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篠田博之の「週刊誌を読む」

問われる震災報道のスタンス

 「言葉を失う」という表現がまさにあてはまる。そんな光景を三月十一日以来私たちは何度も目にしてきた。特にテレビを通じて伝えられる映像の衝撃は圧倒的で、それを前にしてはどんな言葉も無力であるかのような思いにとらわれる。
 しかし、そんな状況下でも活字メディアは健闘している。週刊誌は、記者の一人称による被災地報告を次々と掲載している。例えばこうだ。「そこで発見したのは、押し潰された木造家屋の下から、わずかに覗く裸足。わが家に残り、家屋もろとも津波に巻き込まれたのだろうか。万が一の期待を持って声を掛け、折り重なった瓦礫を取り除こうとしたが、カメラマンと記者の力では木材はビクともしない」(週刊ポスト4月1日号)
 福島原発事故の取材にあたった『サンデー毎日』記者は三月十二日、原発爆発という情報に接し、「記者生活13年の私も初めて生で聞いた言葉だ。恐怖で足がすくんだ」と、同誌3月27日号に書いている。東京のデスクの指示を受け、車で現場を離れようとした矢先、防災無線で「爆発は誤報」との情報を得る。しかしその直後、やはり事故は本当だということがわかり、デスクから「とにかく遠くへ逃げろ」と指示される。現場がいかに混乱していたかを示す生々しい報告だ。
 地震直後、携帯電話がつながらなくなったことに驚いた人も多かったと思う。予想外に威力を発揮したのがツイッターだったが、震災下でネットがどういう役割を果たしたか、『週刊ポスト』4月1日号でのITジャーナリスト佐々木俊尚氏の「大震災がインターネットの役割を劇的に変えた!」が面白い。
 原発をめぐっては、政府がパニックを防ごうとして「とにかく安全」という発表を行ってきたが、報道機関がこれに対してどういうスタンスをとるかが問われている。パニックを回避する配慮は当然だとはいえ、報道機関が政府とどう距離を置いた報道を行うかは大事な問題だ。
例えば『週刊現代』4月2日号は原発に批判的なジャーナリスト森住卓氏の現場ルポを掲載している。こういう事態においてもメディアが批判的視点を担保するのは重要だ。
(月刊『創』編集長・篠田博之)

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