告をした経緯に関しての記載であり(裁判所は,裁判の途中,二度に渡り「今までの分はチャラにして,今後,きちんと被告(夫)との間で契約する」,という和解を勧告した。当方(被告)は応じるつもりでいたが,NHK側が拒否),NHKの報道の仕方は,ちょっとニュアンスが違います。
以上長くなって申し訳ありませんでした。ただ,民法の適用という専門的な判決だったために,あまり正確に伝えられていず,しかし,前述したとおり,「受信契約」「受信料の支払い」という点について,深く掘り下げて考察した判決であることは間違いないと思います。
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 論点がどういうものだったか、大体わかったでしょうか。詳細については追って説明するとして、次に判決文の末尾の部分、裁判所の見解を示したところは、こちらをご覧下さい。NHK判決PDF.pdf.ファックスをスキャンしたので読みにくいと思いますがご容赦下さい。

 現在進行形なのでなかなか書きにくいのだが、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画「ザ・コーヴ」が日本で予想通り物議をかもし、へたをすると上映中止といった事態もありえる事態になってきた。ちょうどあの映画「靖国」がたどった経緯と雰囲気がそっくりだ。

 3月下旬からマスコミ試写会や関係者による特別試写会が始まったこの映画だが、既に立教大学での自主上映が、弁護士からの抗議で中止になっている。映画でターゲットとなった和歌山県太地町の漁民たちが弁護士を通じて抗議を行っているのだが、これについては配給側との話しあいを経て、撮影された人たちの顔にモザイクをかけたり(肖像権の問題だ)、注釈のテロップを加えるなど修正を施して何とか上映だけは行いたいというのが製作側の意向だった。

 ところがこうした動きと別に、4月9日から右派団体が配給会社へ実力による抗議行動を開始し、予断を許さぬ展開になってきたのだ。団体はこの映画を「反日映画」として上映中止を要求、配給会社に「天誅」をと叫んでいる(当事者たちは街宣右翼と一緒にされることに反発して「右翼」と呼ばれることを否定しているようだ)。こうした抗議行動が映画館などにも行われることになると、映画「靖国」の時のように興行側が上映自粛に踏み切る怖れもある。

 製作側はもちろん日本社会に問題提起を行うために映画を作ったわけだから、日本での抗議や批判は覚悟のうえだろうが、映画を上映する映画館は興行としてそれを行うわけで、表現の自由のために闘うといっても限界はある。映画「靖国」の時は、ネットなどを通じて「反日映画」だとの非難と抗議が呼びかけられ、一部の右翼が映画館に抗議を行った段階で、映画館側がなだれを打って自粛に走り、一時は全館上映中止という事態にいたったのだった。

 私は「ザ・コーヴ」については、3月下旬に関係者が主催した自主上映を見たのだが、この映画が日本でどんな議論を引き起こすか興味を抱いた。ひとつはドキュメンタリー映画のあり方として議論の対象になり得るし、もうひとつはいわゆる捕鯨問題の観点からだ。日本の捕鯨のあり方を批判したこの映画を日本で上映するというのは、原爆批判の映画をアメリカで上映するようなもので、日本社会でどんな反応が起こるかは非常に興味深い。

 この映画がアカデミー賞を受賞した時には、「こんな日本叩きの映画になぜ権威ある賞が」という地元の困惑を伝える論調のマスコミが多かった。捕鯨問題やクロマグロをめぐる欧米と日本の対立をめぐっては、概ね日本国家の立場を踏まえてというのが大手マスコミの基本的スタンスだ。だから真っ向から日本の捕鯨(イルカ漁を含む)を批判したこの映画が物議をかもすのは明らかだった。

 ところが、議論どころかこのままだと上映そのものが潰れていくことになりかねない。
日本の捕鯨を批判した映画が日本で上映できなくなるというのは、捕鯨問題と別の「日本における表現の自由」の問題が問われることになる。

 先頃紹介したように、例えば異才・渡辺文樹監督の映画は、右翼団体から激しい抗議を受けながらも上映が敢行されるのだが、これは最初から商業映画館と別の自主上映というスタイルをとっているから可能になる。もともと原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」の頃までは、タブーに挑戦するような映画は自主製作自主上映が基本だった。その後、ミニシアターが増え、ドキュメンタリー映画も商業映画館にかかるようになったのだが、一方で「靖国」上映中止事件のようなことも起こるようになったわけだ。

 その意味でこの「ザ・コーヴ」上映がどうなるかは、様々な意味で重要な問題だ。有意義な議論を作るためにも、まずメディア関係者などその機会を与えられている人たちはできるだけ試写会などに足を運んでほしい。一時は大きな議論になりながら、喉元過ぎると一気に忘れられてしまった映画「靖国」をめぐる事態から、我々が何を学習したかが問われているといえる。

