経済記者になりたい その夢がかなった

F君/日経新聞・NHK・読売新聞他内定


「私が常に恐れているのは、誤った記事が原因で始末書を書くことではない。書いた記事で情報提供者の人生をめちゃくちゃにしてしまうことである。」
 新聞社のある編集委員の方が口にした一言は今でも忘れられない。読書嫌いで文章の下手な私が記者をめざしたきっかけ、それは日本にもっと明るい経済ニュースを届けたいと思ったから。当初、そんなきっかけで記者を志望し、夏に新聞社のインターンシップに参加した。色々と指導してくださった編集委員の方とお酒を飲んでいるとき、ふと発せられたこの一言で記者への単純な憧れが、使命感に変わった。記者は情報源を守らねばならない。時にはある時期まで外に出してはならない。それを誤ると、情報提供者を苦境に追いやる。そんな時は書いた記者も責任を取らなければならない。そんなスリルのある仕事だからこそ面白い。記者への志望度は益々強くなった。
 冬には他の新聞社のインターンシップに参加した。たかがインターンシップではあるが、2社を比べる良い機会となった。同じ新聞社だが、社内の雰囲気や社風は全く違った。どちらの方が自分にあっているのか、考えるきっかけとなった。  何といっても不況、「百年に一度の経済危機」と言われた直後であるため、就職活動が思い通りにいかないのは容易に想像がついた。そのためマスコミ就職への一歩は、ラジオ局から始まった。

 マスコミ就職への第一歩は放送局受験から

 初めての面接。表現しがたい緊張感で思い通りにいかなかった。そもそも、対策も何もしていなかった。OB訪問などで、どこにいっても訊かれると言われた「志望動機」が、ニッポン放送の1次面接で訊かれなかったことに驚いたが、考えていなかったため逆にほっとした。受験者3人に対して面接官3人というのは、オーソドックスな面接パターンであり、他の受験者の話しぶりや内容を聞ける数少ない機会であったため、大変有意義なスタートとなった。話に耳を傾けてくれる面接官もいれば、めんどくさそうに聞く面接官もいる。面接官にどう伝えれば良いのか、頭を抱えた。また他の受験者の話しぶりや内容は大変参考になった。この面接では運良く通過したが、この最初の面接の経験はその後に大いに生かされた。
 次のテレビ朝日の1次面接では、あまりの人の多さに圧倒された。数時間単位の枠で面接予約をしたはずが、数百人の面接待ちの行列。唖然とした。笑うしかなかった。しかし恐怖はなかった。これが初めての面接だという受験者も数多くおり、既に一度ではあるが経験のあった自分が優位に立っている感覚を覚えた。今回は志望動機や自己PRタイムがあり、スムーズに言えた。30秒という制限付であったにも関わらず、明らかに超過する受験者がほとんどであった。30秒ぴったりで終えた自分が不自然に感じたほどであった。
 テレビ朝日は2次面接もスムーズに進んだ。が、その調子も長くは続かなかった。3次面接で初めて、自分の言いたいことが言えたと感じたにも関わらず、結果は振るわなかった。容易に内定に行き着くとは思っていなかったが、やはり悪い結果はなかなか受け入れられない。気分を換えようとしたがうまくはいかず、数日就職活動が振るわなかったのを今でも覚えている。
 なにがいけなかったのか。考える日々は続いた。そこで至った結論、それはありのままの自分以上の、理想で飾ってしまったことだと考えた。面接では、少しでも自分を大きく見せようとしてしまう。テレビ朝日の面接では、私もそうであったことに気づいた。等身大の自分でやってみよう」。そう考えるに至るには勇気が必要だった。正直内定はほしい。そう考えると居直ることはある意味けであった。
 勇気を出して、早速テレビ東京の面接で実践してみた。必要以上に背伸びをせず、思うままに質問に答えた。これがすごく快感だった。等身大の自分を表現すると、面接官は逆に人間味を感じる。面接官が受験者を見る目が優しくなることに気づいた。

