本好きだった私が出版社に入るまで

Mさん/出版社内定


小さな頃から本好きだった

 好きなことを仕事にしたい。私の就活はそこから始まった。幼稚園生のころからずっと本好きで、中学・高校では文芸部、大学では文学部で現代小説の勉強に取り組んだ。また文章に関わりたくて体育会のスポーツ新聞部に所属し、3年次に文章責任者を務めた。そんな私が出版社を志すのに、それ以上の理由はいらなかったと思う。今思えば平凡すぎる志望動機だ。だが最終的には、「自分の好きな物事に対してどれだけ真摯に向き合えるか」が鍵だと感じるようになった。
 3年生の夏休みから私の就活はスタートした。出版業界のインターンシップは少なく、また部活動のため参加できなかった。その代わり力を入れたのがOB・OG訪問だ。部活のOG、キャリアセンターの名簿で検索した方、出版関連のイベントでお会いした方などにお願いしてお話を聞かせて頂いた。訪問人数は約20人に及ぶ。もちろん、ただ人数が多ければよいというわけではない。実際、2月頃にお会いした某出版社の人事の方には、「そろそろ自分の意見を詰める時期だから、これ以上人数は増やさなくても良いのでは」と忠言を賜った。
 だが、お会いしたからこそ聞けたお話も多い。とある文芸編集者の方からは「本しか娯楽がなかった世代と渡り合うために、あなたはもっと本を読まなくてはならない」というアドバイスをいただき、ただの本好きでは太刀打ちできないと思い知った。ほかにも業界の現状や、自分がやりたい仕事がその会社でできるかなど、リアルな情報を得られたことは、私の就活が成功した要因の一つだと思っている。本格的に就活に取り組み始めたのは、部活動引退後の1月。SPIや作文練習に取り組んだが、ESの開示が3月で締切が4月だったから、もっと早くから筆記対策をしておくべきだった。
 出版社が第一志望だが、キャリアセンターでも「出版一本に絞って全滅して行った学生をたくさん見てきたから、必ず他業界も受けたほうがいい」とアドバイスをいただいた。
 そのため視野を広げようと、2月には食品系のインターンシップ2つに参加した。また練習も兼ねて、酒類メーカー、飲食、印刷、取次、書店、ホテルもESを出した。選考の早い他業界を受けると面接の練習にもなるので、ぜひお勧めしたい。しかし、どの業界も真剣に受けなければ当然落ちるので、広げすぎてもかえって本命がおろそかになってしまう。バランスを考えたほうがいいだろう。

