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2009年7月アーカイブ

東京税関から文書が届いた。創出版から北朝鮮に送った郵便物が制裁措置にひっかかって送れないとの文面だった。これは平壌にいる「よど号」グループが毎月購読している「創」のことらしい。「創」は獄中とか北朝鮮とか、特別なところに読者のいる雑誌なのだが(笑)、何と制裁措置の発動で、その「創」が平壌に入らなくなったらしい。「よど号」グループは「創」以外にも日本の雑誌などをたくさん取りよせて読んでいるはずだが、それらもダメになってしまうのか。でも、こんなふうに情報までもシャットアウトしてしまうのって、本当に北朝鮮への制裁になっているのだろうか。むしろ北朝鮮にいる人たちにこそ、国家からの一方的な情報に偏らぬよう日本の情報を送り込んでやるべきだと思うのだが。

 

危機管理で思うのだが、最近、おかしいのは、東京拘置所へ面会に行くと、全員がマスクを着用させられることだ。面会室はアクリル板で隔てられているのに、そこでマスクつけて話すのだから、話は聞こえにくいし、しかも奇妙なことにマスクをつけるのは外から面会に行った側だけで収容されてる獄中者はつけていない。つまりこれは、拘置所の「水際作戦」というわけだ。外部から新型インフルエンザのウイルスが侵入するのを面会室で阻止しようということらしい。でも本当にこんなことで対策になっているのかどうか。そもそも今や外界では一時期のように皆がマスクをつけるのもやられていないのに、拘置所だけこんなふうにしていること自体がすごく奇妙な感じがする。

一連の新型インフルエンザ対策のおかしさについては、厚生労働省の現役検疫官である木村盛世さんに詳しく話を聞いて、発売中の「創」8月号に載せた。木村さんの主張はテレビなどでも報道されているが、こんなふうに8ページもの分量でまとまって彼女の主張を展開したのは初めてだ。で、体系的に聞いてみると、木村さんの主張はいろいろなことを考えさせてくれる。4月28日からしばらく続いた「水際作戦」なるものの馬鹿馬鹿しさは後に明らかになるのだが、どうして政府がこういう時代遅れの危機管理対策をとったのか。しかもそれに対してどうして疑問の声がきちんと上がらなかったのか。木村さんは一連の政府の対策は、日本がいかに危機管理ができていないかを世界中に示したもので、逆に非常に危険なことだと指摘している。

 

木村さんのこうした内部告発ともいうべき発言に対しては、当然ながら厚生労働省から圧力がかかっており、今はまだマスコミが注目しているので露骨なことはやりにくいだろうが、今後なんらかの力が彼女に加わる可能性は大といえる。本人もそのくらいは覚悟で内部告発に踏み切ったのだろうが、本当はこういう内部からの批判がきちんと受け止められるくらいでないと危機管理というのは機能しない気もする。

秋からは新型インフルエンザの第2波が襲来すると言われる。春の大騒動がどの程度正しく教訓化されたのかが試されるわけだが、木村さんの話を聞いていると、この国の政治家や官僚たちに危機管理を任せておいて大丈夫なのかと思ってしまう。怖いのは、北朝鮮の制裁にしても、インフルエンザ水際作戦にしても、よくわからぬうちに国家が方策を打ち出し、しかも本当にそれが効果的なのか検証や議論が十分になされている感じがしないことだ。非常時といった言い方のもとに国家が有無を言わさず強権的にふるまう最近の日本のありようには空恐ろしいものを感じざるをえない。

 

 「海猿」「ブラックジャックによろしく」などテレビ化・映画化された人気マンガで知られる佐藤秀峰さんのホームページ上の告発が、この何ヵ月かマンガ界で話題になっている。

 「ブラックジャックによろしく」は、元々講談社の『モーニング』で連載されていた作品だが、突然、連載が小学館の『ビッグコミック・スピリッツ』に移り、「新ブラックジャックによろしく」として今も続けられている。この移籍劇は当時、業界で大きな話題になったが、真相はわからないままだった。その真相を佐藤さん本人がweb上で告白したのだった。詳しくは下記URLにアクセスしてプロフィール欄、また「制作日記」のバックナンバーの「漫画貧乏」の項をご覧いただきたい。
https://satoshuho.com/index.html

 昨年も「金色のガッシュ」の雷句誠さんがwebで告発を行い話題になったが、こんなふうに人気マンガ家が、講談社や小学館といった大手出版社を批判するというのは、以前は考えられないことだった。というのも、マンガの世界は、集英社、講談社、小学館の大手3社で市場の60%を支配している圧倒的な寡占市場なのだ。大ヒット作品はほとんどがこの3社のマンガ雑誌で連載され、3社から出版されてきた。だから3社と対立したら、もうメジャー作品の発表の場がなくなってしまうことを以前は意味した。
 どうしてこういう寡占化が進行したかといえば、マンガは独特な作家管理システムによって成り立っているからだ。新人賞で若い新人を発掘し、編集部がマンガの作法を教えこんでいく。その代わり、著作権を含め、出版社がいわば丸抱えともいうべき形で漫画家を管理していく。そういうシステムができあがっているのだ。そうやって大手3社が市場分割をしてしまったのが実情だ。

 これはマンガが、ストーリー作りや作画などある種のチームワークによって作られていくことにも規定されている。作画自体がアシスタントによる共同作業を前提とするのはもちろんだが、特に「ブラックジャックによろしく」のような医療問題といったテーマの作品は、膨大な資料収集や取材を必要とする。マンガ家と編集部の共同作業によって作品が作られていくわけだ。問題はその共同作業において、マンガ作家と編集者がどういう関係を作っていくかということで、これまでは概ね、出版社がマンガ家を管理するという関係だった。

 雷句さんや佐藤さんのような告発が飛び出したというのは、その大手出版社の支配的なシステムが根底から揺らぎ始めたことの現れだ。どうしてそういう事態が生じたかといえば、第一にマンガがもっぱら紙媒体だった時代が終焉し、二次使用権の問題が大きくなってきたという事情がある。最近はテレビ化映画化などの二次使用について、出版社に全面委託していた慣習を見直し、エージェントと契約するケースも増えている。

 そして第2に、デジタルという新たな市場が生まれ、必ずしも大手出版社に頼らなくても作品を発表できる機会が増えたこと。また自分の意見をブログで発表するという発信の場としてもネットが使えるようになったことだ。佐藤さんのような告発は、ネットという自分の意見を自由に発信できる場ができたという事情も大きい。

 佐藤さんは今後、実験的に自分の作品のデジタル販売を、出版社に任せずに行うことも表明、その方法をマンガ家の間で共有することも提案している。

sato01.jpg これはまさに、マンガという注目ソフトがこれまでの紙媒体中心の時代から次の時代に転回しようとしている状況を象徴する動きだ。とはいっても現時点で彼のように講談社や小学館に自分の主張を突き付けていくことが大変なことであることは確かだ。大手出版社の支配体制に個人の表現者が対抗しようとしている、とあっては、やはり『創』としては、少数派の方につかざるをえず、7日発売の8月号でさっそく佐藤さんのロングインタビューを掲載している。

 Webでは詳しく語られていない「作品に抗議があった事例」などを、佐藤さんはこのインタビューで詳細に語ってくれた。自分の作品が、出版社の自主規制によって書き換えられてしまうというのは、かの筒井康隆さんの「断筆宣言」で問題になったことだが、マンガの世界は活字以上にそれが日常化していることを、佐藤さんは具体的に語っている。
 この佐藤秀峰衝撃告発、佳境はこれからだ。注目してほしい。