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2009年1月アーカイブ

 草薙厚子さんが1月14日に奈良地裁で証言した際、情報源を初めて明らかにした問題、先日も書いたように、ジャーナリズム関係者の見解が賛否大きく分かれ、そのこと自体が話題になっています。毎日新聞が1月26日紙面で「取材源明示は記者倫理破りか 調書漏えい公判 草薙さん証言に波紋」と題して、いろいろな論者の見解を紹介。「識者ら見解二分」と書いています。毎日のこうした一連の記事はネットにほとんど載っています。
 また朝日新聞も「見解二分」について論点をまとめた記事を掲載。こちらは書いたのが奈良支局の記者ですが、私・篠田の見解も紹介されています。北海道新聞は16日の社説で「情報源の明示 言論の自由を揺るがす」という社説を掲げています。

 ジャーナリズムの根幹に関わる問題で、これだけ意見が対立したのも最近では珍しく、その意味では久々の論争といえましょう。

 続いて27日には奈良地裁での公判に講談社の加藤晴之『週刊現代』前編集長が出廷。28日付産経新聞が大きな記事にしていますが、見出しが「調書漏えい公判 『出版に反対した』」と刺激的。これを見ると、講談社が『僕はパパを殺すことに決めた』の出版に反対していたかのような錯覚に陥る読者も多いのでは? 実際は講談社の中で唯一例外的に加藤編集長が反対していたのですが(詳細は講談社のホームページから昨年4月発表の調査委員会報告参照)、どうして彼が証人に呼ばれたかというと、崎浜医師の弁護団がその加藤さんの見解を評価したのですね。ちなみに草薙さんは実は検察側の証人で、このあたり非常にややこしいのです。

 講談社側も、単行本の編集者と、講談社の会社側、そして加藤前編集長と、同じ会社なのにこの三者が違う立場で、ついでに言うと、情報源を昨年4月、最初に明らかにしたのはこの講談社の方です。ところが今回出廷した加藤さんは、草薙さんの情報源開示について「私なら明かさない」と批判的意見。このへんも非常にわかりにくい。加藤さんは講談社代表でなく、個人の立場で話しているのですが、たぶん報道を見ている読者はそうは思わないでしょうね。
この一連の経緯、新聞などがもう少し整理して報道しないと、読者はややこしくてわからないのではないでしょうか。講談社の中で出版に反対した加藤さんは今回「公益性や公共性が認められない」と、問題の本をばっさり切り捨てたのですが、最初は発達障害の話を出版しようとなっていたのを、専門的な話では売れないから、と、極秘資料すっぱ抜きの本にしていったのは講談社の書籍編集部でした(ちなみに担当編集者は元『週刊現代』記者)。それに草薙さんも同意して、あのいささかセンセーショナルな本ができあがったのですが、それを今回、同じ講談社の加藤さんが「出版すべきでなかった」と証言したわけです。ややこしいでしょ。

 草薙さんが情報源を公開したことの是非にしても、この裁判がどういうふうに進行してきたかか、ある程度知らないと、論者たちの見解が二分された事情もよく理解できないのではないかと思います。
 先日、当の草薙さんとその代理人の清水勉弁護士に、情報源を明かした理由を詳しく訊きました。予想していたのとほぼ同じ説明でしたが、ちょっと気になったのは、その前の12月後半での元少年の父親の証言についての話。清水弁護士は傍聴していたので、その話を聞いたのですが、この証言内容は東京でほとんど報道されていませんが、微妙で重要です。

 1月14日、マス読ライブというイベントのあったその日、新聞社から次々と電話が入った。その日、奈良地裁で少年調書流出事件の公判があり、「僕パパ」の著者である草薙厚子さんが出廷。その中で、情報源が精神科医の崎浜さんであったことを証言したのだという。そのことへのコメントがほしいという電話だった。

 休憩時間にうまく電話がつながった毎日新聞奈良支局にはコメントを出した。本当は当日の公判での証言をネットなどで調べたうえでコメントすべきなのだが、そういう状況でなかったので、おおまかな話を記者に聞いて、その場で自分の意見を述べた。いわゆる識者コメントというのは、そんなふうにその場で見解をまとめないといけない。瞬間芸なのである。

参考:毎日新聞のニュース
http://mainichi.jp/area/nara/news/20090115ddlk29040593000c.html

 帰宅後新聞を見ると、大谷昭宏さんや立教大の服部孝章教授らのコメントが載っていて、情報源を明らかにした草薙さんを強い口調で非難していた。私のコメントは翌日、毎日新聞の関西版に掲載されたのだが、どちらかというと草薙さんに理解を示した内容だった。評価が真っ二つに分かれ、しかも私は少数派のようなので、ここで自分の見解を少し詳しく説明しておきたい。

