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篠田博之の「週刊誌を読む」

神戸連続児童殺傷事件元少年の手記出版に吹き荒れる逆風

 神戸連続児童殺傷事件の元少年Aの手記『絶歌』が出版され、大きな反響を呼んでいる。週刊誌も各誌が取り上げているが、手記内容や出版そのものを批判する論調が多い。  

わかりやすいのが『週刊新潮』6月25日号の見出しだ。「気を付けろ!『元少年A』が歩いている!」。かつて「気を付けろ!佐川君が歩いている」とパリ人肉事件の佐川一政氏を非難した見出しをもじったものだ。つまり殺人を犯した人間が、遺族の哀しみも癒えないのに、のうのうと社会に復帰している、という非難だ。

今回の手記出版に対して非難の嵐が吹き荒れ、販売を自粛する書店も出ているという、その逆風の強さの背景はそういうことだろう。手記自体は話題を呼んでベストセラーになっている。犯罪者の手記としては過去に例のない売り上げになる可能性もあるが、そのことがまた批判の対象となっている。『週刊新潮』の記事の見出し脇には「遺族感情を逆なでして手記の印税1500万円!」と書かれている。

「少年A『手記』出版禁断の全真相」という十五ページもの大特集を掲載したのは『週刊文春』625日号だ。「私はこう読んだ」と題する識者の感想も含め、特集全体に手記出版を非難する空気が色濃く感じられる。

同誌が他誌を凌駕する突っ込みを見せたのは幻冬舎の見城徹社長の詳細なコメントを載せていることだ。もともと手記は元少年から見城氏のもとへ持ち込まれ、同社では出版が難しいという判断のうえで親しい太田出版に紹介されたという。

その幻冬舎の動きを最初にすっぱ抜いたのは『週刊新潮』1月29日号「少年Aの手記出版を企図した幻冬舎への風当たり」だった。同誌の直撃に幻冬舎は出版予定を否定したのだが、それに元少年は動揺し、どうしても幻冬舎で出したいという当初の希望を変える契機になったという。

私自身は、手記の内容にはいろいろ思うところはあるが、社会的議論の素材が提供されたこと自体は否定されるべきではないと考えている。手記をめぐる議論は、恐らく今後、少年法についての議論とつながっていくのではないだろうか。

(月刊『創』編集長・篠田博之)

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