どうしてもなりたかった編集者という職業

Kさん/ 角川書店・太田出版内定


 大学に入るくらいまで、自分が企業という組織で働くだろうとは思っていませんでした。どちらかというと浮世離れした生活を送り、現実世界よりは虚構の世界に浸っているほうが好きでした。文学部に入ってからは、取り憑かれたようにその世界の面白さにのめりこんでいきました。自分の言葉で文学観を紡ぎだす教授たちや研究者の卵たちのストイックさに惹かれていきました。この頃は、院に進んで大学に残ることも選択肢のひとつでしたし、自分でも作品を書いてみたいと、ライターのアルバイトをしていました。

 大学3年生のことです。私は長年の夢だった劇団を立ち上げ、そこで脚本を書いていました。けれどその冬、私は脚本をどうしても完成させることができませんでした。世間では就職活動が解禁になったその日、私の劇団は解散しました。
 劇団というのは本当に多くの人たちの見えない努力で成り立っていて、彼らの純粋な想いをふみにじってしまったことがとてもショックでした。1カ月間は何も手につかず、朦朧として日々を過ごしていました。劇団の失敗は、私にひとつの作品を生み出すことの難しさを突き付けてくれました。何かを書く人が、いかに孤独かということも感じました。

 そこで初めて、私は作品を生み出す人をサポートすることを生涯の仕事にしたいと考えるようになりました。編集者という仕事について本気で考え始めたのはそんな時期でした。
ちょうど1カ月後、私は出版社を受けることを決心しました。

 「本が好きだ」なんて大前提にもほどがある

 そんなわけで1月も半ばになって慌ててリクナビに登録しました。もうすでに主な説明会やセミナーは満席となっており、自分が相当出遅れたスタートを切っていることを自覚しました。就活についての予備知識は完全に0で、最初はESがどうやったら配布されるのかすらわからない状態でした。

 ESはとにかく大量の欄を埋めることに必死で、毎日、締切と泣きながら戦って、封筒をもって郵便局に走っていきました。あまりに切羽詰まっていたためにテクニカルなことは一切考えず、とにかく正直に書くことだけを心がけていました。

 なんとかESラッシュを終え、筆記試験も対策期間が1週間しかなく、自分の苦手な分野に絞って効率的に参考書を読み込んでいきました。「オタク」な友達に電話をかけて、それぞれのジャンルの重要ニュースを聞いたりもしていました。

 筆記が終わると休む間もなく面接の予定が組み込まれ、生まれて初めての就活面接が行われます。1次面接はたいてい志望動機に、ESについて質問されるだけだったので精神的には楽でした。しかし前述したように私が編集者になりたいと思ったのは自分の劇団での苦い体験がきっかけだったのですが、そんな理由はネガティブに聞こえそうで、どうしても言えませんでした。「組織としてうまくやっていけない人間だと思われたらどうしよう」などと不安に思ったし、恥ずかしながら3月くらいまで、泣かずにその時の話をできる自信がなかった。ですから自ずと、志望動機はありきたりなものとなっていました。

 これは就職活動中に知り合った人と話していて感じたのですが、出版社を受ける人間にとって本が好きだなんて大前提にもほどがある。凝ったエピソードでどれほど自分が本が好きかをアピールしたところで、面接官にとっては「本が好きな大勢」のひとりに過ぎないのです。また逆に、「今後の出版業界はこうなり〜電子書籍が、云々」を志望動機にしている人も多くみられたのですが、客観的に聞いていて一般論以上のものではなく、その人の「志望動機」としては疑問を感じざるを得ませんでした(もちろん、「今後の出版業界は?」などの質問は面接でもESでも高頻度で聞かれますし、電子書籍化の話題も必ずと言っていいほど出るので、しっかり考えることは必須でありましょう。私が言いたいのは、それらの「一般論」を志望動機として話したところで、果たしてその人と一緒に仕事がしたくなるか、ということだけです)。

 個人的な意見になってしまうのですが、私が聞いていて説得力があるなぁと感じたのは、いい意味で出版物をはじめとしたコンテンツを「手段」として捉えている人たちでした。本という「手段」を使って何ができるのか、そしてそれはその人のどのような体験や考えに基づくものなのか。エピソードそのものは地味でも、そんなことがちゃんと伝わってくる人はすごく言葉に説得力があったし、その人自身がとても魅力的に映りました。

 不合格通知が来るたび叫び出したくなった

 ……とまぁ偉そうなことを書いてしまいましたが、就活を始めた当時の私にそんな余裕はなく、お決まりの「御社の○○という本に影響されて、云々」をあらゆる出版社で展開し、ぼこぼこと落されていきました。

 ESくらいの長さだとそんなに気にならない薄っぺらい志望動機も、面接で話すと5分もしないうちに丸裸にされていきます。特に私がよく聞かれた質問は「なんで作家や脚本家で食べていこうとは思わないの?」というものでした。演劇を10年以上やっています、大学時代にはライターの仕事もしていました――これらのことは面接官にとってむしろマイナスに響いてしまうようでした。自分をさらけ出そうとしない私は表面的な回答を繰り返し、両者の言葉はかみ合わずに空中戦の様相を呈していました。