 大変だった新聞社のES記入

 時には、結果が伴わないこともある。そんな時、頼りになるのが友人だ。最初は結果を隠そうとしていた自分であったが、凹んだ時には友人と話すのが一番の薬だった。今の自分の思いを伝え、友人の話を聞くと自分が本気で新聞記者になりたいのだということを再確認する良い機会となった。
 またこの時期は、ES(エントリーシート)を毎日のように書くことになる。マスコミ就職は倍率が数百倍、数千倍というのが普通であり、マスコミ以外の業界も視野に入れる必要があるが、両立は並大抵ではなかった。マスコミの中でとりわけ新聞社のESは量が多く、しかもすべて手書きなのはなかなか骨が折れる。最後の最後で間違えてしまうと、何度も書き直す羽目になり、1日1社分書けば済むような話ではなくなる。文章を考え、下書きをし、清書をすると4〜5時間はあっという間に過ぎた。面接で疲れて帰ってきてからの4〜5時間は本当に辛い。でもこれを乗り切らないと、マスコミ就職は難しい。この時期を乗り越えると、筆記試験の日々がやってくる。
 4月初め、新聞社の筆記試験が始まる。今年も共同通信とNHKの筆記試験が、そして朝日新聞と読売新聞の筆記試験が重なったため、この段階で選択を迫られる。この時点で道を絞るのは、マスコミ志望者には心苦しい。各社が受験者獲得のために乗り出すが、際立って力を入れていたのが読売新聞であった。「○○さんのエントリーシートを拝見しました。あなたのESは評価が高いため、是非読売新聞を受験してください……」とわざわざメールを送る徹底ぶりだ。新聞社や通信社に限らず、多くの一般企業がこの時期から選考を開始するため、面接や筆記試験が重なる。そのためスケジュール管理が欠かせない。
 新聞社やNHKは筆記試験を受験すると、早いところでは即日、遅くとも4〜5日以内で筆記試験の合否連絡が来る。その後すぐに面接が始まる。新聞社は一般にESに書かれた内容をもとに複数の面接官が面接を進める。一方、NHKは1人の面接官が1人の受験者に対して、20分ほどじっくりと話をする。友人の話を聞くと、面接官が一方的に話して終わる場合もあったという。NHKの場合、1次面接も各20分が2回行われるため、他のメディアよりも人柄を重視しているように感じた。記者志望で受験した私は2次面接終了までに、合計4人の記者の面接を受けた。その中で記憶に残ったエピソードを紹介したい。
 NHKの2次面接で、「あなたが今までにやった一番悪いことは何か……」と訊かれた。予想もしていなかった質問で一瞬戸惑ったが、悩みながらも高校入試の時にカンニングをしてしまったことを話した。そんなことするやつは公共放送の記者に相応しくないと言われるかと思いきや、「それは見える配置にした試験官が悪いよね」とのこと。何を意図しているのかさっぱり分からず、戸惑っていると今度は追いうちをかける一言を言われた。「君は真面目過ぎるから記者には向いていないよ。記者は、ときにはずるくないとだめなんだよ……」と言われた。その瞬間、NHKへの道は途絶えたと思った。ところが、即日通過の連絡と共に、次の2・5次面接の日時が伝えられた。あの面接官は、私をどのような評価にしたのかはわからないが、面接というのは駄目だと感じた時の方が案外通過するのかもしれない。
 ところがNHKの2・5次面接はこれまでとは全く違った。あとから聞いた話では、2次試験までは志望職種の現役の人が面接を担当し、2・5次は人事部長らが面接を行ったそうだ。人柄を見られていたこれまでとは違い、ジャーナリズムについて深く問われる場面もあり、NHKらしい面接であった。