 そもそも奈良の地元ではこの裁判は大きく報じられているのだが、東京ではそう目立っていない。草薙さんは、どうして今情報源を明かすことにしたのか証言の中で語っているのだが、そういう詳報は東京ではなされていないので、彼女がとんでもないことをやったかのような印象だけが残る。

 情報源秘匿は絶対貫くべき原則だと言うのは私も同じだ。だから、それをできなかった「僕パパ」という本には批判的だ。この事件は国家が本格的に言論機関に介入してきた事例で、しかも著者や出版社を逮捕せず情報源のみを逮捕するという検察の巧妙な手口。言論側はほとんど完敗したというべきだろう。

 その結果、情報源が法廷で裁かれるという痛恨の事態になった。そこで考えるべきは、ここまで生命線を突破されて、では今、情報源である崎浜さんを守ることとはどういうことか。彼の無罪を勝ち取るために、著者や出版社、そして我々言論に携わる者は何をすればよいのか、ということだ。

 崎浜さんはむしろ自分が情報を明かしたことを認め、その行為が少年のために、よかれと思ってなされたのだという正当性を主張している。ここで草薙さんがこれまでのように情報源秘匿を貫くなら、彼女は法廷で証言をしないという選択になるのだが、たぶん、彼女は、むしろ法廷で崎浜医師への謝罪も含め、実態を証言することの方が崎浜医師の無罪を勝ち取るのに役立つと考えたのだろう。

 実際、草薙さんは講談社の設置した調査委員会に対しては情報源秘匿を貫き、証言らしい証言ができていない。その事例を教訓化して、いっさい口を閉ざすというのは得策ではないと考えたのだろう。恐らく詳しい経緯を知らずに突然「法定で情報源公開」とだけ聞いたら、私も「けしからん」というコメントをしたと思う。ところが、ここまで権力にしてやられ、情報源が危険にさらされている現実を考えると、草薙さんが口をとざすというのが正しい対応かどうかすごく判断が難しい気がするのだ。情報源の秘匿、つまり情報源を命にかえても守るというジャーナリズムの原則を貫くことは、こういう事態に至った場合、証言をすることなのかしないことなのか。これは単純ではないと思うのだ。

参考:草薙さんのブログでの取材源の秘匿を解除した理由説明
http://playlog.jp/atsukokusanagi/blog/archive/20090119

 今回の草薙証言については私自身もここで書いたことが絶対正しいというつもりはなく、自分でももう少し考えてみたいと思っている。

 実は次号の『創』3月号に草薙さんのインタビューを載せる予定で、近々インタビューを行うのだが、まず草薙さん側の言い分をじっくり聞いてみたいと思う。この問題、微妙な事柄で、議論を起こすには格好のテーマなのだ。

 それから、今回、草薙証言が上記のようなものだったので東京でも比較的大きめに報じられたのだが、私にとっては、この前の公判の、少年の父親の証言の方が衝撃だった。この事件については、検察側が言論封じのために強い意志で介入してきたとされ、少年の父親よりもむしろ検察の意向が反映されていたと言われるのだが、どうもそうでなく、父親は本気で怒り、告発をしたと法廷で証言しているのだ。つまり検察陰謀説がどうやら事実と違っていたらしいのだ。

 はたしてこの裁判、崎浜医師の無罪を勝ち取ることができるのかどうか。判決が今後の言論・報道に大きな影響を及ぼすのは明らかで、東京でももう少し大きく報道され、議論がなされてもよいのではないかと思うのである。

 突然、「創」ブログへのアクセスがどんと増えたと思ったら、どうやら廃墟写真をめぐって写真家の丸田祥三氏が盗作されたとして小林伸一郎氏を訴えたとの報道が新聞・テレビでなされたためらしい。この問題については月刊『創』は昨年5月号にフリーの七瀬恭純一郎氏が「スター写真家をめぐり勃発した著作権騒動」と題してレポート。その時に丸田・小林両氏に取材し、コメントももらっていた。この時点で丸田氏は場合によっては提訴して社会に問題提起したいと言っていました。一方、小林氏は盗作を否定するばかりか疑惑を報じられること自体に激しく反発し、『創』が発売された時点で内容によっては訴えると言っていました。