 筆記までがそれなりに順調だっただけに、面接がさっぱり通らない状況に焦りは空回りしていました。特に私は出版社数社しか受けていなかったので「全部落ちたらどうしよう」と考えると涙が止まらず、不合格通知が来るたび(または無言の連絡が来るたび)「自分は社会不適合なのかもしれない」と考えて叫びだしたくなり(実際に何度か雄叫びをあげ)、一日中、蒲団にくるまってゴロゴロしたりしていました。

 特に国文学を専攻している私にとってずっとあこがれの出版社だった文藝春秋に落ちた時には面接の手ごたえが良かったこともあり非常に落ち込みました。(極めてどうでもいいのですが、文春では面接の最後に「君はなんのお酒が好きなの?」と聞かれたので、てっきり内定祝いでもしてくれるのかと思って浮かれていました…バカです…)

 マスコミで働く先輩に電話をかけ、30分間しゃくりあげながら泣き続けました。そんな私の迷惑行為に対して先輩が掛けた言葉は、「そんなに編集者になりたいんだね」というものでした。

 その言葉にハッとして、また丸一日、蒲団にくるまって自分が編集者になりたかった理由を考え直していきました。好きだった本のこと、本を通じて得ることのできた人間関係、文学部に入り直したこと、そして何より、自分の作品に真摯に向き合う多くの知り合いの人たちの顔が浮かんできました。彼らのような純粋な人たちのために、自分も少しでも役立てる人間になりたい。涙でぐちょぐちょになった毛布を握りしめて、改めて決意を固めました。ちょうど4月の初めの頃でした。

 雑誌を愛読していた太田出版から内定通知

  それからは、(散々泣き疲れたこともあって、)自分でも驚くほどすっきりとした気持ちで面接に臨むことができました。もうその頃になるとあまり志望度の高くなかった企業にはあっさりとすべて落ちていたので(就活をしていて本当にすごいなぁと思うのは、どんなに取りつくろってもその会社への思い入れの濃淡はすぐに見抜かれていたことです)、一社一社に誠実に向き合う事だけを心がけるようにしました。4月になると周りの友達の就活は佳境を迎えており、授業には人がやや少なく、ヒマな私はちゃんと大学に毎日通い、少しばかり寂しかったです。

 そんな折、中途採用の募集に強引に応募させていただいていた太田出版から内定通知がありました。同社の雑誌はほぼすべて定期購読するほどのファンだったため本当に嬉しく、またそこで出会った役員の皆様の出版業界への熱い想いを聞けたことは、私にとって忘れることのできない財産になりました。太田出版の面接を通して「自分を飾らなくても誠意をこめれば受け入れてもらえる場所がある」ということと、「面接は相手との対話である」という当たり前のことに気づかされました。そう思った途端に自分がそれまで不合格だった理由も納得できた気がしました。

 残るは新潮社と角川書店だけ、大本命でした。ここまで来たらあとはありのままの自分をさらけ出そうと覚悟はできていました。

 新潮社では定期購読誌が他社も含め、ジャンルがバラバラなことを指摘されました。私は正直に、マンガもサブカルチャーも映画も大好きだと打ち明けました。

「君は編集者に向いているかもしれないと思ったけれど、うちには向いていないね」

 これで落ちてしまったらしょうがないと思いました。新潮社の本から受けた影響は測り知れないけれど、私はやっぱり一生、一ファンでいようと思いました。新潮社という会社の清々しさに感銘を受けて終わりました。

 角川書店最終面接で社長の最後の質問が…

  角川書店の最終面接では、憧れの社長の目の前に座れただけで興奮し、好きなアイドルの話も哲学書の話もアニメ映画の話もディープな演劇の話も全てできて、個人的にはとても満足していました。ESについて矢継ぎ早に質問が飛んでくるというオーソドックスな面接ではありましたが、すべての質問に嬉々として答えていました。

 けれど臆病な私は、志望動機でまたいつものありきたりな答えしか言うことができませんでした。不完全燃焼で終わった顔の私に社長が最後に投げかけた質問は「今までで一番悔しかったことは?」というものでした。

 面接の質問としてはとてもベタなものかもしれません。けれど私にとってそれは、最後のチャンスのように思えました。

 演劇での失敗、作品に純粋に向き合うということ、もう二度と周りの人のあんな顔は見たくない……なぜか自分のコンプレックスまでさらけだし、今までの面接で一番しどろもどろになっていました。面接時間は20分と短かったですが、ぐったりと疲れ果てていました。最後に淡々と、「貴方は編集者に向いていると思いますよ」と言われて、私の就職活動は終了しました。

 就職活動をしていて、「小さいころからずっとこの会社にあこがれていた」という人に何人も出会いました。そんな人を前にすると私は肩身が狭くて、自分なんてお呼びじゃないと毎回泣きたくなっていました。

 けれど結果として、どんな自分であっても、現在その会社に入りたいということがウソでなければ、誠意は伝わるということを学びました。見栄っ張りで流されやすい私が、最後には自分をさらけだせるようになっていたことが、就職活動で得た最も大きな力でした。

 最後になりましたが、就職活動でお世話になったたくさんの方々と、私の就活情報のすべてを授けてくださった創出版の皆様に感謝の念をお伝えしたいと思います。このご縁を無駄にせず、まっとうな編集者になりたいと思います。ありがとうございました。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。