就活解禁、ESと筆記試験の嵐

 スケジュール手帳の4〜6月のページを見せると、たいていの人に予定がぎちぎちすぎて驚かれる。それほど就活序盤は過密スケジュールであり、体力と気力が必要になる。
 4月はほぼ毎日どこかのESの締切であり、書いては送り、書いては送りの繰り返しだった。出版社のESは分量も多く、1日で書こうとすると中身の薄いものしか書けない。開示された時に確認し、じっくり考えておくこと。
 ESを書く上でのコツは、(1)論の根拠がはっきりしているか、(2)「貴社でなければ」という意気込みが伝わるかだと思う。
 一度完成したら自分で読み返すことはもちろん、人に読んでもらうとよい。自分では気づけないミスが必ず見つかるものである。私は完成したESを親や友人、また訪問したOB・OGに添削していただくことが多かった。お忙しい中快く引き受けてくださった皆様には感謝の気持ちしかない。
 5月になると、いよいよ各社の筆記試験が始まった。最初は新潮社。文学史を中心としたオーソドックスな内容だったため、とりあえず一安心するも、翌週の文藝春秋では難問ぶりに愕然。だが、「難しかったからほかの人も解けていないだろう」と気持ちを切り替えた。以降どの試験でも問題はできる限り覚えておき、試験後にわからなかった箇所をおさらいして次の試験への糧とした。
 筆記試験と同時並行で面接も始まった。5月19日に日刊スポーツの作文試験、5月20日に文藝春秋の一次面接、5月21日に小学館の一次面接、5月22日講談社筆記…というふうに毎日用事が詰まるため、正直疲れが溜まる。だが、ここを乗り越えなければならない。
 面接で聞かれるのは「あなたは何をやりたいのか」「なぜうちの会社なのか」ということだ。私は文芸志望でどうしても携わりたいジャンルがあったため、そのジャンルに関してはどの学生にも負けたくなかった。そのため、各社の出版物は必ずチェックし、魅力を語れるように準備をした。もちろん、「志望部署につけないかもしれないよ」という質問には「なんでもやります」と答えた。しかし、「御社に入社できればなんでもいいです」というニュアンスにはならないように気を付けた。一つ「私といえばこれ」というこだわりがあると良いだろう。
 選考が進むにつれて、面接の時間が被ったり、先に面接が入っていた日に日時指定の筆記試験が被ったりするという事態も起きた。しかし各社に電話をかけてお願いしてみると、変更を了承してもらうことができた。もしかすると、能動的に問題に対応する力がアピールできたのかもしれない。だが、たまたま私の場合は運が良かったとも言えるし、後半の面接では「日時変更は受け付けません」と明記されているところもあるので注意が必要だ。
 私の面接は必ずしも順風満帆ではなかった。6月の時点で、内定は書店チェーンから頂いた一つだけ。それでも、自分を認めてくれた会社があることが嬉しく、自信になった。
 マスコミで最初に最終面接を迎えたのは日刊スポーツ。トップバッターとして乗り込むも、面接官と全く話が合わず、案の定落ちてしまった。文藝春秋の三次面接では、苦手なグループディスカッションは乗り切ったと思えたが、面接で撃沈。他にも進んでいる選考があり、必死さが足りなかったのだろうと反省し、以降の面接に活かした。
 新潮社は三次面接、講談社は二次面接で敗退と、出版社の試験は本当にいつ落ちるかわからない。その会社ごとに特色も強いため、相性の問題は大きいと思う。だが、落ちてもすぐに気持ちを切り替えて次に臨むメンタルの強さが必要だ。
 同時進行で進んでいた他業界の面接では、必ず「うちと出版社両方受かったらどっちに行くの?」と聞かれた。その度に御社ですと答えたが、ことごとく落ちた。ここまで来たら自分の気持ちに嘘はつけない。開き直って出版社の面接でも「他業界では『出版に行きたいんでしょ?』と落とされてしまったので、やはり私には出版業界しかありません!」と熱弁しネタにした。
 私はなぜ出版社に入りたいのか。そこで何をしたいのか。その会社なら自分のやりたい仕事ができるとなぜ思うのか。ひたすら考え続けた。それが功を奏したのか、6月末に出版社から内定をいただくことができた。その会社の面接では、自分と会社とのつながりや出版物の魅力、そして何より「どうしても貴社に入りたい」という強い思いをはっきりと言えたことがよかったのではないかと思う。

試験対策をどうやったか

出版社の試験は、対策した分だけ効果がある。漠然とした不安を打ち消すためには、結局自分ができるだけの範囲で準備するしかない。各社がESを開示する1カ月ほど前までに一通り手を付けておくと多少余裕が持てるだろう。私は『マスコミ就職読本』で各社の試験内容を確認しつつ進めていた。
▼時事問題:『新聞ダイジェスト3月号別冊 最新時事用語&問題』を2、3周ほど読み込んで基礎知識をつけた。分厚いテキストを解ききれず焦るよりは、1冊薄めのテキストを選んで読み込む方がよいだろう。また、復習として『新聞ダイジェスト』10〜4月号の巻末時事問題も使用。朝日新聞の連載『いちからわかる』もわかりやすいのでお勧め。
▼一般常識・マスコミ知識:『一般教養の天才』はP201〜216の文学史を確認して、あとは流し読み程度だった。また流行の人物は絶対に出るので、『日経エンタテインメント』などで確認するのは有効だと思う。有名文学賞の受賞者もフルネームで書けるようにしておくこと。月刊『創』を読んで業界のニュース・トピックスを押えておくのも大切だ。また私は週刊誌的知識に不安があったため、週刊新潮・文春の巻頭スクープや、AERAの表紙の人物をまとめたりもしていた。
▼SPI:しっかり対策し、点を落とさないようにすべき。薄めの参考書で大体のパターンを把握しておくとコツがつかめる。
▼作文:ひたすら書いて、ほかの人に読んでもらうのが一番。私は大学のマスコミ志望者同士で読み合わせをしていた。
▼漢字:『よく出る!!新マスコミ漢字』の1・2章と付録を使った。
▼書店巡り、読書:完全に趣味だが、出版業界を受けるうえでは実益も兼ねていた。書名や著者名は筆記試験に頻出であり、自分がどういう本に惹かれるかは把握しておいたほうがいい。また、志望の出版社が出している雑誌は読んでおくことを強くお勧めする。どこの面接でも、定期的に購読している雑誌や、最近注目した記事を聞かれる。面接直前にバックナンバーを読み漁るよりも、余裕を持って読んでおいた方がいい。

運と縁と、そして努力

 就職活動は最終的には運と縁だ。内定をいただいた出版社でも、「三次面接以降に残った学生はほぼ同レベルで、そこからは運も絡んでくる」と言われた。しかし、その縁を掴むための運は、努力しなければついてこない。マスコミ志望者には、後悔のないように自分にできることを最大限やりつくしてほしい。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。