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『週刊朝日』連載中止についての疑問

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 『週刊朝日』1026日号から始まった佐野眞一さんの連載「ハシシタ 奴の本性」が打ち切りになった。十六日に発売されたその号は、表紙に橋下徹・大阪市長の写真を掲げ、大々的に連載開始を宣言。本文中で佐野さんも、橋下市長が反撃してくることを予測していた。反撃を覚悟したうえで開始した連載だったことは明らかだ。

 それが発売二日後に謝罪、三日後には連載打ち切りが決まった。最悪の結末と言うほかない。『週刊朝日』に対するダメージはもちろんだが、言論やジャーナリズムに対する信頼感をも喪失させるような事態だ。どうしてこんなことになったのか、きちんと検証すべき事例だろう。

橋下市長の出自を問題にするというアプローチは、昨年『週刊新潮』『週刊文春』がさんざんやって批判を浴びたものだ。私も本欄で批判した。

ただ超ベテランの作家である佐野さんが、その単純な二番煎じをやるとは思えないし、第一回で敢えて挑発的な書き方をするというのも佐野さん流の手法だ。だからせめて何回分か読んで佐野さんの意図したテーマを理解したうえで評価をくだすべきだ。私はそう思っていたから、第一回で打ち切りという事態は残念でならない。

今回の事件は複雑な問題が含まれており、議論すべきことがたくさん残されている。朝日新聞出版の謝罪文では、記事中に被差別部落の地区名を記載したことが謝りだったとしているが、では地区名を伏せればよかったのか、橋下市長の血脈を探るという方法論についてはどうなのか。差別と文学といったテーマに関わるそういう問題は曖昧なままだ。 

橋下市長が親会社の朝日新聞社を責めるという反撃方法をとったことも問題を複雑にした。これまで検察報道などで『週刊朝日』と朝日新聞の論調が違った時には「週刊誌は別会社だから」という言い方で乗り切りがなされてきたのだが、今回橋下市長は、その論理を許さなかった。編集権の独立という微妙な問題も今回は浮き彫りになったように思う。

連載が打ち切られたという結果が独り歩きし、『週刊朝日』を叩くだけで議論すべきことが葬られてしまうとしたら一番問題だ。

(月刊『創』編集長・篠田博之)

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