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死刑囚・宮崎勤との12年 300通の手紙(新文化6月26日号) 篠田博之

 6月17日、朝10時過ぎから私の携帯電話は振動しっぱなしになった。その朝、宮崎勤死刑囚への死刑が執行されたというので、新聞・テレビの取材が殺到したのだ。会社へたどり着くと、入り口にも取材陣が待ち構えていた。

その日は1日中、大手マスコミ全社全局の取材を受けた。宮崎勤の処刑は私にとっても衝撃的な出来事で、なるべく取材には応じようと思った。しかし、いつものことだが、こうした取材、特にテレビの取材には大きな徒労感がつきまとった。1時間近く話した内容から放送に使われるのは1~2分だけ。真意が伝わったためしがない。

 その結果、予想通り今回も、「お前はどうして殺人者を弁護するような出版活動をしているのか」という非難が電話やメールで寄せられることになった。

 私は宮崎勤の著書『夢のなか』『夢のなか、いまも』を編集出版したのを始め、月刊『創』にも彼の手記を数え切れないほど掲載してきた。そのつどそれを掲載する意図を説明してきたのだが、短絡的な非難をしてくる人はほとんど、それをきちんと読んではいない。

 宮崎勤と接触するようになってもう12年になる。その間交わした手紙は300通を超える。死刑確定後は様々な制約を受けることになったが、それでも最近まで、彼からの手紙は頻繁に届いていた。

公判があるわけでもないので、近況報告といっても次第に毎回同じような内容になってきたため、この1年近くは、彼の送ってきた手記を掲載せずに保留していた。それに対して、彼はそれをぜひ載せてほしいという手紙をこの5月に寄こしていた。そこで何本か保留していた手記を次号から掲載することを約束して準備していた矢先の処刑だった。次号掲載の手記が遺稿になってしまうとは思いもよらなかった。

 死刑確定後2年余での執行というのは、自らそれを望んだ宅間守の例外的ケースを除けば、極めて異例のことだ。鳩山法相就任後、死刑判決も執行も急増していたのだが、今回の執行は、前例にとらわれずに積極的に死刑執行を行うという法務省の意思表示だろう。宮崎事件は一定の年齢以上の人には忘れられない大事件だから、厳罰化によって治安強化を狙う国家にとっては大きなアピール効果があるという判断だったのだと思う。

 こんな早い執行は誰も予想しなかったし、本人も予想もしていなかったろうから、突然刑場に連れ出された宮崎死刑囚の驚愕ぶりを思うと重苦しい気分になる。最期まで謝罪も反省の言葉もなかった彼だが、本人を罪とどう向き合わせるのかとか、死刑確定者という自分の立場をどう理解させるかといった本来行うべき試みはなされないまま、国家の側の一方的な都合で断行された処刑だった。

 宮崎勤と接触した12年間、様々なことを考えさせられた。彼にとって罪と向き合うとはどういうことか。犯罪者を裁くとはどういうことか。そもそも今の司法システムは、彼のような存在を裁く十分な機能を持ちえているのか。自分にくだされた死刑判決の意味もどこまで理解しているかわからない人間を処刑することが処罰になりえるのか。そういう根源的な疑問である。

 宮崎勤については、一貫した奇怪な言動も含めて全て計算された詐病だという見方から、統合失調症だという見方まで今でも分かれたままだ。詐病説はあまりに彼の現実を知らない見方だと思うし、彼の精神が完全に崩壊しているかのような見方も違っていると思う。

彼は一貫して幻聴を訴えて治療も受けていたし、私への手紙でも最近は常に病状を訴えていた。彼が何らかの精神的病いに侵され、それがあの事件に関わっていたのは間違いないと思う。

 精神鑑定の結論が幾つにも分かれたことに象徴的なように、事件の真相はいまだに解明されたとは言いがたい。裁判所は幾つもの鑑定結果の中から「責任能力あり」という都合のよいものを採用し、単純なわいせつ目的という検察のストーリーに乗って、判決をくだした。死刑判決によって彼を裁いたことにはなるのかもしれないが、事件の解明はほとんど残されたままだ。もしかすると事件の解明というのは、今の司法のシステムだけでは無理なのかもしれないとさえ思う。

平成の時代に入って目につく動機不明の無差別殺人といった事件に、今の司法システムは機能不全に陥っているのではないか。この事件を追いながら、そういう思いが絶えずつきまとった。動機を十分に解明できないまま重罰化によって死刑判決を連発するといった対症療法的やり方で、そういう犯罪を予防することなど絶対にできないと思う。

 そんな不可解な事件を解明するには、犯罪を犯した当事者に、自分の内面について語ってもらうしかない。宮崎勤にそうしようという意志がないだけに、それは困難を極めるのだが、彼との対話を繰り返すことで、手がかりや考えるべき素材を抽出することくらいはできるのではないか。私が12年間も宮崎勤と対話を続けてきたのはそういう思いからだった。