 小林氏の作品は講談社出版文化賞まで受賞しており、それが盗作疑惑とあって、この時点では講談社の見解なども取材しています。今回の提訴で、おおまかな経緯は新聞などで報道されましたが、既に昨年にこの問題がネットで大きな騒動になった時点で、それぞれの当事者がどういう主張をしていたかは、この『創』のレポートに詳しく書かれています。
 今回の問題を理解するために『創』のこの記事をぜひお読みいただきたいのですが、雑誌のバックナンバーはなかなか入手が難しいと思うので、期間限定で、その記事のテキストをここに公開します。

 
スター写真家をめぐり勃発した著作権騒動
(『創』08年5月号)七瀬恭一郎

●廃墟写真をめぐり盗用騒動が勃発
 写真家の小林伸一郎氏をご存知だろうか。1956年、東京都生まれ。78年に専修大学経済学部を卒業後、出版社カメラマンを経てフリーランスに。98年に発表した写真集『廃墟遊戯』(メディアファクトリー)で一大センセーションを巻き起こし、いわゆる〝廃墟ブーム〟の立て役者となった人物と言えば、ピンとくる人も多いのではないだろうか。
「98年のブレイク以降、00年頃から本格化した〝廃墟ブーム〟を追い風にして、小林氏のその後の活躍はめざましく、『廃墟漂流』(マガジンハウス)『廃墟をゆく』(二見書房)『NO MAN 'SLAND 軍艦島』(講談社)など、話題の作品集を立て続けに発表。05年には、約650日間にわたってシャネル銀座ビルの旧ビル解体から完成までを記録した『小林伸一郎写真展 BUILDING THE CHANEL LUMIERE TOWER』を東京都写真美術館で開催して新境地を開き、昨年5月、写真集『亡骸劇場』と『東京ディズニーシー』(ともに講談社)で第38回講談社出版文化賞を受賞しました」(写真関係者)

IMG_0092.JPG 12月26日に新宿のロフトプラスワンにて月刊『創』主催のトークライブが開催され、第一部にマ~シ~と元ラッツ&スター山崎廣明さんが登場。コラムニストの吉田豪さんや篠田博之『創』編集長をまじえて、1時間半にわたりトークが行われました。
 この日も山崎さんやマ~シ~が昔のコンサートなどの秘蔵ビデオを持ち寄り上映しましたが、ファンたちだけでなく当事者自身からも思わず「懐かしい~」という声が漏れました。また吉田さんは前回に続いて昔のマ~シ~グッズを持参して披露してくれました。
 マ~シ~と山崎さんは元々、シャネルズ時代からコンサートで一緒にギャグを飛ばしたりしていた仲とかで、その当時の知られざるエピーソードを次々と披露。暴走族と一触即発になった話とか、シャネルズという名前をどうして改名せざるをえなくなったかの真相など、ファンもあまり知らないような話が明かされました。
今回も会場には、遠方からのファンがびっしりとつめかけたのですが、何とそのなかに青森からわざわざこのイベントのために2歳の子どもを連れてきたという主婦の方が。そこまでして来てくれたファンにはマ~シ~も感激で、トーク終了後、田代・山崎の間に入ってもらって記念撮影。
また7月と8月のトークライブにこれまた青森から会社を休んでかけつけたウエブデザイナーの男性が今回は客席の最前列に。この人のブロックで作った田代人形や、パックンチョ田代(このサイトにアップしてあります)など技術力の粋を駆使したプレゼントには毎回感動させられたのですが、何とこの人、そうやって毎月上京するだけでなく、思い切って会社をやめ、東京に住むことにしたのだとか。この人の技術力には一目置いていたので、今後はマ~シ~のために力を貸してもらうことに。
 
IMG_0070.JPGそのマ~シ~の今後の生活の一助になるのではと期待されるのが、その日、第一号が披露された新マ~シ~グッズ。マ~シ~のキャラクターの入ったTシャツで、これからイベント会場やネット通販で販売します。次々と新製品が登場する予定ですが、マ~シ~を応援する人たちはぜひ購入下さい!
 

 

 

 

 

 

 

 

IMG_0094.JPGさて第2部は雨宮処凛、佐藤優、岩淵弘樹(映画「遭難フリーター」監督)、それに途中から鈴木邦男さんも加わって「ワーキングプアの反乱」についてトーク。佐藤さんが今のワーキングプアの状況は拘置所よりひどい、と自分の体験を話したり、雨宮さんがメーデーの時の映像を流してこの1年間の運動の紹介をしたりしました。

雨宮.JPG第3部は阿曽山大噴火さんと鈴木邦男さん、それに映画「ポチの告白」監督の高橋玄さんも加わって裁判員制度についてのトークが行われました。