怒涛の就活を経て憧れのテレビ局へ

Tさん/放送局内定


大学3年の6月、次々とインターンシップに応募

「テレビに携わりたい」――小学生から同じ夢を追い続けてきた私のスタートは誰よりも早かったと思う。

 大学3年の6月「マスコミはインターンが大事」と先輩から聞いていた私は広告、テレビ、映画など様々なインターンに応募した。初っ端から博報堂の予備面接。赤坂の本社に赴き「こんな高いビルで働けたらかっこいいな」などと、すでに入社した気分で受けた初めての面接は見事に玉砕。面接自体の空気は悪くなかった。面接官の対応も悪くなかった。それなのに落とされたことに「???」であり、それまで「就職なんて余裕だろう」と思っていた私の甘い考えが一気に崩壊した。

 なにがいけなったのかがわからないまま、ADK、テレビ東京、TBS、フジテレビ、東急エージェンシー、NHKと、書類を出し続けるものの一向に通らない日々に焦りが隠せなかった。

「マスコミは狭き門」いろんな人からこう聞いていたから少しでもこの夢に近づけるよう努力はしてきた。大学では体育会硬式野球部にマネージャーとして入部し、部活一色の毎日だった。12年間女子高で甘やかされて育った自分にとって体育会の世界は厳しく右も左もわからない日々は本当に苦難の連続だった。それでも少しでも大学での日々が「テレビに携わりたい」という夢に近づけるのならば…と必死にしがみついてきた。にも関わらず落ち続ける日々に焦り、不安になった。

 だが「インターンは本選考より倍率が高い」という根も葉もない噂を信じ、気持ちを入れ替えた。これまで出し続けていた書類を読み返し、それまで希望部門を「ドラマ」にしていたが、せっかくマネージャーをしていたのならそれを売りにしてなんぼだろと思い「スポーツドキュメンタリー」に変えた途端、日テレに通過した。1dayだったが、7人ずつ5グループで10分の番組をつくるというもので有意義だった。

 結局、私は10月からソニーピクチャーズのインターンに参加した。視聴率の集計からSNS更新、横アリでのイベントスタッフ。初めてマスコミの裏方を経験させて頂き、本当に充実した日々だった。

 だが有意義だった分、この3カ月間は精神的にも体力的にも人生で一番辛かった。インターンに部活、大学の講義に「マス読」の実践講座。この時ほど「今が勝負どころだ」と言い聞かせて、何とか自分を奮い立たせていた日々はないし、同時に就職活動は体力勝負だな…と気付かされた。

力作と思ったESが「不合格」で茫然

 そんなこんなであっという間に1月に入り本選考スタート。日テレの一次面接から幕を開けたが見事に玉砕。面接官と話が噛み合わずすぐに落ちたとわかった。そしてその2日後、第一志望テレビ朝日の書類結果発表。12月終盤にESが発表されてからは、毎日書いては添削してもらい、年越しもファミレスにこもり書き続けた力作だったので自信満々で提出した。

 だからこそ「不合格」の文字を目にしたときの事は今でも忘れない。テレビ信州のESを出しに車で郵便局に向かった帰り道。運転中だったがマイページでの結果発表の時間、14時ぴったりに車を停めマイページにアクセス。「早めに予約しないと面接の良い日程取られちゃうからな」とはやる気持ちを抑えながらIDとパスワードを入力。そして目の前に現れたメッセージは「残念ながら…」本当にわが目を疑った。どうやった運転して帰ってきたのかも覚えてないし、よく事故らず帰ってこれた。それくらい頭の中が真っ白になった。何度マイページにアクセスし直しても表示されるメッセージは同じ。辛いという気持ちを通り越して、茫然だった。

 ずっと行きたかったテレビ朝日は説明会もOB訪問も何度もして気合は充分だったにも関わらず会ってすらもらえないのだ。この一カ月の努力はなんだったのか。テレビ朝日に行くんだ!と周りに豪語していたがどんな顔して合えばいいんだか…いろんな思いが頭を駆け巡った。おまけに部活の同期がES締切1時間前に書き始めて提出したのに通過していたのを聞いた時はもう発狂しそうだった。就職活動を通してこの時ほど無気力になった時はないが、他社の選考はどんどん進んでいくのでどうにか気持ちを入れ替えた。

 3月に入り、怒涛の説明会ラッシュ。これまでの半年を振り返り、マスコミ一本に絞るのは危険すぎると思っていたのでメーカー、不動産、銀行、人材サービス、全て回り、いくつか内定を頂いた。これで気持ちに余裕を持てたし、良かったと思う。だが内定を頂いても気持ちの片隅にはやはり「テレビ」という夢が捨てられず、モヤモヤした毎日を過ごしていた。

 4月に入り、残りのテレビ局の選考がスタートした。地方局は、東京出身の私にとって明らかに不利だと思ったが、唯一ゆかりのある長野県のテレビ信州だけは受けた。4月4日一次面接は一緒に受けたメンバーに恵まれ、なんとか通過。次は長野県で筆記試験だった。その前々日の4月13日にTBSの一次面接があった。面接官が日頃からテレビでよく目にする現役のアナウンサーだったので普段とは違う緊張をしてしまった。好きなテレビ番組は?というありきたりの質問に対して考えてきたTBSの番組をド忘れし「NHKの『ドキュメント72時間』です」と答えてしまった。「もう終わった……」とへこんでいたがそれがうまくヒットしたらしく面接官が飛び切りの笑顔で「いい番組ですよね」と言ってくれた。その瞬間、これは通ったと確信し、ハイテンションで長野に向かった。