  面接を経験して気付いた重要なポイント

 なぜテレビ局なのか。なぜ当社なのか。なぜ留学をしたのか。なぜ今のゼミを選んだのか……面接で訊かれることは「なぜ」の質問が多い。受験者もその返答について頭を抱えて考え、窮地に追い込まれていると考えがちだが、実はチャンスであることに気づいた。
 志望動機を考えるのは悩ましいが、当然自分の思いを論理的に伝え、面接官を納得させられれば評価が高くなる。当たり前に思えるがこの点がすごく重要なことに気づいた。返答の仕方にマニュアルはない。案外、面接官もそのような本は目にしており、ありふれたことを言っていればすぐにばれる。早く自分なりの言葉で、かつ論理的に「なぜ」が説明できるようになることがカギとなる。そのためには、OB・OG訪問を通して色々な人から話を聞き、自分なりの考えを主張できるようにする必要がある。殻にこもらず、色々な人との会話からヒントを得ていくのは、「なぜ……?」の質問に答えるための近道なのかもしれない。
 また、面接官の多くは、自己PRなどあまり興味がない。とりわけマスコミではそれを強く感じた。ESなどを参考に興味があるところや、疑問に感じたところは、疾風怒濤のごとく質問攻めになる。面接官の投げかける、「なぜ……?」は、面接官の興味の裏返しなのだ。興味を持っているため、話を聞いてくれやすい。つまりチャンスなのだ。そこに気づき、ピンチをチャンスに変えることこそ重要である。面接の経験を通して学んだ、私の教訓だった。
 面接が終わると、その後はケータイを手放せなくなる。いつ次への選考の連絡が来るのかわからない。その期間は食事も喉を通らず、ただ待つしかないのは本当に辛い。あと1分待って連絡がなかったら諦めようか。そう思った瞬間、次へ選考の案内がやって来るときもあった。
 運が良いことに私は、数社から内定をもらうことができた。内定は数日の間に立て続けにやってきた。言葉に表現できないほどの嬉しさと、胃をキリキリさせた日々から解放されることにほっとした。ところが次は、自分の進路を決定しなければならない。数日のうちに内定誓約書を書きに来るように言われた。周りから贅沢な悩みと言われるだろうが、私自身は人生を左右する決断を2〜3日のうちにするのは何とも言えぬ恐怖であった。その間には多くの人に相談した。高校時代の恩師、大学の教授、両親、そして先輩。誰に相談しても意見が違う。一体どうすればいいんだ。そんな自問自答の日々が続き、内定後も苦しさは続いた。結局、家庭教師先の方に言われた一言が決断に勇気をくれた。「あなたが記者を目指したきっかけをもう一度考えてみなさい」。その瞬間、忘れかけていた記者への熱い思いがよみがえってきた。そうだ、自分は今の日本に、もっと明るい経済ニュースを届けたいと思ったのだ。そこでは私は、日経新聞の記者になることを決断した。

 マスコミ就活に関するアドバイス

 大変おこがましいが、マスコミ就職に向けて私なりのアドバイスを述べたい。
 マスコミ就職へ欠かせないのが筆記試験対策。私は一般教養対策と論文の2つをメインに取り組んだ。一般教養対策は、何といっても新聞を読むのが一番。中には社説を馬鹿にする人がいるが、私はそうは思わない。社の考えはともあれ、社説は各社毎日1つ、もしくは2つしか選択できない。それなりに重要なテーマであるのは間違いない。毎日社説に目を通していれば、そこから試験問題が出題されることも少なくない。また、社説はいきなり社の考えが述べられるわけではない。必ずそのニュースをコンパクトにまとめた解説が入る。こまめに目にすることは、決して時間の無駄ではなく、むしろ最良の素材であると考えた。
 社説以外にも、新聞にはニュースや解説記事・特集記事があり、情報の宝庫である。また月刊の『新聞ダイジェスト』や、その増刊として刊行される ?過去問題集? は、重要な四字熟語や漢字、間違いやすい慣用句などが載っているので是非利用されたい。論文・作文対策には、友人などと添削し合うのがよいであろう。できることなら、現役の記者の人に一読してもらうとベスト。いろいろな人に見てもらい、いろいろな人の文章をみることが重要で、そこから良い文章の分別がつくのだと感じた。
 最後に繰り返しとなるが、就職活動を通して痛感したことを述べたい。それは「友人の大切さ」であり、「ピンチはチャンス」に変える力の重要性である。本当に辛い時期に助けてくれるのは友人である。そして嬉しい時にその気持ちを分かち合えるのも友人である。ライバルである友人と情報を交換し合い、励まし合うことがいかに大きな力となるのかを思い知らされる就職活動であった。また、なかなか内定を勝ち取ることができないピンチな時代であるかもしれないが、それは実はチャンスである。そこに勝ち残れば、本当に必要とされている人材であるし、それに同期の間でコミュニケーションも取りやすくなる。そして何より、今マスコミ業界から必要とされている人材は、「ピンチをチャンスに変える」人物であると感じた。
 マスコミ業界は今、過渡期である。広告収入の落ち込み、若者のテレビ、雑誌、新聞離れ。そしてモバイルインターネット端末の普及。そんなピンチな時代だからこそ、そのピンチをチャンスに変える人材を求めているのではないか。今までの経験によって作り上げられたみなさんの個性を最大限に活用し、夢を持ったアイディアマンになる。すると面接官の心にも響き、内定に一歩近づくに違いない。大きな夢を持って、マスコミ就職に突き進んでもらいたい。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。