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篠田博之の「週刊誌を読む」

「ナンバー」が週刊になった/サッカーW杯体制 編集部は“鉄火場”

 文芸春秋本社に入ると「完売御礼」の貼り紙が目についた。スポーツ総合誌『ナンバー』のワールドカップ(W杯)特集号が2冊完売になったという。しかも通常より10万部近く多い30万部を発行しての完売だった。  
 
 W杯開催の時期、隔週刊誌『ナンバー』は週刊誌に変身する。『週刊文春』の臨時増刊という形でほぼ毎週発行されるのだ。編集部19人の同じ体制で発行サイクルが2倍になるのだから、さぞ大変だったろう。

 もう一段落したころかと思って河野一郎編集長に取材を申し込んだら「週刊発行体制はまだ終わってないんです」と言われた。「これから別冊を出したりするので、まだ1カ月間、毎週雑誌を作る」のだという。もちろん休み返上。体調を崩した編集者もいるという。
『週刊文春』増刊として発行したのは4冊。週刊誌といっても毎週特定の曜日に発売というのでなく、日本代表の試合にあわせて速報体制をとった。第1戦、第2戦は日本時間で夜12時の試合終了と同時に編集作業が始まり、明け方に校了という進行。編集者は夜昼逆転した生活だった。

「試合終了後、記者とカメラマンが原稿や写真を仕上げ、インターネットを使って送ってくるのが夜中1時から2時。記事についてはデスクが見て、待機していた校閲がチェックをしていく。写真もプリンターで打ち出してアートディレクターがデザインしていくんです。
 
 大変なのは表紙でしたね。写真を決め、そこに文字を載せてみて、ひとつの世界が表現できているか検討していく。締め切りが迫る中でそれらの作業を一斉に行っていくわけで、まさに編集部は鉄火場でした」

 ただ四年前と比べると技術革新はめざましい。今回はカメラマン全員がパソコンを現場に持ち込み、試合終了後デジカメで撮影した写真を現場から電送。試合から中二日ないし三日で雑誌が店頭に並んだという。

「大変でしたが四年に一度の大会ですからね。総力を結集して、読者に面白い誌面を届けなくてはという使命感に支えられてやりました」(河野編集長)

 日本代表の戦績は売れ行きに直結し、第1戦の惨敗後、前号の完売から実売は6割に落ち込んだという。

 さて話は変わるが、前回書いた週刊誌記者が引き抜きでギャラが上がるという話。時任兼作さんの場合は、そうでないそうなので訂正しておく。

東京新聞 2006.07.24掲載/メディア批評誌「創」編集長・篠田博之

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