 ちなみに映画「靖国」上映中止事件については、当時の議論をまとめた『映画「靖国」上映中止をめぐる大議論』が創出版より刊行されており、森達也、宮台真司、原一男など論客のドキュメンタリー映画論が展開されているので参考にしていただきたい。「靖国」騒動の時、指摘されたのは、今の日本社会を取りまく「自主規制」という規制の恐ろしさだ。

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 逮捕歴は数知れず。家族とともに映写機を車に積んで全国を回り、自分の作った映画を上映して歩くという伝説の映画監督・渡辺文樹が新作を引き下げて再び参上!既にこの2~3月から各地で公安警察や右翼と激しいつばぜりあいを繰り広げている。今度の新作は「三島由紀夫」「赤報隊」だが、これを「天皇伝説」などの前作と一緒に上映。2月23・25日の大和市生涯学習センターでの上映には多数の街宣車が押し掛け、警察や会場防衛の市職員らが入り乱れての騒ぎとなった。写真は白いヘルメットの警察が警備にあたる中、街宣車が走り回る会場周辺の様子だ。

 

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続いて3月23日には世田谷区の烏山区民センターで上映。これにも右翼と警察が押し掛けてものものしい雰囲気となった。上映直前の14日には名物ともいうべきあの派手なポスターを会場付近の街中に深夜掲出しているところを警察にみつかり、長時間の事情聴取もうけている。


 

 

 

 

 

 

 

 

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そしていよいよこの4月には一気に都心での上映を敢行する。ここで上映場所を公表するのは騒ぎを大きくする怖れもあるが、この騒ぎ自体も上映に伴う名物だからいいだろう。

 大体の会場が騒ぎを怖れて上映告知などしないから、付近の住民以外は上映の情報をなかなか入手できない  のだが、予定は以下の通りだ。

●4月21日(水)なかのZERO小ホールにて14時「腹腹時計」16時「天皇伝説」18時  「三島由紀夫」19時40分「赤報隊」

●4月22日(木)板橋区成増アクトホール5Fにて14時「ノモンハン」16時「天皇伝説」17時半「三島由紀夫」19時10分「赤報隊」

●4月23日(金)なかのZERO小ホールにて14時「バリゾーゴン」16時「天皇伝説」18時「三島由紀夫」19時40分「赤報隊」

 事前に騒ぎが大きくなると、会場側が一方的に上映中止を決めてしまうこともあるので要注意だ。

渡辺映画の正しい見方は、まず開場前少し早めに会場に行くこと。大体開始1時間ほど前から街宣車が付近で抗議行動を展開し、会場には警官が出動する緊迫した状況になる。場合によっては受付付近に姿を見せた監督自身と右翼が一触即発の激しいののしりあいを展開することもある。こういう緊迫した雰囲気の中で映画を見るという体験は、めったにないことだろう。場合によっては、会場内の観客より右翼と警備の警官の方が多いのではないかと思われるようなこともある。

映画は監督自身が映写機を回すのだが、最初に名物の口上を唱える。「大丈夫だとは思いますが、万が一会場に塩酸をまかれるような事態になったら入場料はお返しします」。塩酸をまかれたら1000円の入場料返却ではすまない気もするのだが(笑)。

もはや伝説となった渡辺映画の上映だが、未体験の人は一度行ってみることをお勧めしたい。それは何も騒ぎを面白がって言うのでなく、めんどうなことがありそうだとすぐに自己規制してしまう今の大手マスコミが忘れてしまった、表現活動の原点のようなものを渡辺監督がまさに体現して見せてくれるからだ。

断っておくが、渡辺監督の映画は、別に思想的なものではない。そういうものを期待していくと逆に失望するかもしれない。一言でいえば痛快活劇というか、天皇制といったタブーに挑むことのハラハラ感で勝負しているような映画である。ある意味、渡辺映画とは、一種の大道芸なのだ。抗議に押し掛ける大勢の右翼や公安警察を巻き込んで、会場近辺の騒ぎを含め、その独特の緊迫感を舞台装置にしてしまっている趣がある。

 一度、『創』主催で新宿ロフトプラスワンで渡辺監督と鈴木邦男さんのトークを、私・篠田の司会でやったことがあるが、会場に右翼が抗議に押し掛け、流血寸前の激論になった。その時の映像は今もネットで見ることができる。こんなふうに腹をくくって論争を行うこと自体今や珍しい。昔は作家や表現者にも無頼派と呼ばれる人がいたのだが、今は本当にいなくなった