 今回が就職活動を通し初めての筆記試験だったので、軽く新幹線の中で勉強本に目を通したのだが、本番は至って普通の英数国と作文で、小中高とエスカレーター式、大学には推薦で入り受験を経験してない私でも難しいという印象は受けなかった。まぁ通過しただろう、と楽観視していたら、その5日後に不合格通知がきた。なによりもショックだったのは一緒に受験していた部活の同期が割り算もできなかったとぼやいていたのに通過していたと知った時だ。だが同期は長野出身だったので「結局、地元民がほしいのか」と勝手に自己解釈した。就活をする中で、物事を自分の良いように思い込むのは大切なことかもしれない。

追い打ちをかけるように面接に落ちた。

 そんな中、追い打ちをかけるようにTBSの二次面接に落ちた。二次では志望しているスポーツ局の方が面接官だったのでほとんどスポーツについてだった。部活をメインに聞かれたが、部活の事であれば無敵だったので、すべて満足のいく答えが出来たと思う。ただ最後の最後で「最近気になるニュースある?」と聞かれ一気に崩れた。全く考えておらず出てきた言葉が「犯罪者の…」とわけわからんことを言ってしまい、面接官の顔が豹変。見事に不合格。

 残るはテレ東、フジか…と思いながら帰っていたのだが、ふとNHKにエントリーしてないことを思い出す。自分のなかで、お堅いイメージがあって自分には向いていないと決めつけていた。だが今はそんなことも言っていられないのでぎりぎりでエントリー。NHKは民放とは異なり職種ごとに採用方法を分けているため、元から志望していた放送管理部門(広報・営業)でエントリーした。

 説明会では談会と同時に事前に配布されたシートを使い模擬面接も行った。この説明会を通し一気に志望度が高まったのと同時に、広報ではなく営業こそ私に向いているかもしれないと思った。受信料の為に走り周るという泥臭い仕事だが、NHKの根っこを支えられる営業という仕事は、これまで野球部の根っこを支えてきたマネージャーの仕事に通じるものがあると思ったからだ。

 この日からもう気持ちはNHKでいっぱいだった。NHKに行きたい! その為にまずはひたすら筆記試験の勉強をした。民放と違ってNHKは初っ端からテストセンターと筆記試験がある。今まで勉強してこなかったのがあだとなり、電通など計4社のテストセンターで敗退していた。その為残りの3カ月を全力で勉強することにした。

 7月2日、テレビ東京一次面接。世間話をしただけの5分間だったが通過。結果は、アミューズの選考合宿に行っている最中に来て、アミューズもいい感じに進んでいたので、このまま7月中に就活終えられるのでは?と楽観視していたら見事に二次面接で敗退。

 7月9日、テレ東の二次面接は、一次とは雰囲気ががらりと変わり圧迫面接だった。これまでの面接で一番圧迫だったと思う。「テレ東のスポーツ中継どう思う?」「スポーツ中継どうすれば視聴者に見て貰えるかな?」など本気でスポーツが好きで見てなければわからないような質問で、私がいかに勉強不足かということが露呈してしまった。

結果はどうあれ力は出し切った

 どんどん先行きが不安になっていく中で7月16日、フジテレビの一次面接があった。本社に足を踏み入れようとした直前にNHKから書類通過の連絡と二次の日程確認の連絡があり、気分が高まる。とりあえず一安心してしまった為、フジの面接では志望動機もド忘れするというなんともふざけた5分間だったが、最近ムカついた事は?という質問で鼻が低いと言われた自虐ネタを披露したらそれがウケたのか通過していた。一次面接は気楽にやったほうが通るかもしれないと思った。

 しかし、7月21日二次面接。2対2だったが驚くほど私に質問がこない。聞かれた質問は「好きなドラマは?」だけ。「ロンバケが好きです」と言ったら古いね〜と言われ、それで終了。残りの5分間は一切私に質問してくることなく終わり、その場で落ちたことがわかった。「興味がないならはじめっから二次面接に呼ばないでくれ…」と泣きながら帰った次の日の夜、見事にお祈りメールが来て、残るテレビ局はNHKのみとなった。もうここまでくると面接で何が正解なのかがわからなくなり、私はたぶんマスコミに向いてないから、内定を頂いている企業に行こうかと血迷ったが、この3カ月の勉強の成果が出たのかNHKのテストセンターが自分史上最高にできた気がしたのでNHKだけは受けようと決意。

 8月5日NHK一次面接。1対1の面接を休憩なし30分の2回だったが、1回目の面接官はこれまでの面接で一番話しやすかった。私の話を最後まできちんと聞いてくれて自身の考えも話してくれたので勉強にもなった。また2回目の面接官は模擬面接をしたときの面接官と同じで、これまた運命を感じた。終わる間際に「この前の模擬面接より上手くなっている」と言われた時は、この半年間就活頑張ってきて良かったと泣きそうになった。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。