 出版の動機を聞かれて「有名になりたいから」と語ったり、「今でも夢の中に少女が現れてありがとうと言う」など、世間の感情を逆なでするような言辞ばかりだったから、宮崎勤の言葉をそのまま世に送り出すことには常に忸怩たる思いがつきまとった。しかし、敢えて彼の言葉は手を加えずにそのまま活字にした。その代わり、それがどういう意味を持っているのか、何を意味するのか、解説をつけることを心がけた。編集者としての私の役割は、世間に受け入れがたい宮崎勤の言葉の「翻訳」であり「通訳」だと思っていた。

例えば両親を「父の人」「母の人」と呼んだり、遺体を「肉物体」、遺骨を「骨形態」と呼ぶ彼の独特の言語には、精神科医の分析などを手がかりにすると、思わぬ意味がこめられていることがわかる。しかも、それはあの凄惨な事件と密接に結びついているのだった。単純なわいせつ事件と認定した判決がほとんど無視してしまった事件直前の彼の祖父の死は、鑑定書を何度も読み返すうちに彼にとってはものすごく大きな意味を持っていることもわかってきた。

事件現場に姿を見せたと宮崎勤が言っていた「ネズミ人間」も、マスコミでは時々「ネズミ男」などと誤って呼んだりしているが、私が一度手紙の中で誤ってそう書いた時、本人はものすごく怒ったものだ。世間の人にはどちらでよいように思えるかもしれないが、彼の観念の中ではそれは大事なことなのだ。

2審の東京高裁の裁判長は、法廷で被告人の「母の人」という発言を「母親」と言ってしまい、異議を唱えられながら、どちらでもいいではないかといった言い訳をしたのだが、傍聴席でそれを聞きながら、この裁判長には絶対に宮崎勤を理解できないなと思った。

2006年、彼の死刑判決が確定した時、ちょうど2冊めの著書『夢のなか、いまも』の編集作業は追い込みにかかっていた。彼の関心事は自分の死刑判決が確定することよりも、本の刊行であり、外部との手紙や面会が制限されることだった。

 その2冊めの著書の表紙には、彼自身が描いたイラストが掲載されているのだが、自分が描いたどのイラストをどんなふうに載せるかといったことに、彼は極めてこだわった。

06年1月末から2月初めにかけて、私は表紙の色見本を持って拘置所を訪れ、本人に面会室でそれを見せて議論を重ねた。本文のゲラについても、細かい記述にまで彼はこだわった。

1月17日に最高裁で死刑判決が出され、2月4日に死刑判決は確定するのだが、マスコミはその時期、本人は死刑判決に動揺しているに違いないとの思い込みに基づく報道を繰り広げていた。しかし、現実の宮崎勤は、マスコミの表層的な思い込みとはだいぶかけはなれていた。彼と12年間つきあっていて思うのだが、世間の常識で判断しようとすると、その言動をしばしば見誤ることになるのが、宮崎勤という男だった。

宮崎勤とはいったい何者なのか。あの幼女殺害事件はいったいどうして起きたのか。殺害だけでなくなぜあれほど残虐な被害女児の遺体解体を行ったり、遺体の一部を食べたりしたのか。それらの核心を本当に解明しえたのか、と問われると、私はそれが不十分であることを認めざるをえない。しかし、確実に言えるのは、今回の死刑執行によって、彼の内面を解明する機会は永遠に失われたし、事件の解明よりも処刑の威嚇効果によって凶悪犯罪に対処しようという国家の姿勢が示されたということだ。

編集者として私は宮崎勤に最期までつきあおうと考え、それがジャーナリストとしての責任の示し方だとも思っていた。もしかするとあと10年くらいは彼につきあうことになるのではないか。そう思っていたから、今回、処刑の第一報を聞いた時には、本当に驚愕した。

宮崎勤の死刑判決が確定した06年にちょうど私は奈良幼女殺害事件の小林薫死刑囚とも深く関わることになり、現在の死刑のあり方が本当に罪を償うことになっているのか深く考えさせられた。そしてその2人に宅間守死刑囚をあわせた3人の死刑囚について1冊の本をこの1年間かけて書いてきた。8月上旬にそれは筑摩新書から『死刑囚』というタイトルで発売される予定だ。『創』への手記掲載とあわせて、写真使用などをめぐって本人と手紙を交わしていた、ちょうどその時の死刑執行だった。私の失望と怒りは、まだ収まらないままだ。

日野不倫殺人事件の24年目の現実

1993年12月、日野市のアパートが放火され、子ども2人が焼死した。逮捕された北村有紀恵さんは無期懲役の判決を受け、服役中だ。その彼女の置かれた現実を通して贖罪について考える。
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